2026年4月1日

否定存在論的孔穴の開きと閉じ — フロィトの「イルマの注射の夢」の否定存在論的再解釈


否定存在論的孔穴の開きと閉じ — フロィトの「イルマの注射の夢」の否定存在論的再解釈


ラカンの教え — 精神分析と信仰』(小笠原晋也著)からの抜粋

§ 10.3. 否定存在論的孔穴の開きと閉じイルマの注射の夢

存在の歴史の終末論的位相 — 18世紀なかばごろ以来,我々はそこにいるにおいて,否定存在論的孔穴は,それを塞ぐもの異状の構造(大学の言説)においては,否定存在論的孔穴を塞ぐものは支配者徴示素 S1 であるの有無に応じて,閉じたり (zugehen) 開いたり (aufgehen) する.ラカンは,1964年のセミネール XI『精神分析の四つの基礎概念』および同年の書『無意識の位置づけ』において,否定存在論的孔穴が異状の構造(大学の言説)において塞がれた状態を「無意識の閉じ」(la fermeture de l’inconscient) と呼び,他方,分離の構造(分析家の言説)において開いた状態を「無意識の開き」(l’ouverture de l’inconscient) と呼んでいる;そして,両状態の間の「行ったり来たり」(va-et-vient) あるいは 否定存在論的孔穴の「開いたり閉じたり」(auf und zu) を「時間的拍動」(la pulsation temporelle) と呼んでいる.

否定存在論的孔穴の開出は,我々に不安を惹起する.ハィデガーは,不安を「基底気分」(Grundbefindlichkeit, Grundstimmung) と呼んでいる.不安が基底的であるのは,我々が 生きている存在の歴史の終末論的位相において,否定存在論的孔穴の閉塞はもはや安定的ではなく,穴はいつでも開出してこようとするからである.精神分析の臨床は,このことを我々に示している:一般的に言って,否定存在論的孔穴の開出は,これら三種類の不安において経験される:無の不安,死の不安,そして,罪の不安.

ここでは,精神分析的な夢解釈の最初の公表例である「イルマの注射の夢」(der Traum von Irmas Injektion) —『夢解釈』において,先行研究の振りかえりに当てられた第 章に続けて,第 II 章以降で自説を展開してゆこうとするフロィトが,最初に取りあげ,しかも最も詳細に分析した彼自身の夢において,否定存在論的孔穴の開きと閉じが臨床的に如何に表現され得るかを,見てみよう.『夢解釈』の当該箇所から「予備的な情報」と夢の顕在テクストを以下に引用する:

予備的な情報

1895年の夏[つまり,フロィトが『夢解釈』を書いている時点(1899年)の 年前]に,わたし[フロィト]は,若い婦人 [Irma] [1] を精神分析的に治療した. 
 
[1] このフロィトの患者 Irma が誰であったのかに関しては,Didier Anzieu (1923-1999) がフロィトの自己分析に関する彼の著作 L’auto-analyse de Freud et la découverte de la psychanalyse (première édition 1959, quatrième édition 1998) のなかで提示した説が,今や広く認められているようである.それによると,Irma は,フロィトの高校時代の恩師 Samuel Hammerschlag (1826-1904)  彼は,フロィトが生徒であったギムナジウムでヘブライ語とユダヤ教を教えていた  の娘 Anna Hammerschlag-Lichtheim (1861-1938) である(彼女は,Samuel の 人の子どもたちのうち,唯一の女性である).

Anna Hammerschlag

Jeffrey Masson によれば,Irma  Anna であることを Anna Freud も肯定した(ちなみに,Anna Freud の名は,Anna Hammerschlag の名にちなんで,付けられた).Anna Hammerschlag は,1885年に Rudolf Siegfried Lichtheim (1848-1886) と結婚したが,彼はその翌年に死去し,Anna は 25歳にして 寡婦となってしまった.彼女は,1895年に,短期間,フロィトの患者であった.彼女の症状は,不安および若干のヒステリー的身体症状であった.ヒステリーの病因は性的なものであると考えるフロィトは,Anna に再婚を勧めた(それが彼の「解決策」である).だが,Anna は,既に多くの人々から再婚を勧められていたにもかかわらず,そうする気はなかった(実際,彼女の死去時の名字は Lichtheim のままであるので,彼女は,結局,死ぬまで再婚しなかったのだろう).今,我々から見れば,彼女の父との関係に分析の焦点が当てられるべきであるが,フロィトはそうはしなかったようである.
 
彼女は,わたしとわたしの家族とにとって,とても近しい交友関係にある人だった.そのように医師患者関係と一般的な社交関係とが混ざりあった場合,その事態は,治療者特に,精神療法家にとっては,多様な感情を惹起する元になり得る,ということは,誰にでも理解可能だろう.医師自身の治療的関心はより大きくなるが,彼の医師としての権威はより小さくなる.治療に失敗すれば,患者の家族や親族との長年にわたる親交を疎遠なものにしてしまうことになりかねない.精神分析治療は,部分的な成功を以て終わった.患者は,ヒステリー的な不安を感じなくはなったが,彼女の身体的な症状がすべてなくなったわけではなかった.当時,わたしは,ヒステリーの病歴に最終的に決着がついたということを表す指標に関して,まだあまり確信がなかったので,患者に,ある解決策を取るよう,求めていた.しかし,それは,彼女にとっては,受け容れ難いと思われることだった.彼女がわたしの提案を受け容れないという不一致の状況において,我々は,夏のヴァカンスのゆえに,治療を中断した.ある日,ヴァカンスの滞在先で,年下の同僚 [Otto] — 彼は,わたしの親友でもあるが,わたしを訪ねてきた.彼は,わたしの患者 Irma および 彼女の家族を,彼らのヴァカンス滞在先に訪ねてきたところだった.わたしは彼に,彼女はどんな様子だったかを問い,この答えを得た:以前よりは良いが,完全に良いわけではない.友人 Otto の言葉ないし,それが述べられた調子に,わたしは怒りを覚えた,ということを,わたしは自覚している.つまり,わたしは,彼の言葉からひとつの非難が聴き取れる,と思ったたとえば,わたしは患者に[必ず完治すると言って]多くを約束しすぎた,というような非難.そして,どうやらわたしのみかたになってはいないらしい Otto の態度を,患者の家族彼らは,わたしの治療を好意的には見ていない,とわたしは推察していたからの影響のせいにしたその推測が正しいか否かは不明であるが.ともあれ,そのとき,わたしは,わたしの苦痛な[罪の]感覚を明確には感じ取ってはおらず,それをそのものとして表現することはなかった.その晩のうちに,わたしは,Irma の病歴報告を書きあげたそれを,いわば わたしを正当化する目的で,Dr M [ Josef Breuer ] 彼は,Otto とわたしの共通の友人であり,当時,我々の仲間内で主導的な立場の人物だったに提出するために.その夜むしろ,翌日の朝方わたしは,次の夢を見た.わたしは,それを,覚醒後 すぐに 書きとめた.

