2021年9月26日

ある日本文学研究者の追加質問に答えて


ある日本文学研究者の追加質問に答えて




早稲田大学 文学研究科 博士課程で 川端康成 (1899-1972) の文学について 研究している 馮 思途 氏の いくつかの質問に 答えるために,9月12日付の記事を 書きました.それに対して,彼は,いくつかの追加質問を 送ってきました.それらに答えるために,この記事を書きます.


否定存在論的孔穴について:

「否定存在論」(l’ontologie apophatique) も「否定存在論的孔穴」(le trou apophatico-ontologique) も,わたしの造語です.わたし以外,誰も用いていませんし,誰も用いることはないでしょう.

9月12日付の回答のなかでも述べたように,「否定存在論」は Heidegger の das Denken des Seyns存在 の 思考]のことです(そのままだと 見えにくいので,赤色で示します).しかし,「穴」(Loch) という語 — たとえば 宇宙物理学で言う black hole は ドイツ語では schwarzes Loch です — は,彼の思考の語彙には 属していません.代わりに,彼は,Abgrund[深淵],Ab-grund[深淵的な基礎,基礎としての深淵],Riß[裂けめ],Zerklüftung[裂けめ]などの語を 用いています.

Lacan は「穴」(trou) という語を より積極的に 使っています.しかし,彼の思考における その語の 本質的な重要性を 十分に強調している ラカニアンは,多分,わたし以外には いません.

いずれにせよ,穴について問うという思考は,トポロジックな思考です.それを,Heidegger も Lacan も 共有しています.

勿論,世界のどこを見まわしても,宇宙のどこを探索しても,源初論的孔穴は 目に見える形で 見出されるわけではありません.その直接的な証拠を提示することは できません.しかし,その代理 ないし その表象は,さまざまな形で 出現します — 芸術作品において,夢において,等々.

Freud が「無意識」の名称のもとに発見したものを,Lacan は,生物学(医学)にも 心理学にも 還元せず,而して,トポロジックに「人間存在の中核に口を開く穴」と捉えます.それは 否定存在論の基本的な考え方です.

しかも,Freud が 無意識を発見したのは 19世紀であって,それ以前ではなかった.ということは:無意識の穴は,18世紀までは塞がれていたが,19世紀に その穴塞ぎが無効になったことによって 口を開いた.

Michel Foucault を読んでいる あなたなら,それは coupure épistémologique[エピステモロジックな 切れめ]である,と言うでしょう.しかし,Foucault の その概念は,実は,Heidegger と Lacan に 基づいています.Foucault は Heidegger を 丹念に読んでいましたし,また,彼は,一時期,Lacan の セミネールを 聴講していました(後に 彼は 精神分析に対して 批判的になりますが).

Lacan が Freud をとおして 否定存在論的孔穴に気づいたのに対して,Heidegger は どのように それに気づいたのか ? それは,形而上学的な存在論の批判をとおしてです.

そのことを 我々は 彼の Sein und Zeit[存在と時間](1927) において 読み取ることができます.しかし,Heidegger を 初めて読む人に対して わたしが 勧めているのは 彼の『ニーチェ』講義(原著英訳邦訳)です.それは,1936-1940年に為された講義と 1940-1946年に執筆された論文に もとづいて 1961年に 二分冊の形で 出版された 本です(彼の Gesamtausgabe[全集]の 第 6 巻).大著ですが,『存在と時間』よりも はるかに 読みやすく,そして,読んで おもしろい 本です.もし あなたが この本を読んで おもしろいと感ずることができないなら,あなたには Heidegger は あまり向いていない,と 言ってもよいほどです.

そこにおいて Heidegger が 論じているのは,Nietzsche において読み取ることにできる〈形而上学の歴史の「満了」(Vollendung) としての〉Nihilismus[nihilism, nihilisme, 虚無主義,ニヒリズム]と Nietzsche による その超克の試みです.

ニヒリズムは,基本的には,このことに存します : Platon 以来 歴史的に最高の価値と見なされてきたもの — イデア的なもの,形而上学的なもの,そして,哲学者と神学者が「神」と呼んできたもの — の価値が 現代では 失われてしまった(その喪失の穴は,否定存在論的孔穴にほかなりません).その喪失に対して,受動的な態度において 不安におののき 悲嘆し 絶望する者も います(受動的ニヒリズム — その代表例は Schopenhauer).他方,その喪失の穴を再び塞ぐために,能動的に 穴塞ぎとなるものを措定しようとする者も います(能動的ニヒリズム — その代表例は Nietzsche).

我々は,今も,基本的に言って,ショーペンハウアー的態度 または ニーチェ的態度の いずれかを 取っています.しかし,「それらの いずれによっても ニヒリズムを超克することはできない;むしろ,ニヒリズムを 形而上学の歴史の必然的な帰結と 捉え,形而上学そのものの基礎を 批判せねばならない」— Heidegger は そう考えます.

形而上学とは,τὸ ὄντως ὄν[本当に存在するもの]ないし τὸ ὂν ᾗ ὄν[存在としての存在]について 思考する 思考です.ですから,形而上学とは 本質的に言って 存在論です.

Platon は,τὸ ὄντως ὄνἰδέα[イデア]と 名づけます.源初に 本当に存在するものとしての イデアが あった — それが,形而上学の主導的命題です.

それに従う限り,現代のニヒリズムは「本当に存在するもの」の価値が 失われた ということであり,それを超克するためには,「本当に存在するもの」ないし その代わりになる価値を 改めて措定せねばならない,ということになります.

そして,Nietzsche は まさに そのことを 実行しました — Wille zur Macht[力への意志]と ewige Wiederkunft des Gleichen[同じものが 永遠に 回帰すること,永劫回帰]を 措定することによって.

しかし,それらは 明白に paranoisch[妄想的]な 構築物です.我々としては,それらを以て ニヒリズムは超克された と 見なすことは とてもできません.

Heidegger の 選んだ道は,Platon の イデア論 そのものを 批判することです.つまり,「源初に 本当に存在するものとしての 存在が 存在した」という形而上学の主導命題を 批判することです.

それによって,Heidegger は,形而上学の源初とは異なる もうひとつの ほかの源初 について 問うことになります.それを 彼は,Sein[存在]という語を バツ印で 抹消することによって,指ししるします:


「存在」を抹消することは,形而上学の基礎 (Grund) を 抹消することです.そのとき,存在 は ひとつの Abgrund[深淵]となります.が,それは 同時に Ab-grund[深淵的な基礎,基礎としての深淵]でもあり得ます.

そのような 源初論的な 存在 の 穴 を措定することは,形而上学の この思いこみを 否定することです :「源初においては 何も欠けてはおらず,すべては完璧であった;もし 今 何らかの欠如や欠落や欠陥が見出されるとすれば,それは,源初より後に 何かが欠けたからである」.

そうすることによって,我々は,何らかの新たな価値を妄想的に措定することによってニヒリズムを超克しようとする 不可能な試みを 断念することができます.

そして,そのとき,ニヒリズムの超克の可能性は このことに存することになります:源初論的な 存在 の 穴を 穴として受けいれ,その 存在 の 穴を 我々自身 生きること.

源初に ひとつの Ab-grund の 穴が あった — そのことを 我々は 実は 聖書の冒頭に 見出すことができます(Heidegger は 明確に そう指摘しては いませんが).旧約聖書です.つまり,ユダヤ民族が 神との関係において 古代ギリシャ文明の黄金時代よりも前に 書き上げた テクストです.

