2015年12月10日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」第八回,2015年12月11日.

『盗まれた手紙』の冒頭に描かれる G 警視総監と Dupin との対話に関連して,Lacan は,communication theory ないし information theory において言われる communication についてこう指摘しています:

« la communication peut donner l’impression de ne comporter dans sa transmission qu’un seul sens, comme si le commentaire plein de signification auquel l'accorde celui qui entend, pouvait, d'être inaperçu de celui qui n'entend pas, être tenu pour neutralisé » [communication は,伝達において唯一の意味をしか含んでいないという印象を与え得る – あたかも,意義に満ちたコメント〈其れへ意味を付与するのは,聴く耳を持つ者である〉は,聴く耳を持たぬ者により気づかれないことによって,無効化され得るかのように] (Écrits, p.18).

そこにおいて「聴く耳を持つ者」は Dupin であり,「聴く耳を持たぬ者」は G 警視総監です.「意義に満ちたコメント」は,精神分析的な解釈を示唆しています.

G 警視総監と Dupin とのやりとりをかいま見てみると:

"The fact is, the business is very simple indeed, and I make no doubt that we can manage it sufficiently well ourselves ; but then I thought Dupin would like to hear the details of it, because it is so excessively odd."

"Simple and odd."

"Why, yes ; and not exactly that, either. The fact is, we have all been a good deal puzzled because the affair is so simple, and yet baffles us altogether."

"Perhaps it is the very simplicity of the thing which puts you at fault."

"What nonsense you do talk !"

"Perhaps the mystery is a little too plain."

"Oh, good heavens ! who ever heard of such an idea ?"

"A little too self-evident."

"Ha ! Ha ! Ha !... Oh, Dupin, you will be the death of me yet !"

「事実はこうです:本件はまったく非常に単純であり,我々は自力で十分にうまく対処できることに疑いは無いのです;だが,しかるに,Dupin が事の委細を聞きたがるだろうと思ったのです.なにしろ,非常に奇妙すぎるので.」

「単純かつ奇妙.」

「え?! ええ;というわけでもありません,正確には.事実はこうです:我々は皆,たいそう困惑しているのです.なぜなら,事件はとても単純でありながらも,我々を完全に当惑させるからです.」

「多分,物事の単純さそのものが,あなたを迷わせている.」

「何たる nonsense をおっしゃる!」

「多分,謎は若干,平明すぎる.」

「あれまあ!前代未聞の考えだ!」

「若干,自明すぎる.」

「ハハハ!... ああ Dupin, あなたのせいで笑い死にですよ,いつか!」

D 大臣の館を余すところ無く完全に捜索する G 警視総監の戦略は,強迫神経症者のそれです.分析家のもとをしぶしぶ訪れた強迫神経症者と同様,彼は,Dupin の前でなおも,自分が陥っている行き詰まりを否認し,自力で何とかできる,と主張します.

そのような者には,Dupin の解釈の意義は聞こえてきません.しかし,聴く耳を持つ者に対して Dupin は何と言っているか?彼がこのうえなく heideggérien であり,lacanien であることがわかります:

The Thing, das Ding, la Chose は非常に simple, einfach であり,あまりにも self-evident, sichzeigend であるので,あなたはさまよっている,Holzwege に陥っている.

G 警視総監の強迫神経症戦略に対して,D 大臣の「露出」戦略は,或る意味で hysterica の戦略です.

2015年12月11日金曜日,東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」第八回を行います.時間はいつものとおり 19:30 - 21:00, 場所は文京シビックセンター 5階 D会議室です.

年内は11日で最後です.年明けは2016年01月15日に第二学期を開始します.そのまま Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』の読解を続けます.

2015年12月3日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第七回,2015年12月4日

Poe の『盗まれた手紙』を,Dupin と D 大臣とは兄弟どうしであると仮定しつつ,あらためて読んでみると,或る一節が含む allusion に気づきます.それは,Dupin が語り手にタネ明かしをしつつ,G 警視総監の推論の誤謬:「すべての愚者は詩人である;ところで,大臣は詩人である;ゆえに,大臣は愚者である」を指摘した直後の一節です:

"But is this really the poet ?" I asked. "There are two brothers, I know ; and both have attained reputation in letters. The Minister I believe has written learnedly on the Differential Calculus. He is a mathematician, and no poet."

"You are mistaken ; I know him well ; he is both. As poet and mathematician, he would reason well ; as mere mathematician, he could not have reasoned at all, and thus would have been at the mercy of the Prefect."

「だが,本当に詩人の方かい?」と,わたしは訊ねた.「ぼくの知るところでは,二人兄弟で,両方とも博識で有名になった.大臣は微分計算について学者のように本を書いた,と思う.彼は数学者であって,詩人じゃない.」

「きみは勘違いしている.ぼくは彼をよく知っている.彼は両方だ.詩人かつ数学者であれば,論理的思考に長けているだろう.単なる数学者なら,彼が論理的に思考したなんて全くあり得ないだろうし,かくして,警視総監の思いのままになっていただろう.」

つまり,D 大臣には兄弟がひとりいる.しかし,後者が誰であるかは不明なままです.その点について Dupin は話をはぐらかしています.ふたりのうち一方が数学者であり,他方が詩人である,という語り手の主張を否定し,D 大臣はひとりで両方なのだ,と語り手に信じこませることによって,D 大臣の兄弟の存在に関する問いを答え無きままに放置し,自分の正体を巧みに隠し続けます.

さて,今日は,D 大臣に関する Dupin の もうひとつの指摘に注目してみましょう.物語の終わりの少し前のところで,Dupin は D 大臣についてこう言っています:

"D- is a desperate man, and a man of nerve."

さらに:

"He is that monstrum horrendum, an unprincipled man of genius."

この "desperate" は「絶望的な」ではなく,"violent, dangerous" です.そして,"nerve" は「神経質」ではなく,"audacity, boldness, daring" です.

つまり,D 大臣は暴力的で危険である,なぜなら,彼は unprincipled [倫理的な原理を欠いている] であり,それゆえ,倫理に反することでも平然とやってのけるから.そして,彼は天才的であるがゆえに,よりいっそう危険です.であるがゆえに,Dupin は,Vergilius が Aeneis のなかで Gaia の娘 Fama について用いた表現を以て,D 大臣を monstrum horrendum [恐るべき怪物]と呼んでいます.

そこから我々は,Lacan が用いた canaille という語を連想します.

canaille という語は,辞書ではこう定義されています:まず名詞としては une personne digne de mépris [軽蔑に値する者],さらに形容詞としては vulgaire, avec une pointe de perversité [下品であり,若干の倒錯性を伴っている].とりあえず「下司」と訳しておきましょう.

Télévision (Autres écrits, p.543) のなかで Lacan はこう述べています:「下司に対しては,精神分析を拒まねばならない.なぜなら,下司は精神分析により野獣[けだもの]になるから」.