1895723-24日に見た夢

広い広間.多くの客を,我々は迎えている.そのなかに,Irma がいる.わたしは,彼女を,すぐさま脇へ連れて行くいわば,彼女の書簡に答えるために,つまり,彼女がわたしの「解決策」[Lösung] をまだ受け容れないことを非難するために.わたしは彼女に言う:「あなたがまだ疼痛を有しているなら,それは,まったく,ひたすら,あなた自身のせいだ[es ist wirklich nur deine Schuld : あなたの責任だ,あなたに罪がある]」.彼女は答える:「わたしが 喉や胃[上腹部]や下腹部にどんな疼痛を有しているかを,知っていただけたなら... それは,わたしを締めつけます」.わたしは驚いて,彼女を見やる.彼女は,青白く,むくんでいるように見える.わたしは考える:結局,わたしは,やはり,何か器質的なものを見逃していたのだ.わたしは,彼女を,窓のところへ連れて行き,咽頭を視診する.その際,彼女は,若干,抵抗のしぐさを見せる義歯を装着している婦人のように.そんな必要はないのに,とわたしは考える.次いで,口は大きく開く.右に,大きな白い斑が見える.ほかには[三つの]奇妙な〈皺のよった〉造形 それは,明らかに,鼻甲介を模して形づくられているのところに,灰白色の痂皮が広がっているのが,見える.わたしは,急いで,Dr M を呼び寄せる.彼は,改めて診察し,所見を確認する.Dr M は,普段とはまったく異なる外見をしている.彼は,青白く,跛行しており,顎にヒゲがない.今や,わたしの友人 Otto も,彼女のかたわらに立っている.友人 Leopold は,彼女[の胸部]を,胴着のうえから打診して,言う:彼女は,左[肺の]下部に,濁音を有している.そして,彼は,彼女の左肩の皮膚部分の浸潤を指さす;それを,わたしは,彼女が着衣のままであるにもかかわらず,彼と同じく,感じ取っている.M は言う:疑いなく感染症だが,何でもない;さらに赤痢が合併してきて,[下痢によって]毒素は排出されるだろう.我々は,また,感染が何に起因しているのかを,直接に知っている.友人 Otto が,最近,彼女の気分が悪いときに,彼女に Propyl 製剤[の溶液 (Lösung)]を注射したのだ — Propylen[プロピレン],Propionsäure[プロピオン酸],Trimethylamin[トリメチラミン]— その化学式を,わたしは,太字で印刷された形において,眼前に見る.そのような注射は,そのように軽率にするものではない.おそらく,注射器も清潔ではなかったのだろう.

否定存在論の観点において,我々はこのことをすぐさま見て取る:夢のなかで大きく開く Irma の口の映像は,開出 (aufgehen) してこようとする否定存在論的孔穴の表象である.実際,「口は大きく開く」(Der Mund geht gut auf) という文に,まさに動詞 aufgehen が見いだされる.そして,そのとき,否定存在論的孔穴は罪の穴として開出してくる「それは,あなたのせいだ」(es ist deine Schuld) という文に含まれる Schuld(罪,負いめ,責任)という語が示しているように,また,誤診の不安が示唆しているように.

我々は問う:誰が罪を犯したのか?「それは,あなたのせいだ」(es ist deine Schuld) という非難における「あなた」は,まことには,誰のことなのか ? また,夢のなかでは誤診を犯したかもしれない者はフロィト自身であるが,誰の過誤が本当にはかかわっているのか?

「イルマの注射の夢」の顕在内容においては,フロィトの罪意識は微かにしか表現されていない.しかし,Jeffrey Masson (1941- ) は,フロィトの〈彼の友人 フリース (Wilhelm Fließ : 1858-1928) 宛ての〉書簡のオリジナルに関する研究によって,その夢の背景を成しているこの事実を 明らかにした:フリースによる〈フロィトの患者 Emma に対する〉重大な医療過誤事件.

Emma Eckstein

Emma Eckstein (1865-1924) は,27歳ころ(1892年ころ),フロィトのもとに初診した.彼女の病状が如何なるものであったのかは正確には不明であるが,ともあれ,彼女は,フロィトが精神分析的に治療した最初の患者たちのひとりである.当時,ベルリンで開業する耳鼻咽喉科医フリースと非常に親密な関係にあったフロィトは,彼を,精神分析の理論を築きあげてゆく作業のために唯一の支えを提供してくれる対話相手としており,そして,それゆえ,彼の妄想的なヒステリー病因論「鼻粘膜反射神経症」を完全に信じこんでいた.そこで,おそらく〈創始されたばかりの精神分析によっては〉完全に解消することのできなかった Emma の残存症状の治療を,フロィトは,フリースの外科的手段に委ねることにする.ウィーンに招かれたフリースは,1895年0221日ころに(つまり「イルマの注射の夢」の ヶ月まえに),彼女に対して,鼻甲介の部分切除を含むかなり大がかりな鼻腔内の手術を,おこなう.だが,その際,彼は,止血用のガーゼを手術終了時に患者の鼻腔から取り出すことを怠る という過失を 犯す.翌月の始め,炎症による患部の腫脹と疼痛のため,彼女は,ウィーンのある耳鼻咽喉科医の診察を受ける(フリースにベルリンから来てもらう時間の余裕はなかったのだろう).その医師が〈彼女の鼻腔の奥に残されていたガーゼを発見して〉それを除去したとき,患部から急激に大量の出血が起こる(フロィトは,その現場を目撃している).彼女は出血性ショックによる死をかろうじて免れるが,彼女の顔には変形が残ってしまう.

それゆえ,Emma に対する医療過誤は,フロィト自身によるものではないとしても,しかし,フリースによる手術を受けるよう 彼女に勧め さらには 彼女を説得したのは フロィトであるので,彼は,当初は,手術の結果に関して大いに自責の念を有していた.ところが,次いで,親友の責任を否認するために,フロィトは,彼自身の罪意識を排斥し,代わりに,犠牲者 Emma に責任があったと思いこみ始める.しかるに,排斥された罪意識は,夢の前日に Otto が彼に向かって発した〈Irma に関する〉非難めいた言葉によって,明瞭に意識されない程度に刺激される;そして,そのことが,その晩,フロィトに,Irma の治療に関する釈明を書かせ,さらには「イルマの注射の夢」それは 実は Emma にかかわっている を見させることになる.かくして,夢のなかでフロィトが感じている誤診の不安は,排斥された彼自身の罪意識の代理であると同時に,否認されたフリースの医療過誤の罪を示唆している;また,「それは,あなたのせいだ」という非難における「あなた」は,Irma によって代理された Emma であるが,しかし,その背後に排斥されて隠されているのは,フロィト自身であり,さらには,フリースである.そして,排斥された罪そのものは,夢において,罪の穴としての否定存在論的孔穴の開出の形において,回帰してくる.

その罪の穴の開出は,それゆえ,フロィトにおいて,もっと大きな不安を惹起してもよかったはずである.ところが,「イルマの注射の夢」は,フロィトの睡眠の中断を惹起するほどに強い不安をともなう悪夢ではない.なぜか ? なぜならこのゆえに:夢のなかで,開出してこようとする罪の穴は,まづは,仮象的な因子によって隠され,次いで,徴示的な因子によって塞がれる.穴を隠す仮象的な因子は,これである:先輩医師 Josef Breuer(彼の姿は,滑稽に かつ みすぼらしく 歪曲されている)および若い同僚医師 Otto Leopold Irma のまわりで繰りひろげるドタバタ喜劇.そして,穴を塞ぐ徴示的な因子は,これである:夢の最後に deus ex machina のごとくに厳かに登場する生化学物質 trimethylamine の分子の化学式それは,しかも,太字印刷で強調されている.