その最初の書『創世記』は こう始まります :「源初において,神は 天と地を 創造した.そのとき,地は 無定形であり 空虚であった.闇が 深淵のおもてにあった.そして,神の息吹が 水のおもてに 動いていた」.

その「深淵」という語(ヘブライ語では תְּהוֹם [ tehom ], ギリシャ語では ἄβυσσος[この語は,英語の abyss および フランス語の abysse の 語源であり,ドイツ語では Abgrund と訳され得ます])は「源初論的な穴」(否定存在論的孔穴)を 指している — 我々は そう読むことができます.

この創世記の冒頭は,「無からの創造」(creatio ex nihilo) という 神学の概念を 動機づけています.また,「無からの創造」は,終末論 (eschatology, eschatologie) とも 相関的です — もっとも,その終末は,単純に すべてが無に帰することではなく,而して,永遠の命[いのち]における救済に 存します.

「無からの創造」と 終末論は,ユダヤ教と キリスト教と イスラム教に 共有されています.ほかの文化圏(日本を含む中国文化圏,ヒンズー教が支配的なインド文化圏)にとっては 異質な考え方です.しかし,「無からの創造」と 終末論にもとづかない限り,現代の最大の問題である「ニヒリズムの超克」に取り組むことは できません.

穴は源初論的であり,それを 塞ぐことも 隠すことも 決して できない.そのことを自覚すれば,我々は,穴を塞いだり隠したりする試みを 断念することができます — それは達成不可能な試みですから.そして,我々自身,穴として生きる という 終末論的な覚悟における生き方を 生きることができます.精神分析の終結において成起する「欲望の昇華」は,それにほかなりません.

ですので,お勧めする読書は,Heidegger と 神学です.ただし,Heidegger は ドイツ語で読まないと 本当には読むことはできません.ドイツ語で読めなければ,せめて 英訳で読んでください.邦訳では読めません(ただし,ドイツ語はできないが Heidegger を読んでみたいと思っている日本人には,わたしは,先ほども言及した 彼の『ニーチェ』講義の邦訳を 勧めています).Heidegger は 中国語には翻訳されているでしょうか?

神学に関しては,キリスト教を 中国文化や日本文化には異質なものとして 敬遠している限り,あなたの思考が深まることはない,と わたしは断言します(カトリックであるわたしがそう言っても 眉唾ものだ と あなたは思うでしょうが).

神に対して心を閉ざし続ける社会が どうなるか — 着々と自滅に向かいつつある 今の日本社会は その典型例です.

神学を学ぶためには,まず 聖書を読む必要があります(聖書は神学書ではありませんが).

神学そのものに関する入門書は 何がよいか?これは難問です.早稲田大学の図書館で探してみてください.ただ,キリスト教神学も 非常に多様です.わたし自身はカトリックですから,やはり,プロテスタントの著者の本よりは,カトリックの著者の本を お勧めしたいと思います.今 Google で探したところ,フランス語原著の『カトリック神学入門』が 目にとまりました.図書館にあるでしょうか?


神経衰弱 (Neurasthenie) について:

Neurasthenie は,19世紀に 広く通用していた概念ですが,今の精神医学においては もはや 疾病単位 (clinical entity) とは 見なされていません.

もし 男女の性別に関連づけるなら,ヒステリーが女性の病理であるとすれば,男の病理の代表例は 強迫神経症 (Zwangsneurose, obsessive-compulsive disorder) です.しかし,強迫神経症は 女性でも 珍しくはありませんし,男性のヒステリー患者も います.

いずれにせよ,「神経衰弱」を論じようとすることは,もはや時代錯誤です.

男女の性別に関しては,否定存在論的孔穴を塞ぐ phallus に準拠する必要があります.が,ここでは その問題には 立ち入りません.


川端康成の「記憶」に関して:

川端康成の父は 彼が 19ヶ月のときに死に,ついで 彼の母も 彼が 2歳 7ヶ月のときに死んだ という 伝記的な事実は,彼が とても幼いときに 死の穴(喪失の穴)に直面させられた ということを 示しています.死の穴との直面の経験は,当然,彼に対して外傷的に作用したはずです.だからこそ,その記憶は 排斥(Verdrängung,「抑圧」)されました.彼は 両親の死そのものについて みづからは 何も想起することはできない.その代わりに,親戚の人々の言葉が 想起される.つまり,それらの言葉は 彼にとって 死の穴を 塞ぐ あるいは 隠すものです.

彼の作品は 両親の死の穴をめぐりつつ為された創造である と 言うことができるかもしれません — たとえ 死が主題的に扱われてはいない作品でも.しかし,結局,彼は喪を克服することはできなかったのではないか — 彼の 72歳での 自殺は そのことを示唆しているように 思われます.

わたしは,川端康成の作品のなかで読んだことがあるのは,『伊豆の踊子』と『雪国』だけなので,確たることは何も言えません.しかし,彼の自殺の理由は 単純な伝記的研究では 見えてこないだろう ということは 確かでしょう.ノーベル文学賞の誉れを受けた 72歳の作家が,病苦も無いのに,何故 自殺を選んだのか ? 幼児期の死の穴の経験 以外に,説得力のある答えを見出すのは,困難でしょう.

2021年9月24日

Quelques remarques sur la corrélation entre les quatre discours de Lacan et la théorie freudienne du développement libidinal

 


Quelques remarques sur la corrélation entre les quatre discours de Lacan et la théorie freudienne du développement libidinal




 

Cet article est pour présenter une petite idée que j’ai eue à partir du schéma que Lacan nous présente au commencement de la séance du 19 juin 1963 de son Séminaire X L’angoisse (à la page 341 de la version du Seuil).


À partir de là, je fais quelques remarques : 1) ce schéma-là correspond au processus dialectique du trou du sujet $ que Lacan formalise avec les quatre discours, excepté la phase conclusive qui est le discours de l’analyste ; 2) à la phase phallique qui se situe là au sommet central, correspond la structure du discours du maître qui est une formalisation lacanienne de la phase archéologique de l’Histoire de l’être ; 3) à partir de là, la structure peut régresser aux stades prégénitaux, auxquels correspond la structure du discours de l’hystérique où le trou du sujet $ est obturé par l’objet a ; 4) et aussi à partir de la phase phallique, la structure peut « progresser » au stade scopique et au stade de la voix (le surmoi), auxquels correspond le discours de l’université où le trou du sujet $ est obturé par le surmoi (le signifiant maître S1) et où l’objet a dans le fantasme se situe au le bord du trou du sujet $ ; 5) le mythe de la horde primitive et du meurtre de l’Urvater que Freud nous présente dans son Totem et tabou est une mythification du passage « progressif » du discours du maître au discours de l’université.

Quand Lacan nous présente « les schèmes structuraux des quatre discours » dans la dernière page de sa Radiophonie (cf. Autres écrits, p.447), il y ajoute ces remarques : « le discours du maître s’éclaire par régression au [1] discours de l’hystérique » et « le discours de l’université s’éclaire de son progrès dans le discours de l’analyste ».

[1] On trouve à la page 447 des Autres écrits ceci : « par régression du discours de l’hystérique », mais il nous faut lire ceci : « par régression au discours de l’hystérique », puisque à la page 436 Lacan dit du discours du maître ceci : « C’est d’un effet de régression que s’opère le passage [ du discours du maître ] au discours de l’hystérique ». Ainsi c’est bien le passage du discours du maître au discours de l’hystérique qui est une régression, non pas le contraire.

Donc les quatre discours sont dotés d’une orientation : le progrès consiste dans la transformation de la structure du discours de l’hystérique en celle du discours du maître, la transformation de la structure du discours du maître en celle du discours de l’université et la transformation de la structure du discours de l’université en celle du discours de l’analyste ; et la régression consiste dans les transformations inverses.