これは驚くべき忠告です.なぜなら,原理的に言って,人間は,言語の構造に住まう限りにおいて,皆,精神分析可能であるはずですから.にもかかわらず,なぜ下司を精神分析の言論へ導入してはならないのでしょうか?そもそも,いったい如何なる人間を Lacan は下司と呼んでいるのでしょうか?

Séminaire XVII, 1970年1月21日の講義において,Lacan はこう言っています:「下司のすべての形態以外には,メタ言語は無い – “下司”によって,“人間の欲望は他の欲望である”ということから導出されるあの奇妙な営為を差し徴すならば.あらゆる下司性は,このことに存している:すなわち,或る者の欲望が捕縛される形象が描かれるところにおいて,その者の他 Autre であろうとすること」.

下司は,ひとつのメタ言語である.ところで,Lacan の教えにおいて,「メタ言語は無い」は「他の他は無い」と等価である.したがって,下司は,ひとつの「他の他」である.

勿論,「他の他は無い」という原理が成り立たない例外がある,というわけではありません.他の他は無い.その不可能な他を Lacan は Ⱥ という学素で形式化しています.そして通常は,この Ⱥ を代理するものとして,欲望の客体 a が措定されます:


ところが下司は,誰かに対して,欲望の客体 a としてではなく,他 Autre として己れを提示します.欠けるところの無い他,完璧な他,理想的な他 Autre です.そして,それによって,下司は,当該の誰かを利用し,搾取しようとします.それが,下司の下司たる所以です.

そして,もし下司が精神分析を経験すると,どうなるか?もしかして彼のなかに残っていたかもしれない若干の常識的ないし社会的な遠慮は一切取り除かれます.かくして,下司は野獣になります.己れの利益のために如何なる躊躇も無く誰かを食い物にする野獣に.

Séminaire VII, 1960年3月23日の講義において Lacan は,右翼知識人を「下司」と呼んでいます.我々にとってもっとわかりやすい実例は,或る種の新興宗教の教祖たちでしょう.文字どおり,彼らは,信奉者たちに対して完璧で理想的な他として己れを提示し,それによって信奉者たちを利用し,搾取しています.

D 大臣はどうでしょうか?彼も,まさに下司の一例です.如何なる良心の呵責も無く,彼は女王を利用しようとします.如何にして?手紙を保持することによって.

盗まれた手紙は,Ⱥ の座に秘匿された文字,書かれぬことを止めぬ不可能な文字です.それを所有することによって,大臣は王妃に対して絶対的な権力を有する支配者たる他として己れを提示します.

ただし,Dupin によって手紙が持ち去られてしまった後も,そのことに気がつきもせず.ついに大臣が問題の手紙を開くとき,彼が受け取るメッセージはこれです:

「かくも凶々しきもくろみは,Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.」

そして,その手書きのメッセージの筆跡に,大臣は,自分の兄弟である Dupin を認めるでしょう. そしてそのとき大臣は,今度は自分が Dupin によって破滅させられたことに気がつくでしょう.

2015年12月4日,東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第七回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解します.

時間はいつものように 19:30 - 21:00,

場所は,文京シビックセンター 5階 D会議室です.

2015年11月25日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回,2015年11月27日.

『盗まれた手紙についてのセミネール』において Lacan が述べていることではなく,Poe の物語:『盗まれた手紙』に直接かかわることでひとつ気づいたことがあります.それは,女王から手紙を盗み取った D 大臣と主人公 Auguste Dupin とは兄弟どうしである,ないしそれに類する関係にあると推測し得るのではないか,ということです.

手掛かりのひとつは,両者の姓の頭文字がともに D であることです.登場人物がさして多いわけではないこの物語において,何故両者が同じ文字で始まる姓を持っているのか?Dupin は偽名であり,本当の姓は D 大臣と同じなのではないか?つまり,両者は実の兄弟どうしではないか?または,子供時代を兄弟どうしのように過ごしたのではないか?そして,血と肉の共通性のゆえに激しく憎しみあっているのではないか?

そのことを示唆しているのが,Dupin が引用する Crébillon の戯曲 Atrée et Thyeste です.ギリシャ神話において,Atreus と Thyestes は兄弟どうしであり,互いに激しく憎みあっています.Crébillon の戯曲においては,Atreus は,自分の妻と Thyestes との不倫関係から生まれた子 Pleisthenes を Thyestes に対する復讐のために殺し,その血を杯に入れて Thyestes に差し出します.Thyestes は悲しみのあまりみづから命を絶ちます.戯曲の最後を成す Atreus のすさまじい台詞は:

Et je jouis enfin du fruit de mes forfaits.
そして,わたしは,ついに,わが大罪の果実を悦する.

そのような復讐の筋書きを考えつつ,Atreus は独白します:

Quel qu'en soit le forfait, un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'Atrée, est digne de Thyeste.
その大罪が如何なるものであれ,かくも凶々しいもくろみは,
Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.

この台詞を Poe は引用し,Lacan もそのまま引用しています.

D はしたがって,dessein si funeste [かくも凶々しいもくろみ]の D でもあります.そして Lacan は,そこに destin si funeste [かくも凶々しい運命]を読み取ります.文字 D は dessein だけでなく,destin の D でもあるわけです.

『盗まれた手紙』において,Dupin は Crébillon を引用する直前,こう言っています:

D–, at Vienna once, did me an evil turn, which I told him, quite good-humoredly, that I should remenber.
D は,かつてヴィーンで,わたしに邪悪なことをしてくれた.わたしは全く上機嫌で彼に言った:このことを記憶にとどめておくよ,と.

つまり,彼らは旧知の仲なのです.『盗まれた手紙』のなかで D 大臣が Dupin の正体に気づかなかったとすれば,それは,D の「邪悪な仕打ち」により強いられた苛酷な人生が Dupin の容貌をすっかり変えてしまったからでしょう.勿論,Dupin は D 大臣との面会時はサングラスで顔を隠してもいました.

さらに Dupin はこうも言っています:

He is well acquainted with my MS.
D には,わたしの手書き文字はおなじみだ.

それほどに,彼らはかつては互いに親密であったのです.

以上から,D 大臣と Dupin とは兄弟どうしであると想像することが許されるでしょう.

さて,11月27日金曜日,今年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解して行きます.

時間は 19:30 - 21:00,
場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室です.

テクストは各自持参してください.

2015年11月20日

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

Antoine Leiris, 2015年11月16日,彼の FB で.

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

金曜日[2015年11月13日]の晩,あなたたちは,特別な人の命を奪った.わたしの生涯の愛である人,わたしの息子の母親である人の.だが,あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない.あなたたちが誰なのか,わたしは知らないし,知りたくもない.あなたたちは死せる魂だ.あなたたちが盲目的に殺しているのは神のためなら,そして,その神は我々を自身の似姿に創ったなら,わたしの妻の体のなかの銃弾ひとつひとつがその神の心を傷つけているだろう.