Trimethylamine は,実際に,必須栄養素のひとつ choline の代謝の中間産物として,生体内に見出される物質である.それにに関する連想と解釈を述べるときに,フロィトは,フリースに言及している彼の名を挙げぬままにこう言って:

彼[フリース]は,かつて,ある〈性化学 [Sexualchemie] に関する〉考えをわたしに述べ伝えたことがあった;そして,なかんづく,彼は,こう思っている,と言った : Trimethylamin において性代謝 [Sexualstoffwechsel] の産物のひとつを認めることができる.それゆえ,その物体 [2] は,わたしを,性 [Sexualität] わたしが〈わたしが治療しようとしている神経性の疾患[神経症,特にヒステリー]の成立にとって〉重大な意義を付与しているあの契機へ導く.わたしの患者 Irma は,若い寡婦である.もしわたしにとって彼女における治療の不成功を弁解する[entschuldigen : ある罪 (Schuld) について弁解する]ことがかかわるならば,いかにも,その[彼女が若い寡婦であるという]事実それを彼女の友人たちは何とかして[彼女を再婚させることによって]変えたいと思っていたを引きあいに出すのが,わたしにとって,最良のことだろう.

[2] 奇妙なことに,フロィトは,そこで,trimethylamine に関して「物体」(Körper) という語を用いている  文脈においては「物質」(Stoff, Substanz) が予期されるのに.そのことは,このことを示唆している : trimethylamine の分子の化学式は,彼にとって,確かに「物体」なのだ  Irma における穴を塞ぐにふさわしい物体,すなわち,phallus.

さらに続けて,フロィトはこう述べている:

なぜ Trimethylamin の化学式が夢のなかでかくも目だったのか[の理由]を,わたしは予感する.そのひとつの語に,とても重要なことが集まっている : Trimethylamin は,性という非常に強力な契機への暗示であるだけでなく,しかして,あるひとりの人物[フリース]への暗示でもある;彼の賛同を,わたしは,満足を以て想起するわたしは,わたしの見解[ヒステリーの性的病因論]を以て[学界から]見すてられていると感じているのであれば.その友彼は,わたしの生のなかで,とても大きな役わりを演じているは,夢の思考連関のなかに,さらに登場してこないだろうか ? 然り,彼は,鼻および副鼻腔の疾患に由来する作用を特によく知っており,そして,きわめて注目に値する〈鼻甲介と女性性器との〉関係を科学のために開示した.([夢において]Irma の咽にある三つの〈皺のよった〉造形.)わたしは,彼に Irma を診察してもらった彼女の胃痛がもしかしたら鼻粘膜起源のものでないかどうか[を判断してもらうために].

我々は,あらためて,このことに驚く:連想がそこにまで及んでいながら,フロィトは,フリースの Emma に対する医療過誤の責任を,夢を見た 1895年07月の時点(事件の ヶ月後)においても,『夢解釈』を執筆している 1899年の時点においても,想起していない;というのも,このゆえに:もし仮にフロィトが「イルマの注射の夢」とフリースの医療過誤との関連性すなわち,フリースに対して Irma Emma はほとんど平行的な関係にある(フリースは Irma に対しては Emma に対しておこなったような手術をおこなわなかったということを除いて)ということに気づいていたならば,彼はこの夢を『夢解釈』のなかで決して取りあげなかったはずであろう.あるいは,我々はこう言うこともできるだろう:フロィトにとって,Irma は,かえって Emma に関する排斥を強化するのに役だっている.そこに,我々は,いわゆる自己分析の限界を見る:すなわち,ある者において,疑いようのない思いこみ(場合によって,パラノイア)を成す支配者徴示素 S1 が否定存在論的孔穴を強固に塞いでいるとき,その者は自分自身でそれを除去することはできない;その場合,どうしても,分析家あるいは,分析家と同様に作用し得る誰かの介入が必要となってくる.もし仮に当時の(40歳前後の)フロィトがラカンのもとに教育分析のために来ていたならば,ラカンは,フリースという偶像に対するフロィトの「信仰」を容赦なく徹底的に破壊していただろうたとえフロィトがそれによって欝状態に陥ることになろうとも.

ともあれ,trimethylamine は性的機能に関与する生化学的過程に属する何か特別な物質であるというフリースの考えのゆえに,その化学式は,ヒステリーの病因は性的なものであると考えるフロィトにとって,ヒステリーの謎ひいては,女の謎を解く鍵の象徴として,支配者徴示素 S1 となり,そして,そのようなものとして,否定存在論的孔穴を塞ぐその機能において,夢に現れてきたのだそう我々は解釈することもできるだろう.

しかるに,アダード (Gérard Haddad : 1940- ) は,彼の著書 Lacan et le judaïsme(『ラカンとユダヤ教』,初版 1981年,第三版 1996年)において,思いがけない解釈それがゆえに非常に興味ぶかい解釈を我々に提示している.そのためには,まず,trimethylamine の化学式を,今日我々が書く形 — N(CH3)3においてではなく,しかして,ラカンが〈彼のセミネール II『フロィトの理論と精神分析のテクニックとにおける自我』の 1955年03月09日の講義のなかで「イルマの注射の夢」を取りあげる際に〉提示している形において,表象する必要がある.


その講義において,ラカン自身も,こう指摘している:その化学式は「神聖な徴」からできているなぜなら,三位一体的な構造がそこにおいて多重に再現されているから.そして,アダードは,さらに一歩ふみだし,その化学式を,次の図におけるように,ひとつの窒素原子 N が下に,九つの水素原子 H が上に位置するよう,表象する.


すると,何がそこに見いだされるか ? ヘブライ文字 ש (shin) である.それは,שֵׁם (shem) という語その意味は「名」であるの最初の文字であり,その語に定冠詞 הַ (ha) を付すると,我々は הַשֵּׁם (HaShem) —「その名,あの名」を得る;そして,その表現を,ユダヤ教徒は,不可言なる神の固有名 יהוה (YHWH) の代わりとなる代理名(複数)のひとつとして,用いる.また,ש (shin) は,הַשֵּׁם (HaShem) と同じく神の代理名のひとつとして用いられる שַׁדַּי (Shaddai) — その語は,七十人訳では Παντοκράτωρ(全能者)と訳されているの最初の文字であることにおいても,神の名を表している.

それゆえ,夢を締めくくるためにフロィトの眼前に登場してくる trimethylamine の化学式は,その〈ヘブライ文字 ש との〉相似性によって,神の名ラカンの用語で言えば,父の名の代理であり,そのようなものとして支配者徴示素 S1 であり,そして,そのようなものとして,大きく開かれた Irma の口というイメージのもとに開出してくる罪の穴としての否定存在論的孔穴を改めて閉塞することに,成功する.かくして,それは,フロィトに,強い罪意識に満ちた不安夢を免れさせることになる.

だが,今,存在の歴史の終末論的位相において,そのように何らかの支配者徴示素 S1 を以て否定存在論的孔穴を改めて塞ぐことそして,それを以て,分析家の言説(分離の構造,終末論的時点)へ進むことなく,大学の言説(異状の構造,終末論的位相)にとどまることは,その穴の開出をまえにしての終末論的不安に対する防御にほかならない.しかるに,穴の開出は必然的である存在の歴史が終末論的時点へ前進することによって自有が成起するために.我々は,それに抵抗してはならず,しかして,それに従順でなければならない自有 (Ereignis) 我々の現場存在 (Dasein) 自身のものとする (sich aneignen) ために,そして,我々も,我々自身,自有と成る(神が我々を自有にしてくれる)ために存在の歴史の必然性にしたがって,すなわち,神の救済の意志にしたがって.だが,フロィト自身は,そこに精神分析の終結を見るには至らなかった;なぜならこのゆえに:彼は,こう考えることしかできなかった:終末論的不安(彼はそれを去勢不安として捉えた)に対する防御において精神分析は行き詰まりに陥らざるを得ない.それに対して,ラカンの教えに準拠することによって,初めて,我々はこう公式化することができる:終末論的不安をとおって欲望の昇華にいたることを以て,精神分析は終結し得る.