Et ce terme « régression » nous suggère que Lacan pense à une certaine analogie entre les quatre discours et les stades du développement libidinal dont Freud suppose qu’il part du stade oral et, en passant par le stade anal, arrive à la phase phallique ou à l’organisation génitale [2] où les pulsions partielles prégénitales seraient unifiées sous le primat du phallus pour que la pulsion sexuelle puisse servir à la procréation en tant que sa finalité.

[2] Il y a une ambiguïté chez Freud en ce qui concerne la position de l’organisation génitale : soit il la situe avant la période de latence (c’est-à-dire l’organisation génitale infantile), et dans ce cas-là elle coïncide avec la phase phallique, soit il la situe après la période de latence (c’est-à-dire l’organisation génitale finale), et dans ce cas-là elle est le stade final de maturation de la pulsion sexuelle, dans lequel sa finalité de procréation est réalisable. De toute façon, la phase phallique et l’organisation génitale se caractérisent, toutes les deux, par le primat du phallus, sous lequel s’unifieraient les pulsions partielles prégénitales.

Alors, quelle serait la corrélation entre les quatre discours et les stades du développement libidinal ?

La réponse nous en est suggérée par le schéma des « formes stadiques de l’objet » que Lacan nous présente au commencement de la séance du 19 juin 1963 de son Séminaire sur l’angoisse, et ce pour nous expliquer la structure obsessionnelle.


Dans ce schéma-là, la flèche part du stade oral (les seins) et monte, en passant par le stade anal (l’excrément), vers le sommet qui consiste dans la phase phallique ou le manque phallique ( − φ ), c’est-à-dire l’impossibilité (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) du phallus Φ sous le primat duquel réaliserait l’organisation génitale 
[3]. Et à partir de là, elle descend, en passant par l’étage scopique (le regard) ou la formation du fantasme (l’imaginaire), pour aboutir à l’étage de la voix ou à l’institution du surmoi et de l’idéal du moi (le symbolique).

[3] L’impossibilité du phallus Φ sous le primat duquel réaliserait l’organisation génitale ou la phase phallique, autrement dit le fait que ce phallus Φ est un signifiant qui ne cesse pas de ne pas s’écrire, c’est ce que veut dire la formule lacanienne : « il n’y a pas de rapport sexuel ».

Dans ce schéma-là, il serait naturel de supposer que le vecteur ascendant indique le progrès et que le vecteur descendant la régression, mais ce n’est pas si simple que cela, puisque Lacan y ajoute ces remarques : « dans une régression il y a une face progressive » et « dans tout accès progressif au stade ici posé comme supérieur, il y a une face régressive ».

Là, nous trouvons quelque chose de nouveau chez Lacan par rapport à Freud. Ce dernier croit qu’un enfant peut atteindre vers 5 ans – c’est-à-dire à l’apogée du complexe d’Œdipe – le stade de l’organisation génitale ou la phase phallique, et qu’il régresse de là aux stades prégénitaux à cause de l’interdiction de l’inceste ou à cause de l’angoisse de castration, ces deux éléments – l’interdiction de l’inceste et le complexe de castration – étant intrinsèques au complexe d’Œdipe.

En revanche, Lacan dit que la flèche qui descend à partir de la phase phallique pour aboutir au surmoi, est à la fois régressive et progressive : régressive pour autant qu’elle va du génital (le phallus) au prégénital (l’objet a : le regard et la voix), et progressive pour autant qu’elle arrive à l’institution de l’instance nouvelle que sont le surmoi et l’idéal du moi.

Alors, quelle serait la relation entre la phase phallique et le surmoi ? Freud nous en donne la clef de la réponse par cette thèse qu’il nous avance dans Le moi et le ça : le surmoi est l’héritier du complexe d’Œdipe.

Comme on le sait, Freud traite de la question de savoir comment on passe de la phase phallique à la formation du surmoi aussi bien dans Le moi et le ça que dans Le déclin du complexe d’Œdipe, mais pour notre part, nous interprétons la formule freudienne : « le surmoi est l’héritier du complexe d’Œdipe » de façon topologique.

Du point de vue topologique que Lacan nous enseigne, nous dirons ceci : l’instance du surmoi est instituée à la place du phallus impossible Φ (qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) pour obturer le trou du ( − φ ), que Lacan dans la séance du 26 juin 1963 de son Séminaire sur l’angoisse appelle aussi « le trou central », « le trou phallique au centre du génital », « la béance centrale du désir phallique » et « le trou castratif », c’est-à-dire le trou central et fondamental du non-rapport sexuel [4].

[4] Lacan dira au commencement de la séance du 11 avril 1978 de son Séminaire XXV Le moment de conclure ceci : « J’ai énoncé – en le mettant au présent – qu’il n’y a pas de rapport sexuel. C’est le fondement de la psychanalyse ». L’expression « le trou du non-rapport sexuel » est utilisée par Lacan dans la séance du 15 avril 1975 de son Séminaire XXII R.S.I.


Alors les trois instances de la seconde topique de Freud sont situables dans la structure de l’aliénation et celle du discours de l’université de façon suivante :


Si j’ajoute une remarque sur ce que Lacan dit dans la séance du 15 décembre 1965 (Le Séminaire XIII L’objet de la psychanalyse) au sujet du schéma de l’aliénation et du « trou du manque de l’objet a », je dirai ceci : que dans la topologie de l’aliénation, l’objet a fait le bord du trou de sorte qu’il peut se présenter lui-même comme un trou.


Si nous projetons la structure de l’aliénation sur le plan projectif (le cross-cap, ou, comme Lacan l’appelle dans L’Étourdit [cf. Autres écrits, pp.471ff.], l’asphère) qui se forme par l’identification du bord du disque (qui est homéomorphe à la sphère trouée) et de celui de la bande de Möbius, l’objet a fait le bord de la bande de Möbius, et le S1 est ce qui obture le trou.

Les deux éléments qui composent le plan projectif (le cross-cap, l’asphère) : la sphère trouée qui est homéomorphe au disque, et la bande de Möbius. On obtient le plan projectif par l’identification du bord du trou avec celui de la bande de Möbius.

Par sa position au bord du trou dans la structure de l’aliénation (qui est aussi la structure du discours de l’université), l’objet a (vert) fait la fonction de joindre l’une à l’autre ces trois surfaces : la sphère trouée (bleu), la bande de Möbius (rouge) et la surface de ce qui obture le trou (jaune).


Cette fonction de joindre les trois surfaces se retrouve dans la fonction du quatrième rond de ficelle dans le nœud borroméen à quatre, qui noue les trois autres de façon borroméenne. Lacan appelle cette fonction du quatrième rond « nodalité » dans son Séminaire XXI Les non-dupes errent et « nomination » dans son Séminaire XXII R.S.I.


Maintenant, nous sommes prêts à présenter le schéma suivant qui est une schématisation topologique des quatre discours :


Si je les explique de nouveau, primo, le domaine bleu correspond à la place de l’agent des quatre discours et à la sphère trouée (parmi les composants du plan projectif), et sa fonction est la consistance (l’imaginaire) ; secundo, le domaine rouge correspond à la place de la production et à la surface möbiusienne, et sa fonction est l’ex-sistence (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) ; tertio, le domaine jaune correspond à la place de la vérité et au trou fondamental du non-rapport sexuel (qui est obturé par ce qui s’installe dans la place de la vérité), et sa fonction est la différence (le symbolique) ; et quarto, le bord vert correspond à la place de l’autre des quatre discours. Il est à la fois le bord de chacun des trois domaines et ainsi les joint l’un à l’autre. Et sa fonction est la nodalité (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de s’écrire) qui noue de façon borroméenne les trois ronds du réel (en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), du symbolique et de l’imaginaire, ou la nomination qui donne à ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire un nom qui ne cesse pas de s’écrire.

