2020年1月27日

小笠原 晋也 著:ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての 否定存在論 と そのトポロジー(抜粋:序)


小笠原晋也,Jacques Lacan の墓にて,2017年03月25日(彼の別荘があった Guitrancourt の墓地)



小笠原 晋也 著:ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての 否定存在論 と そのトポロジー(抜粋:序)


序 

Internet で “Heidegger” と “Lacan” の二語をキーワードにして検索すると,すぐに一枚の写真が見つかるだろう.六人が横一列に並び,カメラへ視線を向けて微笑んでいる.


向かって左から : Martin Heidegger ; 共産主義者として迫害され,祖国ギリシャからフランスへ亡命していた哲学者 Kostas Axelos (1924-2010) ; Jacques Lacan ; 初めて Heidegger をフランスに体系的に紹介した哲学者 Jean Beaufret (1907-1982) ; Heidegger 夫人 Elfride (1893-1992) ; Lacan 夫人 Sylvia (1908-1993).

Heidegger は,1955年08月28日,château de Cerisy-la-Salle で,講演
« Was ist das — die Philosophie ? » [ Qu'est-ce que la philosophie ? ][哲学とは 何であるか?]を行った.Heidegger がみづからフランスを訪れたのは,そのときが初めてであった.Lacan は,その会合には参加しなかったが,講演を終えた Heidegger と 妻 Elfride を,Guitrancourt に所有する別荘に招いて,何日間かもてなした.この写真は,その際,別荘の中庭で撮影された一連の写真の一枚である.それらの写真のうち幾枚かは,Lacan の末娘 Judith Miller (1941-2017) により Lacan の没後 10 周年に出版された写真集 Album Jacques Lacan (1991) に収録されているが,あの六人が並んだ写真は,どういうわけか,そこに含まれていない. 

その写真撮影のときから 20 年後,1975年04月08日の講義 (Séminaire XXII, R.S.I.) で,Lacan は,数日前に Heidegger を訪ねてきたことについて語っている:「この復活祭休暇の間に,わたしは,Heidegger にちょっと会ってきた.我々がふたりともこの世からいなくなる前にちょっと挨拶をしてきたというわけだ.わたしは,彼のことが好きだ.彼は,まだとても元気だ」.

その訪問は,Lacan が Heidegger と会った最後の機会だった.その際に Lacan に同行していた Catherine Millot — 彼女は当時,Lacan の公然たる愛人であり,彼は誰はばかることなくどこでも(旅先でも,別荘でも,彼の弟子たちがほとんど皆参加する l’École freudienne de Paris の学会でも)彼女を連れ回っていた — は,彼女の 2016年の著書 La vie avec Lacan[ラカンとともに生きる](pp.87-90) のなかで,興味深い証言を残している.その一節を,若干長いが,Lacan と Heidegger との個人的な関係性を概観するためにも,引用しておこう.

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その後しばらくして,わたしは,ラカンがハィデガーをフライブルクの彼の自宅に訪ねるのに同行した.ハィデガーが脳卒中にみまわれたのを知って,ラカンは,彼自身の表現によると,「ハィデガーが死ぬ前にもう一度会っておきたい」と思ったのだ. 

ラカンは,ハィデガーとは昔から知り合いだった.最初は,1950年代の始めに,ボフレとともに訪問している.ちなみに,ボフレはラカンに分析を受けていた.ラカンは,Logos と題されたハィデガーのテクストをフランス語に翻訳している.その翻訳は,1956年に La Psychanalyse[la Société française de psychanalyse の学会誌]に発表された.1955年,ハィデガーは,スリジ・ラ・サルで行われたある学会に,ボフレとガンディヤク (Maurice de Gandillac) とによって招かれた.その帰途,ハィデガー夫妻は,ギトランクールのラカンの別荘に立ち寄り,数日間滞在した.ラカンは,夫妻のために,その地域を車で案内して回った — いつものように,猛スピードで運転して.ハィデガー夫人が叫び声を上げるのを,彼は無視した. 

我々は,まず飛行機でバーゼルへ行き,かの地のとても美しい美術館を訪れた.次いで,車を借りて,ハィデガー夫妻が我々を待つフライブルクへおもむいた. 

ハィデガー夫妻は,住宅街の比較的新しい家に住んでいた.それは,わたしが哲学者ハィデガーに結びつけていた森の山小屋のイメージには似ても似つかなかった.我々が中に入るや,ハィデガー夫人は,訪問者用のスリッパをはくよう我々に権威的に命令した.わたしは,ジュラ県の出身なので,雪の季節,山岳地方ではそのような室内履きがごく普通に用いられていることを知っていた.北欧諸国では家に入るとき靴を脱ぐことも,わたしは知っていた.しかし,そのときはもう 4 月だった.我々は外界の汚れを持ち込む者と見なされているのだ,とわたしは感じた.フロィトは,無意識にとっては「外」は「異」— すなわち,敵,および,一般的に言って,憎むべきもの — と同義である,と教えている.わたしは,一方では侵入者と見なされた不快感を感ずるとともに,他方では,スリッパと形而上学との思いがけぬコントラストが惹き起こした笑いをこらえていた. 

我々は,応接間に通された.ハィデガーは,長椅子に横たわっていた.ラカンは,ハィデガーのかたわらに座るや,セミネールで展開中のボロメオ結びを用いた最新の理論的前進を伝えようとした.話を図解するために,ラカンは,四つ折りの紙をポケットから取り出し,そこに一連のボロメオ結びを描いて,ハィデガーに見せた.後者は,その間ずっと一言も発さず,目を閉じたままだった.この態度は,関心の欠如の表現なのか,それとも,認知能力が弱っているせいにすべきなのだろうか,とわたしは自問した.あきらめることを知らないラカンは,頑固に説明し続けた.この事態が永遠に続くのかと思われたとき,幸運にも,ハィデガー夫人が現れて,「面会」を終わらせた.「夫を疲れさせないために」あらかじめ定められていた時間が過ぎたのだ.我々は,スリッパをはいた足で出口に向かった.そのまま厄介払いというわけではなく,後ほど近所のレストランで一緒に食事をするよう招かれた. 

スリッパのことがひどくしゃくにさわっていたわたしは,外に出るや,ラカンに質問した:ハィデガー夫人はナチスだったのか,と.「勿論さ」とラカンは答えた.当時は,ハィデガーとナチズムとの関係はさして問題にされていなかった.ファリアス (Victor Farias) の本 [ Heidegger et le nazisme (1987) ] は,まだ出ていなかった. 

食事の間,ハィデガーの口数はもう少し多かったが,会話はほとんどはずまなかった.ラカンは,ドイツ語を読めるものの,話すことはできず,ハィデガー夫妻もフランス語はできなかった.別れ際,ハィデガーは,葉書大の彼の写真をわたしにくれた.その裏面に彼はこう書いた:「フライブルク訪問の記念に,1975年 4 月 2 日」.わたしの名前は書かれなかった.頼まれてもいないのに彼がファンのためにサインすることに,わたしはちょっとびっくりした.しかし,わたしはその写真をうやうやしく取っておいた.わたしの面接室の本棚にその写真を見かけた[精神分析の]患者のひとりは,それはわたしの祖父なのか,と尋ねた.

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以上の Catherine Millot の証言からもうかがえるように,Heidegger の Lacan に対する態度はそっけないものであるのに対して,Lacan の Heidegger に対する「友情」は熱烈である. 

Heidegger にとっては,精神分析は,生物学的な「性本能」を前提するひつとのいかがわしい心理学理論 — しかも,der Jude »Freud«[ユダヤ人『フロィト』](GA 96, p.218) によって作り出されたもの — にすぎなかった.それに対して,Lacan は,精神分析を形而上学にも生物学や心理学や社会学などの経験科学にもよらずに純粋に基礎づける — Lacan の教え全体はそのことに存している — ための本質的な手がかりを,Heidegger の教えのなかに見出していた.であれば,相手に対する熱の入れようが両者の間で大きく異なっているのも,当然である. 

だが,ラカン派精神分析家として,わたしは断言することができる : Heidegger の教師としての最大の功績は Lacan を生んだことである,と.今我々が受け継いでいる Lacan の遺産は Heidegger 無しにはおよそ考えられず,また,Heidegger の教えの成果を最も有意義に活用したのは Lacan である,とわたしは見積もっている. 

