2014年7月23日

自有 Ereignis について; 父の名について



御質問や御意見をお送りくださった方々に感謝します.

とりあえず,確認しておきましょう:聖人,覚者,哲人,精神分析家の実存構造ないし存在論的構造は,自有 Ereignis の構造であり,そこにおいては a は純粋徴示素として穴そのものに純化されている.そして,そのような純化は,死からの復活,涅槃からの復活と呼ばれている出来事において成起する.

その場合,死ないし涅槃と呼ばれるものは,ex-sistence 解脱実存,抹消された存在,φ barré のことです.自有においては,ex-sistence の深淵を,その裂口が開いたままに守保することがかかわっています.そのように開いたままの裂口,それが純粋徴示素としての a, 穴としての a です.そのように ex-sistence を守保することは,不安や苦痛を辛抱することであると同時に,死からの復活の至福でもあります.

さて,「父の名」 le Nom-du-Père の概念について御質問をいただきました.ありがとうございます.或る意味で,それは Lacan にとって最も重要な問い,最も問われるべき問いであった,と言えると思います.

Lacan が「父の名」に言及した最初のテクストは,1953年のローマ講演です.そして,1958年の精神病についての書,それから,196311月の一回のみ行われた「父の名」(複数形)についての séminaire, 1969-70年の「精神分析の裏」,1973-74年の Les non-dupes errent (欺されない者たちはさまよう:フランス語では les noms du pères と同音),1975-76年の Joyce についてのセミネール,思い出すままに列挙しても,Lacan は彼の教えの出発点から最晩年に至るまで「父の名」に関する問いを問い続けたことがわかります.

なぜそこまで問題にしたか?それは,「父の名」という用語を以て Lacan は神に関して問い続けたからです.

Lacan は無神論者だったと思われているかもしれませんが,神について無関心であったわけではありません.むしろ,Lacan は,Heidegger と共に,神を探し求めて,神に関して最も真剣に問うた20世紀の哲人の一人であったと言えると思います.

ですから,「父の名」について説明するためには,ひとことふたことではとても足りません.しかし,とりあえず,手掛かりを幾つか挙げてみましょう.

まずは,父の metaphora の式.次いで,支配者徴示素 S1. さらに,男の性別の公式における「Φ(x) でない x が現存する」の式.最後に,ボロメオ結びの第四の輪としての「父の名」.

それらが Lacan の教えに登場する時間的順序には従わないで,まず支配者徴示素 S1 について考えるなら,それは,前性器的な部分客体における部分本能の満足を妨げ,phallus の優位のもとでの性器段階を成立させるものとしての父の機能を形式化している,と見なされます.

その意味においては S1 signifiant Φ と等価です.支配者の言説の構造は,S1 としての signifiant Φ との同一化の構造と見なすことができます.しかし,父の名の概念は S1 に尽きるわけではありません.

1953年のローマ講演において,Lacan は,父の名は徴象の機能の支えである,と言っています.徴象の位の機能の支えとしての父の名は,父の metaphora の概念から,ボロメオ結びの第四の輪としての父の名に至るまで,一貫していると思われます.

それに対して,神の名 YHWH としての父の名は,ex-sistence としての父の名です.それについて話し続けると長くなってしまいますから,今日はこのへんにしましょう.

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