小笠原晋也著『ラカンの教え — 精神分析と信仰』自著紹介


小笠原晋也著『ラカンの教え 精神分析と信仰』自著紹介



2024年07月に ちきゅう座の現代史研究会にお招きいただき,ラカンについて講演をおこなった御縁により,このたび出版した拙著の自著紹介を書くよう 勧めていただいた.改めて運営委員会の諸氏に感謝する.

現代思想と構造主義の文脈において 一時期 日本でも有名であったフランスの精神分析家 Jacques Lacan[ジャック ラカン](1901-1981) わたしが初めて外傷的に出会ったのは,1975年の春,新入生のとき,名古屋大学の現代史研究会においてであった.今や,そのときから 51年が経過する.とはいえ,それは,世界史の現状においてなおも現在的である偉大な哲人に取りくむためには,まだ十分な時間ではないかもしれない.

前著『ハィデガーとラカン 精神分析の純粋基礎としての否定存在論とそのトポロジー』(2020年,青土社)に続いて,わたしは,このたび,新著『ラカンの教え 精神分析と信仰』を Kindle Direct Publishing (KDP) により 個人出版した(したがって Amazon でのみ購入可能 ; KDP は「自費」ゼロの「自費出版」を可能にする;それは 今回 わたしにとっては とても便利なことであった;だが,紙の本として印刷されたものが一般の書店の棚に並ぶことはないので,潜在的な読者にこの本の存在を知らせる作業[要するに 宣伝,あるいは 宣教?]は わたし自身でおこなわなければならない).その内容は,前著出版以降におこなったオンラインセミナーで語ったこと,わたしのブログに書いたこと,招かれた講演で語ったこと,日々の精神分析の臨床において気づいたこと,そして,書き進めてゆくうちに新たに思いついたことに,存している.

ラカンの教え (l’enseignement de Lacan) 彼が我々に遺した彼の書とセミネールの総体を,フランスではそう呼ぶ.では,彼は何を我々に教えたのか ? フロイトが手探りで創始した精神分析を,純粋に(非経験論的かつ非形而上学的に)基礎づけること.何のために ? 精神分析が行きづまりに陥ることのないために,そして,新たな精神分析家を実際に養成することができるために.

精神分析を純粋に基礎づけるためにラカンが利用したものは多種多様であるが,それらのうちで最も重要な準拠は,形而上学を根本的に批判したハィデガーの思考である.ハィデガーは,彼自身の思考を「存在の思考」(das Denken des Seyns) と呼んでいる.存在 (das Seyn : das durchgekreuzte Seyn) は,彼がバツじるしで抹消した Seyn[存在]という語のことである.


彼は,その表記を,彼の戦後の「黒ノート」のなかで多用しているが,生前に発表されたテクストのなかでは,唯一,
1955年の『存在の問いについて』(Zur Seinsfrage) においてのみ,用いている.

それは何を表しているのか ? ハィデガー自身は答えを敢えてぼかしているので,我々はそれをこう明確化しよう:それは,『存在と時間』において始められた形而上学批判としての「存在論の伝統の破壊」(Destruktion der ontologischen Überlieferung) の作業によって彼が見いだした源初論的な穴 ハィデガー自身は「穴」(Loch) とは言わず,しかして「深淵」(Abgrund) と言っているが の形式化(ラカンの用語で言うなら,mathème[学素])である.

存在の穴 ハィデガーは,文字どおりに,形而上学的な存在論(そもそも,アリストテレスの定義によれば,形而上学とは存在論である)を破壊することによって,形而上学的な「存在としての存在」(τὸ ὂν ᾗ ὄν) が塞いできたその源初の穴を 見いだしたのである.それは,現代の哲学の 否,哲学の歴史全体における 最大の発見である.なぜなら このゆえに:それは,「無からの創造」がそこから出発したところの「深淵」の再発見である.そも,創世記は,こう始まる:

源初において,神は 天と地を 創造した.地は,空無であった.そして,深淵のおもてを 闇が,そして,水のおもてを 神の息吹が 覆っていた.そして,神は言った:「光が存在せよ」.そして,光が存在した.

そのように存在論の破壊に存するハィデガーの「存在の思考」を,わたしは こう呼ぶ:否定存在論 (l’ontologie apophatique) 「否定神学」(la théologie apophatique) にならって.そして,存在の穴を こう呼ぶ:否定存在論的孔穴 (le trou apophatico-ontologique).

『存在の問いについて』が発表されるや,その Sein の学素のハィデガーの思考における根本的な意義に気づき得たのは,あまたのハィデガーの研究者たちおよび読者たちのうちで,唯一,ラカンのみであった — 1957-1958年のセミネールにおいてが Sein の学素にもとづいて考案された「抹消された主体」(le sujet barré) の学素 $ を提示していることが示唆しているように.

ハィデガーは『存在と時間』において「存在の意味を問う」ために時間論から出発するそして時間性をこう定義する : ekstatische Einheit von Zukunft, Gewesenheit und Gegenwart(将来と過去と現在との解脱的な一性).その表現を,わたしは,黙示録における神の名*のひとつにもとづいて,解釈する : ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος(現に存在している者,かつ,無からの創造の源初において存在していた者,かつ,終末においてまさに来たらんとしている者).

*) 黙示録 1,04-05 を 原文のギリシャ語で読むと,その表現が固有名詞として扱われていることを見て取ることができる.

χάρις ὑμῖν καὶ εἰρήνη ἀπὸ ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος καὶ ἀπὸ τῶν ἑπτὰ πνευμάτων ἃ ἐνώπιον τοῦ θρόνου αὐτοῦ καὶ ἀπὸ Ἰησοῦ Χριστοῦ.

あなたたちに 恵みと平和[が与えられるように]—「[現に]存在している者,かつ,[無からの創造の源初において]存在していた者,かつ,[終末において]まさに来たらんとしている者」から および 彼の玉座のまえにある七つの息吹から および イェスキリストから.

そこにおいて,ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος は,属格を取る前置詞 ἀπό のあとでも,ギリシャ語以外の言語の固有名詞のように,属格に変化せず,主格のまま 置かれている.

すなわち,ハィデガーは,現在性 (Anwesenheit) としての存在という「図」を,そこから出発して存在事象が創造されたところの源初論的な穴 および そこへ存在事象が滅するところの終末論的な穴という「地」のうえに位置づけている.

かくして,三つの主要なテーマ ラカン(精神分析),ハイデガー(形而上学批判),一神教(信仰)は,一点へ収斂する:終末論.というのも,このゆえに:ラカンは,欲望主体の昇華の実現としての精神分析の終結について問い続けた;ハイデガーは,形而上学の彼方における存在の歴史の終末としての Ereignis(出来事,自有)について思考し続けた;そして,一神教は,終末の日にメシアが到来することによって救済は完成されると信じ続けている.また,精神分析の過程と,ハィデガーの存在の歴史と,一神教の救済の歴史は,ラカンが四つの言説として形式化した弁証法的な過程によって,捉えなおされる.それら三つの過程の終着点は,この同じひとつのことである:我々が,神の意志を代理し,それを宣べ伝え,それを実行する者となること.