しかるに,Lacan が精神分析の基礎づけのための根本的なところを Heidegger から学び取ったという事実は,Lacan の書やセミネールにおける数多くの Heidegger への言及や準拠 — 明示的なものもあれば,暗示的なものもある — にもかかわらず,従来,ほとんど誰にも注目されてこなかった.フランスの哲学者 Alain Badiou (1937- ) は,おそらく,ほぼ唯一の例外であるかもしれない. 

その理由は,ハィデガー研究者とラカン派分析家との相互的な無関心である.前者にとっては,精神分析は自分たちの哲学的関心とは何のかかわりも無い「心理療法」としか思えず,他方,後者にとっては,Lacan のテクスト以上に不可解なジャルゴンに満ちた Heidegger のテクストは,精神分析の臨床とも理論とも無縁の「秘教」にしか見えない. 

特に,Lacan 亡きあとのラカン派の世界的な大黒柱である Jacques-Alain Miller (1944- ) は,彼より十数年から二十年ほど年長である Deleuze, Foucault, Derrida らとは異なり,Heidegger に対する積極的な関心をほとんど持ち合わせていない.カリスマ的な彼のそのような無関心は,そのまま lacanien 全体に共有されてしまう.また,近年出版され始めた Heidegger の「黒ノート」は,「ナチ党員ハィデガー」に対する拒絶反応をますます正当化している. 

かくして,ハィデガー研究者たちとラカン派精神分析家たちとの不幸な断絶状態は,いまだに世界中で続いている. 

Slavoj Žižek (1949- ) と彼の周辺が不十分なハィデガー理解と不十分なラカン理解にもとづいて何か言っているかもしれないが,わたしは Žižek の仕事については真摯な関心を持っていないので,ここでも特に取り上げない. 

わたし自身の場合,Lacan のテクストに初めて出会ったのは,1975年の名古屋大学入学後,教養部時代に所属していた「現代史研究会」においてだった.そのサークルは,かつて名古屋大学助教授だった廣松渉の弟子たちを中心に作られていた.なかには,いわゆるフランス現代思想に積極的に取り組むメンバーもいた.そこで行われていた読書会のひとつで取り上げられた Lacan の La signification du phallus[ファロスの意義]は,その極度の難解さのゆえに,ほとんど外傷的な経験をわたしにもたらした.そのことは,わたしにとって,Lacan の名が「書かれることをやめない」(必然的な)ものとなることを決定した — おそらく,真摯な lacanien となった者たちの多くが,若いころに同様の経験をしたことだろう. 

1986-88年にパリ第八大学精神分析学部に留学し,わたしは,Jacques-Alain Miller に教育分析を受け,彼の講義やセミネールから多くを学んだ.その後も長い間,ラカン読解に関しては彼の解釈に全面的に依拠していた.しかし,時がたつにつれて,それだけでは理解できないこと,説明のつかないことが,わたしのなかで次第に大きくなる疑問符を形成して行った.また,彼による Lacan のセミネールのテクスト編纂に少なからぬ誤りが — しかも,ときとして重大な過誤が — あること(§ 6 においてその若干を紹介する)を部分的にではあれみづから確認し得たことにより,ミレール的なラカン解釈に対する批判の必要性をより強く感ずるようになった. 

他方,Heidegger に関しては,精神科医である叔父がわたしに大学入学祝いとして松尾啓吉訳の『存在と時間』(勁草書房刊)をプレゼントしてくれたのが,Heidegger の著作そのもの — 翻訳書ではあれ — との最初の出会いの機会だった.叔父がそうしてくれたのは,高校時代に或る新書本(荻野恒一著,『現存在分析』,紀伊國屋新書)により「現存在分析」に興味を持ったわたしが当初から精神科医になるために医学部に入ったからだった.当時は「精神病理学を専攻する者は Heidegger を読まねばならない」という「古き良き」伝統が村上仁学派 — わたしの叔父もそこに属していた — のなかには残っていた.勿論,特に哲学の素養も無く,大学で哲学を本格的に学ぶ機会もないわたしには,当時,『存在と時間』は,Lacan の書と同様,まったく歯がたたないしろものだった. 

留学中に Jacques-Alain Miller のもとで Lacan を学ぶうちに,また,おりしも出版された Alain Badiou の L’être et l’événement[存在と成起](1988) を読むうちに,Heidegger ーの「存在」の概念と Lacan の jouissance[悦]の概念との間には密接な関連性があるだろう,ということには思い至ったが,そこから Heidegger と Lacan との関連性全体を見とおすことは,当時は不可能だった. 

そのような行き詰まりの状況において Heidegger ーの Zur Seinsfrage[存在の問いについて](GA 9, p.411) を読んでいたとき,わたしは,彼が Sein[存在]という単語をバツ印で抹消して表記しているのを見て,思わず εὕρηκα ! の歓声を上げた: 


そこでは,Heidegger は,存在を「ひとつの自立的な対象」(ein für sich stehendes Gegenüber) と見なす抜き去りがたい先入観を禁ずるために,その語を抹消するのだ,と説明している.しかし,単にそれだけのことではない(以下,バツ印の代わりに,単純な抹消線を以て,Sein または 存在 と表記する). 

表記において抹消されるしかないこの Sein という語は,「書かれないことをやめない」(qui ne cesse pas de ne pas s’écrire : Lacan による「不可能」の定義)なにものかが成すひとつの欠如を差し標している.それこそが,Heidegger が「思考の本事」(die Sache des Denkens) と呼ぶところのものである. 

Sein という表記を初めて見たとき,わたしは,Lacan は「存在欠如」(manque-à-être) としての「抹消された主体」(le sujet barré) の記号 $ — 彼により「学素」[ mathème ] と呼ばれることになる一連の記号のひとつ — をそこから作ったに違いない,と直観的に確信した. 

直接証拠は何もない.Lacan は,$Sein から作ったとはどこにも述べていない.しかし,Heidegger のテクストは 1955年に発表されており,Lacan が学素 $ を初めて提示したのは 1958年のことである.当時,Lacan は,Heidegger が新たに論文や本を出すたびに,その都度,丹念に目を通していたであろうから,少なくとも時系列的には両者の関連性は十分に可能なはずである. 

Heidegger における 抹消された Sein と Lacan における 抹消された主体 $ は,同じ根本的な欠如を形式化する学素であり,彼らの教え全体の中心を成している,という直観から出発するとき,「否定神学」(la théologie apophatique) に倣う「否定存在論」(l’ontologie apophatique) という名称が,彼らに共通の基礎を成すもの差し徴す語として,おのずと頭に浮かんでくる. 

否定存在論は,Lacan が精神分析の純粋基礎とするために Heidegger から学び取ってきたものである.それは,言うなれば,Lacan が Heidegger の教えから抽出してきたそのエッセンスである. 

ところで,先ほど引用した Catherine Millot の証言のなかでも示唆されているように,今日,Heidegger の名に言及するとき,彼の「反ユダヤ主義」(Antisemitismus) の問題を無視するわけには行かない.特に,Gesamtausgabe[ハィデガー全集]の 94 - 102 巻として 2014年から出版され始めた彼の Schwarze Hefte[黒ノート]のゆえに,「ナチ党員ハィデガー」に対する断罪の声はよりいっそう高まっている. 

しかし,本書の論によって明らかになるであろうように,Lacan が Heidegger から抽出してきたエッセンスとしての否定存在論とそのトポロジーには,Heidegger の「反ユダヤ主義的イデオロギー」は何のかかわりもない. 

ただし,Heidegger のユダヤ教とのかかわりには,何かしら複雑な問題がからんでいることが察せられる.それは,この欠落に端的に現れている:すなわち,存在に関して根源的に問う哲人が,神の「我れ在り」についていっさい論じていない,という欠落 — それに対して,Lacan は,この「我れ在り」に幾度か言及している.

旧約聖書の出エジプト記 3 章 14 節において,神の名をたずねるモーゼに対して,神 YHWH はこう答える: 


この文のヘブライ語の読み方のカタカナ表記は「エイェ・アシェル・エイェ」となるだろう. 

