2019年5月27日

Heidegger と「世界ユダヤ組織」妄想 II

Freiburg 大学総長,Heidegger (1934) : Hitler と同様のヒゲをはやし,ワシと鈎十字から成る Nazi の徽章を襟に付けている

(写真は,こちらのページから借用)

東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」


5月31日の 東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」では,Heidegger の Antisemitismus についてさらに見て行きたいと思います.

Gesamtausgabe Band 95 (GA 95) は,Schwarze Hefte[黒ノート]のうち,1938-1939年(つまり,第二次世界大戦が始まる直前の時期)に書かれた Überlegungen[考察]VII - XI を収録しています.そこに含まれている Überlegungen VIII から,Heidegger が「ユダヤ組織」(das Judentum) に言及している箇所 (pp.96-97) を,紹介しましょう:


今,起きていることは,西洋の人間の偉大な源初の歴史の終焉である — その源初において,人間は,存在を守護するよう呼ばれたが,しかし,すぐさま,その呼ばれ[召命]を,存在事象をその作謀的な非本質において vor-stellen する[表象する,眼前に置く]ことの要請へ,変換してしまった. 
この最初の源初の終焉は,しかし,中止ではなく,而して,ひとつの固有の開始である.しかし,その開始は,その真理においては,おのれ自身から引き離されたままである — なぜなら,それは,すべてを,単なる表面へ整えねばならないから:そも,今の人間は,もはや,表面を整備し,そのうえで踊ることによってしか,〈自身を(主体として)識っているように〉自身を確かなものと認めることができない.だが,人間がそのような確認を必要とするのは,以下の理由によってである:すなわち,人間は,長らく,敢えて存在と向き合うことをせず,[単に]現前事象にもとづいて飼育し,計算することに頼ってきた,という理由によって.今,[最初の源初の歴史の]終焉として起きていることは,それゆえ,まさに,以下の者たちには,まずもって,かつ,最終的に,知り得ないことである —[以下の者たちとは:]この終焉を,その最終的な形態(すなわち,巨大なもの[大規模なもの]という形態)において開始し,かつ,歴史を欠くものを,史学的なものの仮面において,「歴史」と称するよう定められた者たち.そこからは,ほかなる源初への移行は無い.[ほかなる源初への]移行は,歴史を欠くものを,秘匿された歴史の最も表面的な灰色の浮きかすとして,認識せねばならない — 問いつつ前方遠くへ跳躍することによって,人間を,歴史へ救済するために. 
歴史を欠くものにおいては,仲間うちでのみ繋がりあっているものが,またしても,せいぜい,まったくの混ざり合いの統一へ来たる[だけである];仮象的な「築き上げる」と「新たにする」と,まったくの破壊 — 両者は同じものだ — 基底を欠くもの — 単なる存在事象へ頽落したもの,存在から疎遠になったもの.歴史を欠くものが自己貫徹するや,「歴史主義」の勝手気ままが始まる —;基底を欠くものは,その最も多様にして最も相対立する諸形態において,互いを同じ非本質において認め合うことなく,極度の敵対性と破壊嗜癖へ陥る. 
そして,この「戦い」— そこにおいては,まさに無目的性をめぐる戦いが行われ,それゆえ,その戦いは,単に「戦い」のカリカチュアでしかあり得ない — においては,おそらく,何ものにも繋ぎとめられておらず,すべてを自身に役立てる〈より大きな〉基底欠如性(ユダヤ組織)が「勝利」する.しかし,本来的な勝利 — 歴史を欠くものに対する歴史の勝利 — は,以下のところにおいてのみ,勝ち取られる:すなわち,基底を欠くものが,互いに排除し合う — なぜなら,基底を欠くものは,敢えて存在に向き合わず,しかして,常に,ただ,存在事象を勘定に入れ,その計算結果を現実的なものとして措定するだけであるから — ところにおいて.

巨大なものの最も隠された形態のひとつ — かつ,おそらく,最も古いもの — は,「計算する」と「押す」と「ごちゃ混ぜにする」の粘り強い巧みさ — それによって,ユダヤ組織の無世界性が基礎づけられる — である.