『ラカンの教え 精神分析と信仰』においては,そのほか,フロィトの諸概念の否定存在論的再解釈,Jacques-Alain Miller によるラカン解釈に対する批判,そして,いくつかの有名症例の再解釈も,展開されている.

2026年3月30日

小笠原晋也の新著『ラカンの教え — 精神分析と信仰』の § 7.6. 症例 より 抜粋 § 7.6.3. 八本脚の蝶(二階堂奥歯)


小笠原晋也の新著『ラカンの教え — 精神分析と信仰』の § 7.6. 症例 より 抜粋 § 7.6.3. 八本脚の蝶(二階堂奥歯)


§ 7.6.3. 八本脚の蝶(二階堂奥歯)

「二階堂奥歯」は,出版社で編集者として働くかたわらで,みづから『八本脚の蝶 [1]』という表題のもとに blog を書きつづっていた女性の筆名である.彼女は,1977年0430日生まれ,早稲田大学文学部哲学科を(もし浪人や留年をしていなければ,20003月に)卒業後,出版社に就職 ; 2001年06月に blog を書き始めた;そして,外見上はまったく申し分のない人生を送っていたにもかかわらず,2003年0426日未明,26歳の誕生日の直前に,痛々しくも投身自殺を遂げた.彼女の blog は,今でも閲覧可能である.また,その blog の全体は,彼女の知人や友人たちの追悼文とともに,2006年に『八本脚の蝶』と題された書籍として出版された;そして,それは,2020年に改めて文庫本として出版された.

[1] 八本脚の蝶について,奥歯は,2002年0829日付の記事で,こう書いている:

虫のオブジェで一番好きなのは,東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶だ.修学旅行で見つけて大喜びして,行くたびに土産物になっていないかと探すけれど,見たことがない.この揚羽蝶は,からだがむくむくしていてかわいいし,なんといっても脚が 本もあるのだ.昆虫の定義は 本脚であることだというのに.本当におかしなやつだ.揚羽蝶という家紋(平家の紋)[注:奥歯はその紋を彼女の blog のタイトルのわきに提示している]があって,これはデザイン的には東大寺の揚羽蝶と同じだけど,脚は 本.その他の日本古来の蝶の図版を見ても,みんな6本脚だ.なんで東大寺だけ 本なのか調べていたら,次のような説を見つけた.福寿寺にある平家の赤旗に描かれている揚羽蝶は,触角が 本脚の後方についている(へんな蝶だ).それを元にして作って間違えたのではないかというのだ.すてきだ.デューラーの犀のように,間違いが間違いを呼び,怪獣が生まれる.本脚の揚羽蝶を私の紋にしようかな.

東大寺の大仏殿にある 高さ 約 9 m の 青銅製の蓮の花瓶;そこに,一対の八本脚の蝶がとまっている.それは,池坊の website における説明によると,1692年,修復された大仏像の開眼供養の際に 華道家 猪飼三枝と藤掛似水によって寄進されたものだそうである.八本脚の蝶の象徴性については定説は無いようだが,おそらく,この世のものならぬ(つまり,極楽浄土に属する)ものとしてデザインされたのだろう.

誰しも,たとえ精神分析や精神病理学に特に関心を有していないとしても,彼女のケースを知れば,こう問わずにはいられないだろう:なぜ彼女は自殺せねばならなかったのか あらゆる点において(健康も,知能も,容姿も,家族も,仕事も,恋愛も)まったく順調に生きていたように見えるのに?

だが,彼女は,200211月02日付の記事で,こう書いている:

私が黒百合姉妹を知ったのは 16歳のころだ.そのころ,私は生きているのが恐ろしかった.そして,決心した.私は決して子どもを産まない.私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してない.

生きているのが恐ろしい つまり,彼女は,早くも 16歳にして,死の不安に耐えかねつつ生きていた.当時,彼女が,「実存的不安」という表現や,ハィデガーの「死に向きあう存在」(das Sein zum Tode) という用語を既にどこかで見かけていたとしても,不思議ではない 多読家の彼女であれば.

2002年0927日付の記事においては,彼女は,彼女が日常的に有している強い実存的不安(彼女は「恐怖」という語を用いている)について,こう述べている:

無根拠性.善悪の無根拠性だとかには,人は,たやすく向き合ってゆける.おそらく,世界の無根拠性にも.しかし,恐怖の無根拠性に対してはどうだろうか.恐怖に浸透された日常.恐怖は現実のものだ.それは,私の身体機構とその化学組成のバランスを崩す.物理的に影響される私の身体.そして,その身体によって測られる(アフォードされる)外界.問題は,この恐怖には理由がないとはっきりわかっていることだ.根本的な対策はないということを,私は知っている.その無根拠性に向きあうこと.毎日,恐怖と戦い,生き延びること.

16歳当時,彼女は,彼女の〈死の穴の縁で生きる〉耐えがたい不安を,誰にも打ち明け得なかっただろう.しかし,彼女の精神状態を察する者が誰もいなかったわけではない.実際,彼女がまさに16歳のときに知りあった書店員「雪雪さん」は,1996年の夏に(彼女は,郷里を離れ,大学 年生)彼女に宛てた書簡 それを彼女は,死の25日まえ,2003年04月01日付の記事で,引用している において,彼女にこう述べている:

私は,ほんとうに嬉しそうなキラキラした表情で私のもとを足繁く訪れてくれるあなたを見ながら,内心,これは危機の大きさの反動だという印象をぬぐえませんでした.あなた自身が自分の状況をどのように捉えていたかは,わかりません.でも,私以外にも,強い危機感を持っていた人がいたようです.先日,奥歯さんのお父さんとお会いしたとき,食事が終わり,場所を替えるために,明るいエレベーターホールからほの暗いエレベーターに乗り込んで,ゆっくりと降りはじめたとき,ふいに,ふつりあいなほど坦々と(あなたのお父さんは)このように言いました:「私は,奥歯は自殺するかもしれないと思っていました.そして,私には止められないだろうと思っていたんですよ.」声音にあきらめの色は微塵もなく,ただ強烈な苦渋,抑制されつづけていた苦渋の残香が,ありました.これは,あなたのような人を子に持った親の最高の愛情表現ではなかったでしょうか.

しかるに,書籍『八本脚の蝶』に追悼文を寄せている東雅夫氏は,彼の blog(東雅夫の幻妖ブックブログ)の 2012年05月01日付の記事(書籍『八本脚の蝶』を出版したポプラ社によって 2006年01月におこなわれた〈彼 および 斉藤尚美氏 書籍『八本脚の蝶』の編集者 への〉インタヴューの再録)において,奥歯についてこう述べている:

あの[彼女の]文章からは想像がつかないかもしれませんが,普段の彼女の話し方は,わりとキャピキャピ系というか,タテノリなんですね.二次会で直接会話したときも,本当にその場でピョンピョン跳ねながら,「わぁ~『幻想文学』愛読してます(ピョンピョン)!」みたいな感じでした.いろんな分野の本をとてもよく読んでいることがわかって,若いのに感心だな,と思ったのが,第一印象でしたね.