この命題は,伝統的には,七十人訳では ἐγώ εἰμι ὁ ὤν[我れは,存在する者である]と訳され,ラテン語では ego sum qui sum[我れは,存在する者である]と訳されてきた. 

しかし,実は,我々は,それを四とおりに読むことができる — אֲשֶׁר という語の文法的機能の多様性のゆえに.それら四種類の読み方は,英語翻訳において最も簡潔明瞭に表現され得る : 1) I am who am[我れは,存在する者である]; 2) I am who I am[我れは,我れがそれであるところの者である]; 3) I am what I am[我れは,我れがそれであるところのものである]; 4) I am that I am[我れは『我れ在り』である]. 

さらに,セム語族の言語のひとつであるヘブライ語では,動詞は完了または未完了の相 (aspect) を表し,インド・ヨーロッパ語族の言語におけるように時制 (tense) は表さないので,未完了相の動詞 אֶהְיֶה を現在における「存在する」と読むか,未来における「存在するだろう」と読むかのふたつの可能な読み方がある — 特に,ふたつめの אֶהְיֶה に関して.それを将来的な「我れは存在する」と読むなら,その意義は,神の終末論的な自己啓示である.キリスト教的な読み方においては,それは,Jesus Christus のことである. 

ともあれ,YHWH がモーゼに対して発した命題


全体,または אֶהְיֶה[我れ在り]は,このうえなく神聖であるがゆえにみだりに口に出して言ってはならないと伝統的に定められてきたがゆえに,いつのころからかもはや発音することが不可能になってしまった神の名 YHWH の代わりとして用いられる神の名のひとつと見なされている. 

古代ギリシャの前ソクラテス期の哲人たちの言葉に勝るとも劣らず源初的であり,この上なく存在論的であるこの命題について,Heidegger が — 根源的存在論について思考する者が — 生涯,黙したままであったとは! 

しかも,敬虔なカトリック信徒である両親のもとに生まれた Heidegger は,司祭になることを期待されていた.彼は,中等教育を小神学校で受けていたので,中等教育終了前に,聖書は,旧約も新約も,すべて読んでいただろう.当然,出エジプト記のこの非常に有名な一節を,彼が知らなかったり,単純に忘れていたりしたはずはない. 

この事態は,Heidegger における「神の名の閉出」(la forclusion du Nom-de-Dieu) を示唆していないだろうか?そして,彼においては,神の名の閉出こそが,「世界ユダヤ組織」(Weltjudentum) の陰謀の妄想を条件づけていたのではなかろうか?さらに,ユダヤ人に関する Hitler の「最終解決」を彼が容認していたとすれば,その意義は,むしろ,彼自身を含む西洋世界の自己処罰に存しているのではなかろうか?以上のような問いについて,本書においても,若干の考察を試みる. 

いずれにせよ,わたしは,Heidegger の「反ユダヤ主義的イデオロギー」と彼の哲人としての思考との間に強引に「本質的」な関連性を見出し,それによって彼の思考遺産のかけがえのない価値をまで蔑もうとする者たちの意見に賛同するものではない.


小笠原 晋也 著 :『ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての否定存在論とそのトポロジー』は,2020 年 1 月 25 日,青土社 より刊行.

目次:

緒言

§ 1. 否定存在論的トポロジーの導入
§ 2. ハィデガーの思考 と 否定存在論的トポロジー
§ 3. 異状の否定存在論的構造
§ 4. 異状から昇華へ — 精神分析の倫理
§ 5. 女性性について
§ 6. ジャックアラン・ミレールを批判する — 彼のラカン読解とセミネール編纂の誤りについて

2020年1月25日

フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (9)

William Bouguereau (1825-1905), Flagellation de Notre Seigneur Jésus Christ[わたしたちの主 イェス キリスト の 鞭打ち](1880), au Musée des Beaux-Arts de La Rochelle



2019-2020 年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール (24 I 2020)


フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (9)



如何に Freud が ein Kind wird geschlagen[子どもが叩かれる]の幻想を分析しているかを,見て行きましょう.

精神分析治療中の患者 幾人かが,その幻想を,Freud に語ります.それは,非常に漠然とした「誰か不特定な子ども[いずれにせよ,患者自身ではない]が,誰か不特定な者によって,どのようにか不特定なしかたで,叩かれる」という光景から成っています.ただ,それは,悦に満ちており,かつ,羞恥や罪意識を伴います(つまり,かかわっているのは,単純な快ではありません).その幻想が思い出されると,性的興奮が惹起され,オナニー行為が誘発されます.それは,いわゆる masturbation fantasy[オナニーの際,性的興奮を維持し,高めるために思い浮かべられる幻想]として意図的に利用されることもありますが,患者本人の意志に反して,一種の強迫観念として頭に浮かんでくることもあります.

その幻想が始まったのは 患者たちが まだ幼いときで,満 4 - 5 歳のころには それは既に成立していました.「子どもが叩かれる」光景は,幻想としては 悦に満ちていますが,しかし,患者たちにとって,子ども時代,学校でほかの子どもたちが教師から折檻を受ける光景を見ることは,快と不快の入り混じった一種独特の興奮感覚 — まさに「快の彼方」としての「悦」(jouissance) — を惹起し,そこにおいては,不快のゆえの拒絶感が大きな部分を占めていました.そのような光景を耐えがたいものと感ずる患者もいました.

「子どもが叩かれる」の幻想に関する証言を Freud が得たのは,6 人の患者からです.彼れらのうち,2 人が男性,4 人が女性です.年齢は不明ですが,Freud は 原則的に言って 小児を診療することはないので,いずれも成人例(若くても高校生相当の年齢)であると思ってよいでしょう.診断は,強迫神経症が 3 例(日常生活に支障が出るほど非常に重篤な例がひとり,重症度が中等度である例がひとり,強迫神経症の特徴を幾つか呈する程度の例がひとり),明白なヒステリー症例がひとり,診断学的に明確には分類できない(主訴は,「人生において決断することができない」)例がひとりです(もう 1 例に関しては,Freud は言及し忘れているようです).いずれにせよ,臨床的に性倒錯 (Sadomasochismus) と診断されるような例は ありません.また,どの例が男性であり,どの例が女性であるのかは,不明です.

Freud は,とりあえず,女性患者 4 例のみにもとづいて,如何に「叩かれ幻想」が成立したのかについて,分析を進めます.

「子どもが叩かれる」光景は,非常に漠然としていますが,女性例に限ってみると,叩かれる子どもは男の子であることが多い,と わかります.「叩かれる」は,「処罰される」や「屈辱的な経験を強いられる」によって代理されることもあります.また,4 例のうち,2 例は,単純に「子どもが叩かれる」光景を思い浮かべるだけでなく,より芸術的に展開された物語から成る白昼夢を作り上げます.その物語の主人公は,必ず,若い男であり,彼は,彼の父親から,叩かれ,あるいは 処罰され,あるいは 屈辱的なしうちを受けます.そのような白昼夢は,それだけで十分な満足を患者に与えるので,患者は,オナニー行為をしないでおくことが可能になります(単純な「叩かれ幻想」が,オナニー行為を誘発するのに対して).

Freud は,「オィディプス複合は,神経症の本来的な核である」(der Ödipuskomplex ist der eigentliche Kern der Neurose) という原理にもとづいて,患者が 4 - 5 歳のときには既に成立していたであろう「叩かれ幻想」の成立過程を,次のように再構築します:

1) 患者は,既に,オィディプス複合の段階に達していた;そこにおいては,性器体制 (Genitalorganisation) が成立しており,患者は,父に対して,近親相姦的な愛 (inzestuöse Liebe) の関係にあった — 勿論,実際に近親相姦的な性行為をしたわけではなく,近親相姦的な愛の幻想を有していただけである.が,その近親相姦的な愛の幻想には,性器的な悦が伴っていた(Freud は 明確にそうは言っていませんが,我々は そう想定し得ます).

