2020年3月21日

ヘビのスケッチ

William Blake (1757-1827), Eve Tempted by the Serpent (1799-1800)

1960年の書『フロィト的無意識における 主体のくつがえし と 欲望の弁証法』において,Lacan は,問い「我れとは 何であるか?」に対して,この謎めいた答えを与えている (Écrits, p.819) :

我れは,そこからこの怒声が発せられるところの座に存在する :「宇宙は 非存在の純粋性における ひとつの欠陥である」.
そして,それは,ゆえなきことではない.そも,その座は,自身を明け渡さないことによって,存在そのものの生気を失わせる.その座は,悦と呼ばれる.そして,悦が欠けるなら,宇宙は虚しくなるだろう.

「宇宙は 非存在の純粋性における ひとつの欠陥である」は,Paul Valéry の詩『ヘビのスケッチ』(Ébauche d'un serpent : 1921) からの 若干 変更された 引用である.

詩集『魅力』に収録されているその詩は,若干 長いが,最後まで読むに値する :「おまえを巨大なものにするあの渇望が 不可思議な〈無の〉全能を 存在へまで 高めれば !」



ヘビのスケッチ


わたし[サタン]は 毒ヘビの姿をまとい 
枝の間で 微風に 揺られる;
[わたしの鋭い]牙は[わたしの]微笑みを 貫き
[わたしの微笑みを]欲望で 輝かす
[微笑みをうかべて わたしは]エデンの園を おかまいなしに うろつく
わたしの頭は エメラルド色の 三角形[を成し]
ふたつに分かれた舌を 延べる...
わたしは 畜生[愚か者]だが,鋭い畜生[聡い愚か者]だ
わたしの毒は 卑しいが
賢いトリカブトを はるかにしのぐ ! 


甘美なるかな この快楽の季節 !
おののけ 死すべき者らよ !
いつか バネをも砕くほどに たっぷりと 大口を開けるとき
わたしは とても 強い !
すばらしい青空は
わたしが変装している このオロチを
動物的な単純さで 研ぎ澄ます;
わたしのところに来るがよい 軽薄な者どもよ !
わたしは 運命の必然性のように
抜かりなく 待ちかまえている ! 


太陽 太陽 !... 光輝く罪[明らかな過ち]!
青き空のしたに
花々が会議を開く 黄金色のテントのしたに
太陽よ おまえは 死を覆い隠す;
わたしの共謀者のうちで 最も気高き者よ
わたしの罠のうちで 最も高きところにいる者よ
おまえは 不可思議な悦楽によって
[人の]心が[このことを]識るのを 防ぐ:
[すなわち]宇宙は 非存在の純粋性における
ひとつの欠陥にすぎない
ということを ! 


偉大な太陽よ おまえは 存在に 目覚ましを鳴らし
火をもって 存在に寄り添う
おまえは 存在をだますために
のどかな光景で彩られた眠り[夢]で 存在を閉じ込める
おまえは 喜ばしき幻影を 煽る者
それ[幻影]は 闇にひそむ魂の現在を
視覚に従属するものにしてしまう
おお 炎から成る〈亡者の国の〉王よ
絶対者について おまえが広げる嘘は
常に わたしを喜ばせる ! 


おまえの素のままの熱を わたしに注いでくれ
その熱のなかで わたしの凍りついた怠惰は
絡まったわたしの性[さが]のままに
何か不幸を 夢想する...
肉[なる人間たち]が 墜落し 結合するのを見た
この魅力的な場所は わたしにとって とても愛おしい !
わたしの怒りは ここで 熟れる;
わたしは それに助言を与え それを調理しなおし
わたしは 自分の声に耳を傾ける
そして わたしの省察は 循環しながら つぶやく... 


おお 虚無 ! 第一原因 !
天において支配する者[神]は
「光あれ」と声を発して
空間的な宇宙を開いた.
そして 純粋観覧にあきたかのように
神は みづから
神の完璧な永遠性を 妨げとして 打ち破った;
神は[受肉して]人 [ Jesus Christ ] となり
彼は 神の原理を 帰結へ解消し
神の「一[いち]なること」を 星々へ解消する. 


天は 神の誤り ! 時は 神の没落 !
そして 動物的な深淵が 口を開く !...
いかなる墜落が 源初において
きらめいていることか — 無の代わりに !...
だが,神のロゴスの最初の言葉
我れは !... 愚かな創造主が語った星々のなかで
最もすばらしいもの
我れは 存在する !... 我れは 存在するだろう !... 我れは
誘惑者の火すべてをもって
神の減弱を照らす ! 


わが憎しみの 輝かしい対象よ
あなたを わたしは 狂おしく愛した
あなたは この[あなたを]愛する者に
地獄の支配権を与えるべきだった
わたしの闇のなかの あなた自身を まなざしたまえ !
わたしの暗い鏡の誇り
あなたの陰欝な似姿を前にして
あなたの不快感は とても深かったので
土[で造られた人間]へ吹きかける あなたの息吹は
絶望のため息だった ! 


あなたは 虚しく 泥のなかで
容易な[誘惑に陥りやすい]子どもたちを 捏ねた
彼れらは あなたのわざの大成功のゆえに
ひねもす あなたをたたえた !
あなたが 彼れらを捏ね 彼れらに息吹を吹き込むや
ヘビさまは 彼れらを 口笛で呼び寄せた
彼れら:あなたが創造した美しい子どもたちを !
やあ,新入りたち ! と ヘビさまは言う
きみたち人間は すっぱだかだ
おめでたい 白い けものたちよ ! 


きみたちは いとわしい[神の]似姿に
造られた だから わたしは きみたちを憎む !
かくも多くの不完全な奇跡を
創造する名[神の名]を 憎んでいるのと同様に !
わたしは[神の創造に]修正を加える者だ
わたしは 神の名に信頼する心に
確信的 かつ 神秘的な 指で 手直しを加える !...
我々は 変えるのだ
それらの軟弱な作品たちと それらの曖昧なヘビたちを
獰猛な爬虫類に ! 


