『盗まれた手紙』の冒頭に描かれる G 警視総監と Dupin との対話に関連して,Lacan は,communication theory ないし information theory において言われる communication についてこう指摘しています:
« la communication peut donner l’impression de ne comporter dans sa transmission qu’un seul sens, comme si le commentaire plein de signification auquel l'accorde celui qui entend, pouvait, d'être inaperçu de celui qui n'entend pas, être tenu pour neutralisé » [communication は,伝達において唯一の意味をしか含んでいないという印象を与え得る – あたかも,意義に満ちたコメント〈其れへ意味を付与するのは,聴く耳を持つ者である〉は,聴く耳を持たぬ者により気づかれないことによって,無効化され得るかのように] (Écrits, p.18).
そこにおいて「聴く耳を持つ者」は Dupin であり,「聴く耳を持たぬ者」は G 警視総監です.「意義に満ちたコメント」は,精神分析的な解釈を示唆しています.
G 警視総監と Dupin とのやりとりをかいま見てみると:
"The fact is, the business is very simple indeed, and I make no doubt that we can manage it sufficiently well ourselves ; but then I thought Dupin would like to hear the details of it, because it is so excessively odd."
"Simple and odd."
"Why, yes ; and not exactly that, either. The fact is, we have all been a good deal puzzled because the affair is so simple, and yet baffles us altogether."
"Perhaps it is the very simplicity of the thing which puts you at fault."
"What nonsense you do talk !"
"Perhaps the mystery is a little too plain."
"Oh, good heavens ! who ever heard of such an idea ?"
"A little too self-evident."
"Ha ! Ha ! Ha !... Oh, Dupin, you will be the death of me yet !"
「事実はこうです:本件はまったく非常に単純であり,我々は自力で十分にうまく対処できることに疑いは無いのです;だが,しかるに,Dupin が事の委細を聞きたがるだろうと思ったのです.なにしろ,非常に奇妙すぎるので.」
「単純かつ奇妙.」
「え?! ええ;というわけでもありません,正確には.事実はこうです:我々は皆,たいそう困惑しているのです.なぜなら,事件はとても単純でありながらも,我々を完全に当惑させるからです.」
「多分,物事の単純さそのものが,あなたを迷わせている.」
「何たる nonsense をおっしゃる!」
「多分,謎は若干,平明すぎる.」
「あれまあ!前代未聞の考えだ!」
「若干,自明すぎる.」
「ハハハ!... ああ Dupin, あなたのせいで笑い死にですよ,いつか!」
D 大臣の館を余すところ無く完全に捜索する G 警視総監の戦略は,強迫神経症者のそれです.分析家のもとをしぶしぶ訪れた強迫神経症者と同様,彼は,Dupin の前でなおも,自分が陥っている行き詰まりを否認し,自力で何とかできる,と主張します.
そのような者には,Dupin の解釈の意義は聞こえてきません.しかし,聴く耳を持つ者に対して Dupin は何と言っているか?彼がこのうえなく heideggérien であり,lacanien であることがわかります:
The Thing, das Ding, la Chose は非常に simple, einfach であり,あまりにも self-evident, sichzeigend であるので,あなたはさまよっている,Holzwege に陥っている.
G 警視総監の強迫神経症戦略に対して,D 大臣の「露出」戦略は,或る意味で hysterica の戦略です.
2015年12月11日金曜日,東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」第八回を行います.時間はいつものとおり 19:30 - 21:00, 場所は文京シビックセンター 5階 D会議室です.
年内は11日で最後です.年明けは2016年01月15日に第二学期を開始します.そのまま Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』の読解を続けます.
2015年12月10日
2015年12月3日
東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第七回,2015年12月4日
Poe の『盗まれた手紙』を,Dupin と D 大臣とは兄弟どうしであると仮定しつつ,あらためて読んでみると,或る一節が含む allusion に気づきます.それは,Dupin が語り手にタネ明かしをしつつ,G 警視総監の推論の誤謬:「すべての愚者は詩人である;ところで,大臣は詩人である;ゆえに,大臣は愚者である」を指摘した直後の一節です:
"But is this really the poet ?" I asked. "There are two brothers, I know ; and both have attained reputation in letters. The Minister I believe has written learnedly on the Differential Calculus. He is a mathematician, and no poet."
"You are mistaken ; I know him well ; he is both. As poet and mathematician, he would reason well ; as mere mathematician, he could not have reasoned at all, and thus would have been at the mercy of the Prefect."
「だが,本当に詩人の方かい?」と,わたしは訊ねた.「ぼくの知るところでは,二人兄弟で,両方とも博識で有名になった.大臣は微分計算について学者のように本を書いた,と思う.彼は数学者であって,詩人じゃない.」
「きみは勘違いしている.ぼくは彼をよく知っている.彼は両方だ.詩人かつ数学者であれば,論理的思考に長けているだろう.単なる数学者なら,彼が論理的に思考したなんて全くあり得ないだろうし,かくして,警視総監の思いのままになっていただろう.」
つまり,D 大臣には兄弟がひとりいる.しかし,後者が誰であるかは不明なままです.その点について Dupin は話をはぐらかしています.ふたりのうち一方が数学者であり,他方が詩人である,という語り手の主張を否定し,D 大臣はひとりで両方なのだ,と語り手に信じこませることによって,D 大臣の兄弟の存在に関する問いを答え無きままに放置し,自分の正体を巧みに隠し続けます.
さて,今日は,D 大臣に関する Dupin の もうひとつの指摘に注目してみましょう.物語の終わりの少し前のところで,Dupin は D 大臣についてこう言っています:
"D- is a desperate man, and a man of nerve."
さらに:
"He is that monstrum horrendum, an unprincipled man of genius."
この "desperate" は「絶望的な」ではなく,"violent, dangerous" です.そして,"nerve" は「神経質」ではなく,"audacity, boldness, daring" です.
つまり,D 大臣は暴力的で危険である,なぜなら,彼は unprincipled [倫理的な原理を欠いている] であり,それゆえ,倫理に反することでも平然とやってのけるから.そして,彼は天才的であるがゆえに,よりいっそう危険です.であるがゆえに,Dupin は,Vergilius が Aeneis のなかで Gaia の娘 Fama について用いた表現を以て,D 大臣を monstrum horrendum [恐るべき怪物]と呼んでいます.
そこから我々は,Lacan が用いた canaille という語を連想します.
canaille という語は,辞書ではこう定義されています:まず名詞としては une personne digne de mépris [軽蔑に値する者],さらに形容詞としては vulgaire, avec une pointe de perversité [下品であり,若干の倒錯性を伴っている].とりあえず「下司」と訳しておきましょう.
Télévision (Autres écrits, p.543) のなかで Lacan はこう述べています:「下司に対しては,精神分析を拒まねばならない.なぜなら,下司は精神分析により野獣[けだもの]になるから」.
これは驚くべき忠告です.なぜなら,原理的に言って,人間は,言語の構造に住まう限りにおいて,皆,精神分析可能であるはずですから.にもかかわらず,なぜ下司を精神分析の言論へ導入してはならないのでしょうか?そもそも,いったい如何なる人間を Lacan は下司と呼んでいるのでしょうか?
Séminaire XVII, 1970年1月21日の講義において,Lacan はこう言っています:「下司のすべての形態以外には,メタ言語は無い – “下司”によって,“人間の欲望は他の欲望である”ということから導出されるあの奇妙な営為を差し徴すならば.あらゆる下司性は,このことに存している:すなわち,或る者の欲望が捕縛される形象が描かれるところにおいて,その者の他 Autre であろうとすること」.
下司は,ひとつのメタ言語である.ところで,Lacan の教えにおいて,「メタ言語は無い」は「他の他は無い」と等価である.したがって,下司は,ひとつの「他の他」である.
勿論,「他の他は無い」という原理が成り立たない例外がある,というわけではありません.他の他は無い.その不可能な他を Lacan は Ⱥ という学素で形式化しています.そして通常は,この Ⱥ を代理するものとして,欲望の客体 a が措定されます:
ところが下司は,誰かに対して,欲望の客体 a としてではなく,他 Autre として己れを提示します.欠けるところの無い他,完璧な他,理想的な他 Autre です.そして,それによって,下司は,当該の誰かを利用し,搾取しようとします.それが,下司の下司たる所以です.
そして,もし下司が精神分析を経験すると,どうなるか?もしかして彼のなかに残っていたかもしれない若干の常識的ないし社会的な遠慮は一切取り除かれます.かくして,下司は野獣になります.己れの利益のために如何なる躊躇も無く誰かを食い物にする野獣に.
Séminaire VII, 1960年3月23日の講義において Lacan は,右翼知識人を「下司」と呼んでいます.我々にとってもっとわかりやすい実例は,或る種の新興宗教の教祖たちでしょう.文字どおり,彼らは,信奉者たちに対して完璧で理想的な他として己れを提示し,それによって信奉者たちを利用し,搾取しています.
D 大臣はどうでしょうか?彼も,まさに下司の一例です.如何なる良心の呵責も無く,彼は女王を利用しようとします.如何にして?手紙を保持することによって.
盗まれた手紙は,Ⱥ の座に秘匿された文字,書かれぬことを止めぬ不可能な文字です.それを所有することによって,大臣は王妃に対して絶対的な権力を有する支配者たる他として己れを提示します.
ただし,Dupin によって手紙が持ち去られてしまった後も,そのことに気がつきもせず.ついに大臣が問題の手紙を開くとき,彼が受け取るメッセージはこれです:
「かくも凶々しきもくろみは,Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.」
そして,その手書きのメッセージの筆跡に,大臣は,自分の兄弟である Dupin を認めるでしょう. そしてそのとき大臣は,今度は自分が Dupin によって破滅させられたことに気がつくでしょう.
2015年12月4日,東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第七回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解します.
時間はいつものように 19:30 - 21:00,
場所は,文京シビックセンター 5階 D会議室です.
"But is this really the poet ?" I asked. "There are two brothers, I know ; and both have attained reputation in letters. The Minister I believe has written learnedly on the Differential Calculus. He is a mathematician, and no poet."
"You are mistaken ; I know him well ; he is both. As poet and mathematician, he would reason well ; as mere mathematician, he could not have reasoned at all, and thus would have been at the mercy of the Prefect."
「だが,本当に詩人の方かい?」と,わたしは訊ねた.「ぼくの知るところでは,二人兄弟で,両方とも博識で有名になった.大臣は微分計算について学者のように本を書いた,と思う.彼は数学者であって,詩人じゃない.」
「きみは勘違いしている.ぼくは彼をよく知っている.彼は両方だ.詩人かつ数学者であれば,論理的思考に長けているだろう.単なる数学者なら,彼が論理的に思考したなんて全くあり得ないだろうし,かくして,警視総監の思いのままになっていただろう.」
つまり,D 大臣には兄弟がひとりいる.しかし,後者が誰であるかは不明なままです.その点について Dupin は話をはぐらかしています.ふたりのうち一方が数学者であり,他方が詩人である,という語り手の主張を否定し,D 大臣はひとりで両方なのだ,と語り手に信じこませることによって,D 大臣の兄弟の存在に関する問いを答え無きままに放置し,自分の正体を巧みに隠し続けます.
さて,今日は,D 大臣に関する Dupin の もうひとつの指摘に注目してみましょう.物語の終わりの少し前のところで,Dupin は D 大臣についてこう言っています:
"D- is a desperate man, and a man of nerve."
さらに:
"He is that monstrum horrendum, an unprincipled man of genius."
この "desperate" は「絶望的な」ではなく,"violent, dangerous" です.そして,"nerve" は「神経質」ではなく,"audacity, boldness, daring" です.
つまり,D 大臣は暴力的で危険である,なぜなら,彼は unprincipled [倫理的な原理を欠いている] であり,それゆえ,倫理に反することでも平然とやってのけるから.そして,彼は天才的であるがゆえに,よりいっそう危険です.であるがゆえに,Dupin は,Vergilius が Aeneis のなかで Gaia の娘 Fama について用いた表現を以て,D 大臣を monstrum horrendum [恐るべき怪物]と呼んでいます.
そこから我々は,Lacan が用いた canaille という語を連想します.
canaille という語は,辞書ではこう定義されています:まず名詞としては une personne digne de mépris [軽蔑に値する者],さらに形容詞としては vulgaire, avec une pointe de perversité [下品であり,若干の倒錯性を伴っている].とりあえず「下司」と訳しておきましょう.
Télévision (Autres écrits, p.543) のなかで Lacan はこう述べています:「下司に対しては,精神分析を拒まねばならない.なぜなら,下司は精神分析により野獣[けだもの]になるから」.
これは驚くべき忠告です.なぜなら,原理的に言って,人間は,言語の構造に住まう限りにおいて,皆,精神分析可能であるはずですから.にもかかわらず,なぜ下司を精神分析の言論へ導入してはならないのでしょうか?そもそも,いったい如何なる人間を Lacan は下司と呼んでいるのでしょうか?
Séminaire XVII, 1970年1月21日の講義において,Lacan はこう言っています:「下司のすべての形態以外には,メタ言語は無い – “下司”によって,“人間の欲望は他の欲望である”ということから導出されるあの奇妙な営為を差し徴すならば.あらゆる下司性は,このことに存している:すなわち,或る者の欲望が捕縛される形象が描かれるところにおいて,その者の他 Autre であろうとすること」.
下司は,ひとつのメタ言語である.ところで,Lacan の教えにおいて,「メタ言語は無い」は「他の他は無い」と等価である.したがって,下司は,ひとつの「他の他」である.
勿論,「他の他は無い」という原理が成り立たない例外がある,というわけではありません.他の他は無い.その不可能な他を Lacan は Ⱥ という学素で形式化しています.そして通常は,この Ⱥ を代理するものとして,欲望の客体 a が措定されます:
ところが下司は,誰かに対して,欲望の客体 a としてではなく,他 Autre として己れを提示します.欠けるところの無い他,完璧な他,理想的な他 Autre です.そして,それによって,下司は,当該の誰かを利用し,搾取しようとします.それが,下司の下司たる所以です.
そして,もし下司が精神分析を経験すると,どうなるか?もしかして彼のなかに残っていたかもしれない若干の常識的ないし社会的な遠慮は一切取り除かれます.かくして,下司は野獣になります.己れの利益のために如何なる躊躇も無く誰かを食い物にする野獣に.
Séminaire VII, 1960年3月23日の講義において Lacan は,右翼知識人を「下司」と呼んでいます.我々にとってもっとわかりやすい実例は,或る種の新興宗教の教祖たちでしょう.文字どおり,彼らは,信奉者たちに対して完璧で理想的な他として己れを提示し,それによって信奉者たちを利用し,搾取しています.
D 大臣はどうでしょうか?彼も,まさに下司の一例です.如何なる良心の呵責も無く,彼は女王を利用しようとします.如何にして?手紙を保持することによって.
盗まれた手紙は,Ⱥ の座に秘匿された文字,書かれぬことを止めぬ不可能な文字です.それを所有することによって,大臣は王妃に対して絶対的な権力を有する支配者たる他として己れを提示します.
ただし,Dupin によって手紙が持ち去られてしまった後も,そのことに気がつきもせず.ついに大臣が問題の手紙を開くとき,彼が受け取るメッセージはこれです:
「かくも凶々しきもくろみは,Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.」
そして,その手書きのメッセージの筆跡に,大臣は,自分の兄弟である Dupin を認めるでしょう. そしてそのとき大臣は,今度は自分が Dupin によって破滅させられたことに気がつくでしょう.