Les trois flèches (deux flèches de « progrès », une desquelles va du discours du maître au discours de l’université et une autre va du discours de l’université au discours de l’analyste, et une flèche de régression qui va du discours du maître au discours de l’hystérique) indiquent que le point de départ est le discours du maître. En effet, quand il nous présente les quatre discours dans la première séance de son Séminaire XVII (1969-1970), Lacan nous dit que le discours du maître en est la « première forme ».

Mais, plus précisément, en quel sens le discours du maître est-il le premier parmi les quatre ? C’est en ce sens-ci : que le discours du maître correspond à la phase archéologique de l’Histoire de l’être [5].

[5] « Die Geschichte des Seyns » est le nom que Heidegger a donné en 1938 à son penser de l’être (das Denken des Seyns). Dans ses « cahiers noirs » de l’après-guerre, il écrit souvent « die Geschichte des Seyns » en barrant le mot « Seyn » d’une croix (das durchgekreuzte Seyn) pour indiquer qu’il s’agit là du fondement abyssal (Ab-grund) sur lequel se fonde l’ontologie à son insu (puisqu’elle l’a forclos à son commencement chez Platon ou chez des présocratiques). Du point de vue topologique, nous appelons cet Ab-grund des Seyns « trou de l’être » et « trou du sujet $ ». Comme je l’ai déjà dit ailleurs, il est très probable que Lacan a inventé son mathème du sujet barré $ à partir du « Sein » qui se trouvait dans l’article de Heidegger Zur Seinsfrage (1955). Nous appelons das Denken des Seyns de Heidegger « ontologie apophatique », puisqu’il ne s’agit plus là de l’être métaphysique mais bien du trou de l’être.

Si je présente cette Histoire de l’être d’une façon topologique, j’y distingue ces trois phases : 0) la phase archéologique, 1) la phase métaphysique et 2) la phase eschatologique. Dans la phase archéologique, le trou du sujet $ était ouvert. Au moment du commencement de la phase métaphysique, ce trou du sujet $ est obturé par le signifiant maître S1 [6] qui par là refoule le trou du sujet $ dans la localité de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire (l’impossible). Dans la terminologie freudienne, nous pouvons dire Urverdrängung (archirefoulement) du sujet $, et dans la terminologie lacanienne la forclusion du sujet $.

[6] Le premier S1 dans l’histoire de la philosophie serait ou bien le Ἕν héraclitien ou bien l’ἰδέα platonicienne – Heidegger n’est pas tranchant là-dessus.


En corrélation avec cet archirefoulement du trou du sujet
$ dans la localité de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire (l’impossible), l’objet a se multiplie en tant que ce qui ne cesse pas de s’écrire (le nécessaire) au bord du trou pour porter les traces du sujet $ archirefoulé.

Enfin vient la phase eschatologique qui commence à la fin de l’âge classique (la fin du XVIIIe siècle) où l’obturation du trou par quelque chose de métaphysique et d’idéal (S1) s’annule sous l’effet des discours de la science et du capitalisme de sorte que le trou du sujet $ va surgir comme une béance.


Mais il y a des résistances véhémentes contre l’ouverture du trou du sujet $, parce que ce trou a la signification angoissante de la mort, du néant et du péché originel. La résistance s’exerce soit par l’installation de nouveaux signifiants maîtres S1 pour obturer de nouveaux le trou, soit par la multiplication indéfinie de l’objet a au bord du trou pour le dissimuler.

En conséquence, il y a des va-et-vient indéfinis entre la structure de l’aliénation et celle de la séparation, ce que Lacan appelle « pulsation temporelle » dans son Séminaire XI et dans son écrit Position de l’inconscient.

Aujourd’hui, nous sommes encore dans cette phase eschatologique de l’Histoire de l’être. De nouveaux signifiants maîtres S1 deviennent de plus en plus paranoïaques, et l’objet a ne cesse pas de s’écrire sous les formes diverses de plus-de-jouir et de plus-value.

Alors, nous pouvons mettre en corrélation cette conception heideggérienne de l’Histoire de l’être avec les quatre discours de Lacan de façon suivante :

0) la phase archéologique où le trou du sujet $ était ouvert, correspond au discours du maître où le sujet $ se situe dans la place de la vérité, ce qui veut dire que le trou du sujet $ et le trou archéologique du non-rapport sexuel ne font qu’un seul et même trou ;

1) la phase métaphysique et la réobturation du trou par de nouveaux signifiants maîtres S1 dans la phase eschatologique correspondent au discours de l’université où le signifiant maître S1 se situe dans la place de la vérité, ce qui veut dire que le trou du non-rapport sexuel est obturé par le signifiant maître S1 ;

2) le surgissement béant du trou du sujet $ dans la phase eschatologique correspond au discours de l’analyste où le sujet $ se situe dans la place de l’autre, ce qui veut dire que le sujet $ fait le bord du trou apophatico-ontologique de sorte qu’il se manifeste comme un trou béant.

Alors, revenons au schéma des « formes stadiques de l’objet ».


Là la flèche part du stade oral, mais c’est pour autant que Freud suppose que le développement libidinal commence par là à partir du fait empirique que l’être humain commence sa vie comme un bébé qui suce les seins maternels. Lacan renverse cette supposition naïve de Freud : le point de départ est la phase phallique où le trou du non-rapport sexuel ( − φ ) était ouvert. Elle est le point de départ parce qu’elle correspond à la phase archéologique de l’Histoire de l’être et à la structure du discours du maître où le trou de l’être (le trou du sujet $) était ouvert dans sa position centrale et fondamentale.

Cette perspective-là nous permet une nouvelle interprétation du mythe du patriarche (Urvater) que Freud nous raconte dans son Totem et tabou. Il nous le présente là comme un maître tout-puissant qui jouit du rapport sexuel et génital avec toutes les femmes (c’est-à-dire avec La Femme qui est en fait impossible) sans aucune restriction. Ainsi, il nous dit qu’au commencement mythique il existait au moins un pour qui la jouissance phallique de La Femme était pleinement possible. Mais ce n’est qu’un mythe, et un mythe nous dit la vérité par une fiction mythologique. Quelle vérité ? Cette vérité qu’il n’y a pas de rapport sexuel, c’est-à-dire le phallus patriarcal Φ en tant que condition de la possibilité de l’organisation génitale, est en fait impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire). Ce que le patriarche mythique à la fois nous cache et nous représente, c’est cette vérité-là. Et le discours du maître formalise justement cette vérité par la position archéologique du trou du sujet $ qui est aussi le trou du non-rapport sexuel ( − φ ).

Alors, passons de la phase phallique à la formation du surmoi. Ce processus correspond à la transformation « progressive » de la structure du discours du maître en celle du discours de l’université.


C’est ce processus de transformation structurale que le mythe du meurtre du patriarche mythifie. Les fils (les esclaves) S2 tuent le père (le maître) S1 pour s’installer eux-mêmes dans la place du maître (la place de l’agent). Et ils mangent de la chair du père mort pour incorporer (s’approprier, s’identifier à) la toute-puissance patriarcale, c’est-à-dire le phallus patriarcal Φ tout-puissant et tout-jouissant. Mais puisque ce phallus patriarcal Φ est en fait impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), ce qu’il incorpore et ce à quoi ils s’identifient, c’est le signifiant maître S1 en tant que surmoi et idéal du moi, lequel signifiant s’installe dans la place de la vérité pour obturer le trou apophatico-ontologique. Le désir archéologique $ est maintenant archirefoulé dans la place de la production (la place de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), et le petit a qui était La Femme impossible dans le discours du maître, apparaît maintenant dans la place de l’autre en tant que femmes (des femmes qui existent comme objet cause du désir) et en tant qu’objet a dans le fantasme.