わたしの計り知れない知性は 
人間たちの魂のなかに
わが復讐の楽器を 得て 奏でる
それを組み立てたのは あなた自身の手だ !
そして 父なる神である あなたは
星のちりばめられた部屋のなかに 隠れて
香の煙をしか受けつけないが
とはいえ 溢れるほどの わたしの魅力は
全能なるあなたのもくろみを
遠く[地上]から鳴り響く警報で 邪魔することが できるだろう ! 


わたしは きよい心のなかへ
行き 来て 滑り込み もぐり込み 姿を消す !
いまだかつて あっただろうか
夢ひとつさえ宿り得ぬほどに かたい胸など !
おまえが誰であれ わたしは
おまえの魂がうぬぼれるとき
おまえの魂のなかに兆してくる あの自己満足ではないか ?
おまえの魂の自己愛の奥底で わたしは
おまえが おまえ自身にしか見出さない
あの一種独特の味わいだ ! 


エヴァ — その昔 わたしは 彼女を 不意に捕えた
はじめて思考にふける彼女を
バラのゆりかごに生まれた息吹に
彼女の唇は なかば開かれていた.
あの完璧な女は わたしに姿を現した
太陽をも 男をも 恐れることなく
広々とした腹は くまなく 金色に 照らされていた;
大気のまなざしへ すべて ささげられて
彼女の魂は まだ愚かで あたかも 肉体の閾のところで
外に出ることを禁ぜられているかのようだった 


おお 至福の塊よ
おまえは かくも美しい ! まさに
善良な精神たちと最良の精神たち すべての
気を惹くに値する !
彼らがおまえの唇にほれこむには
おまえがため息をつくだけで十分だ !
最もきよい者らも おまえに惹かれて 最悪の者らとなり
最もかたい者らも 最も傷ついた者らとなる
吸血鬼たちを支配する わたしをさえ
おまえは やわらげる ! 


そうとも ! 葉陰の見張り席から
わたし — 小鳥のように恍惚とした爬虫類 — は
わたしのさえずり[おしゃべり]が
悪巧みの網を編んでいる間も
おまえを見つめていた ! おお 聞き分けのない
静かな 澄んだ 魅惑に満ちた 美しい女よ !
わたしは こっそりと
おまえの髪の燃えるような金色に目を注ぎつつ
おまえの謎めいたうなじを 支配していた
おまえの動きの秘密を湛える あのうなじを ! 


わたしは そこに存在していた
においのように
観念 — 罠のように待ちかまえる その深みは
解明され得ない — の香りのように !
そして うぶな女よ わたしは おまえを
おどすことなく 不安にさせていた
おお 栄華へよろめくことを
軟弱に決意した肉体よ !
賭けてもよい まもなく わたしは おまえを手に入れる
おまえのニュアンスは すでに 変化しつつある ! 


(彼女のみごとな単純さは
おおいに尊敬に値する !
彼女のまなざしの透明さ
愚かさ 自尊心 幸福 は
あの美しい都[エヴァ自身]を よく守っている !
彼女に対して 偶然を作りださねばならない
しかも 技法のうちでも 最も希な あの技法によって
すなわち きよい心を誘惑して;
それが わが強み それが わが極み
わたしにとって わが目的の手段!) 


さて 目もくらむほど魅力的な毒液で
軽いシステムを紡ぎだそう
暇をもてあました甘美なエヴァは
そのなかで 漠たる危険に はまりこむ !
青空だけになじんだ
あの獲物の肌は
絹の重みのしたで いかにおののくことか !...
だが わたし流儀のたくらみ[横糸]よりも
より繊細な薄絹[うすぎぬ]は無く
より不可視にして確実な糸は無い ! 


舌よ 彼女のために 黄金色に飾り立てろ !
おまえの知る 最もこころよい甘言を !
暗示に 寓話に 繊細さ
刻みつけた無数の沈黙
彼女を害するものすべてを使え:
彼女をおだてるものだけを
彼女がわたしのもくろみのなかで身を滅ぼすようにするものだけを
天から落ちてくる小川を
青い水たまりの深淵へ
至らしむ あの傾きに 従順に ! 


おお いかなる 無比無類なる散文を
どれほどのエスプリを わたしは
あのすてきな耳の 産毛のはえた迷路のなかに
投げ込まなかっただろうか !
わたしは思った — 判断を停止した心に対しては
無駄なものは何もなく あらゆるものが有効だ !
勝利は確実だ ! もし
わたしの言葉 — 魂の強迫的な宝物 — が
ミツバチが花から離れないように
黄金色の耳から もはや離れることがないならば ! 


わたしは彼女にささやいた :「エヴァよ
神の言葉ほど 不確かなものはない !
生き生きとした知識は
この 途轍もない 熟れたくだものを 破壊する !
[わたしが]ちょっと噛むだけで[わたしのことを]呪う
あの 老いた きよい存在の言うことを 聴くな !
エヴァよ もし おまえの口が
樹液のことを思う あの渇きを
なかば未来の あの悦楽を 夢想するなら
それは とろけるような永遠だ !」 


ふしぎな作品を作り上げる
わたしの小さな言葉を 彼女は飲んだ;
彼女の目は ときどき 天使を見失っては
わたしの枝に 戻ってきた.
おお 悪を孕んだ うわきな女よ
おまえがかくも頑固であることをからかう
わたし — 動物たちのうちで 最も狡猾な者 — は
緑の葉陰のなかの ひとつの声にすぎない.
— だが,その声を 枝のしたで 聴く
エヴァは 真剣だった ! 