しかし,否.わたしは,あなたたちに憎悪の贈りものをする気はない.あなたたちは確かにそれを求めたが,しかし,憎しみに対して怒りで応えるなら,今のあなたたちの存りさまを作り出しているのと同じ無知に屈することになるだろう.あなたたちは欲している – わたしが恐怖を感ずることを,わたしが同胞市民たちを不信の目で見ることを,わたしが安全のために自由を犠牲にすることを.あなたたちの負けだ.勝負はまだ続いているとしても.

わたしは今朝,彼女を見た.幾日も幾晩も待って,やっと.彼女は,あの金曜日の晩に家を出たときと同じく美しく,わたしが12年以上前に彼女に夢中で恋していたときと同じく美しかった.勿論,わたしは悲しみに打ちひしがれた.あなたたちに小さな勝ちを譲ろう.しかし,それは短時間しか続かないだろう.わたしは知っている – 彼女は毎日わたしたちと共におり,そして,あの自由な魂たちの天国でわたしたちは再会するだろう,と.その天国にあなたたちが近づくことは決してない.

わたしの息子とわたしと,二人だけになった.しかし,わたしたちは世界のすべての軍隊よりも強い.それに,あなたたちにかかずらっている時間はもう無い.午睡から目覚めた Melvil のところに行かねばならない.彼は17ヶ月になったばかりだ.彼は,いつものようにおやつを食べる.それから,わたしたちは,いつものように遊ぶ.生涯,この小さな男の子は,幸福かつ自由であることによってあなたたちに恥をかかせることになる.なぜなら,否,あなたたちは彼からも憎しみを受け取ることはできないのだから.


Antoine LEIRIS, « Vous n’aurez pas ma haine »

Vendredi soir vous avez volé la vie d’un être d’exception, l’amour de ma vie, la mère de mon fils, mais vous n’aurez pas ma haine. Je ne sais pas qui vous êtes et je ne veux pas le savoir, vous êtes des âmes mortes. Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglément nous a fait à son image, chaque balle dans le corps de ma femme aura été une blessure dans Son coeur.

Alors, non, je ne vous ferai pas ce cadeau de vous haïr. Vous l’avez bien cherché pourtant, mais répondre à la haine par la colère, ce serait céder à la même ignorance qui a fait de vous ce que vous êtes. Vous voulez que j’ai peur, que je regarde mes concitoyens avec un oeil méfiant, que je sacrifie ma liberté pour la sécurité. Perdu. Même joueur joue encore.

Je l’ai vue ce matin. Enfin, après des nuits et des jours d’attente. Elle était aussi belle que lorsqu’elle est partie ce vendredi soir, aussi belle que lorsque j’en suis tombé éperdument amoureux il y a plus de douze ans. Bien sûr je suis dévasté par le chagrin, je vous concède cette petite victoire, mais elle sera de courte durée. Je sais qu’elle nous accompagnera chaque jour et que nous nous retrouverons dans ce paradis des âmes libres auquel vous n’aurez jamais accès.

Nous sommes deux, mon fils et moi, mais nous sommes plus forts que toutes les armées du monde. Je n’ai d’ailleurs plus de temps à vous consacrer, je dois rejoindre Melvil qui se réveille de sa sieste. Il a 17 mois à peine, il va manger son goûter comme tous les jours, puis nous allons jouer comme tous les jours, et toute sa vie ce petit garçon vous fera l’affront d’être heureux et libre. Car non, vous n’aurez pas sa haine non plus.

2015年11月19日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第五回,11月20日.

Lacan のテクスト:『盗まれた手紙についてのセミネール』をとおして文字の問いを問うために予備的に見てきた存在のトポロジーについて要約しておきましょう.

Lacan は存在のトポロジーを説明するために,投射平面 [ projective plane ] と呼ばれる閉曲面 [ closed surface ] をモデルとして用います.投射平面そのものは実数三次元空間へ embed することができません.そこで,その幾つかの可能な immersion のしかたのひとつ,cross-cap を Lacan は提示します:



投射平面は,ひとつの円板のエッジを成す諸点とひとつの Möbius strip のエッジを成す諸点とを一対一対応させつつ同一化することによって得られます:



上の図では,円板は半球面へ変形されています.そのエッジはひとつの円を成しています.それに対して,Möbius strip のエッジは,Lacan が huit intérieur [内巻きの 8]と呼ぶ曲線を描いています.

しかし,上の図で明かなように,円と内巻きの 8 とは相互に位相同型的 [ homeomorphic ] です.円を成す輪を連続的な変形により内巻きの 8 の輪にすることができます.したがって,確かに円板のエッジと Möbius strip のエッジを同一化することが可能である,とわかります.

それによってできあがる cross-cap においては,交線のように見える線分を成す諸点以外の曲面は円板に還元されます:



つまり,Möbius strip は実数三次元空間の外に解脱実存 [ ex-sistence ] しています.

こうして,実在 [ le réel ], 徴在 [ le symbolique ], 影在 [ l'imaginaire ] の三つの位 [ ordre ] と存在のトポロジーとの対応を把握することができます.すなわち:

実在 [ le réel ] は,解脱実存 [ ex-sistence ] として,Möbius strip ;
影在 [ l'imaginaire ] は,定存 [ consistance ] として,円板;
徴在 [le symbolique ] は,穴として,Möbius strip のエッジと円板のエッジとの同一化の閉曲線.

さらにまた,un signifiant représente le sujet pour un autre signifiant [ひとつの徴示素は,主体を,もうひとつのほかの徴示素に対して代表する]という Lacan の命題を,存在のトポロジーに位置づけることができます.

そこにおいて「主体」は,解脱実存です.つまり,Möbius strip です.つまり,実在です.

主体を代表する「ひとつの徴示素」は,投射平面を実数三次元空間において代表する曲面,つまり,円板です.つまり,影在です.

そして,「もうひとつのほかの徴示素」は,究極的には S(Ⱥ) であり,それは,「他の場処のなかの欠如の徴示素」として,穴です.つまり,徴在です.


ただし,この図における S1$ を即座に四つの言説における S1$ と混同しないでください.

以上を踏まえて,引き続き Lacan の Le séminaire sur « La Lettre volée » を読んでゆきましょう.

日時は,11月20日金曜日 19:30 - 21:00,

場所は,文京シビックセンター 3 階 C 会議室です.

参加のために事前の申込や登録は要りません.