Si Lacan réduit le surmoi à l’impératif catégorique « Jouis ! », c’est parce que le surmoi S1 est l’héritier du complexe d’Œdipe, lequel suppose la téléologie de l’organisation génitale où devrait se réaliser la jouissance génitale de La Femme.

Mais, en fait, cette téléologie œdipienne est impossible parce que le phallus patriarcal Φ en tant que condition de la possibilité de l’organisation génitale est impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire). Ainsi, l’exécution de l’impératif surmoïque est aussi une tâche impossible à accomplir. Alors le surmoi ne cesse pas d’ordonner de jouir, ce qui veut dire que l’impératif surmoïque n’est pas simplement « Jouis ! », mais « Jouis toujours encore plus ! ».

C’est cet impératif surmoïque « Jouis toujours encore plus ! » qui conditionne la multiplication indéfinie et répétitive du plus-de-jouir a.

Si Lacan ne nomme pas cette structure « discours de l’obsessionnel », nous pourrions ainsi appeler le discours de l’université par rapport au discours de l’hystérique.

Alors, passons à la régression du discours du maître au discours de l’hystérique.


Maintenant, ce qui caractérise le discours de l’hystérique est très clair : c’est la position de l’objet a prégénital qui obture le trou du non-rapport sexuel. C’est en cela que consiste la fixation orale de l’hystérique.

Nous pouvons maintenant situer dans cette structure-là ce que Freud appelle identification hystérique. C’est bien par le moyen de l’objet a oral que la spirituelle bouchère (cf. le chapitre IV de L’Interprétation du rêve) qui se refuse la jouissance du caviar, s’identifie avec son amie qui se refuse la jouissance du saumon fumé. Elles ne se soumettent pas à l’impératif surmoïque ni elles ne poursuivent la multiplication du plus-de-jouir, mais elles se défendent contre l’angoisse devant le trou du non-rapport sexuel simplement au moyen de l’objet a qui l’obture.

Et nous pouvons voir là aussi la position de Dora $ qui s’interroge sur la jouissance de La Femme S2 (incarnée par Madame K) par l’intermédiaire de son père S1, l’impuissance duquel est représentée par l’impuissance du S1 d’obturer le trou, puisqu’il n’est que le bord du trou, non pas le phallus Φ qui obturerait le trou du non-rapport sexuel.

Je ne traiterai pas ici de la transformation « progressive » de la structure du discours de l’université en celle du discours de l’analyste, parce que je me limite à examiner le schéma des « formes stadiques de l’objet ». Si vous vous y intéressez, vous seriez invités à lire mon article Vous avez dit « le dernier enseignement de Lacan » ? – Quelques remarques critiques contre Jacques-Alain Miller en guise de commémoration du 40ème anniversaire de la mort de Jacques Lacan.

2021年9月12日

ある日本文学研究者の Freud に関する 質問に 答えて



ある日本文学研究者の Freud に関する 質問に 答えて





この記事を書くのは,早稲田大学 文学研究科 博士課程で 川端康成 (1899-1972) の文学 — 特に 1920-1930年代に 執筆された 初期作品 — について 研究している 馮 思途 氏からの いくつかの質問に 答えるためです.

まず,今年 4 月,共通の知人 K 氏を介して,Freud は 記憶について どのようなことを言っているか という 質問を 彼から 受けました.
馮 思途 氏が 精神分析において 記憶が どのように論ぜられているのかに 関心を持ったのは,川端康成の自伝的な作品を 彼の実体験にもとづいてではなく 彼の記憶にもとづいて 分析するためだそうです.つまり,重要なのは,彼が 実際に 何を 如何に 体験したのかではなく,彼が 何を 如何に 記憶から 思い出しているのか または 忘れ去っているのかである,という観点です.

わたしは とりあえず こう 答えました:

Freud は 記憶について 如何に 論じているのか ? Freud は,精神分析の臨床家および理論家として,最初から 最後まで 記憶について 論じ続けています.彼にとって,精神分析の臨床は,外傷的な経験の記憶の「抑圧」(Verdrängung — わたしは この用語を「排斥」と訳します)と「想起」(Erinnerung) とをめぐって 展開されます.

彼の最初の精神分析的な著書『ヒステリー研究』(1895) の冒頭に収録されている 予備的報告『ヒステリー現象の心的メカニズムについて』(1893) において,彼は „der Hysterische leide größtenteils an Reminiszenzen“[ヒステリー患者は 大部分 記憶に 病んでいる]— 日本語に訳すと 曖昧になってしまいますが,Freud の 主張は「ヒステリーの病因の大部分は 記憶に 存している」ということです — と述べています.そして,彼の最後の著書『モーゼという男 と 唯一神の宗教』(1939) においては,彼は,如何に ユダヤ民族は モーゼ殺害の記憶 — Freud は「ユダヤ人たちは みづから 自分たちの指導者(つまり 父親的役割を果たしている者)である モーゼを 殺害した ということを 旧約聖書から読み取ることができる」という学説に 準拠しています — に(つまり 父殺しの記憶に)病んでいるか を 論じています.

確かに,『ヒステリー研究』(1895) の出版の後,1890年代の後半,Freud は,幻想 (Phantasie) をも 神経症の病因と 見なすことになります.つまり,患者が 実際に体験したのではなく 空想しただけの光景も 病因として作用し得る,と Freud は 考えるようになります.しかし,それでも,Freud にとっては,やはり,実体験の記憶は 神経症の病因として 最も有意義なものであり続けます.そのことは,たとえば「原光景」(Urszene) の概念に 読み取ることができます.患者が まだ 月齢 18ヶ月ほどにしかすぎないときに 目撃した 両親の性行為の光景の記憶が 病因的に作用している — Wolfsmann[オオカミ男]という渾名を与えられた患者に関する症例論文において Freud は そう 論じています.

ただし,Lacan の教えを学んだ 我々としては — つまり,Freud が 彼の臨床経験と 経験論的および形而上学的な先入観とにもとづいて 創始した 精神分析を 純粋に(すなわち 非経験論的 かつ 非形而上学的に)基礎づけた Lacan の教えを学んだ 我々としては — 今 Freud を読むときに 留意すべきことを 付け加えておきます.それは,Freud は 経験論者である ということです.

経験論者として,Freud は,このことを 当然の前提と しています:すなわち,記憶は 原則的に すべて 体験された出来事 または 学習された情報の 記憶である;実際に体験されても学習されてもいないことが 記憶として 想起されることはない;記憶として想起されることは すべて 過去に体験または学習されたことである(ただし,当然,記憶ちがいの場合は 除く).

しかし,それは 彼の経験論的な思いこみにすぎません.

Freud が 経験論者であるがゆえに 作り上げた〈問題の多い〉概念の ひとつが,先ほども言及した「原光景」です.彼は,こう 疑います:ある患者において ひとつの〈外傷的な体験の〉記憶が 病因的に作用していることが 見出された とする;しかし,そのことは 実は より早期に体験された もうひとつの ほかの 外傷体験に 条件づけられているのではないか ? そう考えた Freud は,根本的な病因を追求するために,患者の個人的な歴史を どんどん より幼いときへ さかのぼって行きます.かくして 彼が行き着いたところが,あの〈患者が 18ヶ月のときに目撃した〉「原光景」です.