だが,そのような彼女のふるまいかたは,一般的に想定されている「元気で明るく好ましい女の子」のイメージの借用によるひとつの防御形成にすぎない.

また,我々は,こう推察することができる:彼女の尋常ならざる多読の行為(彼女は,20021223日付の記事で,こう書いている:「私は,就職してから,年に 多分 365 冊を超すぐらいの本を読んでいる.学生のときはその倍,小学生のときはその三倍は読んだ」)こそが,彼女の〈死の不安に対する防御のために,かなり早期に形成された〉症状 それは,文字としての客体 a の〈死の穴としての否定存在論的孔穴のエッジにおける〉過剰な増殖に,存する である.

あるとき,奥歯は,blog を書く理由を,東雅夫氏にこう説明した(東雅夫氏の記事より):

Web で発信しておくことで,自分と同じような悩みを持つ人や同じような嗜好を持っている誰かに,いつか自分の言葉が届くかもしれない.その人たちのためにも,私は日々書き綴っているのです.

我々は,こう解釈し得る:その「誰か」は,究極的には,神にほかならない.彼女の blog に書き残された彼女のことばは,神への祈りとして読まれ得る.彼女は,制度化された教会にはまったく無関心であったようだが(それでも,一回だけ,おそらく実家の近くのカトリック教会 [2] ,ミサに与ったことはある),神およびカトリックの聖女たち(特に,殉教者であるアレクサンドリアの聖カタリナ,ならびに,神秘経験者である Teresa de Ávila Marguerite-Marie Alacoque)には大きな関心を向けていた.

[2] 奥歯は,2003年0215日付の記事で,こう書いている:

私が敬愛する聖女にアレクサンドリアの聖カタリナがいる.哲学者と乙女の守護聖人だ.彼女を守護聖人とした教会が日本にひとつだけある.その教会を訪ねて,ミサに与った.

だが,日本には,4世紀始めにキリスト教迫害のなかで殉教したアレクサンドリアの聖カタリナを守護聖人とするカトリック小教区は,存在しない.それに対して,シエナの聖カタリナ (santa Caterina da Siena : 1347-1380)  彼女には,1970年に,アヴィラの聖テレサ (santa Teresa de Ávila : 1515-1582) とともに,女性として初めて,教会博士 (Doctor Ecclesiae) の称号が,献ぜられた  を守護聖人とする小教区は,ひとつ存在する;それは,JR 東日本の福島駅の近くにある松木町教会である.先に引用した東雅夫氏の 2012年05月01日付の blog 記事に付録的に掲載されているポプラ社の編集者 斉藤尚美氏の『“八本脚の蝶”著者宅訪問記』に,こう記されている:彼女は,200512月,奥歯の実家を訪問するために,東京駅から東北新幹線に乗り,同行者と『八本脚の蝶』について話をしているうちに「あっという間に下車駅に着いた.」したがって,それを福島駅と見なしてもよいだろう.「松木町教会の守護聖人はアレクサンドリアの聖カタリナである」は,おそらく,奥歯の思い違いであろう.

ただし,彼女にとって,神は,ありふれたイメージで表象される神ではなく,しかして,否定神学的な神でなければならない.200211月01日の記事において,彼女は,こう祈っている:

神よ,私はあなたに呼びかけます.私の声を聞き届けるのならば,あなたは神ではない.私の声が届くような存在は,神ではない.あなたに届かせようとする努力は,私に到達可能な範囲を広げ,そして,定義上私には到達できないあなたは,ますます遠ざかる.神よ,私はあなたに呼びかけます.不在の神に向かう不可能な祈りは,どこにも届かないとしても,その向かう軌跡の先に,どうか,あなたがおられますように.

また,20021217日付の記事においては,彼女は,「神よ」という呼びかけを用いることすらせずに,こう祈っている:

私は愛しています.私は愛しています.あなたを,あなただけをひたすらに想わずにはいられません.私のすべての存在を,あなたに捧げます.私の日々に,私の思いに,私の行いに意義があるのなら,それはすべてあなたがいるからです.でも,あなたが誰なのか,私にはわからないのです.あなたは人ではないかもしれません.書物かも,秘密かも,言葉かも,記憶かも,景色かもしれません.私は,あなたを探すことを何度もあきらめようとしたけれど,その度にあきらめ切れず,また目を覚まします.私があなたを求めつづけることを断念せずにいられますように.

では,何を彼女は神に求めていたのか ? 200210月02日の記事において,彼女はこう祈っている:

私を読んで.新しい視点で,今までになかった解釈で.誰も気がつかなかった隠喩を見つけて.行間を読んで.読み込んで.文脈を変えれば,同じ言葉も違う意味になる.解釈して,読みとって.そして,教えて,あなたの読みを.その読みが説得力を持つならば,私はそのような物語でありましょう.そうです,あなたの存在で,私を説得して.

なぜそれが必要なのか ? なぜなら 彼女は,2003年0323日に自殺に失敗したあと,同月30日付の記事で,こう書いている このゆえに:「わたしにとって,わたしの存在価値はゼロなのです」.「価値」は「意義」と言いかえてもよい:「わたしの存在意義は,まったく無いのです あなた(神)が,改めてわたしの存在を解釈することによって,新たな存在意義をわたしに与えてくれない限り.」ちなみに,彼女の卒論は「根源的解釈について」と題されていた(残念ながら,それを直接読むことはできなかった).

彼女は,彼女自身の存在に関して,彼女自身の真理に関して,神の解釈を聞きたかった;神のことばを聞きたかった Marguerite-Marie Alacoque のように.だが,奥歯に対して,神は沈黙したままであった.我々は,こう言い得る:それは,神の否定神学的経験 (une expérience apophatico-théologique de Dieu) である.そもそも,彼女にとっては,神は否定神学的なものでなければならなかった.

しかし,2003年0329日の記事で,彼女は,ルカ福音書においておとめマリアが大天使ガブリエルによる受胎告知に答えて言うことばを引用しつつ,絶望的にこう祈っている:

主よ,どちらにおられますか ? 主よ,あなたはどなたですか ?「お言葉どおり,この身に成りますように.」ああ,我が主,あなたはどなたですか ? どうか,お言葉どおり,この身に成りますように.あなたのお言葉どおりこの身に成りますように.あなたの言葉.そして,この身.あなたああ,あなたはどなた ? あなたそう,あなたはどなたなのですか?

「わたしには制御できない衝動」(2002年0530日付の記事 すなわち,死の本能 に,彼女はもはや抗うことができなくなる.なぜなら 彼女は,2003年04月03日付の記事で,ある小説(古川日出男著『アビシニアン』)の一節を引用しつつ,説明する このゆえに:

そう,文字は喪われる.ことばは残り,文字が喪われる.夢は,根源的なメッセージであり,わたしの記憶の宣告だった.忘却のなすがままに,わたしは〈ことばを固定し,縛りつけて,飼い馴らす文字を〉葬り去る.わたしの内部で,あらゆる書物が,燃えあがり,焼き払われた.わたしは,もう読み書きはできない.

奥歯の尋常ならざる多読行為は,死の穴としての否定存在論的孔穴のエッジにおける文字としての客体 a の増殖であった 終末論的構造転換を防ぐために.だが,今や,終末論的瞬間が訪れようとするとき,文字による防御は無効となる;なぜならこのゆえに:存在事象にすぎない文字は,滅びる 今や「あらゆる書物が(世の終りの炎によって)燃え上がり,焼き払われる」ことにより.かくして,否定存在論的孔穴は,恐ろしい死の穴として,奥歯のまえにむきだしとなる;そして,彼女において希死念慮がますます強まってゆく.