テクストは各自持参してください.テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年11月12日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第四回


Edgar Allan Poe, par Horst Janssen

« Car nous déchiffrons ici en la fiction de Poe cette division où le sujet se vérifie de ce qu’un objet le traverse sans qu’ils se pénètrent en rien, laquelle est au principe de ce qui se lève à la fin de ce recueil sous le nom d’objet a. (...) À cette place que marquait l’homme, nous appelons la chute de cet objet, révélante de ce qu’elle l’isole, à la fois comme la cause du désir où le sujet s’éclipse, et comme soutenant le sujet entre vérité et savoir »
[そも,我々は,ここで,Poe のフィクション『盗まれた手紙』において,主体という裂け目を解読する.その裂け目において,主体は,ひとつの客体が主体を貫通する – ただし,両者はいささかも貫入し合わない – ことにより真現する.主体という裂け目は,この論文集 Écrits の最後に客体 a という名のもとに立ち現れるものの原理にある.人間という刻印が付いていたあの座へ,我々は,客体 a の失墜を呼ぶ.その失墜は,それが客体を – 同時に,そこにおいて主体は掩蔽されるところの欲望の原因として,かつまた,主体を真理と知との間に支えるものとして – 単離することによって啓示的である] (Écrits, p.10).

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第四回

日時 : 2015年11月13日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室

文字の問いは,客体 a の問いであり,かつ,存在欠如としての主体の問いでもあります.
Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]の精読を続けます.

2015年11月5日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第 3 回

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第三回

日時 : 2015年11月06日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室

Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]を精読する今年度の我々のセミネールを La question de la lettre [文字の問い]と題することにします.

lettre [文字]は,主体を代表するひとつの signifiant [徴示素]としては imaginaire [影在]の位のものであり,同音的な l'être [存在]としては,存在を Heidegger の言う Lichtung [朗場]と取る限りにおいて,symbolique [徴在]の位のものであり,そして,James Joyce の警句 a letter, a litter [文字,ゴミ]により,閉出されたものとしては,réel [実在]の位のものです.

影在と徴在と実在,それら三つの位の重なり合いの状態を有するものとしての文字を,Lacan は objet a [客体 a]と名づけます.

Lacan の『エクリ』を読もうとしたけれど,最初の「盗まれた手紙についてのセミネール」で挫折して,あるいは全然理解できなくて,もう Lacan なんか二度と読まないと思った人々,読みたいけれどまだ読んでいない人々,ならびに上記のいずれでもない人々のために,「盗まれた手紙についてのセミネール」のフランス語原文テクストを読解します. 

参加費無料.事前登録不要.

テクストは各自持参してください : 

1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊); 

2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».

Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.

テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年11月2日

Au jour de la Commémoration des défunts

En ce jour de la Commémoration des défunts, nous prions pour toutes les victimes de la Seconde Guerre mondiale qui a fini il y a soixante-dix ans par les défaites de l’Allemagne et du Japon.

Au contraire de l’Allemagne où l’on ne cesse pas de condamner des criminels nazis, maintenant au Japon est dominant un révisionnisme qui consiste à dénier la responsabilité et la culpabilité du gouvernement japonais et de l’armée japonaise pendant la Guerre.

Les quatorze criminels de guerre japonais principaux qui ont été condamnés dans le Procès de Tokyo en 1948, sont déifiés dans le Temple de guerre Yasukuni à Tokyo pour qu’on les vénère comme âmes héroïques de la patrie. On ne veux pas reconnaître leur criminalité, de sorte qu’elle n’a jamais été l’objet de repentir sincère pour la plupart des Japonais.

Pas de contrition, donc pas de pardon de leur péché.

Quand nous étions encore ennemis de Dieu, Il nous a envoyé Son Fils unique pour nous réconcilier tous avec Lui. Jésus Christ a assumé tous nos péchés pour nous racheter par Son sang innocent.

À l’imitation de notre Seigneur, nous assumons le péché de ce monde qu’on ne cesse pas de dénier. C’est-à-dire nous assumons tous les péchés commis par le gouvernement japonais et l’armée japonaise pendant la Seconde Guerre mondiale pour nous en repentir et pour en demander pardon.

Aie pitié de nous, notre Dieu, selon ta fidélité !
Selon ta grande miséricorde, efface nos torts !
Et accorde-nous tous la réconciliation mutuelle et la paix mondiale !

2015年11月1日

11月2日,死者の日のために.

カトリックでは,毎年112日は死者の日,11月は死者の月と定められています.

1945年の敗戦から70年,改めて,戦争の犠牲者と被害者すべてのために祈りましょう.

第二次世界大戦における日本の戦争責任を否認する歴史修正主義が,今,日本で支配的になっています.

ドイツでは Nazi の支配下で犯された戦争犯罪は今もなお徹底的に裁かれているのに対して,日本では戦争犯罪者たちは靖国神社に神々として祀り上げられ,彼らの罪は否認され,罪として悔いられることもありません.それゆえ,彼らの罪はいつまでたっても赦されることがありません.

神は,わたしたちがまだ罪人であったとき,御子イェス・キリストを世に使わしてくださいました.そして,罪無きイェスは,わたしたちの罪をすべて身に引き受け,十字架上の死により,わたしたち皆を贖ってくださいました.

主イェス・キリストにならって,わたしたちも,世の罪を我が身に引き受け,みづからの罪として悔い,赦しを願いましょう.

靖国神社に祀られている14人の A 級戦犯の罪を含めて,第二次世界大戦で日本政府と日本軍,およびその関係者らが犯した罪をすべて,わたしたちは自分の罪として悔い,赦しを願います.

神よ,慈しみ深くわたしたちをかえりみ,豊かな哀れみによって,わたしたちの罪をお赦しください.

そして,すべての者に和解と平和をお与えください.

Amen !

2015年10月28日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第二回,10月30日


Horst Janssen (1929 - 1995) 作,Edgar Allan Poe の肖像

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第二回は,10月30日に行われます.

10月23日に行った第一回でのイントロダクションに続き,第二回からは Jacques Lacan の Écrits の最初の書 Le séminaire sur « La Lettre volée » を精読して行きます.

場所: 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 3 階 B 会議室
日時: 2015年10月30日 19:30 - 21:00.

事前の登録や申込は必要ありません.参加費無料.

テクストは各自用意してください :

Jacques Lacan 著,


Écrits (二分冊の版の場合は第一分冊);

Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».

テクストの入手困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年10月2日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第一学期の予定

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第一学期は,10月23日に始まります.

10月23日から12月11日までの第一学期に取り上げるテクストは,Lacan の Écrits の冒頭に位置する書 Le séminaire sur « La Lettre volée »[『盗まれた手紙』についてのセミネール]です.

原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないでしょう.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書を読解します.

必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.

テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]も各自お読みください.

セミネールの日時は,毎週金曜日 19:30 - 21:00, 場所は,文京シビックセンター(文京区役所の建物:文京区春日 1-16-21)内の区民会議室です.3 階から 5 階までの各階に A から D まで四つある会議室のいずれを教室として使用するかは,その都度異なります.