2) そのようなオィディプス複合は,しかし,近親相姦の禁止によって,排斥 (verdrängen) される.そして,排斥によって,患者のリビード発達(性本能の発達)は,性器体制から 肛門の段階へ 退行する.その際,性器体制における近親相姦的な幻想 :「父は わたしを 愛する」(der Vater liebt mich) は,肛門の段階における sadomasochistisch な処罰幻想 :「わたしは 父により 叩かれる」へ変形される.しかし,その幻想は,「父は わたしを 愛する」の erotisch な悦を,引き継ぐ.また,近親相姦の禁止を侵し,それがゆえに処罰されていることにともなう罪意識が,新たに付け加わる.

3)「わたしは 父により 叩かれる」という幻想は,さらに排斥を被って,「誰か不特定の子ども — いずれにせよ,わたし[女の子]ではなく,多分,男の子 — が,誰か不特定の者によって,叩かれる」という幻想へ変形される.が,「わたしは 父により 叩かれる」の幻想に付着した悦と罪意識は,そのまま,「誰か不特定の子どもが 誰か不特定の者によって 叩かれる」の幻想へ 引き継がれる.

以上のような Freud の理論的な構築に対して,我々は,Lacan の「性関係は無い」の公理にもとづいて,こう批判を加えることができます:性関係は無い,つまり,性器体制は不可能である.言い換えれば,Freud がオィディプス複合と名づけたものは,本質的には,去勢複合に存する.そこにおいては,性器的関係が成り立つと想定されていたところに,その代わりに,「性関係は無い」の穴 — つまり,書かれないことをやめない 不可能な phallus の穴,つまり,否定存在論的孔穴 — が,現れ出でてくる.

そのことを示唆するのが,Freud が「陰性治療反応」(die negative therapeutische Reaktion) と呼んだものです.陰性治療反応とは,適切な精神分析的解釈が行われ,前性器的なリビード固着が解消され,性器体制への前進が起こるはずだ と期待されていたのに,それに反して,実際に生ずるのは,前性器的なリビード固着の強化による症状の悪化である,という事態です.前性器的な固着が解消されたときに,患者は,「性関係は無い」の穴に直面させられ,その不安を回避するために,再び前性器的な剰余悦に よりいっそう強く固着しなおしたのだ — 我々は,そう分析することができます.

また,Freud が「精神分析の行き詰まり」の地点に改めて見出した究極的な去勢不安も,精神分析治療の行き着くところが「性関係は無い」の穴であることを,示唆しています.

したがって,我々は,如何にして「わたしは 父により 叩かれる」の幻想が構築されるのかを,オィディプス複合無しに,問わねばならないことになります.鍵は,Freud が das kritische Gewissen[批判的な良心]という語によって ちらりと示唆しているもの — つまり,Ein Kind wird geschlagen の論文 (1919) の翌年,1920 年以降に展開される 第 2 トピックにおいて Über-Ich[超自我]と呼ばれることになるもの — と,その「卑猥にして 容赦なき 形象」(la figure obscène et féroce) が発する命令「悦せよ!」(Jouis !) に求められます.

1 月 31 日の講義においては,欲望のグラフのなかに位置づけられている幻想の学素 ( $a ) にもとづいて,幻想の成立過程を見て行きましょう.


2020年1月23日

小笠原 晋也 著:ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての 否定存在論 と そのトポロジー(抜粋:緒言)

Heidegger は,1955年08月28日,château de Cerisy-la-Salle で,講演 « Was ist das — die Philosophie ? » [ Qu'est-ce que la philosophie ? ][哲学とは 何であるか?]を行った.Heidegger がみづからフランスを訪れたのは,そのときが初めてであった.Lacan は,その会合には参加しなかったが,講演を終えた Heidegger と 妻 Elfride を,Guitrancourt に所有する別荘に招いて,何日間かもてなした.この写真は,その際,別荘の中庭で撮影された一連の写真の一枚である.向かって左から : Martin Heidegger ; 共産主義者として迫害され,祖国ギリシャからフランスへ亡命していた哲学者 Kostas Axelos (1924-2010) ; Jacques Lacan ; 初めて Heidegger をフランスに体系的に紹介した哲学者 Jean Beaufret (1907-1982) ; Heidegger 夫人 Elfride (1893-1992) ; Lacan 夫人 Sylvia (1908-1993).


小笠原 晋也 著:ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての 否定存在論 と そのトポロジー(抜粋:緒言)


緒言 

ラカン派精神分析家として,わたしは,『ハィデガーとラカン』と題した本書において,精神分析の純粋基礎としての否定存在論とその topologie とについて論ずる.そして,否定存在論にもとづいて,わたしは,精神分析をこう規定する:精神分析は,存在の真理の実践的な現象学である. 

今しがた用いたふたつの表現 —「精神分析の純粋基礎」と「否定存在論」— について,予備的に説明しておきたい.

まず,「精神分析の純粋基礎」について.Jacques Lacan (1901-1981) は,精神分析を「純粋」に — すなわち,生物学,医学,心理学,社会学などの経験科学によらずに,しかしてまた,形而上学にもよらずに — 基礎づけるために,30 歳代なかばから 80 歳で死去するときまで数十年にわたり努力し続けた(Kant の『純粋理性批判』におけるように,通常,「純粋な」は「非経験論的な,経験論的なものに先立つ」であるが,わたしはそこに「非形而上学的な」をも付加する).Lacan が歩んだ道のりは,まことに,前人未踏の道のりであった. 

彼が目指したのは精神分析の純粋な — 非経験論的であるのみならず,非形而上学的な — 基礎づけであることを,我々は,次のように時系列をさかのぼって振り返ってみることによって,確認し得る. 

第一に,1978 年 : 1969-1970 年の Séminaire XVII 以来,Panthéon 前の Sorbonne の大講堂で行われてきた Lacan の Séminaire の最後のものを 1978-1979 年の La topologie et le temps とするなら,最後からふたつめの Séminaire XXV Le moment de conclure の 1978 年 4 月 11 日の講義において,Lacan はこう言っている:「性関係は在らず — それが,精神分析の基礎 である」. 

そこに,我々は,彼の教えの最後の言葉ではないにしても,ひとつの最終的な結論を聴くことができる. 

この「性関係は在らず」(il n’y a pas de rapport sexuel) という Lacan の有名な命題が何を言わんとしているのかを予備的に説明しておくなら,それは,性器体制 (Genitalorganisation) — Freud がアリストテレス的な目的論の先入観のもとに想定したリビード発達の最終的な成熟段階 — は実際には不可能である,ということである.なぜなら,性器体制の可能性の条件である〈性関係を可能にするかもしれない〉ファロス (φαλλός, phallus) は,実際には不可能であるから(より詳しい説明は § 3.4.3.4「性関係は無い」を参照).また,不可能なファロスの欠如の穴は,後ほど言及する「否定存在論的孔穴」と同じものである. 

第二に,1964 年 : Séminaire XXV の14年前,1964 年 1 月 15 日,彼は,その後 6 年間使用することになる l’École normale supérieure の la salle Dussane で記念碑的な Séminaire XI『精神分析の四つの基礎概念』を始めるにあたり,単刀直入にこう宣言している:「わたしは,精神分析の基礎 について語る」. 

最後に,1953 年 : Lacan が我々に遺した Séminaire の最初のもの —『精神分析のテクニックに関するフロィトの書』と題された Séminaire I — の開始の約二ヶ月前,1953 年 9 月 26 日にローマで為された — これもやはり記念碑的な — 講演『精神分析におけることばと言語の機能と場』(通称「ローマ講演」)において,Lacan は,精神分析の心理学化や生物学化に甘んずる精神分析家たちを批判しつつ,こう述べている(強調は引用者による): 

精神分析は,現代において主体は如何に在るべきかの指針を示すために,ひとつの役割を果たしてきた.しかし,精神分析は,その役割を,科学においてそれを解明する動きのなかにそれを位置づけることなしに,担い続けることはできないだろう.つまり,[精神分析の]基礎づけ が問題となる — 我々の学が科学のなかで占め得る座を確かなものにするはずである 基礎づけ の問題.それは,形式化の問題であるが,まことには,まったくうまく行っていない (Écrits, p.284) ;  

精神分析は,その弁証法的構造にそぐわない理論化という誤った道へ入り込むことによって,より高度な水準のものになることができないできた.精神分析がその理論とテクニックを科学的に 基礎づけ 得るとするなら,それは,精神分析の経験の本質的な諸次元 — シンボルに関する歴史的な理論とともに,間主体的なロジック,および,主体の時間性 — を等合的に形式化することによってでしかないだろう.精神分析の基礎 としての ことばと言語へ 精神分析の経験を連れ戻すことは,精神分析のテクニックにもかかわることである (ibid., p.289). 