しかし,神経症の病因としての「原光景」は,明らかに,Freud の 経験論的な構築物にすぎません(Freud 自身,「患者が想起しえない記憶を 分析家は Konstruktion[構築]によって 補う」と 言っています).患者が 月齢 18ヶ月の
ときに 目撃した 両親の性交の光景が,細部に至るまで 記憶され,その後 ある時点で 外傷的なものとして 排斥(抑圧)され,そして,それが 彼の精神病理を条件づけることになった と 想定するのは,かなり無理なことです.

では,何が問題なのか ? 病因的に作用し得る「外傷的」(traumatisch) な「経験」とは 何なのか?

ふたつの用語 —「体験」(Erlebnis) と「経験」(Erfahrung) と — を 区別しておきましょう.それらの意義は,部分的には 重なり合います.しかし,異なる部分も あります.「体験」は,もっぱら,日常的な意味における「現実」の次元のものです.それに対して,我々は,いわゆる 現実的な体験の次元とは異なる次元において — たとえば,書物や映画や芸術作品のなかで,あるいは,夢や空想のなかで — さまざまなことを「経験」し得ます.そのような「経験」の方が,現実のなかにおける「体験」よりも より意義深いものであることが あり得ます.たとえば,夢のなかで,あなたは 非常に恐ろしいことを「経験」し得ます — たとえ そのようなことを「体験」したことはなくても.そして その恐ろしい経験は あなたに非常に強い印象を与え得ます — 如何なる現実的な体験よりも より強い印象を,より なまなましい 印象を.

精神分析において意義深い 外傷的な経験は,わたしが「否定存在論的孔穴」(le trou apophatico-ontologique) と呼んでいるものとの遭遇の経験です.詳しい説明は,あまりに長くなってしまうので,ここでは控えます.ともあれ,その穴は,夢や 文学作品のなかに さまざまなしかたで 描かれています.比較的 最近の 文学的な例としては,村上春樹氏の『騎士団長殺し』を挙げることができます.その作品は,最初から最後まで,否定存在論的孔穴を描き出しています — さまざまなしかたで.まだ読んでいないなら,是非 読んでみてください.

わたしの 以上のような回答(この記事を書く際に かなり補足しました)に対して,馮 思途 氏から 8月に 改めて 次のような質問が 送られてきました(表現や表記は 一部 改めてあります):

質問 1. フロィト理論における「性欲」について

Freud の著作では,「性欲」が 必ず 論ぜられています.『ヒステリー研究』でも『夢解釈』でも,症例論文でも,それは,一貫したテーマです.また,第一次世界大戦を経験した後では,彼は,『快原則の彼方』において,Eros と Todestrieb[死の本能]の 二元論を 提起しました.その構図は,Henri Bergson が Matière et mémoire[物質と記憶]や L’Évolution créatrice[創造的進化]のなかで用いている論法の一部を 彷彿とさせます.同時代に生きていた Freud と Bergson は,直接的な影響関係は無くとも,相互に似かよった思考を有していたのではないか と思われます.

「性欲」のテーマに戻ると,最も奇妙に思えるのは,なぜ Freud は 議論を「性欲」の領域に持っていくのか ということです.なぜ 彼は「性欲」の問題に それほど こだわったのでしょうか?

近代日本文学の領域においては,フロィト理論の積極的な受容の例としては,1910年代 後半,中村古峡が 1917年に創刊した『変態心理』誌が 挙げられます.そのなかで,小熊虎之助は Freud の「無意識」の理論を紹介しており,また,田中香涯は「変態性欲」について語っています.

ただし,わたしは,日本で最初に注目された フロィト理論は,性欲に関するものではなく,むしろ,無意識に関するものであった,という印象を 受けています.実際,川端康成は,1924年に Freud の「自由連想」に 言及しています.

次いで,1930年代に入ると,フロィト理論における「性欲」への関心が 高まってくるようです.たとえば,川端康成の『水晶幻想』(1931) には Freud への言及があり,「性欲」のテーマが濃厚です.谷崎潤一郎の『武州公秘話』(1931) には,Freud の名前こそ出てきませんが,主人公の変態性欲は 幼時期の経験の記憶にもとづいている という ストーリーは フロィト理論そのままです.そして,1950年代になると,Freud の「性欲」理論は,多くの猥褻雑誌によって 通俗的に解釈され,広く社会に流通することになります.フロィト理論は,通俗的に解釈されればされるほど,そこにおける「性」のイメージが増幅され,「フロィト = 性欲」という認識が 定型化されます.

しかし,そのような 通俗的に受容された フロィト理論における「性欲」と,Freud が 本来 論じた「性欲」とは 異なるはずです.

なぜ Freud は それほどまでに「性欲」に関心を向けたのでしょうか ? そのような彼の関心は,彼の同時代の学術的な環境(医学,心理学 等)に 条件づけられていたのでしょうか ? また,今,我々は,フロィト理論における「性欲」の問題について どう考えればよいのでしょうか?


質問 2. フロィト理論における「意識」と「心」について

Freud は,das Bewußtsein[意識]と das Unbewußte[無意識]について 論じていますが,他方で Seele[心]という語も 多用しています.意識は,脳を器官とする知覚と思考の活動ですが,心については,それが脳を器官としているとは 通常 言いません.Freud は,意識-無意識と 心とを 混同して 語っているような印象を受けます.どうなのでしょうか?


質問 3. フロィト理論の普遍性について

如何に Freud がドイツ語の単語の語源,語根,形態素にもとづく連想や演繹を利用して 彼の理論を築きあげたのかについて,彼のテクストの英訳や邦訳でも その痕跡をうかがうことができました.今 ドイツ語を知らない わたしでも,Freud の著作から ある種の文学的想像力を感じ取ることができます.

そのような 言語にもとづく思考過程は,Freud に限られたことではなく,古田裕清氏(中央大学教授)が『西洋哲学の基本概念と和語の世界』(中央経済社,2020年)のなかで 指摘しているように,古代の Platon や Aristoteles から 現代の Heidegger や Derrida に至るまで 西洋哲学において 広く見られることです.西洋哲学の諸概念は 日常生活の語彙に 根づいています.それゆえ,それらは,人々の身近にあり,日常生活から かけ離れたものとはなっていません.

ところが,そのような西洋哲学の諸概念が いったん 外国語に翻訳されると,それらが 日常生活の次元から出発して 哲学的な次元へと開花して行った過程は 捨象されてしまいます.さらには,日本語では,哲学用語は 大多数 漢語で翻訳されて,特殊な専門用語となり,一般の人々にとっては 自分とは無関係な語彙になってしまいます.中国語でも,西洋哲学の諸概念と諸用語は どれほど社会に浸透しているか,きわめて疑わしいです.極端な場合,原文を読むことができない者にとって,本来のロジックが不明であるので,翻訳された概念が わけのわからないものとなり,あるいは,外国語に起源を有する諸概念が はたして どれほどの普遍性を持つのか といった 疑問が 湧くのではないか と 思います.

西洋の言語を習得していない読者は,西洋哲学の諸概念を どのように認識し,どのように受容することができるのでしょうか ? 特に Freud に関して言えば,精神分析は,ただの哲学的な思弁ではなく,臨床的な治療行為です.精神分析家は,精神分析の臨床のなかで,個々の患者に対して,精神分析の用語や概念を どう説明し,どう活用しているのでしょうか?


以上の質問に対する回答を,馮 思途 氏 の 同意のもとに,以下に記すことにします.