日付と教室は以下のとおりです:

1. 10月23日,3 階 B 会議室
2. 10月30日,3 階 B 会議室
3. 11月06日,5 階 D 会議室
4. 11月13日,5 階 D 会議室
5. 11月20日,3 階 C 会議室
6. 11月27日,5 階 D 会議室
7. 12月04日,5 階 D 会議室
8. 12月11日,5 階 D 会議室

なお,2016年1月15日から開始する第二学期に取り上げるテクストは未定です.引き続き皆さんの御意見をお待ちしています.

2015年9月22日

Les Japonais inanalysables ?

Selon Shizuka SHIRAKAWA (1910-2006) qui est un des plus grands sinogrammatologues de notre temps, les sinogrammes dans leur origine (ca 14 siècles av. J.-C.) étaient des figures qui présentifient aux hommes les paroles des Cieux et qui permettent par là les communications des hommes avec les Cieux. Au cours des temps, cette signification originaire des sinogrammes est complètement perdue de sorte qu’ils sont devenus dans la langue japonaise de simples lettres ou caractères quon appelle communément idéogrammes.

On pourrait dire quil sagit là bien une sorte de dégradation. Et cette dégradation, on pourrait lappeler snobisme selon Alexandre Kojève qui, au retour de son voyage au Japon en 1959, appelle la situation japonaise « le snobisme à l’état pur ». Ce terme de snobisme, Lacan le cite dans son Avis au lecteur japonais (Autres écrits, p.497).

Je cite un passage ajouté en 1968 de l’Introduction à la lecture de Hegel de Kojève : 

« La civilisation japonaise ‹ post-historique › s’est engagée dans des voies diamétralement opposées à la ‹ voie américaine ›. Sans doute, n’y a-t-il plus eu au Japon de religion, de morale, ni de politique au sens ‹ européen › ou ‹ historique › de ces mots. Mais le snobisme à l’état pur y créa des disciplines négatrices du donné ‹ naturel › ou ‹ animal › qui dépassèrent de loin, en efficacité, celles qui naissaient, au Japon ou ailleurs, de l’action ‹ historique ›, c’est-à-dire des luttes guerrières et révolutionnaires ou du travail forcé. (...) tous les Japonais sans exception sont actuellement en état de vivre en fonction de valeurs totalement formalisées, c’est-à-dire complètement vidées de tout contenu ‹ humain › au sens d’‹ historique ›. (...) l’interaction récemment amorcée entre le Japon et le monde occidental aboutira en fin de compte non pas à une rebarbarisatlon des Japonais, mais à une ‹ japonisation › des Occidentaux (les Russes y compris) ».

Le snobisme à l’état pur et une japonisation universelle, on en voit un bel exemple sur le T-shirt de Lily-Rose Depp où sont imprimés quelques mots japonais qui ne sont que des ornements graphiques et qui ne signifient plus rien.


Lacan nous suggère que ce snobisme japonais tient aux processus incessants de traduction à l’intérieur de la langue japonaise même, lesquels ont commencé au moment où de sinogrammes ont été importés la première fois de la langue chinoise dans la langue japonaise au 5ème siècle apr. J.-C. Auparavant, il n’y avait pas de lettre ni de caractère dans la langue japonaise. Des sinogrammes et des mots chinois sont absolument nécessaires dans la langue japonaise pour signifier des choses politiques et scientifiques, ainsi que pour écriture de sutras bouddhiques.

En plus, au moment d’introductions massives de choses occidentales au XIXème siècle, on a inventé dans la langue japonaise une multiplicité de néologismes composés de sinogrammes pour traduire de mots de diverses langues occidentales, ce qui a aggravé encore de confusions dans la langue japonaise. Et de telles confusions ne cessent pas de s’aggraver sous l’influence de l’américanisation mondiale qui a commencé au XXème siècle.

Dans la langue japonaise, on lit un sinogramme dans une approximation historiquement fixeé de sa prononciation chinoise originaire. C’est ce qu’on appelle on-yomi d’un sinogramme. Étant donné que l’on-yomi d’un sinogramme comme tel ne veut rien dire dans la langue japonaise, on y associe de façon plus ou moins arbitraire un ou plusieurs mots japonais qui représenteraient des sens du sinogramme. C’est ce qu’on appelle kun-yomi d’un sinogramme.

Et maintenant, des mots américains, on n’en traduit plus dans la langue japonaise. Un mot américain, on le lit dans une approximation de sa prononciation américaine originaire, mais on n’y associe plus aucun mot japonais déterminé. Un mot américain dans une prononciation japonisée est employé comme tel sans qu’on sache exactement quel sens il a originairement dans la langue américaine.

Un mot d’origine chinoise s’écrit avec de sinogrammes qui sont des idéogrammes. Un mot proprement japonais s’écrit avec de hiragana, un premier système de phonogrammes inventés à partir de sinogrammes au 9ème siècle. Un mot importé de langues occidentales et qu’on emploie sans le traduire dans la langue japonaise s’écrit avec de katakana, un second système de phonogrammes également inventés à partir de sinogrammes au 9ème siècle mais d’une façon autre que les hiragana.

Tout cela fait des confusions cauchemardesques qui dominent la langue japonaise, de sorte qu’elle est maintenant lalangue par excellence dont les matières vocales ne signifient rien de précis ou de déterminé en restant « indécis[es] entre le phonème, le mot, la phrase, voire toute la pensée » (Lacan, le 26 juin 1973).

C’est-à-dire l’être parlant japonais est un James Joyce sans le savoir ni le vouloir – James Joyce qui a créé lalangue de Finnegans Wake, c’est-à-dire celui que Lacan appelle Joyce le sinthome.

C’est pourquoi Lacan dit que « le mot d’esprit est au Japon la dimension même du discours le plus commun, et c’est pourquoi personne qui habite cette langue n’a besoin d’être psychanalysé » (Autres écrits, p.498).

Mais par là même, le nihilisme métaphysique s’est développé à son comble dans la société japonaise actuelle. L’abîme maintenant béant du rapport sexuel qu’il n’y a pas pourrait provoquer une supposition d’un savoir quelconque dans la place de la vérité, ce qui donnerait une chance au discours psychanalytique au Japon. Au moins, moi, je l’espère.

J’ajouterai une remarque sur lalangue de Finnegans Wake et lalangue japonaise. 


Lalangue joycienne, vous pourriez l’apprécier en écoutant une lecture à haute voix plutôt qu’en lisant le texte imprimé, puisque lalangue est essentiellement lalangue parlée.


Joyce a composé Finnegans Wake en utilisant une multiplicité de langues, tout comme lalangue japonaise se compose de langues proprement japonaise, chinoise, américaine, etc. Une telle pluralité de langues dans lalangue japonaise annule le savoir historiquement supposé par le parlêtre qui lhabite, de sorte qu’il ne reste que la matérialité vocale de lalangue qui ne veut rien dire comme telle. 


Si on en veut déchiffrage, il faut chaque fois, de nouveau, supposer dans la place de la vérité un savoir qui y serait nécessaire, tout comme on le fait pour déchiffrer le texte de Finnegans Wake.