2015年12月4日,東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第七回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解します.
時間はいつものように 19:30 - 21:00,
場所は,文京シビックセンター 5階 D会議室です.
2015年11月25日
東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回,2015年11月27日.
『盗まれた手紙についてのセミネール』において Lacan が述べていることではなく,Poe の物語:『盗まれた手紙』に直接かかわることでひとつ気づいたことがあります.それは,女王から手紙を盗み取った D 大臣と主人公 Auguste Dupin とは兄弟どうしである,ないしそれに類する関係にあると推測し得るのではないか,ということです.
手掛かりのひとつは,両者の姓の頭文字がともに D であることです.登場人物がさして多いわけではないこの物語において,何故両者が同じ文字で始まる姓を持っているのか?Dupin は偽名であり,本当の姓は D 大臣と同じなのではないか?つまり,両者は実の兄弟どうしではないか?または,子供時代を兄弟どうしのように過ごしたのではないか?そして,血と肉の共通性のゆえに激しく憎しみあっているのではないか?
そのことを示唆しているのが,Dupin が引用する Crébillon の戯曲 Atrée et Thyeste です.ギリシャ神話において,Atreus と Thyestes は兄弟どうしであり,互いに激しく憎みあっています.Crébillon の戯曲においては,Atreus は,自分の妻と Thyestes との不倫関係から生まれた子 Pleisthenes を Thyestes に対する復讐のために殺し,その血を杯に入れて Thyestes に差し出します.Thyestes は悲しみのあまりみづから命を絶ちます.戯曲の最後を成す Atreus のすさまじい台詞は:
Et je jouis enfin du fruit de mes forfaits.
そして,わたしは,ついに,わが大罪の果実を悦する.
そのような復讐の筋書きを考えつつ,Atreus は独白します:
Quel qu'en soit le forfait, un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'Atrée, est digne de Thyeste.
その大罪が如何なるものであれ,かくも凶々しいもくろみは,
Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.
この台詞を Poe は引用し,Lacan もそのまま引用しています.
D はしたがって,dessein si funeste [かくも凶々しいもくろみ]の D でもあります.そして Lacan は,そこに destin si funeste [かくも凶々しい運命]を読み取ります.文字 D は dessein だけでなく,destin の D でもあるわけです.
『盗まれた手紙』において,Dupin は Crébillon を引用する直前,こう言っています:
D–, at Vienna once, did me an evil turn, which I told him, quite good-humoredly, that I should remenber.
D は,かつてヴィーンで,わたしに邪悪なことをしてくれた.わたしは全く上機嫌で彼に言った:このことを記憶にとどめておくよ,と.
つまり,彼らは旧知の仲なのです.『盗まれた手紙』のなかで D 大臣が Dupin の正体に気づかなかったとすれば,それは,D の「邪悪な仕打ち」により強いられた苛酷な人生が Dupin の容貌をすっかり変えてしまったからでしょう.勿論,Dupin は D 大臣との面会時はサングラスで顔を隠してもいました.
さらに Dupin はこうも言っています:
He is well acquainted with my MS.
D には,わたしの手書き文字はおなじみだ.
それほどに,彼らはかつては互いに親密であったのです.
以上から,D 大臣と Dupin とは兄弟どうしであると想像することが許されるでしょう.
さて,11月27日金曜日,今年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解して行きます.
時間は 19:30 - 21:00,
場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室です.
テクストは各自持参してください.
手掛かりのひとつは,両者の姓の頭文字がともに D であることです.登場人物がさして多いわけではないこの物語において,何故両者が同じ文字で始まる姓を持っているのか?Dupin は偽名であり,本当の姓は D 大臣と同じなのではないか?つまり,両者は実の兄弟どうしではないか?または,子供時代を兄弟どうしのように過ごしたのではないか?そして,血と肉の共通性のゆえに激しく憎しみあっているのではないか?
そのことを示唆しているのが,Dupin が引用する Crébillon の戯曲 Atrée et Thyeste です.ギリシャ神話において,Atreus と Thyestes は兄弟どうしであり,互いに激しく憎みあっています.Crébillon の戯曲においては,Atreus は,自分の妻と Thyestes との不倫関係から生まれた子 Pleisthenes を Thyestes に対する復讐のために殺し,その血を杯に入れて Thyestes に差し出します.Thyestes は悲しみのあまりみづから命を絶ちます.戯曲の最後を成す Atreus のすさまじい台詞は:
Et je jouis enfin du fruit de mes forfaits.
そして,わたしは,ついに,わが大罪の果実を悦する.
そのような復讐の筋書きを考えつつ,Atreus は独白します:
Quel qu'en soit le forfait, un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'Atrée, est digne de Thyeste.
その大罪が如何なるものであれ,かくも凶々しいもくろみは,
Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.
この台詞を Poe は引用し,Lacan もそのまま引用しています.
D はしたがって,dessein si funeste [かくも凶々しいもくろみ]の D でもあります.そして Lacan は,そこに destin si funeste [かくも凶々しい運命]を読み取ります.文字 D は dessein だけでなく,destin の D でもあるわけです.
『盗まれた手紙』において,Dupin は Crébillon を引用する直前,こう言っています:
D–, at Vienna once, did me an evil turn, which I told him, quite good-humoredly, that I should remenber.
D は,かつてヴィーンで,わたしに邪悪なことをしてくれた.わたしは全く上機嫌で彼に言った:このことを記憶にとどめておくよ,と.
つまり,彼らは旧知の仲なのです.『盗まれた手紙』のなかで D 大臣が Dupin の正体に気づかなかったとすれば,それは,D の「邪悪な仕打ち」により強いられた苛酷な人生が Dupin の容貌をすっかり変えてしまったからでしょう.勿論,Dupin は D 大臣との面会時はサングラスで顔を隠してもいました.
さらに Dupin はこうも言っています:
He is well acquainted with my MS.
それほどに,彼らはかつては互いに親密であったのです.
以上から,D 大臣と Dupin とは兄弟どうしであると想像することが許されるでしょう.
さて,11月27日金曜日,今年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解して行きます.
時間は 19:30 - 21:00,
場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室です.
テクストは各自持参してください.
2015年11月20日
「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」
Antoine Leiris, 2015年11月16日,彼の FB で.
「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」
金曜日[2015年11月13日]の晩,あなたたちは,特別な人の命を奪った.わたしの生涯の愛である人,わたしの息子の母親である人の.だが,あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない.あなたたちが誰なのか,わたしは知らないし,知りたくもない.あなたたちは死せる魂だ.あなたたちが盲目的に殺しているのは神のためなら,そして,その神は我々を自身の似姿に創ったなら,わたしの妻の体のなかの銃弾ひとつひとつがその神の心を傷つけているだろう.
しかし,否.わたしは,あなたたちに憎悪の贈りものをする気はない.あなたたちは確かにそれを求めたが,しかし,憎しみに対して怒りで応えるなら,今のあなたたちの存りさまを作り出しているのと同じ無知に屈することになるだろう.あなたたちは欲している – わたしが恐怖を感ずることを,わたしが同胞市民たちを不信の目で見ることを,わたしが安全のために自由を犠牲にすることを.あなたたちの負けだ.勝負はまだ続いているとしても.
わたしは今朝,彼女を見た.幾日も幾晩も待って,やっと.彼女は,あの金曜日の晩に家を出たときと同じく美しく,わたしが12年以上前に彼女に夢中で恋していたときと同じく美しかった.勿論,わたしは悲しみに打ちひしがれた.あなたたちに小さな勝ちを譲ろう.しかし,それは短時間しか続かないだろう.わたしは知っている – 彼女は毎日わたしたちと共におり,そして,あの自由な魂たちの天国でわたしたちは再会するだろう,と.その天国にあなたたちが近づくことは決してない.
わたしの息子とわたしと,二人だけになった.しかし,わたしたちは世界のすべての軍隊よりも強い.それに,あなたたちにかかずらっている時間はもう無い.午睡から目覚めた Melvil のところに行かねばならない.彼は17ヶ月になったばかりだ.彼は,いつものようにおやつを食べる.それから,わたしたちは,いつものように遊ぶ.生涯,この小さな男の子は,幸福かつ自由であることによってあなたたちに恥をかかせることになる.なぜなら,否,あなたたちは彼からも憎しみを受け取ることはできないのだから.
Vendredi soir vous avez volé la vie d’un être d’exception, l’amour de ma vie, la mère de mon fils, mais vous n’aurez pas ma haine. Je ne sais pas qui vous êtes et je ne veux pas le savoir, vous êtes des âmes mortes. Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglément nous a fait à son image, chaque balle dans le corps de ma femme aura été une blessure dans Son coeur.
Alors, non, je ne vous ferai pas ce cadeau de vous haïr. Vous l’avez bien cherché pourtant, mais répondre à la haine par la colère, ce serait céder à la même ignorance qui a fait de vous ce que vous êtes. Vous voulez que j’ai peur, que je regarde mes concitoyens avec un oeil méfiant, que je sacrifie ma liberté pour la sécurité. Perdu. Même joueur joue encore.
Je l’ai vue ce matin. Enfin, après des nuits et des jours d’attente. Elle était aussi belle que lorsqu’elle est partie ce vendredi soir, aussi belle que lorsque j’en suis tombé éperdument amoureux il y a plus de douze ans. Bien sûr je suis dévasté par le chagrin, je vous concède cette petite victoire, mais elle sera de courte durée. Je sais qu’elle nous accompagnera chaque jour et que nous nous retrouverons dans ce paradis des âmes libres auquel vous n’aurez jamais accès.
Nous sommes deux, mon fils et moi, mais nous sommes plus forts que toutes les armées du monde. Je n’ai d’ailleurs plus de temps à vous consacrer, je dois rejoindre Melvil qui se réveille de sa sieste. Il a 17 mois à peine, il va manger son goûter comme tous les jours, puis nous allons jouer comme tous les jours, et toute sa vie ce petit garçon vous fera l’affront d’être heureux et libre. Car non, vous n’aurez pas sa haine non plus.
「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」
金曜日[2015年11月13日]の晩,あなたたちは,特別な人の命を奪った.わたしの生涯の愛である人,わたしの息子の母親である人の.だが,あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない.あなたたちが誰なのか,わたしは知らないし,知りたくもない.あなたたちは死せる魂だ.あなたたちが盲目的に殺しているのは神のためなら,そして,その神は我々を自身の似姿に創ったなら,わたしの妻の体のなかの銃弾ひとつひとつがその神の心を傷つけているだろう.
しかし,否.わたしは,あなたたちに憎悪の贈りものをする気はない.あなたたちは確かにそれを求めたが,しかし,憎しみに対して怒りで応えるなら,今のあなたたちの存りさまを作り出しているのと同じ無知に屈することになるだろう.あなたたちは欲している – わたしが恐怖を感ずることを,わたしが同胞市民たちを不信の目で見ることを,わたしが安全のために自由を犠牲にすることを.あなたたちの負けだ.勝負はまだ続いているとしても.
わたしは今朝,彼女を見た.幾日も幾晩も待って,やっと.彼女は,あの金曜日の晩に家を出たときと同じく美しく,わたしが12年以上前に彼女に夢中で恋していたときと同じく美しかった.勿論,わたしは悲しみに打ちひしがれた.あなたたちに小さな勝ちを譲ろう.しかし,それは短時間しか続かないだろう.わたしは知っている – 彼女は毎日わたしたちと共におり,そして,あの自由な魂たちの天国でわたしたちは再会するだろう,と.その天国にあなたたちが近づくことは決してない.
わたしの息子とわたしと,二人だけになった.しかし,わたしたちは世界のすべての軍隊よりも強い.それに,あなたたちにかかずらっている時間はもう無い.午睡から目覚めた Melvil のところに行かねばならない.彼は17ヶ月になったばかりだ.彼は,いつものようにおやつを食べる.それから,わたしたちは,いつものように遊ぶ.生涯,この小さな男の子は,幸福かつ自由であることによってあなたたちに恥をかかせることになる.なぜなら,否,あなたたちは彼からも憎しみを受け取ることはできないのだから.
Antoine LEIRIS, « Vous n’aurez pas ma haine »
Vendredi soir vous avez volé la vie d’un être d’exception, l’amour de ma vie, la mère de mon fils, mais vous n’aurez pas ma haine. Je ne sais pas qui vous êtes et je ne veux pas le savoir, vous êtes des âmes mortes. Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglément nous a fait à son image, chaque balle dans le corps de ma femme aura été une blessure dans Son coeur.
Alors, non, je ne vous ferai pas ce cadeau de vous haïr. Vous l’avez bien cherché pourtant, mais répondre à la haine par la colère, ce serait céder à la même ignorance qui a fait de vous ce que vous êtes. Vous voulez que j’ai peur, que je regarde mes concitoyens avec un oeil méfiant, que je sacrifie ma liberté pour la sécurité. Perdu. Même joueur joue encore.
Je l’ai vue ce matin. Enfin, après des nuits et des jours d’attente. Elle était aussi belle que lorsqu’elle est partie ce vendredi soir, aussi belle que lorsque j’en suis tombé éperdument amoureux il y a plus de douze ans. Bien sûr je suis dévasté par le chagrin, je vous concède cette petite victoire, mais elle sera de courte durée. Je sais qu’elle nous accompagnera chaque jour et que nous nous retrouverons dans ce paradis des âmes libres auquel vous n’aurez jamais accès.
Nous sommes deux, mon fils et moi, mais nous sommes plus forts que toutes les armées du monde. Je n’ai d’ailleurs plus de temps à vous consacrer, je dois rejoindre Melvil qui se réveille de sa sieste. Il a 17 mois à peine, il va manger son goûter comme tous les jours, puis nous allons jouer comme tous les jours, et toute sa vie ce petit garçon vous fera l’affront d’être heureux et libre. Car non, vous n’aurez pas sa haine non plus.
2015年11月19日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第五回,11月20日.
Lacan は存在のトポロジーを説明するために,投射平面 [ projective plane ] と呼ばれる閉曲面 [ closed surface ] をモデルとして用います.投射平面そのものは実数三次元空間へ embed することができません.そこで,その幾つかの可能な immersion のしかたのひとつ,cross-cap を Lacan は提示します:
投射平面は,ひとつの円板のエッジを成す諸点とひとつの Möbius strip のエッジを成す諸点とを一対一対応させつつ同一化することによって得られます:
上の図では,円板は半球面へ変形されています.そのエッジはひとつの円を成しています.それに対して,Möbius strip のエッジは,Lacan が huit intérieur [内巻きの 8]と呼ぶ曲線を描いています.
しかし,上の図で明かなように,円と内巻きの 8 とは相互に位相同型的 [ homeomorphic ] です.円を成す輪を連続的な変形により内巻きの 8 の輪にすることができます.したがって,確かに円板のエッジと Möbius strip のエッジを同一化することが可能である,とわかります.
それによってできあがる cross-cap においては,交線のように見える線分を成す諸点以外の曲面は円板に還元されます:
つまり,Möbius strip は実数三次元空間の外に解脱実存 [ ex-sistence ] しています.
こうして,実在 [ le réel ], 徴在 [ le symbolique ], 影在 [ l'imaginaire ] の三つの位 [ ordre ] と存在のトポロジーとの対応を把握することができます.すなわち:
実在 [ le réel ] は,解脱実存 [ ex-sistence ] として,Möbius strip ;
影在 [ l'imaginaire ] は,定存 [ consistance ] として,円板;
徴在 [le symbolique ] は,穴として,Möbius strip のエッジと円板のエッジとの同一化の閉曲線.