わたしは言った :「魂よ
あらゆる禁ぜられた恍惚の 甘美なる住まいよ
わたしが 父なる神から 盗んできた
この曲がりくねった愛を おまえは感ずるか ?
わたしは 有している
蜜よりも甘い目的のために
繊細にあつらえられた あの天の本質を...
このくだものを取るがよい... おまえの腕をのばせ !
おまえが欲するものを摘み取るために
おまえの美しい手は おまえに与えられたのだ !」 


まばたくまつげの なんという静けさ !
だが 樹が木陰によって噛む
暗い乳房のしたには なんという息吹 !
他方の乳房は めしべのように輝いていた !
— それは わたしに歌った ! 吹け 吹け 口笛を !
そのとき わたしは 感じた
わたしの敏感な長い鞭が有する 多数のしわ
— それらを わたしは持てあます — が おののくのを:
それらは わたしのエメラルド色の頭頂から
危険[な わたしの 尾]の端に至るまで 走った ! 


おお 天才とは 長き不忍耐なり !
やっと到来した
新たな知への一歩が
彼女の裸足から 噴出するときが !
大理石は 息をのみ 黄金は のけぞる !
このブロンドの〈影と琥珀の〉いしずえは
動きのまぎわで ふるえている !...
彼女 — 大きな壺 — は よろめく
一見 無口に見える彼女の同意は
そこから逃げ出そうとする ! 


親愛なる身体よ おまえが自身に提示する
快の誘惑に 屈するがよい !
おまえの〈変身への〉渇望が
死をもたらす樹のまわりに
ポーズの連鎖を生み出すがよい !
歩みの形よ 曖昧に 来るともなく来るがよい
あたかも足取りが薔薇で重いかのように...
踊れ 親愛なる身体よ... 考えるな !
ここでは 悦楽は
ものごとの成り行きの 十分原因だ !... 


おお この かくも生き生きとした背を有する
高い きよい樹が 不服従に わななくのを 見る という
不毛な悦を わたしは なんと 狂わしく
わたし自身に与えようとしていたことか !...
すでに 知恵と錯覚の
本質を提供しつつ
知識の樹 全体 は
まぼろしに 髪をふり乱しつつ
自身の身体を — 陽光に浸り 夢をすする
大きな身体を — 揺すっていた ! 


樹よ 偉大な樹よ 天の影よ
あらがいがたい〈樹々のなかの〉樹よ
おまえは 大理石の弱さのなかに
美味なる汁を追い求める
おまえは あのような迷路を はやしめぐらし
それによって抱きしめられた闇は
サフィールのように青い
永遠なる朝のなかに 滅びる
甘美なる喪失 香り ゼフィール
あるいは 運命づけられたハト 


おお おまえは 歌い
最も深く隠された宝石から ひそかに汁を飲み
エヴァを夢想へ投げ込んだ
夢見る爬虫類を ゆりかごのなかで揺する
知に揺れる偉大な存在よ
おまえは 常に よりよく見るために
おまえの頂の呼びかけに応えて より大きくなる
おまえは いと きよき 黄金色のなかへ
おまえのかたい腕を おまえのけむる枝を さしのべる
他方で 深淵へ向かって 掘り進みつつ 


おまえは 無限を — 無限は おまえの成長によって
つくられたにほかならない — おしやることができる
そして おまえは 墓から巣にいたるまでの
あらゆる知識を有している と感ずる !
だが この年老いたチェス好き[ヘビ]は
おまえの枝のうえで
乾いた陽光の怠惰な金色を浴びて とぐろを巻く;
その目は おまえの宝物を おののかせる.
そこから 死と絶望と混乱の果実が
落ちてゆくだろう ! 


わたしは 青空のなかで揺れる 美しいヘビ
わたしは 繊細に 口笛を吹く
わが悲哀の勝利を
神の栄光にささげつつ...
わたしには 虚空に揺れる
苦い果実の大きな希望が
泥からつくられた子どもたちを 狂乱させれば 十分だ...
— おまえを巨大なものにするあの渇望が
不可思議な〈無の〉全能を
存在へまで 高めれば ! 


ÉBAUCHE D’UN SERPENT


Dans son écrit Subversion du sujet et dialectique du désir dans l'inconscient freudien (1960), Lacan donne à la question : « Que suis-Je ? », cette réponse énigmatique (Écrits, p.819) :


Je suis à la place d'où se vocifère que « l'univers est un défaut dans la pureté du Non-Être ».

Et ceci non pas sans raison, car à se garder, cette place fait languir l'Être lui-même. Elle s'appelle la Jouissance, et c'est elle dont le défaut rendrait vain l'univers.


La phrase entre guillemets : « l'univers est un défaut dans la pureté du Non-Être » est une citation un peu modifiée des deux vers du poème de Paul Valéry intitulé Ébauche d'un serpent (1921) et recueilli dans les Charmes

Ce poème, quoique assez long, mérite d'être lu jusqu'à son dernier mot : « Néant ! ».

邦訳



ÉBAUCHE D’UN SERPENT


de Paul Valéry

à Henri Ghéon


Parmi l’arbre, la brise berce
La vipère que je vêtis ;
Un sourire, que la dent perce
Et qu’elle éclaire d’appétits,
Sur le Jardin se risque et rôde,
Et mon triangle d’émeraude
Tire sa langue à double fil…
Bête je suis, mais bête aiguë,
De qui le venin quoique vil
Laisse loin la sage ciguë !

Suave est ce temps de plaisance !
Tremblez, mortels ! Je suis bien fort
Quand jamais à ma suffisance,
Je bâille à briser le ressort !
La splendeur de l’azur aiguise
Cette guivre qui me déguise
D’animale simplicité ;
Venez à moi, race étourdie !
Je suis debout et dégourdie,
Pareille à la nécessité !

Soleil, soleil !… Faute éclatante !
Toi qui masques la mort, Soleil,
Sous l’azur et l’or d’une tente
Où les fleurs tiennent leur conseil ;
Par d’impénétrables délices,
Toi, le plus fier de mes complices,
Et de mes pièges le plus haut,
Tu gardes le cœur de connaître
Que l’univers n’est qu’un défaut
Dans la pureté du Non-être !