以上のように,1950 年代と 60 年代と 70 年代の Lacan からの引用を三つ見るだけでも,察せられるだろう:精神分析の純粋な基礎づけこそが,Lacan の教えの最も中心的なテーマを成すものである. 

実際,1953 年のローマ講演から上に引用した箇所において,既に,我々は,その後の彼の教えの展開の要点を見て取ることができる:すなわち,精神分析は, 

1) 科学との関係において(および,付言するなら,資本主義との関係において); 

2) その経験論的な次元の純粋な(非形而上学的かつ非経験論的な)形式化 — Lacan が「形式化」と言うとき,それは,形式論理学(別名,記号論理学:意味論的逆説を避けるために記号で表記され,形式化された論理学)においてかかわる形式化のことである — において; 

3) その「間主体的」な弁証法 — それは,主体の分裂の構造と,弁証法的過程の終結における主体の裂け目の現出とを包含する — において; 

4) そして,Heidegger の思考への準拠において, 

基礎づけられねばならない. 

第四の点に関して注を付しておくなら,引用箇所には Heidegger の名は見出されないものの,ローマ講演のなかでも,それ以前の書においても,Lacan は彼の名を幾度か明示的に挙げており,かつ,先ほど引用した Écrits, p.289 の「主体の時間性」(la temporalité du sujet) という表現に,Heidegger の『存在と時間』におけるキーワードのひとつ Zeitlichkeit[時間性]を我々は読み取ることができる. 

ところで,なぜ Lacan は精神分析を純粋に基礎づける必要があると考えたのか?それは,さもなくば精神分析はその本来性と可能性とを失ってしまうからである. 

実際,1981 年 9 月 9 日の Lacan の死去から数十年を経た今,精神分析の実践の盛衰の如何を見れば,それは明らかである.精神分析の純粋基礎づけの必要性に無自覚な分析家たち — 要するに,非ラカン派 — が主流であり続けてきた英語圏の国々,および,精神分析をもっぱら英語圏から輸入してきた国々(日本を含む)においては,精神医学的治療の手段がもっぱら薬物療法となった今,精神分析はほとんどかえりみられることはなくなり(日本では,精神分析が臨床的にかすかな広がりを見ることさえついぞ無いままに),若い世代に精神分析家になるために教育分析を受ける者はほとんど無く,生き残りの平均年齢がどんどん高齢化するなかで,精神分析家は,否みようもなく「絶滅危惧種」と見なされるに至っている.それに対して,精神分析家の大多数がラカン派である国々 — フランスおよびスペイン語圏 — では,若い世代が次々に育っており,精神分析の臨床はますます盛んである. 

精神分析がいかなるものであるかがほとんど知られていない日本社会では,精神分析はしばしば精神鑑定や心理テストと混同される.「あなたの心理や人格はこれこれしかじかである」と「客観的」に判定し,評価することが精神分析の目的だ,と勘違いしている人々は少なくない.しかし,精神分析はそのようなことに存するのではない. 

また,精神分析は,単なる理論ではない.精神分析は,ひとつの実践である.Freud や Lacan の著作のなかから彼らの概念や用語が心理学や社会学などの研究者によってときおり恣意的に引用されればそれで十分だと見なすことは,まったくできない.教育分析による新たな精神分析家の養成によって精神分析の臨床が次世代へ受け継がれて行くのでなければならない. 

精神分析は,純粋基礎づけを欠くとき,形而上学的先入観に捕らわれ,かつ,生物学化,心理学化,社会学化によって変質し,Freud が「無意識」として発見したものの本来的な意義は見失われてしまい,精神分析の可能性は閉ざされてしまう.それによって,精神分析の実践は臨床的な有効性を失い,精神分析の経験をとおして新たな精神分析家が生まれることもなくなってしまう.かくして,精神分析は生命を失い,Freud や Lacan のテクストが,砂に埋もれたヒェログリフの石板のように,誰にも解読されることもなく,書庫のかたすみに眠り続けるだけとなる. 

人間存在の真理の実践的な現象学としての精神分析の可能性 — とりわけ,精神分析が有するニヒリズム超克の可能性 — が日本社会においてこのまま失われていってしまうことを,勿論,わたしは欲しない.Lacan が「精神分析家の欲望」と呼んだものが,日本においても,フランスと同様に,根づくことを,わたしは欲している.そして,それが,ある種の社会的,政治的な効果を生むようになることを,わたしは望んでいる. 

Lacan とは何者なのか?多くの人々がその問いを発してきた.答えは,今や明瞭である : Lacan は,精神分析を基礎づけた者である. 

ただ,この命題をフランス語で « Lacan est celui qui a fondé la psychanalyse » と言うと,« c’est Freud qui est le fondateur de la psychanalyse » と言い返されるはずである.「基礎づける」に相当する動詞 fonder にもとづく「... する者」を表す名詞は fondateur であるが,フランス語ではそれは「創始者,創設者」である.精神分析の創始者 (le fondateur de la psychanalyse) は,Freud にほかならない.したがって,フランス語ではこう言うことになる : « Lacan est le refondateur de la psychanalyse »[Lacanは,精神分析を基礎づけなおした者である]. 

Freud は,無意識を発見し,精神分析を創始した.彼独自のしかたで,患者の語りに耳を傾け,症状が何を言わんとしているのかを聴き取り,解釈によって治療した.さらに,彼独自の用語や概念を以て,精神分析理論を構築した.しかし,Freud は,精神分析の純粋な基礎づけの必要性には思い至らなかった.彼は,生物学,医学,アリストテレス倫理学などのもろもろの先入観から自由ではなく,無意識と精神分析とその臨床において起きることがらとについて思考する際にも,それらを当然の前提と見なしていた. 

Lacan 以前,精神分析は,そのような先入観に条件づけられた枠組みのなかに閉じ込められたままであった.そのことは,第二次世界大戦後に英語圏,特にアメリカで,ヨーロッパから亡命してきた多数のユダヤ人精神分析家たちによって精神分析の臨床が一般社会に広められたとき,精神分析の理論と実践とを偏向させる — すなわち,無意識の発見の本来的な意義を覆い隠してしまうような方向へ向かわせる — ことになった. 

戦後,物質的な繁栄を謳歌する American way of life のもとで,無意識の意義も,死の本能の無気味さも見失われ,精神分析における治療目標は「社会適応」に存する,と見なされるに至った.そして,アメリカの精神科医にとって,精神分析家という資格を取得することは,アカデミズムのなかで出世し得るための条件のひとつにすぎなくなった.そのような事態が行きついた先は,先ほど見たとおりである. 

1950 年代,そのような精神分析の変質を手厳しく批判し,精神分析にその本来性と可能性とを取り戻させるために,精神分析を純粋に基礎づけ直す企てに取り組み始めた精神分析家,それが,Lacan である. 

精神分析の本質にかかわるそのような Lacan の根本的な意図を把握し得ないままに,経験論的な観点から,あるいは,哲学,社会学,文学等の領域の研究のために「応用」する目的で,Lacan を読もうとしても,彼独特の晦渋な,あるいは衒学的な語り口と,哲学や文学から数学に至るまでの雑多な分野への一貫性の無い — 外見上 — 準拠や言及が,目につく(むしろ,鼻につく)だけであろう.従来,Lacan に関する入門書や解説書の類や,Lacan を批判する文章を書いてきた者たちは,そのようなレベルにとどまっている(世界中で). 

本書によって,日本人読者たちも,やっと,Lacan の教えの根本的な意義を垣間見ることができるだろう — わたしは,そう願っている. 

次に,「否定存在論」について.この「否定存在論」(l’ontologie apophatique) という名称を考案したのはわたしであるが,否定存在論そのものは,Heidegger の思考から Lacan が抽出してきたものである — 精神分析を「純粋に」(非経験論的のみならず,非形而上学的に)基礎づけるために. 