さらにまた,un signifiant représente le sujet pour un autre signifiant [ひとつの徴示素は,主体を,もうひとつのほかの徴示素に対して代表する]という Lacan の命題を,存在のトポロジーに位置づけることができます.
そこにおいて「主体」は,解脱実存です.つまり,Möbius strip です.つまり,実在です.
主体を代表する「ひとつの徴示素」は,投射平面を実数三次元空間において代表する曲面,つまり,円板です.つまり,影在です.
そして,「もうひとつのほかの徴示素」は,究極的には S(Ⱥ) であり,それは,「他の場処のなかの欠如の徴示素」として,穴です.つまり,徴在です.
ただし,この図における S1 や $ を即座に四つの言説における S1 や $ と混同しないでください.
以上を踏まえて,引き続き Lacan の Le séminaire sur « La Lettre volée » を読んでゆきましょう.
日時は,11月20日金曜日 19:30 - 21:00,
場所は,文京シビックセンター 3 階 C 会議室です.
参加のために事前の申込や登録は要りません.
テクストは各自持参してください.テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
2015年11月12日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第四回
Edgar Allan Poe, par Horst Janssen
« Car nous déchiffrons ici en la fiction de Poe cette division où le sujet se vérifie de ce qu’un objet le traverse sans qu’ils se pénètrent en rien, laquelle est au principe de ce qui se lève à la fin de ce recueil sous le nom d’objet a. (...) À cette place que marquait l’homme, nous appelons la chute de cet objet, révélante de ce qu’elle l’isole, à la fois comme la cause du désir où le sujet s’éclipse, et comme soutenant le sujet entre vérité et savoir »
[そも,我々は,ここで,Poe のフィクション『盗まれた手紙』において,主体という裂け目を解読する.その裂け目において,主体は,ひとつの客体が主体を貫通する – ただし,両者はいささかも貫入し合わない – ことにより真現する.主体という裂け目は,この論文集 Écrits の最後に客体 a という名のもとに立ち現れるものの原理にある.人間という刻印が付いていたあの座へ,我々は,客体 a の失墜を呼ぶ.その失墜は,それが客体を – 同時に,そこにおいて主体は掩蔽されるところの欲望の原因として,かつまた,主体を真理と知との間に支えるものとして – 単離することによって啓示的である] (Écrits, p.10).
日時 : 2015年11月13日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室
Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]の精読を続けます.
2015年11月5日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第 3 回
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第三回
日時 : 2015年11月06日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室
Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]を精読する今年度の我々のセミネールを La question de la lettre [文字の問い]と題することにします.
lettre [文字]は,主体を代表するひとつの signifiant [徴示素]としては imaginaire [影在]の位のものであり,同音的な l'être [存在]としては,存在を Heidegger の言う Lichtung [朗場]と取る限りにおいて,symbolique [徴在]の位のものであり,そして,James Joyce の警句 a letter, a litter [文字,ゴミ]により,閉出されたものとしては,réel [実在]の位のものです.
日時 : 2015年11月06日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室
Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]を精読する今年度の我々のセミネールを La question de la lettre [文字の問い]と題することにします.
lettre [文字]は,主体を代表するひとつの signifiant [徴示素]としては imaginaire [影在]の位のものであり,同音的な l'être [存在]としては,存在を Heidegger の言う Lichtung [朗場]と取る限りにおいて,symbolique [徴在]の位のものであり,そして,James Joyce の警句 a letter, a litter [文字,ゴミ]により,閉出されたものとしては,réel [実在]の位のものです.
影在と徴在と実在,それら三つの位の重なり合いの状態を有するものとしての文字を,Lacan は objet a [客体 a]と名づけます.
参加費無料.事前登録不要.
テクストは各自持参してください :
Lacan の『エクリ』を読もうとしたけれど,最初の「盗まれた手紙についてのセミネール」で挫折して,あるいは全然理解できなくて,もう Lacan なんか二度と読まないと思った人々,読みたいけれどまだ読んでいない人々,ならびに上記のいずれでもない人々のために,「盗まれた手紙についてのセミネール」のフランス語原文テクストを読解します.
参加費無料.事前登録不要.
テクストは各自持参してください :
1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊);
2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
2015年11月2日
Au jour de la Commémoration des défunts
En ce
jour de la Commémoration des défunts, nous prions pour toutes les victimes de
la Seconde Guerre mondiale qui a fini il y a soixante-dix ans par les défaites
de l’Allemagne et du Japon.
Au contraire de
l’Allemagne où l’on ne cesse pas de condamner des criminels nazis, maintenant
au Japon est dominant un révisionnisme qui consiste à dénier la responsabilité
et la culpabilité du gouvernement japonais et de l’armée japonaise pendant la
Guerre.
Les quatorze
criminels de guerre japonais principaux qui ont été condamnés dans le Procès de
Tokyo en 1948, sont déifiés dans le Temple de guerre Yasukuni à Tokyo pour qu’on
les vénère comme âmes héroïques de la patrie. On ne veux pas reconnaître leur
criminalité, de sorte qu’elle n’a jamais été l’objet de repentir sincère pour
la plupart des Japonais.
Pas de
contrition, donc pas de pardon de leur péché.
Quand nous étions
encore ennemis de Dieu, Il nous a envoyé Son Fils unique pour nous réconcilier tous
avec Lui. Jésus Christ a assumé tous nos péchés pour nous racheter par Son sang
innocent.
À l’imitation
de notre Seigneur, nous assumons le péché de ce monde qu’on ne cesse pas de
dénier. C’est-à-dire nous assumons tous les péchés commis par le gouvernement
japonais et l’armée japonaise pendant la Seconde Guerre mondiale pour nous en
repentir et pour en demander pardon.
Aie pitié de
nous, notre Dieu, selon ta fidélité !
Selon ta grande
miséricorde, efface nos torts !
Et accorde-nous
tous la réconciliation mutuelle et la paix mondiale !
2015年11月1日
11月2日,死者の日のために.
カトリックでは,毎年11月2日は死者の日,11月は死者の月と定められています.
1945年の敗戦から70年,改めて,戦争の犠牲者と被害者すべてのために祈りましょう.
第二次世界大戦における日本の戦争責任を否認する歴史修正主義が,今,日本で支配的になっています.
ドイツでは Nazi の支配下で犯された戦争犯罪は今もなお徹底的に裁かれているのに対して,日本では戦争犯罪者たちは靖国神社に神々として祀り上げられ,彼らの罪は否認され,罪として悔いられることもありません.それゆえ,彼らの罪はいつまでたっても赦されることがありません.
神は,わたしたちがまだ罪人であったとき,御子イェス・キリストを世に使わしてくださいました.そして,罪無きイェスは,わたしたちの罪をすべて身に引き受け,十字架上の死により,わたしたち皆を贖ってくださいました.
主イェス・キリストにならって,わたしたちも,世の罪を我が身に引き受け,みづからの罪として悔い,赦しを願いましょう.
靖国神社に祀られている14人の A 級戦犯の罪を含めて,第二次世界大戦で日本政府と日本軍,およびその関係者らが犯した罪をすべて,わたしたちは自分の罪として悔い,赦しを願います.
神よ,慈しみ深くわたしたちをかえりみ,豊かな哀れみによって,わたしたちの罪をお赦しください.
そして,すべての者に和解と平和をお与えください.
Amen !
2015年10月28日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第二回,10月30日
Horst Janssen (1929 - 1995) 作,Edgar Allan Poe の肖像
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第二回は,10月30日に行われます.
10月23日に行った第一回でのイントロダクションに続き,第二回からは Jacques Lacan の Écrits の最初の書 Le séminaire sur « La Lettre volée » を精読して行きます.
場所: 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 3 階 B 会議室
日時: 2015年10月30日 19:30 - 21:00.
事前の登録や申込は必要ありません.参加費無料.
テクストは各自用意してください :
Jacques Lacan 著,
Écrits (二分冊の版の場合は第一分冊);
Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».
テクストの入手困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
2015年10月2日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第一学期の予定
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第一学期は,10月23日に始まります.
10月23日から12月11日までの第一学期に取り上げるテクストは,Lacan の Écrits の冒頭に位置する書 Le séminaire sur « La Lettre volée »[『盗まれた手紙』についてのセミネール]です.
原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないでしょう.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書を読解します.
必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.
日付と教室は以下のとおりです:
1. 10月23日,3 階 B 会議室
2. 10月30日,3 階 B 会議室
3. 11月06日,5 階 D 会議室
4. 11月13日,5 階 D 会議室
5. 11月20日,3 階 C 会議室
6. 11月27日,5 階 D 会議室
7. 12月04日,5 階 D 会議室
8. 12月11日,5 階 D 会議室
なお,2016年1月15日から開始する第二学期に取り上げるテクストは未定です.引き続き皆さんの御意見をお待ちしています.
原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないでしょう.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書を読解します.
必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]も各自お読みください.
セミネールの日時は,毎週金曜日 19:30 - 21:00, 場所は,文京シビックセンター(文京区役所の建物:文京区春日 1-16-21)内の区民会議室です.3 階から 5 階までの各階に A から D まで四つある会議室のいずれを教室として使用するかは,その都度異なります.
1. 10月23日,3 階 B 会議室
2. 10月30日,3 階 B 会議室
3. 11月06日,5 階 D 会議室
4. 11月13日,5 階 D 会議室
5. 11月20日,3 階 C 会議室
6. 11月27日,5 階 D 会議室
7. 12月04日,5 階 D 会議室
8. 12月11日,5 階 D 会議室
2015年9月22日
Les Japonais inanalysables ?
Selon Shizuka
SHIRAKAWA (1910-2006) qui est un des plus grands sinogrammatologues de notre temps,
les sinogrammes dans leur origine (ca 14 siècles av. J.-C.) étaient des figures
qui présentifient aux hommes les paroles des Cieux et qui permettent par là les
communications des hommes avec les Cieux. Au cours des temps, cette
signification originaire des sinogrammes est complètement perdue de sorte
qu’ils sont devenus dans la langue japonaise de simples lettres ou caractères qu’on appelle communément idéogrammes.
On pourrait dire qu’il s’agit là bien une sorte de dégradation. Et cette dégradation, on
pourrait l’appeler snobisme selon Alexandre Kojève qui, au retour de son voyage
au Japon en 1959, appelle la situation japonaise « le
snobisme à l’état pur ». Ce terme de snobisme, Lacan le cite dans son Avis au lecteur japonais (Autres écrits, p.497).
Je cite un passage ajouté en 1968 de l’Introduction à la lecture de Hegel de
Kojève :
« La civilisation japonaise ‹ post-historique › s’est engagée dans des
voies diamétralement opposées à la ‹ voie américaine ›. Sans doute, n’y a-t-il plus
eu au Japon de religion, de morale, ni de politique au sens ‹ européen › ou ‹ historique
› de ces mots. Mais le snobisme à l’état pur y créa des disciplines
négatrices du donné ‹ naturel › ou ‹ animal › qui dépassèrent de loin, en
efficacité, celles qui naissaient, au Japon ou ailleurs, de l’action ‹
historique ›, c’est-à-dire des luttes guerrières et révolutionnaires ou du travail forcé. (...) tous les Japonais sans exception sont actuellement en état
de vivre en fonction de valeurs
totalement formalisées, c’est-à-dire complètement vidées de tout contenu ‹ humain › au sens d’‹ historique ›.
(...) l’interaction récemment amorcée entre le Japon et le monde occidental
aboutira en fin de compte non pas à une rebarbarisatlon des Japonais, mais à
une ‹ japonisation › des Occidentaux (les Russes y compris) ».
Le snobisme à l’état pur et une japonisation universelle,
on en voit un bel exemple sur le T-shirt de Lily-Rose Depp où sont imprimés
quelques mots japonais qui ne sont que des ornements graphiques et qui ne signifient
plus rien.
Lacan nous suggère que ce snobisme japonais tient aux
processus incessants de traduction à l’intérieur de la langue japonaise même,
lesquels ont commencé au moment où de sinogrammes ont été importés la première
fois de la langue chinoise dans la langue japonaise au 5ème siècle apr. J.-C. Auparavant,
il n’y avait pas de lettre ni de caractère dans la langue japonaise. Des
sinogrammes et des mots chinois sont absolument nécessaires dans la langue
japonaise pour signifier des choses politiques et scientifiques, ainsi que pour écriture de sutras bouddhiques.
En plus, au moment d’introductions massives de choses occidentales
au XIXème siècle, on a inventé dans la langue japonaise une multiplicité de néologismes
composés de sinogrammes pour traduire de mots de diverses langues occidentales,
ce qui a aggravé encore de confusions dans la langue japonaise. Et de telles
confusions ne cessent pas de s’aggraver sous l’influence de l’américanisation mondiale qui a commencé au XXème siècle.
Dans la langue japonaise, on lit un
sinogramme dans une approximation historiquement fixeé de sa prononciation
chinoise originaire. C’est ce qu’on appelle on-yomi
d’un sinogramme. Étant donné que l’on-yomi d’un sinogramme comme tel ne veut
rien dire dans la langue japonaise, on y associe de façon plus ou moins
arbitraire un ou plusieurs mots japonais qui représenteraient des sens du
sinogramme. C’est ce qu’on appelle kun-yomi
d’un sinogramme.
Et maintenant, des mots américains, on n’en traduit plus
dans la langue japonaise. Un mot américain, on le lit dans une approximation de
sa prononciation américaine originaire, mais on n’y associe plus aucun mot
japonais déterminé. Un mot américain dans une prononciation japonisée est
employé comme tel sans qu’on sache exactement quel sens il a originairement
dans la langue américaine.
Un mot d’origine chinoise s’écrit avec de sinogrammes qui sont des idéogrammes. Un
mot proprement japonais s’écrit avec de hiragana, un premier système de phonogrammes inventés à partir de sinogrammes au 9ème siècle. Un mot importé de
langues occidentales et qu’on emploie sans le traduire dans la langue japonaise
s’écrit avec de katakana, un second système de phonogrammes également
inventés à partir de sinogrammes au 9ème siècle mais d’une façon autre que les hiragana.
Tout cela fait des confusions cauchemardesques qui dominent
la langue japonaise, de sorte qu’elle est maintenant lalangue par excellence dont les matières
vocales ne signifient rien de précis ou de déterminé en restant « indécis[es] entre
le phonème, le mot, la phrase, voire toute la pensée » (Lacan, le 26 juin
1973).
C’est-à-dire l’être parlant japonais est un James Joyce
sans le savoir ni le vouloir – James Joyce qui a créé lalangue de Finnegans Wake, c’est-à-dire celui que Lacan appelle Joyce le sinthome.
C’est pourquoi Lacan dit que « le mot d’esprit est au Japon la dimension même du discours le plus commun, et c’est pourquoi personne qui habite cette langue n’a besoin d’être psychanalysé » (Autres écrits, p.498).
C’est pourquoi Lacan dit que « le mot d’esprit est au Japon la dimension même du discours le plus commun, et c’est pourquoi personne qui habite cette langue n’a besoin d’être psychanalysé » (Autres écrits, p.498).
Mais par là même, le nihilisme métaphysique s’est
développé à son comble dans la société japonaise actuelle. L’abîme maintenant béant
du rapport sexuel qu’il n’y a pas pourrait provoquer une supposition d’un savoir
quelconque dans la place de la vérité, ce qui donnerait une chance au discours
psychanalytique au Japon. Au moins, moi, je l’espère.