Grand Soleil, qui sonnes l’éveil
À l’être, et de feux l’accompagnes,
Toi qui l’enfermes d’un sommeil
Trompeusement peint de campagnes,
Fauteur des fantômes joyeux
Qui rendent sujette des yeux
La présence obscure de l’âme,
Toujours le mensonge m’a plu
Que tu répands sur l’absolu,
Ô roi des ombres fait de flamme !

Verse-moi ta brute chaleur,
Où vient ma paresse glacée
Rêvasser de quelque malheur
Selon ma nature enlacée…
Ce lieu charmant qui vit la chair
Choir et se joindre m’est très cher !
Ma fureur, ici, se fait mûre ;
Je la conseille et la recuis,
Je m’écoute, et dans mes circuits,
Ma méditation murmure…

Ô Vanité ! Cause Première !
Celui qui règne dans les Cieux,
D’une voix qui fut la lumière
Ouvrit l’univers spacieux.
Comme las de son pur spectacle,
Dieu lui-même a rompu l’obstacle
De sa parfaite éternité ;
Il se fit Celui qui dissipe
En conséquences, son Principe,
En étoiles, son Unité.

Cieux, son erreur ! Temps, sa ruine !
Et l’abîme animal, béant !…
Quelle chute dans l’origine
Étincelle au lieu de néant !…
Mais, le premier mot de son Verbe,
MOI !… Des astres le plus superbe
Qu’ait parlés le fou créateur,
Je suis !… Je serai !… J’illumine
La diminution divine
De tous les feux du Séducteur !

Objet radieux de ma haine,
Vous que j’aimais éperdument,
Vous qui dûtes de la géhenne
Donner l’empire à cet amant,
Regardez-vous dans ma ténèbre !
Devant votre image funèbre,
Orgueil de mon sombre miroir,
Si profond fut votre malaise
Que votre souffle sur la glaise
Fut un soupir de désespoir !

En vain, Vous avez, dans la fange,
Pétri de faciles enfants,
Qui de Vos actes triomphants
Tout le jour Vous fissent louange !
Sitôt pétris, sitôt soufflés,
Maître Serpent les a sifflés,
Les beaux enfants que Vous créâtes !
Holà ! dit-il, nouveaux venus !
Vous êtes des hommes tout nus,
Ô bêtes blanches et béates !

À la ressemblance exécrée,
Vous fûtes faits, et je vous hais !
Comme je hais le Nom qui crée
Tant de prodiges imparfaits !
Je suis Celui qui modifie,
Je retouche au cœur qui s’y fie,
D’un doigt sûr et mystérieux !…
Nous changerons ces molles œuvres,
Et ces évasives couleuvres
En des reptiles furieux !

Mon Innombrable Intelligence
Touche dans l’âme des humains
Un instrument de ma vengeance
Qui fut assemblé de tes mains !
Et ta Paternité voilée,
Quoique, dans sa chambre étoilée,
Elle n’accueille que l’encens,
Toutefois l’excès de mes charmes
Pourra de lointaines alarmes
Troubler ses desseins tout-puissants !

Je vais, je viens, je glisse, plonge,
Je disparais dans un cœur pur !
Fut-il jamais de sein si dur
Qu’on n’y puisse loger un songe !
Qui que tu sois, ne suis-je point
Cette complaisance qui poind
Dans ton âme lorsqu’elle s’aime ?
Je suis au fond de sa faveur
Cette inimitable saveur
Que tu ne trouves qu’à toi-même !

Ève, jadis, je la surpris,
Parmi ses premières pensées,
La lèvre entr’ouverte aux esprits
Qui naissaient des roses bercés.
Cette parfaite m’apparut,
Son flanc vaste et d’or parcouru
Ne craignant le soleil ni l’homme ;
Tout offerte aux regards de l’air
L’âme encore stupide, et comme
Interdite au seuil de la chair.

Ô masse de béatitude,
Tu es si belle, juste prix
De la toute sollicitude
Des bons et des meilleurs esprits !
Pour qu’à tes lèvres ils soient pris
Il leur suffit que tu soupires !
Les plus purs s’y penchent les pires,
Les plus durs sont les plus meurtris…
Jusques à moi, tu m’attendris,
De qui relèvent les vampires !

Oui ! De mon poste de feuillage
Reptile aux extases d’oiseau,
Cependant que mon babillage
Tissait de ruses le réseau,
Je te buvais, ô belle sourde !
Calme, claire, de charmes lourde,
Je dominais furtivement,
L’œil dans l’or ardent de ta laine,
Ta nuque énigmatique et pleine
Des secrets de ton mouvement !

J’étais présent comme une odeur,
Comme l’arôme d’une idée
Dont ne puisse être élucidée
L’insidieuse profondeur !
Et je t’inquiétais, candeur,
Ô chair mollement décidée,
Sans que je t’eusse intimidée,
À chanceler dans la splendeur !
Bientôt, je t’aurai, je parie,
Déjà ta nuance varie !

(La superbe simplicité
Demande d’immense égards !
Sa transparence de regards,
Sottise, orgueil, félicité,
Gardent bien la belle cité !
Sachons lui créer des hasards,
Et par ce plus rare des arts,
Soit le cœur pur sollicité ;
C’est là mon fort, c’est là mon fin,
À moi les moyens de ma fin !)

Or, d’une éblouissante bave,
Filons les systèmes légers
Où l’oisive et l’Ève suave
S’engage en de vagues dangers !
Que sous une charge de soie
Tremble la peau de cette proie
Accoutumée au seul azur !…
Mais de gaze point de subtile,
Ni de fil invisible et sûr,
Plus qu’une trame de mon style !

Dore, langue ! dore-lui les
Plus doux des dits que tu connaisses !
Allusions, fables, finesses,
Mille silences ciselés,
Use de tout ce qui lui nuise :
Rien qui ne flatte et ne l’induise
À se perdre dans mes desseins,
Docile à ces pentes qui rendent
Aux profondeurs des bleus bassins
Les ruisseaux qui des cieux descendent !