その限りにおいて,Lacan は非常に多くを Heidegger に負っている.そのことは,従来,ほとんど看過されてきた(Heidegger が「反ユダヤ主義的なナチ党員」であったことも,確実に,その理由のひとつである).わたしは,本書において,Heidegger を「形而上学の批判とニヒリズムの超克を目ざした否定存在論の哲人」として再評価する.実際,今,Heidegger を肯定的に評価するとすれば,彼のその側面に注目するしかないだろう.そして,Lacan が Heidegger に準拠することを躊躇しなかったのも,その限りにおいてのみであったはずである. 

「否定存在論」という名称は,Heidegger が形而上学的な意味における「存在」(Sein) という語をバツ印で抹消していることに由来する: 


我々としては,バツ印を用いるのではなく,技術的により簡便に,単に線を引いて抹消することにする : Sein, 存在. 

後ほども言及するように,このバツ印で抹消された Sein をもとにして,Lacan は,「抹消された主体」の学素 $ を考案したのだろう,と推測される.また,Lacan が「存在欠如」(le manque-à-être) と名づけたのも,この 存在 のことである. 

Heidegger が形而上学的な意味における「存在」を抹消するのは,『存在と時間』の始めにスローガンとして掲げられているように,「存在論の伝統の破壊」のためであり,そして,それによって,形而上学の行き詰まりとしてのニヒリズムを超克するためである. 

形而上学的な「存在」の抹消は,形而上学の歴史において Platon の「イデア」とその後継概念によって閉塞されてきた穴を,開放する — つまり,その穴は,Platon における形而上学の源初に先立つ「もうひとつのほかの源初」(der andere Anfang) である.その穴は,人間が言語に住まう存在である限りにおいて人間存在の根底に口を開いた穴である.その最も源初的な穴を,Heidegger は,ときおり « Ab-grund »[根本的な深淵]と呼ぶことがあり,また,Lacan は,その穴に関して,「中心的な穴」ないし「根本的な穴」という表現を用いることがある.わたしは,その穴に,「存在 の穴」(le trou de l’être) ないし「否定存在論的孔穴」(le trou apophatico-ontologique) という名称を与える. 

Freud について,彼は「無意識を発見した」と言われるが,それは,Freud は彼なりに否定存在論的孔穴を「発見」した,ということである.精神分析においては,「無意識」を認識論的ないし心理学的なものと見なしてはならない.「無意識」は,否定存在論的孔穴へ還元される.精神分析の純粋基礎としての否定存在論は,存在 の穴 の topologie として展開される. 

Heidegger と Lacan は,ともに,20 世紀の最も偉大な哲人のなかに数え入れられると同時に,最も難解な著者としても知られている.しかし,否定存在論の観点から彼らを改めて読むとき,彼らの思考の基礎を成しているものは,きわめて単純に,ひとつの穴 — 否定存在論的孔穴 — であることが見えてくる.彼らの思考は,存在 の穴のエッジを止むことなく歩み,その穴の周りを回り続けている — 存在 について問うために. 

彼らの思考は,次の三つの問いをめぐって展開されている,と言うことができるだろう:存在の歴史において,否定存在論的孔穴は,いかに閉塞され,あるいは隠蔽されてきたか?だが,今や,いかにそのようなごまかしは不可能となってきているか?では,そのとき,我々はいかに生きることができるか?さらに,Lacan と ラカン派精神分析家にとっては,第四の問い — 実践的な問い — が措定される:そのような現代の状況において,「精神分析家である」とはいかなることであり得,精神分析家は精神分析をいかなるものとして実践し得るか? 

それらの問いを,我々も,本書において問うて行くことになる. 

ところで,周知のように,Heidegger は,『存在と時間』において,「存在論は,現象学としてのみ可能である」と公式化している.そこにおいて,彼は,現象学をこう定義している : ἀποφαίνεσθαι τὰ φαινόμενα, すなわち,「自身を示現する (sich zeigen) ものを,それがみずから自身を示現するがままに,それ自身の方から見させること」(GA 2, p.46) — しかも,言語の構造 (ἀπόφανσις) において. 

そこにおいて Heidegger は「存在論」としか言っていないが,その「存在論」は,当然ながら,形而上学的な存在論ではなく,否定存在論のことである.そして,「存在論は現象学である」ということは,否定存在論は,単純に静的な 存在 の穴の topologie であるのではなく,しかして,存在 の穴の「現象学」である,ということである.つまり,日常態においては閉塞と隠蔽によって秘匿されていた 存在 の穴は,ひとつの弁証法的過程を経て,その終結において,非秘匿性へと現れ出でてくる. 

その現出は,ἀποκάλυψις (apokalypsis) と呼ばれるにふさわしい — その語は,新約聖書を締めくくる書の表題のなかでは「黙示」と訳されているが,その原義においては,「秘匿されていたものが非秘匿性へ現れ出でてくる」ことである.そして,存在 の穴の現出が「黙示録的」(apocalyptique) であるなら,否定存在論的な現象学は「終末論的」(eschatologique) な現象学である — Hegel の形而上学的な現象学が「目的論的」(téléologique) であるのに対して. 

存在 の穴の終末論的な現象学は,このことを包含している:すなわち,Freud が無意識を「発見」したのではない — 地中深くに埋もれていた遺跡を考古学者が自発的な努力によって発掘する場合のように.そうではなく,存在 の穴の方が,我々に対して,自身を示現してくるのである. 

我々としては,秘匿性 (Verborgenheit) から非秘匿性 (Unverborgenheit) へ自身を示現してくる 存在 の穴を前にして,いかなる抵抗も無しに,つまり,それを閉塞したり隠蔽しようとしたりせずに,それが現れ出でてくるがままに,その自己示現に我々自身をゆだねればよい.そのとき,その現象学的過程の終結ないし終末において,Heidegger が「自有」(Ereignis) と名づけた事態が成起するだろう. 

ところが,実際にはなかなかそうは行かない.なぜなら,存在 の穴の現出は,我々を非常に不安にさせるから.というのも,存在 の穴は,無の穴,ないし,死の穴として,我々に現れてくるからである.精神分析の臨床においてかかわる不安は,否定存在論的孔穴の開口を前にしての死と無の不安にほかならない. 

その耐え難い不安に対する防御のために,穴は,まずたいがい,閉塞され,隠蔽される.精神分析が臨床的に扱う病理は,そのような閉塞と隠蔽に存する.たとえば,存在 の穴をイデア的なものによって閉塞してきた形而上学も,そのような防御の一形態である — その防御は,Socrates 以来,約 2,500 年間にわたって持続してきているが,実は,既に 19 世紀に,その無効性はニヒリズムという形のもとに露呈している.また,Freud が考案した精神分析理論のなかにも,我々は,いかに Freud が否定存在論的孔穴の開口に対して反応したのか,を読み取ることができる.Freud は,現出してくる 存在 の穴に可能な限りで応じたが,かといって,彼の「オィディプス複合」の概念が示しているように,彼は形而上学的な閉塞からまったく自由であったわけではない. 

ともあれ,精神分析の経験は,不安に耐えながら,否定存在論的孔穴の閉塞と隠蔽の構造(Heidegger が「頽落」(Verfallen) と呼び,Lacan が「異状」(aliénation) と呼ぶ日常態の構造)を解体してゆく作業に存する — それによって,自身を示現してくる 存在 の穴が,みずから自身を示現するがままに,それ自身の方から現れ出でてくることができるように.その過程の終結は,Heidegger が「自有」と呼んだものの成起に存し,そして,精神分析においては「昇華」と呼ばれてきたものの成立に存する.そのような精神分析を,わたしは,次のように規定する:精神分析は,存在の真理の実践的な現象学である. 

以上のことがらに関してより詳細に論ずるために,本書においては,序に続いて,第 1 章において,否定存在論的トポロジーを,Lacan が用いた cross-cap, Venn 図,および ボロメオ結びの topologie に準拠しつつ,導入する.次いで,第 2 章において,Heidegger の思考を否定存在論の観点から読解することを試みる.また,Heidegger の「反ユダヤ主義」に関しても,精神分析的な観点から考察する.第 3 章においては,Lacan が「異状」(aliénation) と呼ぶ構造を詳細に論ずる — その構造は,我々の日常態の構造であるので.第 4 章においては,異状から昇華への過程と,精神分析の終結について論ずる.さらに,第 5 章においては,従来から非常に注目を集めながらも,難解さのヴェールに包まれてきた Lacan の「女性論」を解説し,また,第 6 章は,Jacques-Alain Miller のラカン読解とセミネール編纂の誤りを批判する. 