J’ajouterai une remarque sur lalangue de Finnegans Wake et lalangue japonaise.
Lalangue joycienne, vous pourriez l’apprécier en écoutant une lecture à haute voix plutôt qu’en lisant le texte imprimé, puisque lalangue est essentiellement lalangue parlée.
Joyce a composé Finnegans Wake en utilisant une multiplicité de langues, tout comme lalangue japonaise se compose de langues proprement japonaise, chinoise, américaine, etc. Une telle pluralité de langues dans lalangue japonaise annule le savoir historiquement supposé par le parlêtre qui l’habite, de sorte qu’il ne reste que la matérialité vocale de lalangue qui ne veut rien dire comme telle.
Si on en veut déchiffrage, il faut chaque fois, de nouveau, supposer dans la place de la vérité un savoir qui y serait nécessaire, tout comme on le fait pour déchiffrer le texte de Finnegans Wake.
J’ajouterai une remarque sur lalangue de Finnegans Wake et lalangue japonaise.
Lalangue joycienne, vous pourriez l’apprécier en écoutant une lecture à haute voix plutôt qu’en lisant le texte imprimé, puisque lalangue est essentiellement lalangue parlée.
Joyce a composé Finnegans Wake en utilisant une multiplicité de langues, tout comme lalangue japonaise se compose de langues proprement japonaise, chinoise, américaine, etc. Une telle pluralité de langues dans lalangue japonaise annule le savoir historiquement supposé par le parlêtre qui l’habite, de sorte qu’il ne reste que la matérialité vocale de lalangue qui ne veut rien dire comme telle.
Si on en veut déchiffrage, il faut chaque fois, de nouveau, supposer dans la place de la vérité un savoir qui y serait nécessaire, tout comme on le fait pour déchiffrer le texte de Finnegans Wake.
2015年9月10日
湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.東京新聞2015年9月10日付朝刊より.
東京新聞2015年9月10日付朝刊より
湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.
安全保障関連法案で根本から変わろうとしている日本の防衛策.その論議の原点と言えるのが1991年の湾岸戦争だ.イラクの侵攻から解放されたクウェートの感謝広告に日本の名前が無かった事実は,自衛隊海外派遣を求める主張の有力な材料となってきた.
クウェート解放のために約130億ドル(約一兆五千五百億円)を支援しながら,日本は感謝広告の30の国に入らなかった.日本は本当に国際社会から批判的に見られたのか.
安保法案の国会審議が大詰めを迎えた今,当事者たちに当たると,語り継がれてきた筋立てとなる事実が見えてきた.
クウェート市のビルの一室で白い装束姿のアルシャリクは感謝広告問題の核心に触れた:「あの広告のリストはそもそも私たちが作ったものではない.作ったのはアメリカだ」.当時東京に駐在していたエリート外交官は現在,政府外郭団体の代表者.「日本をわざと外したんじゃない.それは確かだ.広告をもう一度出せるなら,間違い無くなく日本を入れる」と自信満々で説明し,「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した広告だったんだ」と続けた.
説明によると,発案者は当時の駐米大使サバハ(故人).感謝広告を企画し,米国防総省に多国籍軍の参加国リストを求めた.もちろんそこに日本の名は無い.「戻ってきたものがそのまま広告になったんだ」とアルシャリクは言う.
広告の謝辞には「究極の犠牲をいとわなかった米国民に揺るぎない感謝をささげます.ありがとう」とある.米国を強く意識しているのは確かで,日の丸や日本の国名がなくても大きな違和感や矛盾はない.
在米日本大使館の元公使平林は今,「あえて言えば,クウェート側に悪気はなかった.わざとやったんじゃない.ただ,なんでも人にやらせちゃう国だから.やれということだけで,後は任せたんじゃないかな」と推測する.
広告が掲載された当時,外務省内に騒ぎを冷ややかにみる人々がいたことも明らかになった.匿名を条件に打ち明けるのは外務省の元高官だ.「当時はあんなつまらんことで騒ぐなんてと思ってましたよ.(在米)大使館の張り切った連中がさあ首を取ったと広告を使ったのは間違いない.米国の議員にたたかれていたから.それに乗って,やっぱりお金だけではだめなんだという議論に持っていきたかったんだよ」.
当時,中近東アジア局長だった渡辺允も「自衛隊を海外に出す,いわゆる普通の国になるという立場の人たちと憲法九条なんだという人たちの対立的な違いがあったわけです.その中で,自衛隊を出さなかったからこうなったんだということに使われた可能性はあると思う」と同様の見方を示した.(...)
2011年3月,クウェート市の日本大使館に東日本大震災被災者のためにと富裕層も労働者層も義援金を手に集まる.当時の大使小溝泰義は光景に「圧倒された」という.篤きは続いた.一カ月後,国際会議の席上,クウェートの石油相が切り出した.「原油500万バレルを日本の苦しみを軽減するために無償で提供することをサバハ首長が決定された」.原油は四百億円に相当した.首長といえども国の生命線の石油を簡単に他国に贈れない国.小溝は自身の着任式でサバハ首長にかけられた言葉を思い浮べた.「日本は130億ドルもの援助をしてくれた.私たちは決して忘れていない」.
米国はどうだったか.巨額支援への強い感謝の念は何度も示されている.元米軍総司令官シュワルツコフは自伝で,日本の資金が無ければ作戦は「破綻していただろう」と書いた.外岡はジョージ・ブッシュ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めたスコウクロフトにインタビューし,「日本の貢献に感謝している」と聞いている.
外岡は,日本が国際社会から感謝されていなかったという筋立てで語り継がれることに,「感謝広告は米国で当時ほとんど話題にならなかったし,いまだにその話をするのも日本人だけ.どうやって広告ができたか検証していれば,こんな話にはならなかったでしょう」と自戒を込めた.
外務省の元大使など OB らでつくる霞関会の月報に一連の湾岸危機をめぐる論文が載ったのは2008年3月.執筆者は,湾岸戦争当時クウェート亡命政府があったサウジアラビアの日本大使だった恩田宗.日本の貢献について「国際的に評価されなかったという論は,誰もが認めることとして定着してしまった.しかし,国際的に評価されなかったとの断定は正しくない.少なくとも正確ではない」と書いた.部隊や要員の国外派遣を主張する際の便利な「枕ことば」として使われてきたと指摘している.
恩田は1991年2月,クウェートの首長や外務次官から直接感謝の言葉を受けた.「クウェートは感謝している.お金を出して日本は感謝された.人を出すのが重要で金がだめだと言うのはあまりにも乱暴だ」と取材に対し語った.
クウェート市にある「湾岸戦争記念館」.名称の直訳は「サダム・フセイン政権の犯罪を忘れない博物館」だ.戦争のジオラマや米国の功績を紹介する展示がある.米国に比べ控えめな日本コーナーには,ペルシャ湾で掃海作業をする自衛隊とみられる写真が七枚掲げられ,アラビア語と英語で「イラクのクウェート侵攻時,日本は130億ドルという最大規模の金銭支援とその他の貢献を提供した」という解説がある.
記念館の存在も感謝の言葉も,日本ではこれまで大声で語られることはなかった.感謝広告問題がただ日本の失敗や屈辱として語られるばかりだ.
湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.
安全保障関連法案で根本から変わろうとしている日本の防衛策.その論議の原点と言えるのが1991年の湾岸戦争だ.イラクの侵攻から解放されたクウェートの感謝広告に日本の名前が無かった事実は,自衛隊海外派遣を求める主張の有力な材料となってきた.
クウェート解放のために約130億ドル(約一兆五千五百億円)を支援しながら,日本は感謝広告の30の国に入らなかった.日本は本当に国際社会から批判的に見られたのか.
安保法案の国会審議が大詰めを迎えた今,当事者たちに当たると,語り継がれてきた筋立てとなる事実が見えてきた.
クウェート市のビルの一室で白い装束姿のアルシャリクは感謝広告問題の核心に触れた:「あの広告のリストはそもそも私たちが作ったものではない.作ったのはアメリカだ」.当時東京に駐在していたエリート外交官は現在,政府外郭団体の代表者.「日本をわざと外したんじゃない.それは確かだ.広告をもう一度出せるなら,間違い無くなく日本を入れる」と自信満々で説明し,「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した広告だったんだ」と続けた.
説明によると,発案者は当時の駐米大使サバハ(故人).感謝広告を企画し,米国防総省に多国籍軍の参加国リストを求めた.もちろんそこに日本の名は無い.「戻ってきたものがそのまま広告になったんだ」とアルシャリクは言う.
広告の謝辞には「究極の犠牲をいとわなかった米国民に揺るぎない感謝をささげます.ありがとう」とある.米国を強く意識しているのは確かで,日の丸や日本の国名がなくても大きな違和感や矛盾はない.
在米日本大使館の元公使平林は今,「あえて言えば,クウェート側に悪気はなかった.わざとやったんじゃない.ただ,なんでも人にやらせちゃう国だから.やれということだけで,後は任せたんじゃないかな」と推測する.
広告が掲載された当時,外務省内に騒ぎを冷ややかにみる人々がいたことも明らかになった.匿名を条件に打ち明けるのは外務省の元高官だ.「当時はあんなつまらんことで騒ぐなんてと思ってましたよ.(在米)大使館の張り切った連中がさあ首を取ったと広告を使ったのは間違いない.米国の議員にたたかれていたから.それに乗って,やっぱりお金だけではだめなんだという議論に持っていきたかったんだよ」.
当時,中近東アジア局長だった渡辺允も「自衛隊を海外に出す,いわゆる普通の国になるという立場の人たちと憲法九条なんだという人たちの対立的な違いがあったわけです.その中で,自衛隊を出さなかったからこうなったんだということに使われた可能性はあると思う」と同様の見方を示した.(...)
2011年3月,クウェート市の日本大使館に東日本大震災被災者のためにと富裕層も労働者層も義援金を手に集まる.当時の大使小溝泰義は光景に「圧倒された」という.篤きは続いた.一カ月後,国際会議の席上,クウェートの石油相が切り出した.「原油500万バレルを日本の苦しみを軽減するために無償で提供することをサバハ首長が決定された」.原油は四百億円に相当した.首長といえども国の生命線の石油を簡単に他国に贈れない国.小溝は自身の着任式でサバハ首長にかけられた言葉を思い浮べた.「日本は130億ドルもの援助をしてくれた.私たちは決して忘れていない」.
米国はどうだったか.巨額支援への強い感謝の念は何度も示されている.元米軍総司令官シュワルツコフは自伝で,日本の資金が無ければ作戦は「破綻していただろう」と書いた.外岡はジョージ・ブッシュ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めたスコウクロフトにインタビューし,「日本の貢献に感謝している」と聞いている.
外岡は,日本が国際社会から感謝されていなかったという筋立てで語り継がれることに,「感謝広告は米国で当時ほとんど話題にならなかったし,いまだにその話をするのも日本人だけ.どうやって広告ができたか検証していれば,こんな話にはならなかったでしょう」と自戒を込めた.
外務省の元大使など OB らでつくる霞関会の月報に一連の湾岸危機をめぐる論文が載ったのは2008年3月.執筆者は,湾岸戦争当時クウェート亡命政府があったサウジアラビアの日本大使だった恩田宗.日本の貢献について「国際的に評価されなかったという論は,誰もが認めることとして定着してしまった.しかし,国際的に評価されなかったとの断定は正しくない.少なくとも正確ではない」と書いた.部隊や要員の国外派遣を主張する際の便利な「枕ことば」として使われてきたと指摘している.
恩田は1991年2月,クウェートの首長や外務次官から直接感謝の言葉を受けた.「クウェートは感謝している.お金を出して日本は感謝された.人を出すのが重要で金がだめだと言うのはあまりにも乱暴だ」と取材に対し語った.
クウェート市にある「湾岸戦争記念館」.名称の直訳は「サダム・フセイン政権の犯罪を忘れない博物館」だ.戦争のジオラマや米国の功績を紹介する展示がある.米国に比べ控えめな日本コーナーには,ペルシャ湾で掃海作業をする自衛隊とみられる写真が七枚掲げられ,アラビア語と英語で「イラクのクウェート侵攻時,日本は130億ドルという最大規模の金銭支援とその他の貢献を提供した」という解説がある.
記念館の存在も感謝の言葉も,日本ではこれまで大声で語られることはなかった.感謝広告問題がただ日本の失敗や屈辱として語られるばかりだ.
2015年8月29日
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第 1 回のお知らせ
Lacan の『エクリ』を読もうとしたけれど,最初の「盗まれた手紙についてのセミネール」で挫折して,あるいは全然理解できなくて,もう Lacan なんか二度と読まないと思った人々,読みたいけれどまだ読んでいない人々,ならびに上記のいずれでもない人々のために,「盗まれた手紙についてのセミネール」のフランス語原文テクストを読解します.
参加費無料.事前登録不要.
テクストは各自持参してください : 1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊); 2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
テクストは各自持参してください : 1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊); 2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.
2015年10月23日金曜日 19:30 - 21:00. 文京シビックセンター(文京区役所の建物)3階 B 会議室.
2015年8月25日
Du sujet enfin en question et de l’Autre enfin en question dans la psychanalyse.
Dans la dialectique psychanalytique du sujet et de l’Autre, ils sont :
de l’ordre de l’imaginaire en tant que consistance
corporelle du moi et de l’autre : le petit a imaginaire ou l’objet a dans le fantasme (notons que le lieu de l’Autre en tant que trésor du signifiant se réduit au petit a imaginaire pour autant qu’il est le corps) ;
de l’ordre du symbolique en tant que trou ou fente :
le sujet en division et le S(Ⱥ) ;
de l’ordre du réel en tant qu’ex-sistence : le manque-à-être
du sujet et l’inexistent Ⱥutre de l’Autre.
Le sujet et l’Autre enfin en question dans la
psychanalyse, c’est le réel du sujet
et de l’Ⱥutre en tant qu’ex-sistence.
En tant qu’ex-sistence, le sujet et de l’Ⱥutre sont fondamentalement le réel même.
En tant qu’ex-sistence, le sujet et de l’Ⱥutre sont fondamentalement le réel même.
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 は10月23日から開始します.
東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 は10月23日から開始します.
10月23日から12月11日までの第一学期に取り上げるテクストは,Lacan の Écrits の冒頭の書 Le séminaire sur « La Lettre volée »[『盗まれた手紙』についてのセミネール]です.
原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないはずです.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書をを読解してみましょう.
日時は昨年度と同様,金曜日 19:30 - 21:00, 場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物)です.10月23日と30日は3階B会議室を使います.
必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也 ogswrs@gmail.com へ御連絡ください.
2016年1月15日から開始する第二学期に取り上げるテクストは未定です.引き続き皆さんの御意見をお待ちしています.
10月23日から12月11日までの第一学期に取り上げるテクストは,Lacan の Écrits の冒頭の書 Le séminaire sur « La Lettre volée »[『盗まれた手紙』についてのセミネール]です.
原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないはずです.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書をを読解してみましょう.
日時は昨年度と同様,金曜日 19:30 - 21:00, 場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物)です.10月23日と30日は3階B会議室を使います.
必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.
Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]も各自お読みください.
テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也 ogswrs@gmail.com へ御連絡ください.
2016年1月15日から開始する第二学期に取り上げるテクストは未定です.引き続き皆さんの御意見をお待ちしています.