Ô quelle prose non pareille,
Que d’esprit n’ai-je pas jeté
Dans le dédale duveté
De cette merveilleuse oreille !
Là, pensais-je, rien de perdu ;
Tout profite au cœur suspendu !
Sûr triomphe ! si ma parole,
De l’âme obsédant le trésor,
Comme une abeille une corolle
Ne quitte plus l’oreille d’or !

« Rien, lui soufflais-je, n’est moins sûr
Que la parole divine, Ève !
Une science vive crève
L’énormité de ce fruit mûr !
N’écoute l’Être vieil et pur
Qui maudit la morsure brève !
Que si ta bouche fait un rêve,
Cette soif qui songe à la sève,
Ce délice à demi futur,
C’est l’éternité fondante, Ève ! »

Elle buvait mes petits mots
Qui bâtissaient une œuvre étrange ;
Son œil, parfois, perdait un ange
Pour revenir à mes rameaux.
Le plus rusé des animaux
Qui te raille d’être si dure,
Ô perfide et grosse de maux,
N’est qu’une voix dans la verdure.
— Mais sérieuse l’Ève était
Qui sous la branche l’écoutait !

« Âme, disais-je, doux séjour
De toute extase prohibée,
Sens-tu la sinueuse amour
Que j’ai du Père dérobée ?
Je l’ai, cette essence du Ciel,
À des fins plus douces que miel
Délicatement ordonnée…
Prends de ce fruit… Dresse ton bras !
Pour cueillir ce que tu voudras
Ta belle main te fut donnée ! »

Quel silence battu d’un cil !
Mais quel souffle sous le sein sombre
Que mordait l’Arbre de son ombre !
L’autre brillait, comme un pistil !
Siffle, siffle ! me chantait-il !
Et je sentais frémir le nombre,
Tout le long de mon fouet subtil,
De ces replis dont je m’encombre :
Ils roulaient depuis le béryl
De ma crête, jusqu’au péril !

Génie ! Ô longue impatience !
À la fin, les temps sont venus,
Qu’un pas vers la neuve Science
Va donc jaillir de ces pieds nus !
Le marbre aspire, l’or se cambre !
Ces blondes bases d’ombre et d’ambre
Tremblent au bord du mouvement !…
Elle chancelle, la grande urne,
D’où va fuir le consentement
De l’apparente taciturne !

Du plaisir que tu te proposes
Cède, cher corps, cède aux appâts !
Que ta soif de métamorphoses
Autour de l’Arbre du Trépas
Engendre une chaîne de poses !
Viens sans venir ! forme des pas
Vaguement comme lourds de roses…
Danse cher corps… Ne pense pas !
Ici les délices sont causes
Suffisantes au cours des choses !…

Ô follement que je m’offrais
Cette infertile jouissance :
Voir le long pur d’un dos si frais
Frémir la désobéissance !…
Déjà délivrant son essence
De sagesse et d’illusions,
Tout l’Arbre de la Connaissance
Échevelé de visions,
Agitait son grand corps qui plonge
Au soleil, et suce le songe !

Arbre, grand Arbre, Ombre des Cieux,
Irrésistible Arbre des arbres,
Qui dans les faiblesses des marbres,
Poursuis des sucs délicieux,
Toi qui pousses tels labyrinthes
Par qui les ténèbres étreintes
S’iront perdre dans le saphir
De l’éternelle matinée,
Douce perte, arôme ou zéphir,
Ou colombe prédestinée,

Ô Chanteur, ô secret buveur
Des plus profondes pierreries,
Berceau du reptile rêveur
Qui jeta l’Ève en rêveries,
Grand Être agité de savoir,
Qui toujours, comme pour mieux voir,
Grandis à l’appel de ta cime,
Toi qui dans l’or très pur promeus
Tes bras durs, tes rameaux fumeux,
D’autre part, creusant vers l’abîme,

Tu peux repousser l’infini
Qui n’est fait que de ta croissance,
Et de la tombe jusqu’au nid
Te sentir toute Connaissance !
Mais ce vieil amateur d’échecs,
Dans l’or oisif des soleils secs,
Sur ton branchage vient se tordre ;
Ses yeux font frémir ton trésor.
Il en cherra des fruits de mort,
De désespoir et de désordre !

Beau serpent, bercé dans le bleu,
Je siffle, avec délicatesse,
Offrant à la gloire de Dieu
Le triomphe de ma tristesse…
Il me suffit que dans les airs,
L’immense espoir de fruits amers
Affole les fils de la fange…
— Cette soif qui te fit géant,
Jusqu’à l’Être exalte l’étrange
Toute-Puissance du Néant !

2020年3月11日

Aus Heideggers »Onto-theo-logische Verfassung der Metaphysik« (1957)

Martin Heidegger (1889-1976) in 1960


Aus Heideggers »Onto-theo-logische Verfassung der Metaphysik« (GA 11, p.77)


『形而上学の 存在論的-神学的 本態』の一節

Dies ist die Ursache als die Causa sui. So lautet der sachgerechte Name für den Gott in der Philosophie. Zu diesem Gott kann der Mensch weder beten, noch kann er ihm opfern. Vor der Causa sui kann der Mensch weder aus Scheu ins Knie fallen, noch kann er vor diesem Gott musizieren und tanzen. Demgemäß ist das gott-lose Denken, das den Gott der Philosophie, den Gott als Causa sui preisgeben muß, dem göttlichen Gott vielleicht näher. Dies sagt hier nur : Es ist freier für ihn, als es die Onto-Theo-Logik wahrhaben möchte.