2015年9月10日

湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.東京新聞2015年9月10日付朝刊より.

東京新聞2015年9月10日付朝刊より

湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.

安全保障関連法案で根本から変わろうとしている日本の防衛策.その論議の原点と言えるのが1991年の湾岸戦争だ.イラクの侵攻から解放されたクウェートの感謝広告に日本の名前が無かった事実は,自衛隊海外派遣を求める主張の有力な材料となってきた.

クウェート解放のために約130億ドル(約一兆五千五百億円)を支援しながら,日本は感謝広告の30の国に入らなかった.日本は本当に国際社会から批判的に見られたのか.

安保法案の国会審議が大詰めを迎えた今,当事者たちに当たると,語り継がれてきた筋立てとなる事実が見えてきた.

クウェート市のビルの一室で白い装束姿のアルシャリクは感謝広告問題の核心に触れた:「あの広告のリストはそもそも私たちが作ったものではない.作ったのはアメリカだ」.当時東京に駐在していたエリート外交官は現在,政府外郭団体の代表者.「日本をわざと外したんじゃない.それは確かだ.広告をもう一度出せるなら,間違い無くなく日本を入れる」と自信満々で説明し,「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した広告だったんだ」と続けた.

説明によると,発案者は当時の駐米大使サバハ(故人).感謝広告を企画し,米国防総省に多国籍軍の参加国リストを求めた.もちろんそこに日本の名は無い.「戻ってきたものがそのまま広告になったんだ」とアルシャリクは言う.

広告の謝辞には「究極の犠牲をいとわなかった米国民に揺るぎない感謝をささげます.ありがとう」とある.米国を強く意識しているのは確かで,日の丸や日本の国名がなくても大きな違和感や矛盾はない.

在米日本大使館の元公使平林は今,「あえて言えば,クウェート側に悪気はなかった.わざとやったんじゃない.ただ,なんでも人にやらせちゃう国だから.やれということだけで,後は任せたんじゃないかな」と推測する.

広告が掲載された当時,外務省内に騒ぎを冷ややかにみる人々がいたことも明らかになった.匿名を条件に打ち明けるのは外務省の元高官だ.「当時はあんなつまらんことで騒ぐなんてと思ってましたよ.(在米)大使館の張り切った連中がさあ首を取ったと広告を使ったのは間違いない.米国の議員にたたかれていたから.それに乗って,やっぱりお金だけではだめなんだという議論に持っていきたかったんだよ」.

当時,中近東アジア局長だった渡辺允も「自衛隊を海外に出す,いわゆる普通の国になるという立場の人たちと憲法九条なんだという人たちの対立的な違いがあったわけです.その中で,自衛隊を出さなかったからこうなったんだということに使われた可能性はあると思う」と同様の見方を示した.(...)

2011年3月,クウェート市の日本大使館に東日本大震災被災者のためにと富裕層も労働者層も義援金を手に集まる.当時の大使小溝泰義は光景に「圧倒された」という.篤きは続いた.一カ月後,国際会議の席上,クウェートの石油相が切り出した.「原油500万バレルを日本の苦しみを軽減するために無償で提供することをサバハ首長が決定された」.原油は四百億円に相当した.首長といえども国の生命線の石油を簡単に他国に贈れない国.小溝は自身の着任式でサバハ首長にかけられた言葉を思い浮べた.「日本は130億ドルもの援助をしてくれた.私たちは決して忘れていない」.

米国はどうだったか.巨額支援への強い感謝の念は何度も示されている.元米軍総司令官シュワルツコフは自伝で,日本の資金が無ければ作戦は「破綻していただろう」と書いた.外岡はジョージ・ブッシュ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めたスコウクロフトにインタビューし,「日本の貢献に感謝している」と聞いている.

外岡は,日本が国際社会から感謝されていなかったという筋立てで語り継がれることに,「感謝広告は米国で当時ほとんど話題にならなかったし,いまだにその話をするのも日本人だけ.どうやって広告ができたか検証していれば,こんな話にはならなかったでしょう」と自戒を込めた.

外務省の元大使など OB らでつくる霞関会の月報に一連の湾岸危機をめぐる論文が載ったのは2008年3月.執筆者は,湾岸戦争当時クウェート亡命政府があったサウジアラビアの日本大使だった恩田宗.日本の貢献について「国際的に評価されなかったという論は,誰もが認めることとして定着してしまった.しかし,国際的に評価されなかったとの断定は正しくない.少なくとも正確ではない」と書いた.部隊や要員の国外派遣を主張する際の便利な「枕ことば」として使われてきたと指摘している.

恩田は1991年2月,クウェートの首長や外務次官から直接感謝の言葉を受けた.「クウェートは感謝している.お金を出して日本は感謝された.人を出すのが重要で金がだめだと言うのはあまりにも乱暴だ」と取材に対し語った.

クウェート市にある「湾岸戦争記念館」.名称の直訳は「サダム・フセイン政権の犯罪を忘れない博物館」だ.戦争のジオラマや米国の功績を紹介する展示がある.米国に比べ控えめな日本コーナーには,ペルシャ湾で掃海作業をする自衛隊とみられる写真が七枚掲げられ,アラビア語と英語で「イラクのクウェート侵攻時,日本は130億ドルという最大規模の金銭支援とその他の貢献を提供した」という解説がある.

記念館の存在も感謝の言葉も,日本ではこれまで大声で語られることはなかった.感謝広告問題がただ日本の失敗や屈辱として語られるばかりだ.


2015年8月29日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第 1 回のお知らせ


Lacan の『エクリ』を読もうとしたけれど,最初の「盗まれた手紙についてのセミネール」で挫折して,あるいは全然理解できなくて,もう Lacan なんか二度と読まないと思った人々,読みたいけれどまだ読んでいない人々,ならびに上記のいずれでもない人々のために,「盗まれた手紙についてのセミネール」のフランス語原文テクストを読解します.

参加費無料.事前登録不要.

テクストは各自持参してください : 1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊); 2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ». 

Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.

テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年10月23日金曜日 19:30 - 21:00. 文京シビックセンター(文京区役所の建物)3階 B 会議室.

2015年8月25日

Du sujet enfin en question et de l’Autre enfin en question dans la psychanalyse.

Dans la dialectique psychanalytique du sujet et de l’Autre, ils sont :

de l’ordre de l’imaginaire en tant que consistance corporelle du moi et de l’autre : le petit a imaginaire ou l’objet a dans le fantasme (notons que le lieu de l’Autre en tant que trésor du signifiant se réduit au petit a imaginaire pour autant qu’il est le corps) ;

de l’ordre du symbolique en tant que trou ou fente : le sujet en division et le S(Ⱥ) ;

de l’ordre du réel en tant qu’ex-sistence : le manque-à-être du sujet et l’inexistent Ⱥutre de l’Autre.