2015年8月23日
Patrick VALAS, Réponse aux « six paradigmes de la jouissance » de Jacques-Alain MILLER
Réponse aux « six
paradigmes de la jouissance » de Jacques-Alain MILLER, par Patrick VALAS. La Troisième, le 5 juillet 2014.
« Au
fond, je me suis toujours opposé à cette façon millérienne de saucissonner l’enseignement
de Lacan selon la diachronie de son déroulement, tellement la synchronie de ses
avancées selon les veines de la structure ont été inaperçues de lui. Là où il
parlait de contradictions dans les termes de Lacan, il a très tardivement
compris qu’il s’agissait de paradoxes, que l’usage de la topologie permet de
saisir facilement. Pourtant Lacan a introduit très tôt la bande de Möbius et le
tore dans son enseignement, dès le Discours
de Rome en 1953. S’agissant de l’inconscient, une simple bande de Möbius
peut en figurer la structure : en effet, l’envers et l’endroit ne sont pas en
contradiction (diachronie) mais liés paradoxalement selon la synchronie.
Il faut dire que
Miller se vantait naguère que personne ne pouvait ‹ comprendre › Lacan, tant que lui-même n’y avait pas
mis de sa patte. C’est ainsi qu’il a décidé de publier les séminaires de Lacan
selon le calendrier de cette conception typique du discours universitaire – faut-il le souligner ? Il alimentait son
cours par le texte de Lacan dont la plupart de ceux qui le suivaient ne
disposaient pas, où plutôt ne voulaient pas se les procurer, alors que dès 1980
ils étaient tous accessibles. Ils avaient peur d’être fourvoyés, Miller les
ravalant comme étant truffés d’erreurs, alors qu’il s’agissait de
transcriptions originales de Lacan (souvent annotées de sa main) que celui-ci
prêtait à ceux qui le lui demandaient pour en faire des photocopies.
Bref ! Les élèves
de Miller lui ont été – et le
sont encore – d’une
fidélité quasi-canine ; d’où s’explique un mode de diffusion politicienne de la
psychanalyse, caractéristique de la nébuleuse millérienne internationale nommée
‹ Champ Freudien ›. Il a donc imposé de force sa conception
de la chose pendant 20 ans à l’École de la Cause Freudienne qu’il avait fondée
en faisant croire à ses membres que son fondateur en était Lacan. Tardivement,
il a fini tout de même par dire qu’il s’agissait de lui. Cela a eu des
conséquences désastreuses, dont la plus importante à mes yeux est impardonnable
car elle concerne le passage de l’analysant au devenir analyste par l’émergence
pour le sujet d’un désir inédit, inouï : le désir du psychanalyste.
En effet, Lacan
avait inventé une procédure de la passe parce qu’il voulait savoir ce qu’il
pouvait bien se passer dans la tête de quelqu’un pour vouloir être
psychanalyste après avoir fait une analyse. Il avançait que ceux qui le décident
y viennent comme une ‹ boule
dans un jeu de trictrac ›. Au
fond, il livrait ainsi la passe aux plus extrêmes aléas, comme il pouvait dire
dans sa Télévision que ‹ tout est livré chez l’homme à la fortune ›, autrement dit : au hasard, lequel n’est pas
sans loi, mais c’est une loi sans intention. Lacan ouvrait donc là la page
blanche d’un ‹ espace
vectoriel › qu’il
s’agissait de parcourir par la pratique institutionnelle de cette procédure de
la passe, avant de commencer à griffonner les premières lettres d’un réel
nouveau qui pouvait peut-être ‹ cesser de ne plus s’écrire › comme impossible.
Lacan avait
donné, auparavant, quelques coordonnées épistémiques de ce moment de la
structure qu’il a qualifié une seule fois de ‹ traversée du fantasme ›. C’est un hapax. Mais Miller – l’as du mathème à tout va – en a fait son cheval de bataille, selon
son slogan fétiche : l’Orientation Lacanienne, pour organiser la nouvelle
procédure de la passe mise en fonction dans son École de la Cause Freudienne.
Tout ceux qui dérogeaient à ce dogme – la règle dans ce groupe pendant 20 ans – étaient immédiatement rejetés, calomniés,
mis à l’index, etc., bref, traités de noms d’oiseaux diversement colorés et
valables, l’humour en moins. Certains nouveaux impétrants allèrent même jusqu’à
répéter chez Miller ce qu’ils devaient dire à leurs passeurs qui
transmettraient au cartel-jury leurs propos pour décider s’ils étaient reçus ou
collés. Avec les conséquences institutionnelles que l’on sait : ruptures,
scissions, tout ce que l’on désigne avec pudeur ‹ querelles de chapelles ›. D’ailleurs, comment pourrait-il en être
autrement puisque nous sommes des ‹ épars désassortis ›? Et
pourtant, Lacan avait bien écrit que la passe n’était pas pour tous et que
personne n’y était obligé.
Très tardivement,
vers la fin du 20e siècle, il semble que Miller se soit quand même aperçu que
la passe n’était pas du tout identique à celle qu’il avait gravé dans le marbre
de ses élucubrations, et même qu’on pouvait en trouver quelques traces dans l’enseignement
de Lacan. Mais seulement, voilà ! Rebelote ! C’est vrai que dans la répétition
on ne répète pas la même connerie, mais cela n’empêche pas que cette nouvelle
connerie soit parfois pire que la précédente. En effet, Miller, à partir de la
Préface à l’édition anglaise du Séminaire XI (mai 1976 ; cf. Autres Écrits ;
Seuil, pp. 571-573), fait l’invention d’un nouvel inconscient : ‹ l’inconscient réel ›, qui serait inanalysable,
non-transférentiel (sic, Miller !), et qui se distinguerait de celui qui est
analysable, l’inconscient de Freud, transférentiel (re-sic, Miller !). Nous
voilà donc ainsi affligés de deux inconscients ; comme si le savoir d’un seul n’était
pas assez emmerdant comme ça !
Tout cela m’épuise.
Quelqu’un ne voudrait-il pas prendre le relais et aller y jeter un coup d’œil ? »
最高純度のたわけが...
Jacques Lacan, 1975年4月15日(録音資料へリンク):
誰かが... そいつは最高純度のたわけだが... 「ラカン理論は死んだ」と言ったそうだ.まださほど死んじゃいない.将来,垢だらけで死ぬことになるだろうが.明らかに彼はわたしと同意見ではない.彼は「心的現実」について語る連中のなかまだ.わたしは何であれそんな用語で呼んだりしない.「心」という語を使うのは避けるのが常識なのだから.そんなことをすれば,とんでもない困難が生ずる.無数の想定を伴う.あらゆることを想定する.ともあれ,神を想定する.神がいなければ,心はどこにあるというのだ?神が,さらに,心を持つものとして我々をわざわざ創造しなかったなら?あらゆる心理学はそのような想定を除外し得ない.わたしがしているのは,「心的現実」ではなく,作用的現実について語ることだ.単純なことばが,分析においては作用する.勿論,何らかの限界を以てではあるが.しかし,ことばは作用する,ということは確かだ.さもなくば,「ラカン理論は死んだ」と言った先ほどのたわけが分析家であり続けることはできない.「心的現実」を信ずる者らのことばさえ,作用するのだ.
誰かが... そいつは最高純度のたわけだが... 「ラカン理論は死んだ」と言ったそうだ.まださほど死んじゃいない.将来,垢だらけで死ぬことになるだろうが.明らかに彼はわたしと同意見ではない.彼は「心的現実」について語る連中のなかまだ.わたしは何であれそんな用語で呼んだりしない.「心」という語を使うのは避けるのが常識なのだから.そんなことをすれば,とんでもない困難が生ずる.無数の想定を伴う.あらゆることを想定する.ともあれ,神を想定する.神がいなければ,心はどこにあるというのだ?神が,さらに,心を持つものとして我々をわざわざ創造しなかったなら?あらゆる心理学はそのような想定を除外し得ない.わたしがしているのは,「心的現実」ではなく,作用的現実について語ることだ.単純なことばが,分析においては作用する.勿論,何らかの限界を以てではあるが.しかし,ことばは作用する,ということは確かだ.さもなくば,「ラカン理論は死んだ」と言った先ほどのたわけが分析家であり続けることはできない.「心的現実」を信ずる者らのことばさえ,作用するのだ.
2015年8月22日
Le fondement de la psychanalyse, 精神分析の基礎
« Il n’y a pas de rapport sexuel. C’est le fondement de
la psychanalyse » (la séance du 11 avril 1978, Le Séminaire XXV, Le moment de
conclure).
C’est-à-dire, la proposition qu’« il n’y a pas de rapport
sexuel » est l’axiome le plus fondamental de la psychanalyse.
Elle se fonde sur
l’Ab-grund – l’a-raison, dirait Lacan, c’est-à-dire le fondement impossible et
ex-sistent – du rapport sexuel qu’il n’y a pas : autrement dit, le gouffre
de la castration : φ.
Cet Ab-grund
ex-sistent est le manque-à-être du sujet.
「性関係は無い.それは,精神分析の基礎である」(Séminaire XXV 『結論のとき』,1978年4月11日).
すなわち,「性関係は無い」という命題は,精神分析の最も根本的な公理である.
精神分析が基礎づけられるのは,「性関係は無い」 – 我々の学素では φ [ phallus barré, 抹消されたファロス ] – という Ab-grund[無-根拠の深淵]のうえにである.
Ab-grund という Heidegger の表現の代わりに,Lacan なら l’a-raison[無-根拠 a]と言うかもしれない.
Ab-grund, 無-根拠,すなわち,不可能かつ解脱実存的な – すなわち,実在的 [ réel ] な – 基礎.
「性関係は無い」という無-根拠の深淵 φ を,Freud は去勢という名称のもとに見出した.
「性関係は無い」という解脱実存的な無-根拠 φ は,主体の存在欠如 [ manque-à-être, Sein ] である.
2015年8月16日
2015年8月12日から14日にかけて FB 上で行われた或る歴史修正主義者との対話
或る人 A が「戦争法案」に反対する高校生たちのデモの写真を自分の
FB ページに引用したところ,日本会議のメンバーまたはシンパと思われる人物
B からコメントが入りました.その場で行われた対話から,天皇を崇拝しているかに見える日本会議の者たちは,実際には天皇制を政治的に利用しようとしているだけで,天皇その人に対する敬意は何ら持ち合わせていないことがはっきり見て取れます:
B : (「戦争法案」に反対する高校生たちを見て,彼ら・彼女らは)わかってない人たちですね...
A : B さんこそわかっていない.
小笠原 : B さん,あなたのような人のことを歴史修正主義者
(revisionist) と呼びます.あなたの考え方は日本会議のそれと基本的に一致しているようです.いくら日本のなかでごまかしていても,世界はごまかされません.世界的に信用の高い BBC の記事を御覧下さい :
B : 歴史修正主義者... 間違った歴史観を修正するのが「修正主義者」?
左翼の皆さんが良く使う言葉ですね。間違った言動は正すことこそ未来思考の考え方です。小笠原さんの歴史観の間違いを正そうとしているのです。確証も無い歴史観にすがりついて何をどうしようとしているんですか?素直に謙虚に生きていかれますことを望みます。戦後70年、もっと豊かで、強い日本、世界のリーダーを目指すべき!日本の誇りを取り戻すために、正しい歴史観で「戦後70年談話」を発信すべき!先の大戦は日本の自衛のための戦争で、決して侵略ではありません。アジアを侵略し植民地支配したのは、欧米の列強!日本が戦ったことによって、白人によるアジアの植民地支配を終わらせ独立を果たすことができました。
東京裁判は戦勝国によって、事後法で一方的に裁かれた.欧米列強のアジアの植民地支配は、裁かれていない.東京大空襲や原爆投下は、アメリカによる大量虐殺.
小笠原 : 天皇陛下の今年の新年のお言葉です:「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」.このような謙虚な態度に欠けることを歴史修正主義と呼びます.陛下を見ならってください.中曽根康弘氏ですら,日本軍による中国侵略の事実を認めています.一番新しい『文藝春秋』をお読みください.芥川賞受賞の二作品が掲載されている号です.歴史修正主義は,昭和天皇ならびに今上天皇の御意向に反しています.昭和天皇が靖国神社親拝を中止なさったのは A 級戦犯合祀のせいであることは,今や富田メモにより証明されています.今上天皇も靖国神社には行っていません.靖国神社参拝は昭和天皇と今上天皇の御意向に反することです.日本会議は実際には反天皇の組織です.
B : 大衆迎合しないのが私です。真実は真実なのです。中曽根さんだろうが、天皇だろうが、間違いがあれば正すのが平和主義であり、主権在民の思想です。誰が正しいのではなく,何が正しいのかを知ることが大切です。
小笠原 : どうぞ公の場で同じことをおっしゃってください.
B : 勿論です。何が正しいのかを追求する姿勢がなければ、大衆迎合主義となり、バラマキ選挙などに通じます。誰がではありませんよ!戦後も戦前も天皇を利用した人種はいたもんです。そもそも小笠原さんから天皇崇拝の気持ちウンヌンを言われたくありませんね.
小笠原 : 日本の現代史において天皇を利用したのは明治維新における薩長です.彼らが明治天皇を政治的に担ぎ出したことが,最終的に「国体」を滅亡の淵に追いやる1945年の敗戦に行き着きました.昭和天皇は,薩長と同様に天皇制を再び政治的に利用しようとする戦後右翼の動きを非常に警戒していました.ですから,田中清玄らを使って独自に右翼関連情報を収集していました.昭和天皇の警戒心は今上天皇と皇太子に受け継がれています.天皇陛下と皇太子殿下が安倍晋三を始めとする日本会議のもくろみを打ち砕いてくださるでしょう.明日(8月15日)の陛下のお言葉を楽しみにしましょう.
2015年8月10日
Propos du docteur Lacan devant les « traducteurs » japonais des Écrits, à Tokyo, le 21 avril 1971
Propos du docteur
Lacan devant les «
traducteurs »
japonais des Écrits, à Tokyo, le 21 avril 1971.
(La transcription
de ces propos du Dr Lacan a été établie, à partir d’un enregistrement
aujourd’hui perdu, par M. Philippe Pons, correspondant à Tokyo du journal Le Monde. J’y ai fait quelques
corrections et ajouts, notamment le mathème Φ qui manquait dans la
transcription originale. Les lecteurs de ce texte seraient invités à lire l’Avis au lecteur japonais du docteur
Lacan (pp.497-499 des Autres écrits)
où il déclare que le style que sont ses Écrits « ne se traduit pas hors l’histoire d’où je parle ».
C’est que « personne d’entre eux [ c’est-à-dire les Japonais ] que j’aie
rencontré [ et surtout aucun de ceux qui essayaient alors de traduire les Écrits en japonais ] ne s’est jamais
intéressé » au discours de l’analyste comme tel, dit-il. C’est pourquoi j’ai
mis entre parenthèses le mot « traducteurs » ci-dessus. Ce 10 août 2015, Shin’ya OGASAWARA).
L’École freudienne
de Paris, dont les Écrits ne
prétendent pas être le programme, est sortie de deux scissions qui se sont
produites à l’intérieur du groupe psychanalytique de Paris.
J’appelle groupe
quelque chose de très général, simplement le fait qu’il y ait des
psychanalystes à Paris.
Il y a eu une
première scission qui a abouti à la séparation de deux choses : l’une qui
s’appelait l’Institut de psychanalyse de Paris et l’autre qui s’appelait la
Société française.
Quand je suis
venu au Japon il y a onze ans, je faisais partie de la Société française de psychanalyse.