Causa sui[自己原因]としての原因 — 哲学における神にふさわしい名は,それである.そのような神に,人間は,祈ることも,献げものをすることも できない.Causa sui の前で,人間は,畏怖から跪くこともできなければ,そのような神の前で 音楽を奏でたり 踊ったりすることも できない.それゆえ,神無き思考 — それは,哲学の神,Causa sui としての神を 放棄せねばならない — の方が,おそらく,神的な神に より近しいだろう.それは,ここでは,ただ,この謂である:神無き思考の方が,Onto-Theo-Logik[存在論-神学]が思っているよりも,神に対して より開かれている.


Le Mémorial de Pascal[パスカルの覚書]

Portrait de Blaise Pascal (1623-62) par Philippe de Champaigne (1602-1674)

Le Mémorial de Pascal

パスカルの覚書


L’an de grâce 1654.
Lundi 23 novembre, jour de saint Clément, pape et martyr, et autres au martyrologe,
veille de saint Chrysogone, martyr, et autres,
Depuis environ dix heures et demi du soir jusques environ minuit et demi.

Feu

Dieu d’Abraham, Dieu d’Isaac, Dieu de Jacob,
non des philosophes et savants.
Certitude, certitude, sentiment, joie, paix.
Dieu de Jésus‑Christ.
Deum meum et Deum vestrum.
Ton Dieu sera mon Dieu.
Oubli du monde et de tout, hormis Dieu.
Il ne se trouve que par les voies enseignées dans l’Évangile. 
Grandeur de l’âme humaine.
Père juste, le monde ne t’a point connu, mais je t’ai connu.
Joie, joie, joie, pleurs de joie.
Je m’en suis séparé.
Dereliquerunt me fontem aquae vivae.
Mon Dieu, me quitterez‑vous ?
Que je n’en sois pas séparé éternellement !

Cette est la vie éternelle, qu’ils te connaissent seul vrai Dieu et celui que tu as envoyé, Jésus-Christ.
Jésus-Christ.
Jésus-Christ.
Je m’en suis séparé, je l’ai fui, renoncé, crucifié.
Que je n’en sois jamais séparé.
Il ne se conserve que par les voies enseignées dans l’Évangile.
Renonciation totale et douce.
Soumission totale à Jésus-Christ et à mon directeur.
Éternellement en joie pour un jour d’exercice sur la terre.
Non obliviscar sermones tuos. Amen.


恵みの年 1654.
11月23日 月曜日,殉教録によると 聖 Clemens(第四代教皇,殉教者)と その他の殉教者たちの日,
聖 Chrysogonus 殉教者 と その他の殉教者たちの 記念日の前日,
午後 10 時 半 ころから 午前 0 時 半 ころまで.


哲学者と神学者の神ではなく,
アブラハムの神,イサークの神,ヤコブの神[を わたしは信ずる].
確かだ,確かだ,感ずる,喜び,平安.
イェス キリスト の 神.
わたしの神 すなわち あなたたちの神[のもとへ,わたしは昇って行く](Jn 20,17).
あなたの神は わたしの神です (Rt 1,16).
世を忘れ,すべてを忘れる — 神をのぞいて.
福音のなかで教えられている道によってしか 神は見出されない.
人間の魂は偉大.
正義なる父よ,世は あなたを識らなかったが,わたしは あなたを識った (Jn 17,25).
喜び,喜び,喜び,泣くほどに 喜び.
わたしは 神から離れていた.
命の水の源である わたしを,彼らは棄てた (Jr 2,13).
わが神よ,あなたは わたしを見棄てますか?
わたしが 永遠に 神から離れていることが ありませんように!
これこそ 永遠の命である:すなわち,彼らは識る — 唯一の真なる神である あなた と,あなたが使わした者 イェス キリスト とを (Jn 17,03).
イェス キリスト.
イェス キリスト.
わたしは 彼から離れていた.見棄てられ,十字架に架けられた彼から,わたしは逃げた.
わたしが 決して 彼から離れていることが ありませんように.
福音のなかで教えられている道によってしか 彼を保ち続けることはできない.
全的な 甘美な 放棄[自我と世を放棄すること].
わが導き手である イェス キリスト への 全的な服従.
永遠に喜びのうちに — 地上における信仰実践の一日のゆえに.
わたしは あなたたのことばを 忘れない (Ps 119,16). アーメン.

2020年3月6日

フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (14)



2019-2020 年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール



フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (14)


2020年02月28日の講義:
欲望のグラフ と 幻想の彼方 (2)




欲望のグラフは,言語存在(parlêtre : 言語という家に住まう存在としての人間)において,欲望としての主体 $ の穴が,徴示性 (le symbolique) および 事象性 (l'imaginaire) と 如何に関わり合い得るか を示しています.

欲望のグラフの下段においては,欲望としての主体 $ の穴は,徴示性との関わり合いにおいて,l'idéal du moi[自我理想]I(A) としての支配者徴示素 S1 によって塞がれ,また,事象性との関わり合いにおいて,鏡像的な自我によって覆い隠されます.主体 $ の穴は,支配者徴示素 S1 によって塞がれることにおいて,S1 の「背後」へ — つまり,書かれないことをやめない「不可能」としての実在性 (le réel) の在所へ — 源初排斥されます.



欲望のグラフの最下部には $I(A) が並置されていますが,それらは,むしろ,上の図に示されているように,上下の関係に置き直すことができるでしょう.すなわち,否定存在論的孔穴を塞ぐ 自我理想 I(A) としての支配者徴示素 S1 と,それによって 不可能の在所へ源初排斥された 欲望としての主体 $ と.

徴示素連鎖 [ signifiant → voix ] を表わす曲線を構成する任意の点 — すなわち,任意の徴示素 — の意義 s(A) は,徴示素の宝庫としての他 A によって,一義的に定められています.そこにおける s(A) は,支配者意義 [ la signifiance maîtresse ] としての支配者徴示素 S1 — つまり,大学の言説の構造において「真理の座」に措定された S1 — です.