「日常性」と「普通人」には,巨大なものへの転換が,なおも迫っている.現場存在の「非本来性」は,今のところ,無害なものにとどまっている.しかし,計算者[打算家]がおり,彼れらは,今のところまだ無害で,子どもじみているが,こう思念している:「民族共同体」の設立によって,「日常性」も「普通人」も(それらを,大都市の頽落世界の現象と誤って思い込んで)克服しよう,と.そのような思念の盲目性は,「存在事象を確かなものとするのではなく,しかして,存在を思考すること」の〈増大する〉不能性に由来している.

普通のドイツ語の文章では集合的な意味における「ユダヤ人,ユダヤ民族」や「ユダヤ人の特性」を指す Judentum という名詞は,Heidegger の文章においては,何やら無気味な「巨大なもの」(das Riesige) との関連において用いられ,そして,その「巨大なもの」の「自己殲滅」(Selbstvernichtung) という黙示録的な想念が展開されて行きます.


5月31日のセミネールでは,ほかの箇所も紹介して行く予定です.

セミネールの日程は,以下のとおりです:


VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II) 
VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I) 
VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II) 
IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III) 
X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

2019年5月19日

Heidegger と「世界ユダヤ組織」妄想 I

Heidegger (the man of relatively short stature in the middle of the 2nd row) on his way to give his first address as Rektor of the University of Freiburg, 27.05.33. 

Heidegger (indicated by a cross), in his capacity as Rektor of the University of Freiburg, at a public demonstration of support for Nazism by German professors on 11.11.33 in Leipzig.

(写真は,いずれも,こちらのページから借用)

東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」


5月24日の 東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」は,前回,立ち入ることのできなかった「父による息子殺し」のテーマの意義,および,一神教の本質について補足したあと,Heidegger の Antisemitismus について見て行きたいと思います.

Heidegger の Schwarze Hefte[黒ノート]における antisemitisch な発言は,何を意義しているのか?彼の Antisemitismus と彼の思考の核との関わりは如何?はたして,Heidegger の思考は,その総体において,民族差別的なものとして,退けられるべきであるのか?... この問題に関しては,さまざまな形で問いが措定されています.

ラカン派精神分析家として,わたしは,Heidegger の Antisemitismus を,Weltjudentum[世界ユダヤ組織]の陰謀の妄想に関連づけて,論じてみたいと思っています.

セミネールの日程は,以下のとおりです:

V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

2019年5月11日

息子による父殺し と 父による息子殺し


Saturno (Crono) mutila il Cielo (Urano) : affresco del Giorgio Vasari (1511-1574) che adorna il soffitto della Sala degli Elementi in Palazzo Vecchio


旧約聖書において,父が息子を殺す(ないし,殺そうとする)主題は,神学的にとても重要な意義を有するエピソードにおいて,見出されます:主の命令によって,Abraham は,彼が年老いてから神により授けられた唯一の息子 Isaac を,いけにえとして神に捧げ返すために,屠ろうとします(創世記 22,01-19).

また,我々の04月12日のセミネールにおいては,旧約聖書のなかでも最も不可解と見なされてきた出エジプト記の一節 (4,24-26) を,我々は,「主が,Moses をして,息子を殺させようとした」(Moses と Tsippora との息子ふたり — Gershom と Eliezer — のうちどちらなのかは定かではありませんが,やはり,おそらく,初子である Gershom でしょうか?)と解釈し得ることを見ました.

そして,父が息子をいけにえとして神に捧げるという主題は,Jesus Christ の受難の物語へ展開されて行くことになります.

それに対して,息子が父を殺す主題は,聖書のなかには,意義深いものとしては見出されません.多分,聖書に物語られている唯一の父殺しは,これでしょう : Jerusalem を攻撃しようとした新アッシリアの王 Sennacherib(在位 : 705-681 BCE)は,自身の息子たち(ふたり)により暗殺された (2 列王記 19,37). その暗殺が史実であるか否かは定かではないようですが,ともあれ,このエピソードにとりたてて神学的な意義を見出すには及ばないだろうと思われます.

ギリシャ神話や患者の話のなかに(そして,彼自身のなかに)息子による父殺しの主題を人間存在(少なくとも「男である」こと)の本質的な条件として見出してきた Freud は,もしかしたら,何としてでも旧約聖書のなかにその主題を「ユダヤ人の条件」として再発見したかったのではないでしょうか?そして,であればこそ,神学者であり聖書学者である Ernst Sellin が「ユダヤ教の父,モーセは,彼が率いてエジプトから連れ出したイスラエルの子らによって,殺害された」という説を発表したとき,それに即座に飛びついたのではないでしょうか?