Ces sortes de
scissions dans l’histoire des groupes de psychanalyse en Europe ne sont pas
rares. Prenons le cas de la Suisse : il y a plus d’un groupe et ces
groupes sont reliés d’une manière très lâche.
Il s’est trouvé
que pour des raisons contingentes, liées à des choses assez secondaires, comme
des rivalités personnelles, c’est à la suite de ça que s’est produite cette
première scission.
Mais pour des
raisons aussi très contingentes, un de ces groupes n’est pas resté dans ce que
l’on appelle l’Association internationale de psychanalyse. Cela à cause des
relations personnelles qu’une personne, qui est tout de même très oubliée, qui
s’appelait la princesse Marie de Grèce, entretenait avec Anna Freud. Ces
relations personnelles ont fait qu’au lieu que ces deux sociétés soient
reconnues – ce
qui aurait été le cas normal –, on a argué d’une minutie juridique : à savoir que nous en étions
sortis en donnant notre démission – ce qui était correct, de donner notre démission de la société précédente –, mais qu’au point de vue formel, elle nous
excluait.
Si l’Association
internationale avait joué un jeu normal, elle aurait considéré que c’était là
un accident, et elle nous aurait reconnus comme l’autre groupe.
Cela a eu des
conséquences curieuses : il y a des gens parmi nous qui sont restés
nostalgiques à propos de cette séparation et qui ont tout fait pour rentrer
dans cette Association internationale.
Et c’est là que
ce qui s’était développé depuis dix ans de mon enseignement a pris son
importance. À
savoir que ce que j’enseignais était tout à fait distinct par rapport à ce qui
faisait le ton de ce qui se faisait dans la sphère de la psychanalyse
anglo-américaine.
Ce n’est pas là
une chose surprenante. Freud l’avait prévue. Freud avait prévu que la
psychanalyse subirait un infléchissement très important du fait d’être prise
dans le système de pensée de la société américaine. Il y en a des traces
écrites dans son œuvre. Il avait prévu la chose. Et c’est de la façon la plus
déclarée que les choses se passent ainsi.
C’est à savoir
que quelqu’un comme Heinz Hartmann, qui fait la loi à la Société de New York, a
nettement dit que ce qui devait faire le programme de la psychanalyse, de son
travail et de son enseignement, devait consister à la faire rentrer dans les
cadres, les concepts qu’il appelle lui-même la psychologie générale. C’est une
chose qui a été dite et écrite et constitue le programme de l’école américaine,
pour autant qu’elle suit le mouvement de New York, et dans l’ensemble, l’école
américaine le suit
avec plus ou moins de distance.
Les États Unis
c’est très grand, et cela offre une certaine diversité. Néanmoins quelque chose
est resté des méthodes impératives que les émigrés d’Allemagne ont héritées
d’un certain style universitaire qui est celui de l’Allemagne.
Il est certain
que ce groupe – que
je connais très bien, puisque je les ai vus dans les années qui ont précédé la
guerre entre 33 et 38, je les ai tous vus passer à Paris, je veux dire que je
me suis même occupé d’eux – a donné l’impulsion à partir de la guerre à la
psychanalyse américaine.
Le fait de ce qui
s’est passé en 63 – d’un
besoin impérieux qui s’est manifesté parmi des gens qui étaient mes collègues,
professeurs à la Sorbonne, de rentrer dans l’Association internationale – leur a fait faire des concessions sur le
sujet de ce en quoi mon enseignement se distinguait radicalement de ce qui
faisait la loi, donnait le ton dans la psychanalyse américaine et dont on peut
dire par exemple que Anna Freud, dans sa façon de traiter la psychanalyse des
enfants, a poussé les choses à un degré qui s’harmonise très bien avec le
programme de la Société de New York.
C’est à ce moment
là que dans ces conditions et vu la tournure que prenaient les choses, j’ai
moi-même dit que je ne continuerais plus l’enseignement que je donnais et qui
était, il faut le dire, la vraie vie de la Société française de psychanalyse.
Il est évident
que c’est mon enseignement qui lui donnait son poids et son ton. Il n’y avait
personne d’autre que moi à y donner à proprement parler un enseignement. Ce
qu’apportaient les professeurs à la Sorbonne, que je n’ai pas à nommer, était
vraiment de l’ordre de la répétition à thèmes, je dois dire assez usés, et qui
ne manifestaient pas une grande fécondité.
C’est à la suite
de quoi que j’ai déclaré que je n’avais plus à continuer mon enseignement dans
les conditions où les choses s’engageaient. Je l’ai fait sans avoir aucune
garantie quant à l’avenir.
Il se trouve qu’à ce moment-là on m’a proposé de poursuivre mon enseignement
dans une certaine sixième section de l’École pratique des hautes études où il
se trouve que je suis le collègue de gens comme Lévi-Strauss.
Devant le fait
que des gens qui avaient été mes élèves restaient avec moi et ne s’engageaient
pas dans la voie du retour à la société internationale, je me suis trouvé, si
je puis dire, en charge d’eux, et j’ai fondé ce qui s’appelle, ce que j’ai
appelé – puisque
c’est moi qui lui ai donné son nom – l’École freudienne de Paris.
Il est certain
que l’appeler freudienne dans ces conditions... je veux dire, en me séparant
d’une association internationale qui prétend avoir le monopole de l’héritage
freudien, je m’offrais une contestation, même juridique à l’occasion.
Il est
remarquable qu’il n’y en ait pas eu trace : je veux dire que personne à
Paris n’a osé contester que mon enseignement fut freudien.
C’est ce que je
peux dire quant à la situation actuelle de l’École.
Il y a beaucoup
de gens, même dans les autres groupes, qui ne voient qu’un faible avantage à
être reliés à l’Association internationale. J’en connais plus d’un qui ne
mettent jamais les pieds dans les congrès et qui ont une certaine aversion pour
ces manifestations.
Ce qui est
certain, c’est que tous ceux qui, à quelque titre, ont goûté de mon
enseignement, même quand ils font partie d’un autre groupe – car il s’est trouvé que pour des raisons
d’ambition personnelle, certains m’ont juridiquement abandonné –, même ceux-là se trouvent, de leurs
propres aveux, très mal à l’aise dans les manifestations de ce qui domine dans
l’Association internationale, c’est-à-dire où les communications reposent sur
des présupposés, sur des principes, sur ce qu’il faut bien aussi appeler des
préjugés, c’est-à-dire des jugements fondamentaux qui ne sont jamais discutés. Les
choses qui s’énoncent dans ces congrès les mettent très mal à l’aise à partir
du moment où ils se sont trouvés régler leur pratique sur certains principes
que j’énonce, et dont il faut bien que je marque, que je souligne, que ce n’est
pas rien que toute cette construction, disons, que j’ai faite au cours de ces
années –, ça
dure depuis un bout de temps et même un petit peu trop à mon gré, enfin nous
sommes dans la dix-huitième année de cet enseignement –, cet enseignement tel qu’il est, avec ce
qui peut vous sembler abstrait... enfin tout dépend avec quelle oreille vous
pouvez lire ces choses.
Parmi vous
personne n’est psychanalyste. C’est fâcheux. Cela pourrait aider certaines
choses.
Néanmoins, comme
des psychanalystes seraient formés selon les principes qui doivent – je n’en
sais rien –, dont
je suppose qu’ils doivent dominer ici, quelque chose qui doit émaner d’une façon
plus ou moins directe de l’école américaine, ce serait aussi une difficulté, ce
qui rend si pénible, pour ceux qui ont goûté de mon enseignement, un certain
style d’énonciation de visée donnée à leur pratique.
C’est que ces
choses qui peuvent vous paraître hautement abstraites – c’est le plus mauvais
mot, ce n’est pas abstrait, ce sont toujours des choses très concrètes –, ces
choses que, si vous n’êtes pas analyste, vous pouvez très difficilement
imaginer, à savoir ce qu’est l’expérience de ce que nous appellerons
l’expérience du divan, à savoir ce qui se passe quand quelqu’un est là, dans le
cabinet de l’analyste, sur le divan et une fois entré dans cette sorte
d’artifice – car
c’est bien évidemment un artifice, la psychanalyse.
Il ne faut pas
s’imaginer ça comme quelque chose qui serait la découverte de je ne sais quel
cœur de l’être ou de l’âme. Au nom de quoi cela se produirait-il ?
La psychanalyse
n’est pas une ascèse, c’est une technique, un artefact très précis qui est
destiné à entrer dans quelque chose dont il s’agit justement de concevoir la
nature véritable.
Pour que ça
puisse marcher dans les conditions où ça marche – c’est dire que l’on est dans une
situation qui est celle-ci : des gens viennent demander quelque chose dont ils
n’ont eux-mêmes aucune espèce d’idée. Ce qu’ils demandent, c’est je ne sais pas
quoi de vague qui a au moins chez certains l’appui de certains symptômes dont
ils souffrent et dont ils voudraient bien se débarrasser.
Le psychanalyste
est dès lors considéré comme une sorte de puissance obscure qui doit avoir le
moyen de faire des merveilles. Ce n’est évidement pas quelque chose sur quoi
nous jouons. Je veux dire par là que tout de même il faut rendre cette justice
à la psychanalyse qu’elle n’essaie pas de jouer sur cette dimension de la
suggestion et de la croyance et de la confiance, de la prise en main, de la
direction de ce qu’on appelle le patient. Si c’était cela, il y a longtemps que
la psychanalyse serait disparue de ce monde comme c’est arrivé pour certaines
techniques qui jouaient sur ce rapport humain.
La psychanalyse
est une technique assez précise qui joue sur cette règle qu’on donne au patient
de dire ce qui lui vient à dire. Naturellement, on l’oriente un peu vers ce qui
pourrait être intéressant. On lui apprend à aller un peu plus loin que les
rapports dits de l’aveu ne le comportent. On leur dit que cela vaut mieux
qu’ils ne s’arrêtent à rien : même des choses qui peuvent leur paraître
indifférentes ou malpolies, qu’ils les disent comme ça leur vient à l’esprit.
Qu’à partir de cette pratique, quelque chose s’établisse qui est infiniment
plus riche et plus compliqué, ça a tout de suite frappé les gens qui se sont
mis à opérer avec cette pratique. C’est ce qu’on appelle le transfert. Le
transfert est alors quelque chose de tout à fait autre que cet accrochage de la
confiance et de la foi en l’analyste, dans la mesure où précisément on
l’analyse.
Il y a une chose
certaine, c’est que c’est quelque chose de très obscur que cette réalité du
transfert. Et il vaudrait mieux savoir ce qu’on fait et qu’on mette l’accent
sur ce qu’il en est de l’analyse de transfert.
Il est bien
certain qu’à en parler d’une certaine façon et à en faire la théorie d’une
certaine façon, on aboutit à des choses très obscures et systématiques qui
débouchent sur des impasses. Ceci est parfaitement repéré depuis toujours.
Si on a parlé de
névroses de transfert, c’est bien parce qu’on a vu justement que le transfert
ne se maniait pas aussi aisément qu’on le pensait. À le manier d’une certaine
façon, on l’éternise. On établit quelque chose qui est en quelque sorte une
nouvelle forme de névrose, qui devient le tissu même des rapports de celui qui
est analysé avec celui qui l’analyse.
Ce que j’ai enseigné a tout de même cet effet que cela permet d’entendre
d’une manière tout à fait différente ce que dit le patient.
Pour ne pas compliquer les choses, limitons nous à l’appeler le patient, ce
qui est une assez mauvaise formule. Et vous devez savoir que je l’appelle le
psychanalysant – ce
qui n’est pas une chose faite pour étonner une oreille habituée à la langue
anglaise – malgré
qu’il y ait là un gérondif qui veut dire « celui qui doit être psychanalysé ».
Cela [ cette appellation « psychanalysant » ] a tout de même un avantage sur le mot
français jusqu’ici usuel, à savoir de l’appeler le psychanalysé, parce qu’en
réalité on aurait bien tort de l’appeler le psychanalysé tant qu’il ne l’est
pas, et il ne l’est peut-être qu’à la fin. Tant qu’il ne l’est pas, appelons-le
le psychanalysant en français. Cela mettra un peu plus l’accent sur quelque
chose d’actif, car il est bien certain que le psychanalysant n’est pas un pur
et simple patient, mais qu’il a un travail à fournir.
Mais ce travail, il s’agit de ne pas le laisser se perdre, à savoir de
reconnaître ce qui se passe.
Il est tout à
fait frappant pour les gens qui suivent mon enseignement, combien de fois ça
arrive que des gens qui suivent des patients – revenons à notre ancienne
dénomination – ou en ont en analyse, m’apportent le témoignage que ce que je
viens de dire dans mon dernier séminaire, ça leur a été dit mais textuellement,
comme par miracle, par un malade quarante huit heures avant. Il est probable
que s’il n’y avait pas eu mon séminaire, ils n’auraient littéralement pas
entendu ce que le patient disait.
Nous en sommes tous là. Il y a une façon d’entendre qui fait que nous
n’entendons jamais que ce que nous sommes déjà habitués à entendre. Quand
quelque chose d’autre se dit, la règle du jeu de la parole fait que simplement
nous le censurons.
La censure est
une chose très banale. Cela ne se produit pas seulement au niveau de notre
expérience personnelle. Cela se produit à tous les niveaux de ce que nous
appelons nos rapports avec nos semblables. À savoir que ce que nous n’avons pas déjà
appris à entendre, nous ne l’entendons pas. Nous ne nous apercevons pas que
tout un morceau, tout un paragraphe de ce qui vient d’être dit, tout son poids
particulier, veut dire quelque chose qui n’est bien entendu pas le texte.
C’est là que nous entrons dans ce qui est important dans ce que j’enseigne.
Il veut dire mais ça ne suffit pas de vouloir. On veut dire mais ce qu’on
veut dire est en général raté. C’est là que l’oreille du psychanalyste
intervient, à savoir qu’il s’aperçoit de ce que l’autre vraiment voulait dire.
Et ce qu’il voulait dire, en général, ce n’est pas ce qui est dans le texte.
Je ne sais pas ce
qu’est la linguistique au Japon, sur quels registres vous travaillez. Dans mon
enseignement, la linguistique n’a qu’une valeur de référence initiatrice.
Il faut bien dire
que, si je n’avais pas eu le public que j’avais, à savoir des médecins ou des
psychologues, c’est-à-dire des gens absolument incultes... je ne dis pas
incultes linguistiquement, je dis incultes tout court : ils ne savent rien.
C’est de là qu’il fallait que je parte.
Il fallait que je parte de là parce que c’est là ce que dans mon langage
signifie le retour à Freud. Cela ne veut pas du tout dire qu’il faut reculer,
revenir à je ne sais quelle imagination ou pureté primitive.
S’il y avait eu depuis Freud – et il y a eu depuis Freud – des choses vraiment nouvelles, il est certain que je n’y vois non
seulement aucun obstacle, mais que je suis très intéressé. Par exemple il est
clair que ce qu’a apporté Mélanie Klein, malgré que ce soit exprimé de manière
absolument sauvage, c’est tout de même quelque chose de pris dans l’expérience
qui est tout à fait saisissant et qu’il faut essayer de comprendre d’une
manière conceptuellement saisissable et non pas d’une obscurité telle qu’elle
le présente. Malgré tout, ça porte la marque d’une expérience, d’une expérience
vive, d’une chose qu’elle a osé avec les enfants.