Le sujet et l’Autre enfin en question dans la psychanalyse, c’est le réel du sujet et de l’Ⱥutre en tant qu’ex-sistence. 

En tant qu’ex-sistence, le sujet et de l’Ⱥutre sont fondamentalement le réel même.

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 は10月23日から開始します.

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 は10月23日から開始します.

10月23日から12月11日までの第一学期に取り上げるテクストは,Lacan の Écrits の冒頭の書 Le séminaire sur « La Lettre volée »[『盗まれた手紙』についてのセミネール]です.

原書であれ翻訳であれ,みづから Lacan の Écrits を読もうとしてこの最初のテクストで挫折した人は少なくないはずです.そのような人々のためにも,できるだけ詳しくこの書をを読解してみましょう.

日時は昨年度と同様,金曜日 19:30 - 21:00, 場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物)です.10月23日と30日は3階B会議室を使います.

必要なテクストは,Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊)ならびに Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse » です.

Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]も各自お読みください.

テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也 ogswrs@gmail.com へ御連絡ください.

2016年1月15日から開始する第二学期に取り上げるテクストは未定です.引き続き皆さんの御意見をお待ちしています.

2015年8月23日

Patrick VALAS, Réponse aux « six paradigmes de la jouissance » de Jacques-Alain MILLER

Réponse aux « six paradigmes de la jouissance » de Jacques-Alain MILLER, par Patrick VALAS. La Troisième, le 5 juillet 2014.

« Au fond, je me suis toujours opposé à cette façon millérienne de saucissonner l’enseignement de Lacan selon la diachronie de son déroulement, tellement la synchronie de ses avancées selon les veines de la structure ont été inaperçues de lui. Là où il parlait de contradictions dans les termes de Lacan, il a très tardivement compris qu’il s’agissait de paradoxes, que l’usage de la topologie permet de saisir facilement. Pourtant Lacan a introduit très tôt la bande de Möbius et le tore dans son enseignement, dès le Discours de Rome en 1953. S’agissant de l’inconscient, une simple bande de Möbius peut en figurer la structure : en effet, l’envers et l’endroit ne sont pas en contradiction (diachronie) mais liés paradoxalement selon la synchronie.

Il faut dire que Miller se vantait naguère que personne ne pouvait comprendre Lacan, tant que lui-même n’y avait pas mis de sa patte. C’est ainsi qu’il a décidé de publier les séminaires de Lacan selon le calendrier de cette conception typique du discours universitaire faut-il le souligner ? Il alimentait son cours par le texte de Lacan dont la plupart de ceux qui le suivaient ne disposaient pas, où plutôt ne voulaient pas se les procurer, alors que dès 1980 ils étaient tous accessibles. Ils avaient peur d’être fourvoyés, Miller les ravalant comme étant truffés d’erreurs, alors qu’il s’agissait de transcriptions originales de Lacan (souvent annotées de sa main) que celui-ci prêtait à ceux qui le lui demandaient pour en faire des photocopies.

Bref ! Les élèves de Miller lui ont été – et le sont encore d’une fidélité quasi-canine ; d’où s’explique un mode de diffusion politicienne de la psychanalyse, caractéristique de la nébuleuse millérienne internationale nommée Champ Freudien . Il a donc imposé de force sa conception de la chose pendant 20 ans à l’École de la Cause Freudienne qu’il avait fondée en faisant croire à ses membres que son fondateur en était Lacan. Tardivement, il a fini tout de même par dire qu’il s’agissait de lui. Cela a eu des conséquences désastreuses, dont la plus importante à mes yeux est impardonnable car elle concerne le passage de l’analysant au devenir analyste par l’émergence pour le sujet d’un désir inédit, inouï : le désir du psychanalyste.

En effet, Lacan avait inventé une procédure de la passe parce qu’il voulait savoir ce qu’il pouvait bien se passer dans la tête de quelqu’un pour vouloir être psychanalyste après avoir fait une analyse. Il avançait que ceux qui le décident y viennent comme une boule dans un jeu de trictrac . Au fond, il livrait ainsi la passe aux plus extrêmes aléas, comme il pouvait dire dans sa Télévision que tout est livré chez l’homme à la fortune ›, autrement dit : au hasard, lequel n’est pas sans loi, mais c’est une loi sans intention. Lacan ouvrait donc là la page blanche d’un espace vectoriel qu’il s’agissait de parcourir par la pratique institutionnelle de cette procédure de la passe, avant de commencer à griffonner les premières lettres d’un réel nouveau qui pouvait peut-être cesser de ne plus s’écrire comme impossible.

Lacan avait donné, auparavant, quelques coordonnées épistémiques de ce moment de la structure qu’il a qualifié une seule fois de traversée du fantasme . C’est un hapax. Mais Miller l’as du mathème à tout va en a fait son cheval de bataille, selon son slogan fétiche : l’Orientation Lacanienne, pour organiser la nouvelle procédure de la passe mise en fonction dans son École de la Cause Freudienne. Tout ceux qui dérogeaient à ce dogme la règle dans ce groupe pendant 20 ans étaient immédiatement rejetés, calomniés, mis à l’index, etc., bref, traités de noms d’oiseaux diversement colorés et valables, l’humour en moins. Certains nouveaux impétrants allèrent même jusqu’à répéter chez Miller ce qu’ils devaient dire à leurs passeurs qui transmettraient au cartel-jury leurs propos pour décider s’ils étaient reçus ou collés. Avec les conséquences institutionnelles que l’on sait : ruptures, scissions, tout ce que l’on désigne avec pudeur querelles de chapelles . D’ailleurs, comment pourrait-il en être autrement puisque nous sommes des épars désassortis ? Et pourtant, Lacan avait bien écrit que la passe n’était pas pour tous et que personne n’y était obligé.

Très tardivement, vers la fin du 20e siècle, il semble que Miller se soit quand même aperçu que la passe n’était pas du tout identique à celle qu’il avait gravé dans le marbre de ses élucubrations, et même qu’on pouvait en trouver quelques traces dans l’enseignement de Lacan. Mais seulement, voilà ! Rebelote ! C’est vrai que dans la répétition on ne répète pas la même connerie, mais cela n’empêche pas que cette nouvelle connerie soit parfois pire que la précédente. En effet, Miller, à partir de la Préface à l’édition anglaise du Séminaire XI (mai 1976 ; cf. Autres Écrits ; Seuil, pp. 571-573), fait l’invention d’un nouvel inconscient : l’inconscient réel , qui serait inanalysable, non-transférentiel (sic, Miller !), et qui se distinguerait de celui qui est analysable, l’inconscient de Freud, transférentiel (re-sic, Miller !). Nous voilà donc ainsi affligés de deux inconscients ; comme si le savoir d’un seul n’était pas assez emmerdant comme ça !