周知のように,J.-A. Miller は,Lacan 没後のラカン派のリーダーとして活躍し,彼が提示する「ラカンの教え」は世界中でスタンダードなラカン理解として受け入れられてきた.しかし,否定存在論的な観点から改めて検討するなら,彼のラカン読解の過ちに我々は気づかざるを得ない.また,従来から指摘されているように,彼による Lacan の Séminaire の編纂も多くの問題点をはらんでいる.ラカン派精神分析の将来的な発展のために,J.-A. Miller の過誤を批判しておくことは必要不可欠である,とわたしは考える.

小笠原 晋也 著 :『ハイデガーとラカン — 精神分析の純粋基礎としての否定存在論とそのトポロジー』は,2020 年 1 月 25 日,青土社 より刊行.

目次:

緒言

§ 1. 否定存在論的トポロジーの導入
§ 2. ハィデガーの思考 と 否定存在論的トポロジー
§ 3. 異状の否定存在論的構造
§ 4. 異状から昇華へ — 精神分析の倫理
§ 5. 女性性について
§ 6. ジャックアラン・ミレールを批判する — 彼のラカン読解とセミネール編纂の誤りについて

2020年1月20日

「目的論的」(téléologique) と「終末論的」(eschatologique) — ラカン的な精神分析の倫理は終末論的である

Man Ray (1890-1976), Portrait imaginaire de D.A.F. de Sade (1938), au Menil Collection, Houston


「目的論的」(téléologique) と「終末論的」(eschatologique) — ラカン的な精神分析の倫理は終末論的である


小笠原晋也

2019-2020 年度 の 東京ラカン塾 精神分析セミネール :「フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方」(Le retour à Freud et l'au-delà d'Œdipe) の 2020 年 1 月 10 日 と 17 日 の 講義において論じた「目的論的」(téléologique) と「終末論的」(eschatologique) との対置について,要旨を述べておきます.

Michelangelo Buonarroti (1475-1564), il Giudizio universale (1535-1541), nella Cappella Sistina


広い意味における終末論 — 世界の終わりに関する想像 — は,確かに,さまざまな宗教において語られています.しかし,本当の意味における「終末」— そのとき,存在事象そのもの全体は もはや存在しなくなります — は,源初における「無からの創造」(creatio ex nihilo) との相関においてのみ問われ得ます.したがって,本当の意味における終末論を論ずることができるのは,天地の創造主である唯一の神を信ずるユダヤ教とキリスト教とイスラム教だけです.

ほかの諸宗教(仏教を含む)においては,「無からの創造」を考えることはありません.仏教好きが好んで論ずる「無」は,「無からの創造」がそこから発するところの否定存在論的孔穴そのものではなく,而して,否定存在論的孔穴の「形而上学的」な閉塞の一様態にすぎません.勿論,仏教は,元来,西洋的な形而上学の伝統に属しているわけではありません.しかし,Platon が ἰδέα を措定したのと同様に,仏教は「不生不滅」や「常住不変」を措定し,それによって否定存在論的孔穴を閉塞しています(つまり,「無」や「不生不滅」や「常住不変」は,仏教の S1 です).そして,そのことにおいて,仏教は形而上学と同等です.仏教に「西洋的な行き詰まり」の超克の可能性を見たがる者は,そのことに気づいていませんし,多分,いくら説明されても,気づこうとはしないでしょう.

さて,キリスト教の終末論においては,我々は,世界の終わりにおいて成起するだろう Jesus Christ の παρουσία[再臨],最後の審判,死から永遠の命への復活,神の国の到来 — 要するに,人間すべての救済の究極的な完成  を 待ち望みます.

とはいえ,今,我々が「目的論」(téléologie) との対置において「終末論」(eschatologie) について問うとき,かかわっているのは,勿論,ひとつの宗教的な想像としての「終末論」ではありません. 

我々が「終末論」に注目するのは,1945 年以降の Heidegger の「黒ノート」のなかで die Eschatologie des Seyns存在 の終末論]または die Eschatologie des Seyns[存在の終末論]という表現が多用されているからです.

ただ,Seyn[抹消された存在]という表記が「黒ノート」のなかでは多用されているのに,Heidegger の生前に公表されたテクストのうちで それが見出されるのは,Zur Seinsfrage (1955) だけであるのと同様に,生前既発表のテクストのなかで「存在の終末論」(die Eschatologie des Seins) という表現が見出されるのは,初版が 1950 年に公刊された論文集 Holzwege[木こり道]に収録されている Der Spruch des Anaximander[アナクシマンドロスのことば](1946) の 以下の一節だけです (GA 5, p.327) :


Anaximandros[⽣年 紀元前 610 年ころ,没年 紀元前 546 年ころ]のことばを規定する古代は,⻄洋の初期の早い時代に属している.しかし,[もし仮に以下のようであれば]どうだろうか — もし初期のものが後期のものすべてを追い越しており,さらには,最初期のものが最後期のものを,なおさら,かつ,及びもつかぬほどはるかに,追い越しているなら?もし仮にそうであるなら,[存在の]運命 [ das Geschick ] の初期の「あるとき」は,今まで覆い隠されてきた〈存在の〉運命 [ das Geschick des Seins ] の 極限 [ die Letze ] (ἔσχατον) のときに — 離分 [ der Abschied ] のときに —「あるとき」として到来するだろう.存在事象の存在は,存在の運命 [ das Geschick des Seins ] の極限へ⾃⾝を集結 [ versammeln ] する (λέγεσθαι, λόγος). 従来,存在の本質であったものは,なおも覆い隠されている〈存在の〉真理のなかへ⼊滅 [ untergehen ] する.存在の歴史 [ die Geschichte des Seins ] は,この離分へ⾃⾝を集結する.従来,存在の本質であったものの極限 (ἔσχατον) の集結 (λόγος) としての〈この離分への〉集結 — それは,存在の終末論 [ die Eschatologie des Seins ] である.存在そのものが,[存在 へと]定められた存在 [ das geschickliche Sein ] として,そのものにおいて,終末論的 である.
しかしながら,「存在の終末論」という名における「終末論」という語を,我々は,哲学や神学におけるひとつの学問分野の名称とは理解しない.存在の終末論 を,我々は,そこにおいて [ Hegel の ]『精神の現象学』を存在の歴史の観点から思考すべきところの相応の意味において,思考する.『精神の現象学』そのものが,存在の終末論 におけるひとつの局⾯を成している — 無条件的な〈意志への〉意志の絶対的な主体性としての存在が,従来,形⽽上学によって刻印されてきた〈存在の〉本質の極限へ,⾃⾝を集結する限りにおいて.
我々は,存在の終末論 にもとづいて思考するなら,いつの⽇か,初期の「あるとき」にかかわるものを,到来する「あるとき」のもののなかに期待せねばならず,また,今⽇,そのことにもとづいて「あるとき」を考察することを学ばねばならない.