On peut le discuter du point de vue thérapeutique. Enfin ce qui est certain
c’est que ça a donné des résultats, et ça n’a pas eu les effets qui... quelques
fois, quand on entend du dehors la manière dont elle manie ces enfants, on
pourrait croire que cela pourrait avoir des conséquences redoutables. Il n’en
est certainement pas le cas. C’est très bien toléré, et extrêmement fécond,
cette analyse.
Donc ce n’est pas un retour à Freud en lui-même. C’est simplement parce que
je pense que Freud a d’abord été lu de la façon dont on peut lire n’importe
quoi qui se présente comme nouveau, à savoir en le tirant complètement du côté
des notions déjà reçues. Il s’agissait de quelque chose d’absolument subversif.
Il a fallu à tout prix qu’on construise des petits schémas mentaux qui
permettaient, en fin de compte, de ne pas bouger, de rester sur les mêmes
pensées de l’homme – qu’on
pouvait avoir sur ce qu’il en est de l’homme – qu’avant. Il fallait à tout prix qu’on y
reste. De sorte qu’on a lu Freud en y lisant ce qu’on voulait y lire et
entendant absolument pas ce qui pourtant était là écrit en clair.
Il y a quand même
trois livres initiaux qui sont : L’interprétation
des rêves, La psychopathologie de la
vie quotidienne et Le mot d’esprit.
Malgré tout, le lecteur, au moins le lecteur occidental, et
extrême-oriental aussi je pense, il lui faut de l’âme. L’âme c’est quelque chose
qui doit exister, qui est détachable du corps et qui doit avoir ses règles
propres.
Je sais bien que pour vous la tradition est différente et qu’il vous a
fallu avoir les occidentaux sur le poil, si j’ose dire, pour commencer à parler
de psychologie. Il n’y a pas à proprement parler d’enseignement de psychologie,
il y a l’enseignement d’un certain nombre de pratiques diverses de méditation.
Mais dans l’université en occident, depuis qu’elle existe, c’est-à-dire depuis
la fin du haut Moyen Âge, la psychologie a pris sa place avec un certain nombre
d’autres choses, et le résultat a été certains présupposés qui sont passés dans
la conscience commune et sont devenus quelque chose d’absolument essentiel.
Si vous n’entrez
pas dans la lecture de Freud avec les préjugés psychologiques – et peut-être avez-vous plus de chance que
les occidentaux de le faire –, il ne peut pas manquer de vous frapper qu’on ne parle que de choses qui
sont des mots. Quand on parle de L’interprétation
des rêves, qu’est-ce que Freud en dit ? Dès le début, il le dit : « le rêve
c’est un rébus ».
Quand je dis « retour à Freud », je dis : lisez ce qui est vraiment
écrit sans commencer immédiatement par essayer de voir ce que c’est que cette
boule de coton qui s’appelle l’inconscient et dont il s’irradie quelques plumes
qui seraient alors le conscient. Ne vous faites pas des schémas qui reposent
toujours sur l’idée qu’il y a une substance appelée âme qui a sa vie autonome,
car c’est ça qu’on ne peut plus empêcher les gens de penser, c’est que l’âme a
sa vie distincte, et on est tout près de l’idée que c’est elle la vie tout
simplement, que c’est elle qui anime le corps. On a lu Freud comme ça, à savoir
que l’inconscient est une substance.
Le début de ce
qui fut mon enseignement... et je me suis mêlé de ces choses en ayant pris mon
temps, j’ai commencé en 51, j’avais derrière moi douze à treize ans de pratique.
Je ne vois pas pourquoi j’aurais enseigné des choses prématurément : c’est
après que j’ai eu une certaine expérience d’analyste et que ce soit accompagné
d’une lecture de Freud, assez dépourvue de préjugés.
C’est après cela
que j’ai choisi, étant donné le public de médecins que j’avais, pour qui c’est
encore plus fort que pour les autres, justement parce qu’ils sont médecins et
qu’ils s’occupent du corps... comme ces corps en fin de compte, c’est quelque
chose dont ils ne savent rien. Un médecin en sait moins qu’un masseur, en fin
de compte. Il est ravi quand on lui parle d’âme. Quand on lui explique que les
maladies c’est l’âme, que c’est la relation médecin-malade, ils sont dans la
jubilation : ils ont trouvé quelque chose qui va justifier leur existence.
Le malheureux,
c’est que c’est encore pire que ça a pu être depuis toujours. Tout cela
s’arrange très bien avec le système religieux général. Il n’y a rien, en fin de
compte, qui soit plus organiciste, qui désire plus que les histoires du corps
se résolvent par des petites mécaniques, qui soit plus porté aux explications
somaticiennes, que l’Église catholique.
Malheureusement,
il est clair qu’au fur et à mesure que la biologie avance, c’est autrement
compliqué que les petites idées sommaires qui ont fait la tradition médicale.
Quand on met simplement à l’horizon que l’âme par exemple c’est le rapport
médecin-malade, ils se trouvent un peu justifiés.
La psychanalyse
n’est nullement faite pour encourager cette tendance, et elle montre tout autre
chose qui n’a rien à faire avec la psychologie d’une façon quelconque. Voilà ce
qu’il faut savoir.
Et pour le savoir,
comme on ne peut pas se battre avec des ombres, je n’ai pas à me battre avec
les médecins pour leur dire que leur médecine est imbécile. J’ai choisi de voir
ce qu’on pouvait faire à partir de ce que Freud tout à fait génialement avait
su entendre. Entendre de qui ? De rien d’autre que de ses hystériques.
Au niveau des hystériques, il se produit quelque chose de tout à fait
exceptionnel : c’est que ce qui se révèle, ce sont un certain nombre de
phénomènes, je veux dire les mécanismes de ces phénomènes repérables chez bien
d’autres, mais qui sont obscurcis par toutes sortes de choses dont la première
est la psychologie elle-même.
Quoi de plus
psychologue qu’un obsessionnel ? Il fait de la psychologie à longueur de
journée. C’est une des formes de sa maladie.
L’hystérique
révèle les dessous de ça. Les dessous consistent très exactement dans cette
chose surprenante qu’il y a chez l’homme un certain niveau de phénomènes qu’on
ne peut expliquer que par un moyen de traduction – au sens littéral de ceci. Il ne s’agit
pas de transposition, il s’agit de traduction.
Une traduction ne
peut exister qu’à partir du langage. Puisque le rêve est un rébus, qu’est-ce
que ça peut bien vouloir dire sinon que sous les figures du rêve, il y a des
mots.
Ou bien Freud ne
savait pas ce qu’il disait, ou bien ça doit avoir un sens. Et le sens ne peut
être que... sous les figures du rêve, à la fin, on doit trouver une phrase.
Il se pourrait
que l’on soit dans un de ces délires qui ont existé depuis des siècles, car on
a toujours opéré avec les rêves comme ça. On n’a eu qu’un tort, c’est de croire
que le rébus était toujours fait avec les mêmes éléments : il faut savoir que,
quand on rêvait d’un fort vent ou d’une colique, ça voulait dire bonheur en
amour etc. C’était déjà un rébus mais traduit d’une façon idiote. On ne sait
pas d’où ça vient, ces choses.
C’est exemplaire dans la mesure où ça permet d’illustrer de ce qui mérite
d’être appelé un savoir. Dans l’histoire de l’humanité, un savoir c’est
toujours quelque chose qui a été traité d’une façon très obscurantiste, en fin
de compte. C’est ça qui distingue à proprement parler un savoir. Dans tout
savoir, il y a du savoir-faire, dont nous savons bien que ce n’est pas si
évident.
Nous avons avec Freud une chance, un petit aperçu de quelque chose qui,
concernant certains phénomènes, pourrait aboutir à une certaine rigueur
scientifique. C’est en ça que ça me paraît intéressant.
C’est d’ailleurs
la seule chose qui justifie le maintien de ces cadres à l’intérieur desquels
fonctionne la psychanalyse. Il y a là une chance d’un abord scientifique de
quelque chose qu’il ne s’agit pas de définir prématurément comme un domaine.
Je ne suis pas
pour dire que c’est le début d’une psychologie scientifique. Ce qu’il y a de scientifique
là-dedans, c’est que l’on peut s’appuyer sur quelque chose dont la connaissance
est suffisamment éclaircie pour décoller du terme même de connaissance. C’est
autre chose. Il y a un monde entre ce qui est une articulation scientifique et
ce que de toujours on a mis sous ce terme en fin de compte naturaliste de
connaissance.
Que la
linguistique ait actuellement ce caractère de champ en fusion, c’est une chose
qu’il faut prendre en compte comme elle est, mais dont on a tout de même le
sentiment qu’on y obtient sur certains points des résultats.
Quand Jakobson
arrive à mettre en ordre le système phonématique du français, c’est un résultat
incontestable. Ça n’éclaire pas les fonds de l’âme, la nature humaine, mais
c’est parfaitement opératoire. C’est ce qu’il est possible d’articuler
phonématiquement en français. C’est une autre espèce de savoir que ce savoir,
qui est aussi un savoir et qui est celui de toute personne qui parle le
français.
Quelle est la nature du savoir qu’il y a à parler sa langue ? Rien qu’à
poser cette question, cela ouvre toutes les questions. Qu’est-ce que c’est
savoir le japonais ? C’est quelque chose qui contient en soi un monde de choses
dont on ne peut pas dire qu’on les sait tant qu’on ne peut pas arriver à
l’articuler.
Cette ambiguïté
du savoir, arriver à la toucher si bien au niveau de l’opération de la parole,
c’est quelque chose dont il faut tout le temps mettre le fait à l’épreuve pour
se rendre compte quel rapport étroit cela a avec ce qui se passe dans une analyse.
Car c’est à ça que vous avez affaire dans une analyse : c’est une personne qui
vous raconte des choses et vous apercevez à quel point est ambigu ce qu’il
sait, ce qui est impliqué de ce qu’il sait dans ce qu’il dit, et dont en fin de
compte il n’a pas la moindre idée, car, à une certaine façon de l’écouter, vous
vous apercevez que vous entendez tout autre chose.
Ce serait une
opération tout à fait obscure, si Freud n’avait pas fait dans ces trois livres
dont je parle, l’analyse tout à fait précise d’un certain nombre de faits. Car
j’ai parlé tout à l’heure du rêve, mais il y a aussi toutes sortes de
trébuchements qui ont l’air.
Le fait du
hasard, par exemple, le fait que vous ne trouviez pas votre clef dans votre
poche alors qu’il s’agit de rentrer chez vous, ou qu’au contraire vous tiriez
votre clef de votre poche pour rentrer chez quelqu’un d’autre – Freud nous montre que derrière ces actes
qui ont l’air d’être des actes de fatigue ou de distraction, il y a une
déclaration. Elle dira, par exemple, « si en allant chez telle personne je tire
ma clef, ça voudra dire je suis chez moi ». Et ça ne peut se comprendre que si ça
veut dire cela.
Mais le plus important, c’est la suite. Le « je suis chez moi » n’est pas
n’importe quel « je suis chez moi ». Il y a plus d’une façon d’être chez soi
quelque part, et qui porte justement la marque de quelque chose qui donne la
véritable position de quelque chose que l’on peut appeler la pensée – pour l’instant, disons x. Cet x, j’ai eu l’audace de l’appeler le sujet.
Évidemment ce
sujet a une histoire qui paraît avoir la plus grande contradiction avec ce que
je suis en train de dire. Mais il est clair qu’il faut choisir : ou bien le
sujet est ce qu’a tout à fait bien délimité une certaine tradition occidentale,
quelque chose de lié au fait qu’il semble qu’on ne peut pas penser sans savoir
en même temps qu’on pense...
Qu’est ce que
Freud nous apporte ? Ceci qu’il y a tout un monde qu’il s’agit de savoir
qualifier et dont il faut le manier avec une très grande précaution, puisque je
vous ai dit qu’il faut commencer par rejeter tout ce qui est de l’appareil
mental impliqué par des concepts substantiels comme l’âme etc.
Allons donc
prudemment. Disons ce que sont des pensées. Il est difficile de ne pas
qualifier de pensée quelque chose qui prend un sens si clair à partir du moment
où on sait le lire.
Le propre de
l’inconscient est ceci : de témoigner d’un savoir et même d’un vouloir dire,
d’un besoin de reconnaissance, puisque chacun de ces symptômes c’est quelque
chose qui veut dire quelque chose – mais à qui ?
Il est clair que de prime abord un rêve ne s’adresse à personne. Ce n’est
pas vrai d’ailleurs, car il est tout à fait évident dans l’expérience
analytique, qu’au commencement d’une analyse, il arrive qu’il y ait des rêves
qui sont littéralement rêvés à l’adresse du psychanalyste. Ils ont cette valeur
unique d’être l’équivalent du premier discours à l’analyste. Il y a quelque
chose qui commence à vouloir se dire sur ce plan.
Ce que je veux
marquer, c’est donc, à l’intérieur du fait que l’expérience analytique se
manifeste comme se situant dans un biais tissé de langage – c’est ce que j’appelle : « structuré
comme un langage »... À
partir de là, il est certain que la distinction signifiant / signifié est à
manier d’une certaine façon, et est profitable pour faire saisir certains des
registres que j’essaie de vous faire sentir.
Ce qu’il faut éviter,
c’est de vouloir séparer – et c’est pourquoi votre tâche est si difficile – cet
appareil de ce qui est l’expérience analytique, de ce qui en marque les
limites.
Que l’expérience
analytique soit elle-même essentiellement de nature linguistique, c’est là le
fait massif.
La façon dont
j’opère avec les termes de Saussure – et qui d’ailleurs ne sont pas de Saussure :
le signans et le signatum, les stoïciens en avaient senti le besoin dans la logique
– a essentiellement cet intérêt de montrer que dans le langage, il y un
appareil en quelque sorte définissable d’une façon matérielle, qui est
irréductible. À
savoir que le fait que le langage soit articulé, procède par des combinaisons
qui sont par nature des différences – c’est la seule définition qu’on puisse donner de ce qui est des signes. C’est
que ça se pose comme différent de tout le reste. C’est en ce sens que
l’appareil phonématique est exemplaire. Il est bien évident que ça ne suffit
pas.
Que l’appareil grammatical soit quelque chose d’essentiel, c’est une chose
également sur laquelle il faut mettre l’accent. Ai-je besoin de vous rappeler
qu’en définissant des termes comme Verdrängung
(le refoulement), Verneinung
(c’est-à-dire faire usage de la négation), Verwerfung
(l’exclusion, le fait de ne pas même articuler quelque chose qui est
certainement situable dans la structure du langage), en articulant cela, Freud
nous donne la clef d’un certain type de grammaire. Il s’agit de savoir si cela
a vraiment le caractère complet de grammaire.
C’est précisément
ce qu’avec un certain nombre de petites choses j’essaie de construire. C’est
quelque chose dont eux, les linguistes, devraient se servir.
C’est vous dire
que je ne me sens pas du tout dans la dépendance du linguiste. Ce que le
linguiste m’apporte, j’en fais ce qui me chante, c’est-à-dire ce qui peut me
servir.
Dans le
signifiant et le signifié, il est tout à fait clair que Jakobson peut très
légitimement s’apercevoir que la façon qu’il a de traiter le terme de la
métaphore et de la métonymie, j’en use d’une façon légèrement à côté de la
sienne.
Pour ce qui est
de la négation, les linguistes auraient tout à gagner à se mettre au pas de
l’expérience psychanalytique.
