2014年7月14日

7月14日の twitter : 神の御国は近づいている


来たるべき時代の politeia 政治体制は,分析家の言説により形式化されるものだろう,と言いました.その場合,分析家の言説における存在の真理の現象学的構造 a / φ barré における a は,純化されていなければなりません.つまり,a は,影象のものではなく,純粋に徴象的なものとなっています.切れめ,ないし,穴そのものとなっています.それが Lacan が sinthome と呼んだものです.

sinthome は symptôme「症状」の古い書記です.そして,音の上では saint homme 聖なる人間,つまり聖人と同音です.

存在の真理の現象学的構造において,a が純粋な切れめ,ないし穴になる,ということが,死からの復活であり,精神分析の終わりとして目ざされるべきことです.存在論的穴を,何か影象的なものに よって塞ぐのではなく,純粋に徴象的な穴として保存し,その穴という欠如の苦痛に耐えること,それが聖人の実存です.それによって聖人は,神を証言します.

ですから,来たるべき政治体制,John Lenon が想像した理想的世界においては,すべての者が或る意味で聖人になっています.Platon は,哲人による支配を夢見ました.わたしたちは,聖人の国を夢見ます.それは,つまり,天の御国です.それをただ単に死後の極楽として空想するにとどまってはなりません.各人が聖人として,自有として本自的に実存するような polis, 神の都市,どのようにそれは実現され得るでしょうか?

とにかく,精神分析は,支配者の言説,大学の言説,hysterica の言説として形式化される支配と収奪と排除の構造を止揚します.

大学の言説に関して,全体主義(つまり,ファシズム)も民主主義も大学の言論により形式化される,と言いました.そこにおいては,ひとつの「すべて」,ひとつの「皆」が形成され,それに対して,そこから排除される者が必ずそれに伴います.

今の子供たち,若い人々は,「皆」から排除されることを非常に恐れています.いわゆる「空気を読む」ことによって,その都度その状況で「皆」を形成する雰囲気に過剰にに適合しようとします.そこから排除されないために.この現象は,ですから,日本の社会が非常に「民主的」であることの帰結です.しかし,それは,「すべて」や「皆」のファシズムにほかなりません.

分析家の言説においては,支配者の言説において排斥されたもの,大学の言説において排除されたもの,つまり a が,支配者の座に位置します.しかし,それは,超自我の声としてではなく,切れめ,穴そのものとしてです.

分析家の言説により形式化される来たるべき社会においては,各人が欠如の苦痛を辛抱せねばならないかもしれません.各人が,ほかの者ひとりひとりの苦痛を分かち合うことになるでしょう.それが隣人愛と呼ばれるものです.来るべき社会の素描は,2000年前に既にイェスによって提示されています.

今こそ,神の御国はちかづいたのです.つまり,各人が自有として実存する politeia の実現を準備すべきときです.精神分析は,各人が解脱的に救済されるような politeia を実現するための方途です.

水野和夫氏は,日本は来たるべき社会の実現に最も近いところにいる,と言います.経済学的にはそうなのかもしれません.しかし,精神的にはどうでしょう?

今こそ,日本に精神分析の言説を確立するときです.今こそ,精神分析の「福音」を 広めるときです.


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