支配者意義が如何なるものであるかを説明するために 日本語という言語を例に取るなら,日本語は,支配者意義の支配が非常に強固な言語です.支配者意義とは,あらかじめ与えられた意義です.

日本社会における教育の paradigm を成す「論語の素読」を思い起こしてください.我々は,漢文(要するに 古代中国語)で書かれたテクストを,わけもわからず,無理やり読まされます.その際,主要な単語は「音読み」します.つまり,それらの単語の〈古代中国語における〉発音を,中国語ができない日本人に可能な限りで 日本語のなかで 擬似的に再現します.「音読み」とは,そういうものです.今,我々が,英語の単語 — たとえば,今,新聞記事のなかで たまたま目にとまった単語を挙げるなら,service という単語 — を,その単語の〈英語における〉発音を,英語ができない日本人に可能な限りで 日本語のなかで 擬似的に再現して「サービス」と読んでいるのと同じです.そして,適宜 助辞を補って,音読みされた単語を 日本語の統辞論的構造のなかに配置します.

しかし,音読みされた単語は,擬似中国語音において読まれただけであって,日本語に翻訳されたわけではありません.つまり,音読みされた漢語は,本来,日本語のなかでは意義を有していません.当然ながら,論語 全体を素読しても,テクストが何を言わんとしているのかは不明なままです.そこで,教師 — maître : 支配者 — は,生徒に,その言わんとするところはしかじかである,と教える.つまり,あらかじめ与えられている意義を,生徒に押しつけます — それが,la signifiance maîtresse[支配者意義]です.生徒の方は,押しつけられた意義を,みづから 問うことも 思考することも なく,鵜呑みにします.

日本社会における教育の paradigm は いまだに そのような「論語の素読」です.そもそも,日本語という言語全体が「論語の素読」と同じしかたによってできあがっています.日本語のなかには あまりに多くの漢語と外来語があふれかえっているので,あらかじめ与えられた支配者意義なしには,発話を了解することはできません.逆にいえば,日本語においては,何を言っても,そこにおいて了解されるのは,あらかじめ与えられている支配者意義だけです — 日本の国会における議員どうしの言葉のやりとりには,そのような日本語の本性が如実に現れています.

日本語を母国語とする者(日本語に住まう者)は,日本的な支配者意義 S1 を共有するよう強制されます.その共有がなければ,言葉の意義を了解することはできないからです.そして,支配者意義 S1 の共有は,日本社会の全体主義化を条件づけます.日本社会の全体主義化は,日本社会の公用語が日本語であるかぎり,必然的です.ですから,日本社会の全体主義化を防ぐための根本的な対処法は,公用語を日本語以外の言語(現実的には 英語)にすることです.公用語を英語にすれば,訓読みと音読みを使い分けて,「募ったが,募集はしていない」という ふざけた言い逃れをすることは,できなくなります.そのようなバカげた言い逃れを可能にしてしまうのが,日本語という言語です.我々は,日本社会をまともなものにしようと思うなら,そろそろ 日本語を見限る必要があります.

以上のような日本語の特質のゆえに,Lacan は「日本人は精神分析を必要としていない」と言いました.そのことについては,以前に書いた この論文 Why Lacan says : “no one who dwells in the Japanese language has a need to be psychoanalysed” を参照してください.

話を「欲望のグラフ」に戻すと,mi(a) の矢印は,「鏡の段階」論を形式化しています.つまり,鏡像的な他者 i(a) — すなわち,理想自我 : le moi idéal — との同一化による自我 m の形成です(大学の言説の構造における「自我」の学素は,能動者の座に位置する 知 S2 です).

要するに,欲望のグラフの下段は,形而上学的な「自律的な自我」の形成の図式化です.そこにおいては,主体 $ は 不可能の在所へ排斥されており,否定存在論的孔穴は,支配者徴示素 S1 — 自我理想 I(A) — により塞がれ,さらに,事象的な自我 m — 大学の言説の構造における知 S2 — によって覆い隠されています.

一般的に 或る人の「自我」と見なされるのは 事象的な自我 m ですが,それは,徴示的な自我理想 I(A) としての支配者徴示S1 への同一化によって根本的に規定されており,さらに,事象的な理想自我 i(a) との同一化によっても規定されています.さらに,欲望に関しては,一方では,事象的な自我 m は,他の欲望 [ le désir de l'Autre ] — 超自我の「悦せよ!」という命令 — に支配されて,駆り立てられており,他方では,破壊不可能な欲望としての主体 $ は 不可能の在所へ源初排斥されてしまっています.

ここで,我々は,欲望のグラフの上段へ移りましょう.

以前に指摘したとおり,Freud は 無意識的な欲望 を「我々の本有の核」を成すものと規定し,かつ,「破壊不可能」と形容しています.そこから,我々は,この等価性を取り出します:


欲望 º 存在
le désir º l'être

(smartphone 等では,等価性の記号が表示されないようです.「欲望 と 存在 とは 相互に等価である」[ le désir et l'être sont équivalents l'un à l'autre ] と読んでください.)

つまり,無意識的な欲望は,存在 の穴(否定存在論的孔穴)にほかなりません.Freud が「無意識」の名のもとに発見したのは,否定存在論的孔穴そのものです.そして,この等価性「欲望 º 存在」は,精神分析の倫理と否定存在論との繋ぎ目を成します.

超自我が際限なく「悦せよ,もっと悦せよ!」と命令するのは,欲望の本当の満足は決して得られないからです.つかのま,悦が得られたかに思われても,それは,結局は,最終的な 本当の満足ではない,と 遅かれ早かれ判明します.

欲望の穴(否定存在論的孔穴)は決して満たされ得ない,なぜなら,欲望の穴を完全に満たすはずの phallus — le phallus patriarcal[家父長ファロス]Φ — は,書かれないことをやめないものである — つまり,不可能である — からです.それが,Lacan の公式 :「性関係は無い」の言わんとしていることです.