回答 1. 精神分析における sexuality の問題について

まず,「フロィト理論」という言い方を やめましょう.我々にとって重要なのは,精神分析の実践そのものであって,Freud 個人 や Lacan 個人が「考え出したこと」ではありません.

Freud (1856-1939) は,1890年代に,ヒステリーの臨床経験から出発して,精神分析の実践を創始しました.そして,彼が 彼の臨床経験に関して wissenschaftlich な[学術的な,科学的な]考察をするとき,彼は 経験論的な先入観と 形而上学的な先入観から 自由ではありませんでした.彼が精神分析に関して作り上げた理論的な構築物は,かくして,そのうわべだけを見れば,今日 そのまま通用し得るものではありません.

そこで,Lacan (1901-1981) は,精神分析を純粋に基礎づけ直すことを 企てました.この場合,「純粋」とは「非経験論的 かつ 非形而上学的」ということです.その課題を遂行するために Lacan に 最も重要な手がかりを与えてくれたのが,Heidegger (1889-1976) です.Heidegger の das Denken des Seyns存在 の 思考](Heidegger は Seyn[存在]という語を バツ印で 抹消します)無しには,Lacan の 精神分析の基礎づけの作業は ほとんど不可能であったでしょう.

今 現役で活躍している ハィデガー研究の第一人者のひとり Peter Trawny (1964- ) は,Heidegger の思考 全体を,先ほども引用した表現 das Denken des Seyns を以て 定義しています.わたしは,「否定存在論」(l’ontologie apophatique) という名称を 提起しています.それは「否定神学」(la théologie apophatique) にならって わたしが作ったものです.

ですから,我々は 今 こう言うことができます:精神分析は Lacan によって 否定存在論的に 基礎づけ直された.

我々にとって「フロィト理論」は もはや歴史的なものでしかありません.

さて,なぜ Freud は ヒステリーの臨床において sexuality の問題に注目したのか ? それは,『ヒステリー研究』(1895) において 明確に示されているように,ヒステリー患者の言葉に耳を傾けることによって,Freud は,ヒステリーの病因は 性的な外傷体験の「記憶」と その Verdrängung[「抑圧」,排斥]に存する,ということに 気づいたからです.

当時,ヒステリー患者の大多数は,女性です.女性が 日常生活のなかで さまざまな機会に 性的な外傷を被り得る(身体的であれ 心理的であれ)ということは,当時も 今も かわりません.

そこから出発して,Freud は,Sexualtrieb[性本能]に関する 思弁的な構築物を 作り上げました.それは いわゆる「フロィト理論」の中心を成しています.が,それは,精神分析にとって かえって 非常に厄介な「お荷物」となりました.Lacan は,それを「厄介払い」するために,とても苦労しました.

Freud の言う Sexualtrieb[性本能]の正体は 何か ? それは,あなたも言及している Todestrieb[死の本能]です.では 両者の連関は 如何なるものか ? それを見るためには,否定存在論と そのトポロジーに 準拠する必要があります.

なぜトポロジーか ? Freud も Heidegger も Lacan も トポロジーを用いているからです(Freud 自身は,当時 まだ Topologie という数学用語が一般的ではなかったので,Topik[場所論]という用語を使っていますが).

Topologie とは,ひとつの場所
(τόπος) に関して問う 思考です.如何なる場所か ? ひとつの穴です.我々は,その穴を 存在の歴史 (die Geschichte des Seins) において 源初論的 (archéologique) なものとして 措定します.


その穴を,わたしは,否定存在論的孔穴 (le trou apophatico-ontologique) と呼びます.または,Lacan にならって,le trou du sujet $[主体 $ の 穴]と呼びます.Lacan は,この「抹消された主体」(le sujet barré) の 学素 (mathème) $ を,Heidegger の「抹消された存在」(das durchgekreuzte Sein : Sein) にもとづいて 作った,と わたしは 推測しています.


存在の歴史の 源初論的位相 (la phase archéologique) においては 口を開いていた 主体
$ の穴は,次いで,Lacan が le signifiant maître[支配者徴示素]S1 と呼ぶものによって 塞がれます.それを以て,存在の歴史の 形而上学的位相 (la phase métaphysique) が 始まります.哲学史における最初の S1 は,Platon の ἰδέα です.我々が日常生活のなかで見かける 存在事象 (das Seiendes) は 生成したり 消滅したりしますが,それに対して ἰδέα は永遠不滅であり,その意味において τὸ ὄντως ὄν[本当に存在するもの]である,と Platon は 考えます.その後の形而上学の歴史においては,それは 単純に「存在」(das Sein) と 呼ばれることになります.「本当に存在するもの」ないし「存在としての存在」について問う 形而上学の最も根本的な分野は「存在論」(ontologie) と 呼ばれることになります.そのような「存在」の概念は 13世紀に Thomas Aquinas によって キリスト教神学のなかに取り込まれ,神の概念を形而上学化することに利用されます.

S1 が穴を塞いだことによって,主体 $ は「書かれないことをやめないもの」(ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire, what doesn’t cease not to be written) の在所へ排斥されます.「書かれないことをやめない」は Lacan による「不可能」(impossible) の定義です.S1 による $ の排斥のせいで,形而上学は $ そのものについて問うことができなくなります.

しかるに,18世紀の終わりから 19世紀の始めのころに,科学の言説と資本主義の言説の効果によって,形而上学的な「存在」による 否定存在論的孔穴の閉塞は 無効になります.なぜなら,形而上学的な「存在」は 科学にとっても 資本主義にとっても「存在」とは見なされ得ないからです.というのも,科学にとっては「存在する」とは「科学的に分析可能である」ということであり,資本主義にとっては「存在する」とは「資本の増価のために利用可能である」ということですから.

形而上学的な閉塞が無効になったことを以て,存在の歴史の 終末論的な位相 (la phase eschatologique) が 始まります.19世紀の始め以来,我々は 今も この終末論的な位相のなかにいます.

閉塞が無効になったことにより,否定存在論的孔穴は「開出」(aufgehen) してこようとします.それは,強い不安を惹起します.なぜなら,否定存在論的孔穴は,死の穴であり 無の穴であり 罪の穴であるからです.そこで,その開出に対して 強い抵抗が生じます.

その抵抗には,ふたつの側面があります.ひとつは,新たな支配者徴示素 S1 の措定により 穴を 再び 塞ごうとすることに存する抵抗;もうひとつは,客体 a の増殖により 穴を隠そうとすることに存する抵抗.新たな S1 の措定は,社会学的には さまざまなイデオロギー(民族主義,男性中心主義,等々)の構築の形を取り,また,精神病理学的には 妄想形成の形を取ります.客体 a の増殖は,経済学的には 無際限な資本増価の形をとり,また,精神病理学的には 性倒錯 や 幻覚症状の形を取ります.

精神分析は,主体 $ の穴の開出に対する抵抗を放棄させ,主体 $ の穴が 開出してこようとするがままに 開出してくることを 促すことに 存します.主体 $ の穴の開出を可能にするためには,強い不安に耐えることが必要となります.分析家の根本的な役割は,主体 $ の穴の開出の不安に耐えることができるよう 患者を支えることに存します.

Eros と Todestrieb (Thanatos) に 戻りましょう.Freud が「死の本能」(Todestrieb) と呼んだもの — 生物学的には まったく ありえないもの — の正体は,今,存在の歴史の終末論的な位相において,主体 $ の穴は 抵抗にもかかわらず おのづと開出してこようとする — 死の穴として,無の穴として,罪の穴として — という事態です.否定存在論的孔穴は thanatique[死的]な 穴です.では,なぜ その thanatique な穴 が érotique な 穴となり得るのか ? それは,phallus Φ が 穴を塞ぎ得る ひとつの S1 として 措定されることによって,穴に phallus の欠如 ( − φ ) の 穴 という 意義が付与されるからです.