Le signifiant et
le signifié, c’est tout à fait capital. Tout ce qui est de l’appareil du
langage est en fin de compte inclus dans cette distinction.
Le signifié, il
faut bien le dire, c’est toujours autre chose que ce que le signifiant a l’air
d’indiquer. Le côté index du signifiant c’est très précisément celui dont tout
premier abord de la langue consiste à le dépasser.
Si on croit que «
table », ça veut dire table, on ne peut plus parler. C’est très simple. Il y a
un usage du mot table qui s’applique à tout autre chose qu’à cette planche avec
quatre pieds, et c’est ça qui est essentiel.
Il n’y a pas un
seul mot de la langue qui échappe à cette règle que ce qu’il a l’air
d’indiquer, c’est justement ça dont il convient de se détacher pour comprendre
ce que c’est que l’usage de la langue.
Ce qui est
frappant, c’est que ce qui fait sens dans un mot, c’est justement étroitement
lié – on
peut démontrer la connexion de ce qui fait sens – avec ce fait caractéristique du langage
qu’il n’est jamais un décalque des choses. C’est en cela qu’il fait sens. Si
table a un sens, c’est justement de ne jamais désigner purement et simplement
la table.
Tout ce que vous
signifiez avec ce signifiant, il est bien certain que c’est lié à deux
dimensions : la métaphore – par exemple, quand je dis que je fais table rase en telle matière, il n’y
a aucune table que je vais balayer. Cette métaphore est mise à la place de
quelque chose qu’il faudrait que j’articule autrement –, et puis il y a l’autre
dimension : c’est que, si je mets le mot table dans une phrase, il prendra
du fait de ma phrase une couleur et une dimension qui, elle, est à la fois
individualisée si on découpe la phrase et la moins individualisée du monde si
on considère l’ensemble de mon discours. Le mot table peut se trouver avoir pour
moi une qualité et une fonction qui lui donnent une place sensible, qui est une
constante de ma personnalité. Si on met le mot table dans l’expression « se
mettre à table », c’est-à-dire parler devant la police, on voit à quel point
est dominant dans la phrase l’inclusion dans la phrase de l’effet de
signification.
Le signifié,
c’est quelque chose qui demande d’y regarder à deux fois avant d’en parler. Il
est d’autant plus difficile d’en parler qu’on ne pourra jamais le faire qu’avec
des paroles, c’est-à-dire qu’on ne peut pas en sortir.
Si vous ne prenez pas au départ la notion qu’il n’y a pas de métalangage – c’est ce que j’enseigne –, vous tomberez dans tous les pièges. Il
n’y a pas de métalangage, c’est-à-dire, plus on parle du langage, plus vous vous
enfoncez dans ce que l’on pourrait appeler ses failles et ses impasses.
Je ne fais là que donner l’amorce de ce qu’implique un certain usage des
termes linguistiques – usage
dans lequel je ne me sens aucunement dans la dépendance du linguiste. J’en fais
ce qui me convient et jusqu’à un certain point. Si j’écris comme j’écris, c’est
à partir de ceci – que
je n’oublie jamais – : à savoir qu’il n’y a pas de métalangage.
En même temps que j’énonce certaines choses sur les discours, il faut que
je sache que d’une certaine façon c’est impossible à dire. C’est justement pour
ça que c’est réel.
Et c’est pourquoi
ces Écrits représentent quelque chose
qui est de l’ordre du réel. Je veux dire que c’est forcé qu’ils soient écrits
comme ça – je
veux dire par là non pas qu’ils sont inspirés, c’est le contraire : c’est
justement parce que chacun a été le fait d’une conjoncture singulière, par
exemple, qu’il m’était demandé quelque chose pour une certaine revue et que
j’avais essayé d’y condenser six mois de mon discours.
Cet écrit n’est
évidemment pas ce que j’ai dit. C’est quelque chose qui en fait pose toute la
question des rapports entre ce qui est parlé et ce qui vient dans l’écriture.
Ce qui est
certain, c’est que je n’ai pas pu l’écrire autrement et que ça n’a certainement
pas été pour venir s’inscrire dans un livre. C’est bien pour ça que j’ai mis Écrits au pluriel.
Chacun est
l’émergence de quelque chose qui, lui aussi, a un certain rapport avec le
langage.
Pour prendre des
métaphores, chacun de ces écrits semble comme les petits rochers que l’on voit
dans les jardins zen. Ça représente
ça. Moi, j’ai ratissé autour, et puis il s’est trouvé que ce quelque chose se
présentait comme un rocher. Un rocher très composite mais dont la principale
chose est que j’avais affaire à énormément de bêtise et d’inertie – c’est la définition de l’être humain, c’est
un chou-fleur de la bêtise. Mais ce n’est qu’un aspect de la question.
L’autre aspect
c’est que c’est aussi un certain roc qui a les plus grandes choses à faire avec
le discours. Quelque chose que le discours en ratissant peut arriver à cerner.
Ce que j’appelais
tout à l’heure l’impossible à dire, c’est en fin de compte ce que nous
cherchons toujours à dire.
Il s’agit de ne pas se tromper. Il y a un piège là. C’est de croire que ce
roc s’adresse à quelqu’un. C’est le piège dans lequel on est tombé depuis des
siècles. Ce n’est pas parce que ce roc ne se situe qu’avec le ratissage du
discours que le roc s’adresse à quiconque.
C’est précisément ce qui fait la beauté de ces jardins : c’est
précisément qu’ils ne s’adressent à personne. Mais personne ne semble s’en être
aperçu du moins jusqu’à maintenant.
Par contre, le
ratissage lui, c’est-à-dire le discours, il s’adresse à quelqu’un que j’appelle
le grand Autre.
Quand je vous disais tout à l’heure à qui s’adressent les symptômes, il est
bien évident que ça s’adresse à un lieu où bien évidemment il n’y a personne.
Le grand Autre, ça n’existe pas. Mais tout ce qui s’inscrit dans le langage
n’est pensable que par référence au grand Autre. C’est ce qui distingue
radicalement ce qui est de l’imaginaire de ce qui est du symbolique.
Dans ce qui est
de l’imaginaire, vous en avez des exemples : il suffit de voir opérer deux
lutteurs, deux personnages qui se battent en duel. Dans ce qui est de l’ordre
de cette prise d’une action d’une image par une autre, il n’y a aucun moyen de
distinguer ce qui est feinte de ce qui est vrai.
La feinte, c’est
l’action même. Feindre, c’est ce qu’on a à faire quand on se bat en duel. Feindre,
ce n’est pas mentir. Feindre, c’est faire ce qu’on a à faire dans cette
étreinte.
Tout ceci est
réglé par cette chose fondamentale – aussi vraie pour les animaux que pour les hommes – que dans cette espèce de réel si
mystérieux qu’on appelle la vie, ce fonctionnement imaginaire est absolument
essentiel. La capture, la prise par l’image est une chose radicale. Aucune vie
n’est pensable sans cette dimension.
Mais dans le
discours, c’est tout à fait autre chose, car le discours n’a de fonction que
parce qu’il se situe quelque part, dans un lieu tiers, où il s’affirme comme
vérité.
Il n’y a pas
moyen de faire un mensonge sans supposer cette dimension de la vérité, alors
qu’il n’y a dans la feinte pas trace de mensonge. C’est la prise même du corps
à corps.
La pensée de ce que représente le grand Autre par rapport à tout ce qui
peut être duel... et, bien sûr, il n’y a pas que des relations duelles :
je ne le prends que comme cas particulier, parce que c’est le plus simple. Si
nous en mettons trois, ça devient comme pour la gravitation, ça devient d’une
complication extrême que même sur le terrain de la gravitation on n’est pas
arrivé à résoudre.
Pour ce qu’il en
est de la prétendue communication, il n’y a rien qui semble dérouter plus que
ce qui paraît pourtant évident : qu’il est impossible de donner un schéma
correct de ce qu’on appelle communication et qui commence comme le b.a.ba de la
cybernétique, à savoir de limiter les choses à l’émetteur et au récepteur.
Il est évident
que, même à ce niveau même, quand les gens s’expriment, quand ils parlent de la
communication, il y a ce tiers élément qui est le code.
Alors d’où
vient-il ce code ? C’est là que commencent les difficultés.
Ce code n’est pas
sans valeur indicative pour ce que j’ai appelé le grand Autre. Seulement, il
est bien évident que, dans un domaine comme celui de la psychanalyse, on ne
peut s’en contenter, puisque précisément il s’y démontre qu’on opère avec un
code qui lui est tout à fait insaisissable. C’est structuré comme un langage,
ces choses qui sont d’abord les symptômes. Mais le code, dans cette chose qui
pourtant opère comme un langage, le code, nous somme incapables de mettre la
main dessus.
Nous somme
capables de mettre la main sur une structure qui se définit d’une façon telle
qu’elle détermine une certaine fonction de sujet qui a des propriétés, des
liaisons particulières avec le savoir, et met en question le savoir.
Il est clair que
c’est là que cette entrée en jeu de cette trame qui s’appelle l’inconscient
freudien. C’est là que l’on peut s’apercevoir de son rapport avec la chose la
moins connue qui soit, à savoir ce qu’on appelle la sexualité.
Qu’est ce que
démontre l’expérience analytique, sinon que nous sommes amenés par le texte
même à nous apercevoir que, dans la constitution de ce code – ce code si ambigu au regard du savoir – il y a une fonction qui a à faire avec
les relations sexuelles. Ça démontre que c’est une relation tout à fait
compliquée en ceci qu’elle a cette structure ternaire dont je viens de dire
qu’elle est essentielle au langage.
Là encore il faut
se méfier, car c’est une structure ternaire qu’on ne peut appeler ainsi que
parce qu’aucun de ces termes n’est au même niveau.
Il n’y a aucun
rapport entre l’émetteur et le récepteur supposé son semblable – supposé son
semblable dans l’imaginaire, mais pas au niveau symbolique, pour cette simple
raison que, contrairement à l’apparence, c’est de lui que part le message :
recevoir son propre message sous forme inversée.
Ce que j’ai
appelé le grand Autre – ce
lieu indispensable à penser même ce qui est de l’ordre du symbolique –, sa principale caractéristique, c’est
qu’il n’existe pas.
C’est bien pour
ça que j’ai écrit signifiant de grand A barré : Ⱥ. C’est un signifiant de la non-existence
du grand Autre comme tel. C’est un signifiant indispensable à ce que fonctionne
tout l’appareil.
Il est bien
certain qu’il ne faut jamais oublier que, puisque il n’y a pas de métalangage – en disant même quelque chose comme ça –, nous disons quelque chose qui doit forcément
y échapper de n’être pas maniable.
Ce n’est pas
parce que c’est articulé, que c’est articulable. Et c’est bien pour ça que je
ne l’articule pas, mais je l’écris.
C’est quelque
chose de différent, d’écrire ou d’articuler avec la voix.
Contrairement à
certains qui ont pris leur matériel dans ce que j’enseigne et qui sont en train
d’articuler d’une façon vraiment bêtifiante que le langage écrit est premier
par rapport au langage parlé... C’est absurde.
Il est bien
certain qu’il y a un langage parlé et langage écrit, et il suffit de distinguer
ceci que le langage écrit c’est très probablement pas du langage.
Cela ne veut pas dire que ça n’a pas une très grande influence sur le
langage. C’est même pour ça que ça a une grande influence sur le langage parlé.
C’est comme le reste de ce à quoi à affaire le langage. C’est autre chose.
L’importance du
Kanji, c’est justement que c’est comme une chose – ce qui ne veut pas dire que le langage
l’atteigne plus que tout autre chose. Le langage tourne autour.
Ce n’est pas
contradictoire avec ce que je dis qu’il n’y a pas de métalangage : S(Ⱥ).
Il faut
absolument écrire A et le barrer ensuite pour que ça fasse un signifiant : S(Ⱥ). Sans ce signifiant, tout ce qui est de
l’ordre de la communication est impensable – et en particulier, l’expérience
analytique.
Ce que montre
l’expérience analytique, c’est que le rapport sexuel n’est pas pensable sans
quelque chose de tiers qui n’est certes pas le grand Autre dans ce cas, mais
cette entité autour de laquelle tourne la fonction de castration, et que je
note là aussi uniquement d’une façon écrite par le grand Φ pour désigner la fonction tierce, dans le rapport sexuel, du phallus.
C’est là que nous en sommes, c’est dire que nous n’avons pas beaucoup
avancé, puisque c’est sur ce terme [ phallus ] que Freud achève ses écrits. Il n’y a aucune
chance que la psychanalyse aboutisse à quoi que ce soit, qu’elle avance dans sa
construction, qu’elle sorte de cette espèce de ressassage que constituent les
publications analytiques. On n’a qu’à faire l’expérience de lire simplement l’International Journal of Psychoanalysis
qui paraît en même temps à Londres et à New York, pour s’en rendre compte :
on raconte toujours la même chose et dans les mêmes termes qui ont plutôt pour
effet d’opacifier les choses.
Il n’y a aucune
chance de progresser si ce n’est dans cette voie qui est celle de serrer de
plus près ce qu’il en est de l’expérience, de voir de quoi est fait le matériel
qui est là opérant et dont l’analyse se trouve parfaitement dépendre.
Car il est
certain que l’analyste est impliqué dans toute analyse.
Et c’est pour
cela que les analystes sont si décidés à ce que les choses n’avancent pas,
parce que leur situation est déjà bien suffisamment désagréable dans la
situation actuelle pour qu’ils n’aient aucune envie de l’aggraver.
Quand il s’agit
de devenir le roc soi-même, ça pose bien d’autres problèmes, et c’est de ça
dont il s’agit pour l’analyste. Mais il ne veut à aucun prix devenir ce roc.
La grande ambiguïté est dans la relation duelle. Et s’il y a une chance que
nous avancions dans ce qu’il en est de notre relation avec notre semblable,
c’est bien la psychanalyse qui peut nous le montrer : c’est dans la mesure
où c’est beaucoup plus que notre semblable que nous avons en face de nous. C’est
notre prochain, c’est-à-dire ce que nous avons le plus au cœur de nous-mêmes.
On s’était aperçu de ça bien avant la psychanalyse, mais on l’a vu sur un
plan qui n’est pas celui qui nous intéresse, puisque c’est sur le plan
scientifique qu’il s’agit de le voir.
Ce qui ne veut pas dire que le savoir non-scientifique n’a pas été capable
d’atteindre des choses qui ont un rapport étroit avec la jouissance.
Dans la
psychanalyse, on peut viser ce qu’il en est de la jouissance, et c’est très
probablement en ça qu’elle a une fonction initiatrice.
La science qui
procède d’une mise hors de jeu, d’une mise hors de champ de la jouissance, peut
trouver dans la psychanalyse son nœud, son lien, son pédicule, son
articulation. C’est ça qui fait l’intérêt de la psychanalyse. C’est ce qui
permet que se fasse autour de la psychanalyse cette accumulation de nuages
qu’on appelle les sciences humaines.
Je veux bien que
la psychanalyse ait quelque chose à faire avec les sciences humaines à une
seule condition, c’est que les sciences humaines disparaissent, qu’on
s’aperçoive que la psychanalyse n’est là que le fil, le pic qui permet à cette
accumulation d’avoir un semblant d’existence, mais que, dès que quelque chose
fonctionne en son centre, il ne peut plus rien rester de ce qui s’appelle
actuellement sciences humaines.
Maintenant, il
faut que la psychanalyse survive. C’est un grave problème. Survivra-t-elle
quand je serai mort ?
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