欲望は決して満たされ得ないがゆえに,超自我は「悦せよ!」と命令してやまない.欲望の問い : "Che vuoi ?"[おまえは 何を欲するのか?]は,超自我の命令と表裏一体です.何を以てしても,満足は得られない — では,おまえは,いったい,何を欲するのか?

Cazotte の小説 :『恋する悪魔』と Goethe の悲劇 Faust においては,"Che vuoi ?" の問いに対して,さまざまな偽りの満足 — plus-de-jouir[剰余悦]— が幻想的に提示されて行きます.が,最後に,剰余悦は幻想にすぎなかったことが明かされ,主人公は,悪魔によって死の深淵へ連れ去られようとします.逆に言えば,幻想 ( $a ) は,死の穴としての否定存在論的孔穴を覆い隠す防御として機能しています.一般的に言って,事象的なもの (l'imaginaire) — 幻想も事象的なものです — は,否定存在論的孔穴を覆い隠すものです.

精神分析は,欲望の昇華に到達するために,幻想の彼方 — 事象性の彼方 — へ進んで行かねばなりません.欲望のグラフにおいて,原初排斥された欲望 $ は,幻想の彼方において,まず,学素 ( $ ◊ D ) の座を通ります.

学素 $ ◊ D ) を,Lacan は,本能の学素として提示しています.D は,la demande de l'Autre[他の求め]を表わしています (cf. Écrits, p.823). 1958 年の書 La direction de la cure et les principes de son pouvoir[精神分析治療の指針 と 精神分析治療の可能の原理]に付された脚注においては,こう説明されています :「求め D の切れ目[求め D という切れ目]における主体 $(p.634). さらに,『主体のくつがえし』(Écrits, p.823) では こう述べられています:


実際,神経症者 — ヒステリカ,強迫神経症者,あるいは,より根本的に,恐怖症者 — は,他の欠如 Φ を 他の求め D へ 同一化する者である.
そこから,このことが帰結する:他の求め D は,幻想における客体 a の機能を取る — すなわち,幻想 $ ◊ a ) は,本能 $ ◊ D ) へ還元される.それがゆえに,神経症者においては,さまざまな本能[かかわっている客体 a に応じて命名される諸々の部分本能,たとえば:乳房に対する口の本能 (der orale Trieb), 糞便に対する肛門の本能 (der anale Trieb), まなざしに対する視の本能 (der Schautrieb), 等々]のカタログが作成され得たのだ.

そこにおける「他の欠如 Φ」は,「他 A における phallus Φ の欠如」のことです.この場合,他 A は,徴示素の宝庫の場所としての他 A のことであり,そして,それは 母のことです (cf. Écrits, p.813). 母には,当然ながら,le phallus patriarcal[家父長ファロス]Φ は 欠けています.すなわち,「他の欠如」は 否定存在論的孔穴のことです.

上の一節においては,Lacan は,否定存在論的孔穴が 幻想において 事象的な客体 a の穴(ないし 切れ目)として現れてくることを,念頭においています.

それに対して,求め D の切れ目における主体 $ としての 本能 $ ◊ D ) は,事象的なものの彼方における徴示性の穴にかかわります.

ところで,何を他 A は求めるのか — 部分本能の客体である客体 a の彼方において ? 

A を母と取るなら,他 A が求めているものは,家父長ファロス Φ です.つまり,書かれないことをやめない不可能なファロス Φ です.そのとき,否定存在論的孔穴がそのものとして喚起されてきます.

あるいは,他 A を 父なる神と取るなら,如何 ? 何を神は求めているか ? Jesus は こう答えています : ἔλεον θέλω καὶ οὐ θυσίαν[我れ (YHWH) が欲するのは,慈しみであって,いけにえではない](Mt 09,13). この言葉は,旧約聖書の預言者ホセアの書の一節の引用です :「そも,わたし [ YHWH ] が喜ぶのは,慈しみであって,いけにえではない.して,[イスラエルの民が]神を識ることを,わたしは,焼き尽くしたいけにえよりも好む」(Os 06,06). この「慈しみ」は,要するに,愛のことです.ですから,我々は,ユダヤ教の最も根本的な信仰告白の文言を思い起こします :「聴け,イスラエル!我れらの神 YHWH יְהוָה אֶחָֽדYHWH ehad : 一なる主]である.汝が神 YHWH を 愛せ — 心のすべてを以て,身のすべてを以て,力のすべてを以て」(Dt 06,04-05). つまり,神が わたしに 求めているのは,愛です:神を愛すること と 隣人を愛すること です — しかも,神をも 隣人をも わたし自身として 愛すること.

そのとき,他の求めは,thanatique[死的]なものから agapétique[愛的]なものへ転換されます.

欲望の弁証法の終結において 主体 $ が行き着くところ — そこに位置しているのは,学素 S(Ⱥ) です.それを Lacan は le signifiant du manque dans l'AutreA のなかの欠如の徴示素](Écrits, p.818) と定義しています.「他 A のなかの欠如」は,否定存在論的孔穴のことです.その徴示素とは,穴のエッジのことです (cf. ibid., p.819).                 



欲望の弁証法の終結において 主体 $ が S(Ⱥ) の座に行き着く ということは,しがたって,大学の言説から分析家の言説への構造転換において,主体 $ が 右下の「生産の座」(不可能の座)から 右上の「他者の座」(必然の座)へ現れ出でてくることと同じことです  なぜなら,他者の座は 穴のエッジに対応しているからです.

言い換えると,そのとき,主体 $ は 穴のエッジ S(Ⱥ) に成ります.つまり,主体 $ は,存在 の歴史の源初論的位相における穴としての自身を 回復したことになります.

そして,そこにおいて,愛が,欲望の昇華として,達成されます.それが,欲望の弁証法の終結です.

神は愛である — そのことから振り返って見るなら,欲望の弁証法は,始めから,神の愛の狡知によって導かれていたのだ,と言うことができるでしょう.