Tout cela m’épuise. Quelqu’un ne voudrait-il pas prendre le relais et aller y jeter un coup d’œil ? »

最高純度のたわけが...

Jacques Lacan, 1975年4月15日(録音資料へリンク):

誰かが... そいつは最高純度のたわけだが... 「ラカン理論は死んだ」と言ったそうだ.まださほど死んじゃいない.将来,垢だらけで死ぬことになるだろうが.明らかに彼はわたしと同意見ではない.彼は「心的現実」について語る連中のなかまだ.わたしは何であれそんな用語で呼んだりしない.「心」という語を使うのは避けるのが常識なのだから.そんなことをすれば,とんでもない困難が生ずる.無数の想定を伴う.あらゆることを想定する.ともあれ,神を想定する.神がいなければ,心はどこにあるというのだ?神が,さらに,心を持つものとして我々をわざわざ創造しなかったなら?あらゆる心理学はそのような想定を除外し得ない.わたしがしているのは,「心的現実」ではなく,作用的現実について語ることだ.単純なことばが,分析においては作用する.勿論,何らかの限界を以てではあるが.しかし,ことばは作用する,ということは確かだ.さもなくば,「ラカン理論は死んだ」と言った先ほどのたわけが分析家であり続けることはできない.「心的現実」を信ずる者らのことばさえ,作用するのだ.

2015年8月22日

Le fondement de la psychanalyse, 精神分析の基礎

« Il n’y a pas de rapport sexuel. C’est le fondement de la psychanalyse » (la séance du 11 avril 1978, Le Séminaire XXV, Le moment de conclure).

C’est-à-dire, la proposition qu’« il n’y a pas de rapport sexuel » est l’axiome le plus fondamental de la psychanalyse. 

Elle se fonde sur l’Ab-grund – l’a-raison, dirait Lacan, c’est-à-dire le fondement impossible et ex-sistent – du rapport sexuel qu’il n’y a pas : autrement dit, le gouffre de la castration : φ.

Cet Ab-grund ex-sistent est le manque-à-être du sujet.

「性関係は無い.それは,精神分析の基礎である」(Séminaire XXV 『結論のとき』,1978年4月11日).

すなわち,「性関係は無い」という命題は,精神分析の最も根本的な公理である.

精神分析が基礎づけられるのは,「性関係は無い」 我々の学素では φ [ phallus barré, 抹消されたファロス ] – という Ab-grund[無-根拠の深淵]のうえにである.

Ab-grund という Heidegger の表現の代わりに,Lacan な l’a-raison[無-根拠 a]と言うかもしれない.

Ab-grund, 無-根拠,すなわち,不可能かつ解脱実存的な – すなわち,実在的 [ réel ] な – 基礎.

「性関係は無い」という無-根拠の深淵 φ を,Freud は去勢という名称のもとに見出した.

「性関係は無い」という解脱実存的な無-根拠 φ は,主体の存在欠如 [ manque-à-être, Seinである.

2015年8月16日

2015年8月12日から14日にかけて FB 上で行われた或る歴史修正主義者との対話

或る人 A が「戦争法案」に反対する高校生たちのデモの写真を自分の FB ページに引用したところ,日本会議のメンバーまたはシンパと思われる人物 B からコメントが入りました.その場で行われた対話から,天皇を崇拝しているかに見える日本会議の者たちは,実際には天皇制を政治的に利用しようとしているだけで,天皇その人に対する敬意は何ら持ち合わせていないことがはっきり見て取れます:

B : (「戦争法案」に反対する高校生たちを見て,彼ら・彼女らは)わかってない人たちですね...

A : B さんこそわかっていない.

小笠原 : B さん,あなたのような人のことを歴史修正主義者 (revisionist) と呼びます.あなたの考え方は日本会議のそれと基本的に一致しているようです.いくら日本のなかでごまかしていても,世界はごまかされません.世界的に信用の高い BBC の記事を御覧下さい :

B : 歴史修正主義者... 間違った歴史観を修正するのが「修正主義者」? 左翼の皆さんが良く使う言葉ですね。間違った言動は正すことこそ未来思考の考え方です。小笠原さんの歴史観の間違いを正そうとしているのです。確証も無い歴史観にすがりついて何をどうしようとしているんですか?素直に謙虚に生きていかれますことを望みます。戦後70年、もっと豊かで、強い日本、世界のリーダーを目指すべき!日本の誇りを取り戻すために、正しい歴史観で「戦後70年談話」を発信すべき!先の大戦は日本の自衛のための戦争で、決して侵略ではありません。アジアを侵略し植民地支配したのは、欧米の列強!日本が戦ったことによって、白人によるアジアの植民地支配を終わらせ独立を果たすことができました。 東京裁判は戦勝国によって、事後法で一方的に裁かれた.欧米列強のアジアの植民地支配は、裁かれていない.東京大空襲や原爆投下は、アメリカによる大量虐殺.

小笠原 : 天皇陛下の今年の新年のお言葉です:「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」このような謙虚な態度に欠けることを歴史修正主義と呼びます.陛下を見ならってください.中曽根康弘氏ですら,日本軍による中国侵略の事実を認めています.一番新しい『文藝春秋』をお読みください.芥川賞受賞の二作品が掲載されている号です.歴史修正主義は,昭和天皇ならびに今上天皇の御意向に反しています.昭和天皇が靖国神社親拝を中止なさったのは A 級戦犯合祀のせいであることは,今や富田メモにより証明されています.今上天皇も靖国神社には行っていません.靖国神社参拝は昭和天皇と今上天皇の御意向に反することです.日本会議は実際には反天皇の組織です.

B : 大衆迎合しないのが私です。真実は真実なのです。中曽根さんだろうが、天皇だろうが、間違いがあれば正すのが平和主義であり、主権在民の思想です。誰が正しいのではなく,何が正しいのかを知ることが大切です。

小笠原 : どうぞ公の場で同じことをおっしゃってください.

B : 勿論です。何が正しいのかを追求する姿勢がなければ、大衆迎合主義となり、バラマキ選挙などに通じます。誰がではありませんよ!戦後も戦前も天皇を利用した人種はいたもんです。そもそも小笠原さんから天皇崇拝の気持ちウンヌンを言われたくありませんね.

小笠原 : 日本の現代史において天皇を利用したのは明治維新における薩長です.彼らが明治天皇を政治的に担ぎ出したことが,最終的に「国体」を滅亡の淵に追いやる1945年の敗戦に行き着きました.昭和天皇は,薩長と同様に天皇制を再び政治的に利用しようとする戦後右翼の動きを非常に警戒していました.ですから,田中清玄らを使って独自に右翼関連情報を収集していました.昭和天皇の警戒心は今上天皇と皇太子に受け継がれています.天皇陛下と皇太子殿下が安倍晋三を始めとする日本会議のもくろみを打ち砕いてくださるでしょう.明日(815日)の陛下のお言葉を楽しみにしましょう.