以上の一節は,Heidegger の言う「存在の歴史」(die Geschichte des Seins) 
— その過程は 終末論的な「自有」(Ereignis) へ至るよう 差し向け[schicken, destiner : フランス語においても「運命」は「差し向ける」(destiner) と語源的に関連する destin です]られているので,Heidegger は,die Geschichte des Seins を das Geschick des Seins[存在の運命]と言い換えてもいます  を,否定存在論的トポロジーにもとづいて,次のように三つの位相から成る弁証法的過程として捉えるよう,我々を促しています:

0) 源初論的位相 [ la phase archéologique ] : そこにおいては,存在 の穴(否定存在論的孔穴:抹消された主体 $ の穴)は口を開いていた;


1) 形而上学的位相 [ la phase métaphysique ] : 主体 $ の穴を,学素 S1(le signifiant maître : 支配者徴示素)によって形式化される 一連の形而上学的形象(その最初のものは,Platon の ἰδέα)が 塞ぎ,穴としての主体 $ そのものは,支配者徴示素 S1 の背後(解脱実存的な在所 : la localité ex-sistente) へ隠されてしまう(Urverdrängung : 源初排斥); ただし,穴のエッジのところに増殖する客体 a が,隠された主体 $ を代理する痕跡となる(以上によって,異状 [ aliénation ] の構造としての 大学の言説の構造が成立する);


2) 終末論的位相 [ la phase eschatologique ] : Platon (428/427 BCE - 348/347 BCE) において始まった形而上学の歴史は,Heidegger によれば,Nietzsche (1844-1900) において満了 (Vollendung) を迎える(Foucault に準拠するなら,我々は,形而上学的位相の終了を 古典主義時代 [ l'âge classique ] の終了 — すなわち フランス革命 — と重ね合わせることもできるでしょう); 形而上学の歴史における一連の S1 の最後のものである Nietzsche の「力への意志」[ Wille zur Macht ] は,常に より大きな(より多くの)力 [ Mehr-Macht ] を際限無く欲し続けねばならないことにおいて,S1 による否定存在論的孔穴(主体 $ の穴)の閉塞は 結局は 不可能であることを さらけ出してしまい,そして,そのことによって,S1 が閉塞してきた $ の穴 そのものも 形而上学の歴史において初めて あらわとなってくる.それに対して,口を開いてくる穴を 何とかして 再び塞ぎ,あるいは 隠そうとする抵抗が 激化して行く.そのような状況を,我々は,今,生きている.しかし,最終的には,否定存在論的孔穴は,大学の言説から分析家の言説への構造転換において,主体 $ の穴として現出するよう,運命づけられている.それが「存在 の運命」(das Geschick des Seins) である.


存在 の歴史が 以上のような弁証法的過程であることを踏まえるなら,上に引用した一節において Heidegger が何を言おうとしているのかが見えてきます : 存在 の歴史において,源初論的位相において口を開いていた否定存在論的孔穴は,形而上学的位相において S1 により閉塞されてきたが,今や(19 世紀以降),終末論的位相において,S1 の穴塞ぎ効果は無効となり(科学の言説と資本主義の言説の優位のもとで),穴は再び口を開いてくる.ただし,我々は,源初論的位相を 歴史のなかに それとして見出すことはできず(Heidegger は,源初論的孔穴を Vorsokratiker[ソクラテス以前の哲人たち]のテクスト断片のなかに見出す努力をしたが,結局,確実な成果には至り得なかった),而して,終末論的位相から遡って,源初論的位相を,形而上学的位相と終末論的位相との可能性の条件として,再構成することしかできません.

Lacan は「精神分析の倫理は 終末論的である」と明示的に公式化してはいません.が,1959-1960年の Séminaire VII において 精神分析の倫理を論ずるときに,彼は,まず,形而上学的な目的論の最も基本的な一例である Aristoteles の『ニコマコス倫理学』を持ち出してきます — 勿論,精神分析の倫理をアリストテレス的(形而上学的)なものとするためではなく,逆に,非アリストテレス的(非形而上学的)なものにするために:

そも,あの有名な「最少緊張」— 快は 緊張を最少にすることに存する と Freud は述べている — は,Aristoteles の倫理 以外の何であろうか ? (...) ともあれ,わたしは,Aristoteles の「ニコマコス倫理学」と「エウデモス倫理学」に言及するにとどめておいた — 精神分析の倫理 — その道を切り開くために,わたしは まる一年間をかけた[1959-1960年の Séminaire VII『精神分析の倫理』のこと]— を アリストテレス倫理学とは厳密に異なるものとするために (Télévision, in : Autres écrits, pp.523-524).

Aristoteles が「ニコマコス倫理学」において論じているのは,おおむね,次のようなことです:人間が ζῷον λόγον ἔχον[理性を有する動物]である限りにおいて — Aristoteles が人間をそう定義しているのは「政治学」においてですが,そのことは「ニコマコス倫理学」においても 当然 前提されています —,人間の為すことは すべて「善」(ἀγαθόν) を 目ざしている(善が その「目的」[ τέλος ] である). そして,人間が あるひとつの目的を達成するのは,さらに より上位の目的を達成するためであれば,最も上位の究極的な目的 — それそのもののゆえに我々が欲するところの目的 (τι τέλος ὃ δι’ αὑτὸ βουλόμεθα) である「最高善」(τἀγαθὸν τὸ ἄριστον) — が措定される.それは「幸福」(εὐδαιμονία) である.そして,完璧な幸福 (ἡ τελεία εὐδαιμονία) は「観想的活動」(ἡ ἐνέργεια ἡ θεωρητική) すなわち「知性の活動」(ἡ τοῦ νοῦ  ἐνέργεια) に存する — なぜなら,知性 (νοῦς) は「神的なもの」(θεῖον) であり,「知的な生」(ὁ κατὰ τὸν νοῦν βίος) は「神的」(θεῖος) であるから.

以上から,アリストテレス倫理学は,人間の生の究極的な目的 (τέλος) を「イデア的なもの」としている,と言うことができます(Platon の言う ἰδέα は Aristoteles の語彙に属してはいませんが).「アリストテレス倫理学は『目的論的』(téléologique) である」とは,そのことです.



現代において,形而上学的-目的論的な 倫理は,否定存在論的孔穴を再び確実に閉塞するために,穴塞ぎとしての S1 を強化しようとします.その動向は,カトリック神学においては néo-thomiste または néo-scolastique と呼ばれています.世俗的なイデオロギーのなかでは「家父長主義」(patriarchalisme) が その代表例です.精神分析においては,非ラカン派(Freud 自身を含む)は,目的論的です — 性本能の発達の成熟段階としての「性器体制」(Genitalorganisation) を措定していることにおいて.

形而上学的-目的論的な 倫理は,否定存在論的孔穴を完璧に塞ぎ得る S1 を改めて措定しようとします.しかし,それは不可能である,と 我々は知っています — なぜなら,「性関係は無い」からです.つまり,否定存在論的孔穴を完璧に塞ぎ得る S1 は「書かれないことをやめない」ものです.

それでも S1 を措定する試みをやめない 形而上学的-目的論的 倫理は,常に よりいっそう強力な S1 を求め続けざるを得ないことになります.そして,ついには,ひとつの Paranoia となります.実際,「日本会議」のイデオロギーを信奉している者たちは paranoisch です.だからこそ,彼れらには「話せば わかる」は通じないのです.



形而上学的-目的論的な アリストテレス倫理学とは異なり,Lacan の教えにおいては,精神分析の倫理は 非形而上学的-終末論的 です.それは,否定存在論的孔穴を塞ぎ得る S1 は「書かれないことをやめない」ことを認めるがゆえに,S1 を 不可能の座(つまり,右下の「生産の座」)へ 閉出します.この S1 の閉出は,大学の言説から分析家の言説への構造転換を惹起します.そのとき,主体 $ は,否定存在論的孔穴のエッジとして現出 (ἀποκάλυψις) してきます.それによって,源初論的位相における否定存在論的孔穴の開口が 回復されます.そして,そこに,欲望の昇華 (la sublimation du désir) が存します.

我々は,今,存在 の歴史の終末論的位相において,否定存在論的孔穴の開口に対する抵抗をやめることができないままでいます — 否定存在論的孔穴の開口は,強い不安(無の不安,死の不安,罪の不安,そして,去勢不安)を惹起するからです.

その不安に ひとりで耐えることは,まず大概,不可能です.人々は,防御のために,神経症者となるか,性倒錯者となるか,精神病者となるか,あるいは,不安を防御しきれずに,否定存在論的深淵のなかへ呑み込まれてしまいます(つまり,自殺します).

だからこそ,精神分析の経験が必要になってきます.精神分析の経験においては,昇華された欲望としての分析家の欲望が,分析者(精神分析の患者)が否定存在論的孔穴の開口を前にしての不安に耐えることができるようになるよう,分析者に寄り添い,分析者を支えます.

主体 $ が 否定存在論的孔穴のエッジを成すように現出し,それによって,否定存在論的孔穴の源初論的開口を回復すること — Freud が陥った行き詰まりを突き抜けた Lacan が我々に教えている精神分析の終末論的終結は,そこに存します.