2003年0323日付の記事に,彼女はこう書く:

綺麗なものをたくさん見られた.しあわせ.そろそろこの世界を離れよう.

その次の記事は,327日付である;その間,彼女は,市販の精神安定剤の過量服用により,意識障害に陥っていたのだろう(330日付の記事を参照).4月04日付の記事で,彼女は,自殺のために,首を吊ろうとしたこと,頸動脈を切ろうとしたこと,そして,過量服薬を三回したことを,告白している.同月05日土曜日付の記事では,医師に処方された「眠り薬」のことが言及されているので,彼女は精神科ないし心療内科に受診したのだろう;そして,休職のために診断書を作成してもらったのだろう ; 7日 月曜日の記事で,彼女は「GW 明けまで休職することにしました」と書いている.しかし,不安と希死念慮はますます強まってゆく.そして,426日未明,彼女は,みづから自身の生を断つ.

先ほど見た古川日出男氏の小説の一節は,ふたつの聖書箇所を想起させる:

天と地[すなわち存在事象]は過ぎ去るだろう;だが,わたし[イェスキリスト]のことばは過ぎ去らないだろう (Mt 24,35).

文字は殺す;だが,息吹は[永遠の]いのちを与える (2 Co 3,06).

終末のとき,存在事象としての文字は,過ぎ去る(すなわち滅びる);だが,イェスキリストという不滅のことば(ロゴス)は,過ぎ去らない.また,ことばを殺していた文字は,廃される;だが,永遠のいのちを与える息吹が,我々を生かしてくれる.終末において,死の不安のかなたに,死から永遠のいのちへの復活における救済が成起する.ところが,奥歯においてはそうはならならず,彼女は死の穴のなかへ陥ってしまう.

対照的なケースとして,Mother Teresa (saint Teresa of Calcutta : 1910-1997) を見てみよう 彼女が〈彼女の精神的な指導者であった司祭たちや司教たちに〉宛てた多数の書簡にもとづいて,彼女の死後に編纂され本 Come Be My Light(わたしの明かりになりに来なさい)にもとづきつつ.奥歯がその本を読むことができたなら,どれほどそれは彼女にとって救いとなっただろうか,と わたしは想像する;なぜならこのゆえに:そこにおいて,コルカタの聖女は彼女の長期間の「魂の闇夜」(la nuit obscure de l'âme) について証言している;というのも,彼女も神を否定神学的に 暗い穴 (dark hole) として 経験していたからである.だが,残念ながら,英語の原書が出版されたのは 2007年,そして,その邦訳『来て,わたしの光になりなさい』がやっと出たのは 2014年のことであり,それゆえ,奥歯は Mother Teresa の否定神学的経験の証言を知るよしもなかった.

Anjezë Gonxhe Bojaxhiu(アニエゼ ゴンジェ ボヤジウ)は,18歳のときにロレート修道女会に入り,すぐにインドへ派遣され,インドで修練を受け,21歳のときに誓願し,修道女名を,1925年に列聖された sainte Thérèse de Lisieux にならって,Mary Teresa と名のる.そして,1946年,36歳のとき,彼女は決定的な経験をする:イェスキリストが,彼女に声をかけてきて,言う:「すべてを棄てなさい;そして,わたしに付きしたがいなさい 貧民街のなかへ 貧しき者たちのうちでも最も貧しき者たちのなかでわたしに仕えるために.」そこで,彼女は,1948年に,コルカタの非常に貧しい地域で,見すてられたまま死んでゆこうとしている人々に手を差し延べる活動を開始する;そして,1950年に,彼女自身,Missionaries of Charity(神の愛の宣教者会)を創立する.だが,既にそのころから,彼女は,魂の闇夜に苦しみ始める.

如何にして,神から直接語りかけられる経験をした Teresa が,あるときから神を「暗い穴」(dark hole) としてしか経験し得なくなったのか ? 鍵は,hole という単語にある.イェスは,1947年のあるとき,彼女にこう命ずる:

My little one – come – come – carry Me into the holes of the poor. Come be My light. I cannot go alone – they don’t know Me — so they don’t want Me. You come — go amongst them, carry Me with you into them. How I long to enter their holes – their dark unhappy homes. Come be their victim. In your immolation in your love for Me – they will see Me, know Me, want Me. Offer more sacrifices – smile more tenderly, pray more fervently and all the difficulties will disappear.

わが子よ,来なさい,来なさい,わたしを持ってゆきなさい 貧しい者たちの悲惨な住まい [hole] のなかへ.わたしの明かりになりに来なさい.わたしは,ひとりで行くことはできない;彼らは,わたしのことを知らない;それゆえ,彼らはわたしを欲しない.あなたは,来て,彼らのなかを歩みなさい;わたしを彼らのなかへ持ってゆきなさい.如何にわたしは彼らの悲惨な住まい [hole] 彼らの暗く不幸な家 [home] へ入るのを切望していることか.彼らのいけにえになりに来なさい.あなたが〈わたしに対するあなたの愛において〉屠られるとき,彼らは,わたしを見るだろう,わたしを知るだろう,わたしを欲するだろう.いけにえをもっと献げなさい;もっと優しくほほえみなさい;もっと熱烈に祈りなさい;そうすれば,困難はすべて消え去るだろう.

そこにおける hole は,「穴」そのものではなく,しかして,比喩的に「貧しい者たちの悲惨な住まい」である おそらく,hole という語がある種の動物が住まう「巣穴」をも言うことをとおして.Teresa は,イェスの命令を忠実に実行する.かくして:

When I walk through the slums or enter the dark holes, there Our Lord is always really present.

わたしが貧民街を通って歩くとき,あるいは,暗く悲惨な住まいのなかへ入るとき,そこに,わたしたちの主は,いつも本当に現在している.

だが,そのとき,如何なることが生じたか ? このことである:彼女のなかで,そこからイェスが彼女へ語りかけてきたところの場所が,文字どおりに dark hole(暗い穴)それは,彼女に大きな苦痛を与える になる.Come Be My Light の編集者 Brian Kolodiejchuk 神父が「彼女の暗闇の経験の最も詳しく,最も長い記述のひとつ」と呼ぶ彼女の祈りのテクスト それを,彼女は,1959年07月03日付の書簡とともに,彼女の聴罪司祭 Lawrence Picachy 神父へ送った を,読んでみよう:

暗闇 [darkness] のなかで
主よ,わが神よ,あなたがわたしを見棄てるとは,わたしは何者なのですか ?[わたしは]あなたの愛の子どもでした なのに,今や,最も忌み嫌われているものとして,欲せられていないものとして,愛されていないものとして,あなたが遠くへ放り投げる子どもです.わたしは[神を]呼び,[神に]しがみつき,[神を]欲します ですが,答えてくれる方は,いません わたしがしがみつける方は,いません あの方は,いません.わたしは,ひとりぽっちです.暗闇は,かくも暗い そして,わたしはひとりぽっちです 欲せられず,見すてられて.[神の]愛を欲する心の孤独は,耐えがたい.わたしの信仰は,どこにあるのでしょうか ? 深く降りていっても,まさに中に入っても,そこには,空虚と暗闇 [ emptiness and darkness ] 以外,何もありません.わが神よ,この未知の苦痛は,何と苦痛なことか.それは,絶えず痛みます.わたしには[もはや]信仰がありません.わたしは,わたしの心のなかにひしめく言葉や考えを発することを,敢えてしません;そして,言いようのない苦しみをわたしに被らせることを,敢えてしません.かくも多数の未回答の問いが,わたしの内に生きています;わたしは,怖くて,それらを暴くことはできません 冒瀆のゆえに.もし神がいますなら,どうかわたしを赦してください.こう信頼せよ:すべては,イェスとともに天で終わるだろう.[しかし,]わたしがわたしの思考を天へ上げようと試みるとき,そこには,かくも確信させる空虚があるので,それらの[わたしの]思考は,鋭いナイフのように戻ってきて,わたしの魂を傷つけます.愛という語は,何ももたらしません.神はわたしを愛している,と人はわたしに告げます.ですが,暗闇と冷たさと空虚の現実感はかくも大きいので,わたしの魂に触れるものは何もありません.[ホスピスの]仕事が始まるまえは,かくも多くの[神との]一致がありました 愛,信仰,信頼,祈り,犠牲.わたしは,[イェスの]聖なる心の呼びかけに盲目的に服従したことにおいて,まちがったのですか ? 仕事は疑問ではありません;なぜならこのゆえに:わたしはこう確信しています:それは,彼の仕事であって,わたしの仕事ではありません.わたしは[それがわたしの仕事であるとは]感じません.その仕事のなかで何かを[これはわたしのものだと]主張するような考えや誘惑は,どんなに簡単なものでも,何ひとつ,わたしの心のなかに入ることはありません.

あなたはいつも微笑んでいる 修道女たちや人々は[わたしについて]そのような感想を述べます.彼らは,こう思っています:わたしの信仰,信頼,愛は,わたしの全存在を満たしており,そして,神との親密さ および 神の意志との一致が,わたしの心を占めているはずだろう.彼らが[わたしの内面を]知りさえするならそして,如何に わたしの朗らかさは,それによってわたしが空虚さと惨めさを覆い隠すところの外套であることか.

ともあれ,この暗闇と空虚は,神に対する熱望ほどには苦痛ではありません.わたしは恐れます:[外見と内面との]矛盾は,わたしの[心の]平衡を損なうでしょう.わが神よ,あなたは,かくも小さき者に対して,何をしているのですか ? あなたが〈あなたの受難をわたしの心に刻印するよう〉[わたしに]求めたときこれ[わたしの現状]が 答えなのですか ?

もし これ[わたしの現状]が あなたの栄光であるならば,もし あなたが これ[わたしの現状]から ひとしずくの喜びを得るならば,もし[これによって]魂たちがあなたのところへ連れてこられるならば,もし わたしの苦しみが あなたの渇きを満足させるならば,主よ,わたしはここにいます わたしは,喜びを以て,生の終りに至るまで,すべてを受けいれます;そして,わたしは,あなたの隠された顔に,ほほえむでしょう いつも.

また,本の序章の冒頭で引用されている Joseph Neuner 神父宛の文章 それは,1961年04月に彼の指導のもとにコルカタでおこなわれた黙想会(その際,彼女は,彼との一対一の面接の機会をも持った)の最中に,彼の求めに応じて書かれた,と推定されている において,Teresa は,より簡潔明瞭に,こう述べている:

神父さま,1949年か1950年ころから,この恐ろしい喪失感 この言いようのない暗闇 この孤独 この持続的な〈神に対する〉切望 は,苦痛を,わたしに わたしの心臓の奥深くにまで 与えます.暗闇は,これほどのものです:[そのなかで]わたしは,まったく見ることができません わたしの心を以てしても,わたしの理性を以てしても.わたしの魂のなかで,神の場所は からっぽです.わたしのなかに,神はいません.[神の]切望の苦痛が非常に大きいとき わたしは,まさに,神を切望してやみません そのとき,わたしは こう感じます:神は わたしを欲していない;神は いない神は,わたしを欲していないときとして,わたしは,わたし自身の心がこう叫ぶのを聞きます:「わが神よ!」ですが,ほかに何も起きません.そのような拷問と苦痛を,わたしは説明することができません.

以上が,Mother Teresa の否定神学的な〈神の〉経験に関する彼女自身の証言である.彼女において,「暗い穴」神の存在の穴 は,否定存在論的孔穴そのものである.彼女が言うことは,Anne Rau および 奥歯が言うことと,若干の共通点を有してはいる.だが,大きな違いもある : Mother Teresa は,Anne 奥歯とは異なり,強い不安も,希死念慮も有してはいない;そして,神の不在にもかかわらず あるいは,まさに神の存在のゆえに 彼女は,終生,神の意志を忠実に実行し続ける 喜びと愛を以て.実際,彼女は,先ほど言及した1961年04月の黙想会の終了直後に,Joseph Neuner 神父宛の書簡のなかで,こう述べている:

親愛なる神父さま,
わたしは,あなたの親切に対する感謝を,言葉で言い表すことができません.なぜなら,この11年間で初めて,わたしは,暗闇を愛するようになったからです.今や,わたしは,こう信じています:それは,地上におけるイェスの暗闇と苦痛の極めて小さな部分である.あなたは,わたしにこう教えてくれました:「それを受けいれなさい;それは,あなたの仕事の精神的な側面です.」今日,わたしは,本当に,深い喜びを感じました:イェスは,もはや苦悩のなかを進んでゆくことができない;しかして,彼は,わたしのなかでそうすることを欲している.今までよりもさらにいっそう,わたしは彼にわたし自身を委ねます.そうです,今までよりもさらにいっそう,わたしは,彼の意志に従います.

一方に Anne Rau  奥歯,他方に Mother Teresa — そこにある違いは,否定存在論的トポロジーの観点においては,これである:前者たちにおいては,開出してくる否定存在論的孔穴のエッジは単純な unknot でしかないのに対して,後者においては,それは三葉結びを成している (cf. § 4.6) ; そして,それゆえ,前者たちが死の穴へ呑み込まれてしまったのに対して,後者は昇華の悦に到達し得た.

その相違は,否定存在論的トポロジーの観点においては,このことへ還元される:前者たちにおいては,投射平面の構成要素であるメビウスの帯は,半ひねり 回のものである;それに対して,後者においては,それは,半ひねり 回のものである.そこに,我々は,精神病の発症の必要条件としての「父の名の閉出」の新たな否定存在論的公式化を見ることができるかもしれない:父の名の閉出は,メビウスの帯が半ひねり 回のものであることに存する.

だが,それさえも,神の業(わざ)ではないのか ? そして,神は,人間すべてを救済することを欲しているのではないか ? 如何にも.実際,聖書(知恵 4,07.10.14a)に こう書かれてある:

義人は,早死にするとしても,安らぎのうちにいるだろう.

彼は,神に喜ばれるものとなり,[神に]愛された;そして,罪人たちのなかに生きていたので,[神のもとへ]移された.

彼の魂は,主に喜ばれるものであった;それがゆえに,[神は,義人の魂を]邪悪のただなかから 急いで[救った].

まことに,義人ヨブ (Jb 1,21) が言うように:

YHWH は与えた;そして,YHWH は取り去った;
YHWH の名は,讃えられる.

主よ,若くして亡くなった者たちに みづから生を断った者たちをも含めて 永遠の安らぎを与えたまえ.彼らを絶えざる光で照らしたまえ.彼らが平和のうちに安らぐように.Amen.