御質問を幾つかいただいています.まず,救済を語ることは,支配者の言説への逆戻りではないのか?次に,陰性治療反応は主体が救済を欲していないというこ
とを示しているのではないか?
質問において問われていることを考える前に,大学の言説について補足します.大学の言説における S2 を,昨日までは,もっぱら「全体」と解釈してきました.しかし S2 は知 savoir と定義されてもいます.
現代における支配の構造として,能動者・支配者の座(左上の座)に位置する知 S2 は,高等教育を受けた官僚です.フランスでは ENA, 日本では旧帝大等の法学部を卒業して公務員となった者たちです.つまり,bureaucratie です.これは,旧ソ連も今の中国も日本も同じです.官僚たちは,基本的に,自分たちの利益のみを追求します.そして,日本では国会議員の少なからぬ部分が
官僚出身者たちにより構成されています.彼らは,支配と収奪のための know-how を有しています.そのようなものとして,能動者・支配者の座に知 S2 として居座ります.そして,特権階級として,ひとつの「すべて」,ひとつの集合を形成します.民主主義には官僚支配がつきものです.フランスもそれを免れてはいません.日本では言わずもがなです.
知 S2 が支配する大学の言説の具体例をもうひとつ挙げるとすれば,それは,まさに精神医療の現場です.精神科医は能動者の座の知 S2 です.その知は,DSM のようなおそまつなマニュアルから精緻なドイツ精神医学の精神病理学の知に至るまでさまざまですが,とにかく,それらの知 S2 は支配者として君臨し,観察対象,取り扱い(treatment は,取り扱いと治療と両方の意味を有します)対象の患者 a を支配しようとします.当然ながら,そのような構造においては,主体の存在の真理を代表する症状が現象する分析家の言説は成起し得ません.大学の言説である精神科医の言説に対しては,患者は hysterica の言説にとどまらざるを得ません.医者は病気だけ診て,患者を見ていない,と言われますが,精神科医の言説においては,医者は症状を見定めることすらできていません.なにしろ,精神科医の言説においては症状は現象し得ないのですから.
大学の言説とは以上のようなものです.
さて,御質問のあった「精神分析的救済論」に話題を移しましょう.果たして主体は救われたいのか?この問いは,精神分析の主体の根本的な構造にかかわります.つまり,主体の分裂です.
「...したい」「...を欲する」と言うとき,誰が欲しているのか?Lacan は,人間の欲望は他 A の欲望である,と言いました.精神分析においてかかわる欲望,無意識的欲望は,他 A の欲望です.しかも,抹消された A : Ⱥ としての他 A の欲望です.それは,抹消された存在そのものです.
これ以上続けると長くなってしまいますから,明日続けることにしましょう.解脱・救済は,存在の真理の現象学的構造の解体,つまり,死を経ねばならない,とだけ言っておきましょう.
科学の言説について御質問をいただきました.Lacan が「科学の言説」 le discours de la science という表現を使うとき,一義的ではないと思われます.確かに,大学の言説を科学の言説と呼んでいることもあったと思います.知が支配者の座にあるという意味で.また,「先生」S1 が右上の他者の座に位置する hysterica の言説を科学の言説と呼んでいるくだりもあります.さらにまた,「科学と真理」という書においては,科学の言説の構造は分析家の言説の構造と理解されます.
科学の言説が,数学の言語で書かれた自然が言わんとすることを読み取ることであるとするなら,科学の言説の構造は分析家の言説の構造である,と言えると思います.つまり,真理の座に仮定された知 S2 を代表する signifiant a をキャッチし,記録し,解釈することが科学の営みです.
分析家の言説においてしか症状が現れないということについて臨床的具体例を挙げるとすれば,Freud の「ネズミ男」の症例の一読をお勧めすます.この症例において強迫神経症の症状が明確に形成されるのは,精神分析治療が始まってからなのです.これはよくあることで,ですから,分析を始めたせいで病気が悪化した,という非難も珍しくありません.しかし,治療のためには,まず症状が出現しなくてはなりません.今まで十分にそれとして症状が出現していなかったところに,症状が「遠慮無く」出現してもらわなくてはなりません.そうでなければ,そもそも治療を始めることはできません.症状は,それが言わんとしていることを聴く耳を持っている者に対してのみ姿を現します.その言わんとしていることを聴き取るのが精神分析的解釈です.
borderline と言われる症例においても,ほかのところでそう診断された患者さんたちを分析家の言説の構造へ導入し,つまり,聴く耳を以て聴くうちに,さまざまな症状,夢等の無意識の成形が現れてきて,精神分析治療を進めて行くことができます.そうなれば,自傷行為はもう繰り返されなくなります.
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