「息子による父殺し」と「父による息子殺し」— それらふたつの主題は,一見,相互に対称的であるように見えますが,それらの意義においては,実は,まったく対称的ではありません.

5月17日(金)の 東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」においては,「なぜ,精神分析の父である Freud は,父殺しの主題をかくも重要視したのか?」について,彼の最晩年の著作『モーセという男と唯一神の宗教』にもとづいて,引き続き問うて行きましょう.

Freud の Der Mann Moses und die monotheistische 
Religion [モーセという男 と 唯一神の宗教]のテクストのドイツ語原文と英訳と邦訳は,こちらから download することができます.

セミネールの日程は,以下のとおりです:

IV. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)

V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

2019年5月6日

フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教


東京ラカン塾 精神分析セミネール『フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教』を,5月10日から再開します.

Séminaire XI『精神分析の四つの基礎概念』の初回講義(1964年01月15日)において,Lacan は,Gérard Haddad が2007年の彼の著書の表題に借用した印象的な表現 :「精神分析の原罪」(le péché originel de l'analyse) を提示しつつ,こう言っています :



hysterica によって,我々は,ある「精神分析の原罪」のあとをたどることになる. 
ある「精神分析の原罪」があったにちがいない.そのまことの「精神分析の原罪」は,おそらく,ただひとつのことである.それは,Freud 自身の欲望である.つまり,Freud のなかで何ごとかが決して分析されなかった,ということだ.
まさにその地点に,わたしはたどり着いていた — わたしが,ある奇妙なめぐりあわせによって,わたしの Séminaire をやめねばならない立場に置かれたときに.
実際,わたしが[1963-1964年度の Séminaire において]les Noms-du-Père[複数形における「父の名」]について言うはずであったことは,源初を問いに付することを目ざしていたにほかならない — すなわち,如何なる特権によって,Freud の欲望は,彼が「無意識」と名づけた〈経験の〉場へ入る門を見つけることができたのだろうか?
この源初へさかのぼることは,まったく本質的である — 我々が精神分析を両脚で立たせようとするのであれば,つまり,片脚が欠けないことを欲するのであれば.

Freud のなかで決して分析されなかったもの — それは何か?

それは,そのことによって,Freud が,精神分析の創始者として,源初において,ひとつの罪を犯したことになるところのものです.そして,その罪は,源初の父 Freud から彼の息子たち(第二世代の精神分析家たち)へ,そして,さらに,彼らから彼らの息子たち(第三世代の精神分析家たち)へ,代々相続 (erben) されていった罪 (Sünde) — すなわち,Erbsünde[ドイツ語で「原罪」のこと]— です.

如何なる罪か?それは,Heidegger が das Frag-würdigste[最も問うに価するもの]と呼ぶところのものを問うことを怠った罪です.すなわち,存在 (das Seyn) について問うことを怠った罪です.

源初におけるその怠りによって,精神分析は単なる心理学に変質してしまっていました.その事態を立て直そうとしたのが,Lacan です.如何にして? Freud が問うことを怠った問いを問い直すことによって.そして,それによって,精神分析をその純粋な基礎のうえに立脚させ直すことによって.

Freud が問うことを怠った問いは,das Seyn に関する問いです.そして,それは,書かれないことをやめない不可能な「神の名」— Lacan が問うた複数の Noms-du-Père[父の名]のひとつ — に関する問いでもあります.

そのことを,Freud は,予感してはいました — 彼の人生の最晩年の 5 年間,Der Mann Moses und die monotheistische Religion[モーセという男と唯一神の宗教]を執筆しつつ.というのも,彼は,そこにおいて,男にとって原罪を成す父殺しの問題について問い続けたのですから.

そこで,我々も,まず,Freud の Der Mann Moses und die monotheistische Religion に取り組んでみましょう.

テクストのドイツ語原文と英訳と邦訳は,こちらから download することができます.

セミネールの日程は,以下のとおりです:

III. 5月10日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (I)

IV. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)

V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com