それが phallus の欠如 ( − φ ) の 穴であるなら,それは phallus Φ によって塞がれ得る — そう信ずることに,Freud が Ödipuskomplex[オィディプス複合]と呼んだものは 存します.つまり,オィディプス複合の機能は,穴を前にして不安になる男の子に対して,「だいじょうぶ,おまえも,パパのようなおとなになれば,パパと同じく,phallus Φ を以て 穴を塞ぐことができるようになる.だから 不安にならなくてよい」と言って,彼を慰めることに 存します.

しかし,それは まやかしです.否定存在論的孔穴を塞ぎ得るものは 何もありません.なぜなら,その穴は 源初論的な穴であり,還元不可能な穴であるからです.それは,塞ぐことも 隠すことも 不可能な 穴です.穴を塞ぎ得るものとして 自身を措定する phallus
Φ は,ペテン師に ほかなりません.

Freud の Ödipuskomplex の 概念は,そのようなペテンで 世をだまし続ける効果を有してきました.そのペテンを暴いたのが Lacan です —「性関係は無い」(il n’y a pas de rapport sexuel) と公式化することによって.

Freud の Ödipuskomplex の 概念は,臨床的にも 分析家を誤らせるものです.Freud 自身,Ödipuskomplex にこだわることによって,勘違いを犯しています.そのことが明瞭に読み取れるのは,馬恐怖症を呈した 5 歳の 男の子 Hans の症例論文『ある 5 歳 男児の 恐怖症の分析』(1909) においてです.

元来 快活な子どもであった Hans は,あるとき,突然,「馬が ぼくの[手の]指を かじる」ことを 恐れて,外出することを嫌がるようになります — 当時,Wien の街中には 馬車が たくさん 走っていましたから.Freud は,Hans を分析する役割を,自身で引き受けるよりは,父親にまかせる方がよかろう と考えたので,Hans の父親は,Freud の指導のもとで,自分の息子の症状を分析することに なります.

ともあれ,症例論文から 我々は このことを読み取ることができます : Freud は,Ödipuskomplex の概念にこだわるあまり,Hans の馬恐怖の症状を,父親を前にしての去勢不安に帰しようとして,無理な解釈を展開している.

Ödipuskomplex を括弧に入れて 改めて症例を読むとき,我々は,この〈より単純な〉連関に気づくことができます:すなわち,馬恐怖の症状は ある日の晩に 突然 始まったのですが,その日の昼間,母に連れられて 街中を歩いていた Hans は,馬の転倒事故を目撃しているのです.重い荷車を引く 大きな馬が 転倒し,四肢をばたつかせて,大騒ぎする.その光景を見た Hans は,びっくりして,強い不安を覚えます.そして,馬の死の場面を 想像します.

馬が実際に死んでしまったのかどうかは不明ですが,ともあれ,この馬の事故の目撃が Hans に対して 外傷的に作用したことは,明らかです.すなわち,その体験は,死の穴としての否定存在論的孔穴との不意の遭遇となったのです.そして,それこそが,症状の形成を決定する因子であったのです.Hans の指をかじるかもしれない 馬の口は,死の穴としての否定存在論的孔穴の métaphore である,ということは,我々にとっては 明瞭です.

もっとも,Hans において,事故の目撃の記憶は 直後に 排斥されてしまいます — 死の不安のゆえに.Hans 自身には,事故の目撃と「馬が ぼくの指を かじる」恐怖との関連は,勿論,見えていません.事故の際に いっしょにいた 母親も,その関連に 気づきません.その事故の目撃のことが 不意に 想起されたのは,発症から 約 3ヶ月後 — 父親による分析面接が始まってから 約 1ヶ月後 — のことでした.しかし,それでも,Freud も 父親も,その関連に 気がつきません — Ödipuskomplex という 性的な因子に こだわるあまり,馬の転倒事故の目撃 — 死の穴との遭遇 — が 外傷体験として 病因的に作用した ということに 気づくことが できないのです.

いずれにせよ,Hans の 馬恐怖の症状は,発症から 約 4ヶ月後 — 父親との分析面接の開始から 約 2ヶ月後 — 解消されます — 面接中に 父親が Hans に与えた「精神分析的解釈」は Ödipuskomplex の概念にもとづく 見当外れのものでしかなかったにもかかわらず.何が有効であったのか ? それは,父親が Hans に 発症以前よりも より親密にかかわるようになった ということです —「分析面接」のために 父親は Hans の言葉に より注意深く 耳を傾けるようになり,より長時間 Hans にかまってやるようになったのですから.要するに,Hans の症状の解消を可能にしたのは,不安におののく子を支える 父の愛です.

今,もし仮に 誰かが「人が心理的に病む原因は 性 (sexuality) の『抑圧』に 存する」と主張するなら,どれほどの人が それに賛同するかは わかりません.しかし,1960-1980年代には,当時の経済的「先進国」(おもに 欧米諸国と日本)で,いわゆる「性の革命」(sexual revolution) が 起きました.それは,より自由であることを求めて,従来の社会で支配的であった〈性に関する〉禁止や抑圧を廃する 動きです.そのような動きは,多かれ少なかれ,通俗的に理解された「フロィト理論」に準拠していました.

ところで,そのような「性の革命」は,今,当時から数十年後,結局,何を もたらしたか ? さまざまな形の 性倒錯 と pornography の氾濫です.性差別(男による 女性に対する さまざまな形の 社会的 差別と抑圧)や 性暴力(男による 女性に対する さまざまな性犯罪)は,欧米においても,ある程度にしか 解消されていません.日本社会では,性倒錯,po
rnography, 性差別,性暴力,それら すべてが 蔓延しています.

如何に その事態を 説明するか ? 性に関する禁止や抑圧の解除は,性的な満足を もたらしはしませんでした.なぜなら,そもそも「性関係は無い」— 性的な満足を可能にするような phallus
Φ は 書かれないことをやめない — からです.性に関する禁止や抑圧の解除は,むしろ,「性関係は無い」の穴 — 否定存在論的孔穴 — を あらわにしました.そして,それに対する reaction[反動]として,無際限な〈剰余悦 [ plus-de-jouir ] a の〉増殖が 起きました(剰余悦 [ plus-de-jouir ] とは,前性器的 [ prégénital ] な 客体 a への 固着のことであり,否定存在論的孔穴を覆い隠す機能を 有しています).無際限な 剰余悦 a の 増殖 — それが,性倒錯,pornography, 性差別,性暴力の 氾濫として 現れています.性暴力や性犯罪は,女性の身体を 単なる 客体 a としてしか捉えていないことに 起因します(社会学の文脈では sexual objectification という表現が 用いられています.男が 女性を 単なる〈性欲の〉対象 として 扱うことです).

欲望に関して,精神分析の倫理は,こう規定しています:欲望に関して 譲歩するな (ne pas céder sur le désir). セミネール VII (1959-1960)『精神分析の倫理』の最後の講義で Lacan が提示した この表現は,しばしば「欲望の満足を 徹底的に 追求せよ」ということを意義しているのだ と 誤解されます.しかし,そうではありません.そうではなく,それは このことを言おうとしています :「性関係は無い」(ファロス悦 [ la jouissance phallique ] は 不可能である)かつ 前性器的な 客体 a への固着 (剰余悦 [ plus-de-joui ]) は いつわりの満足にすぎない — であれば,ファロス悦に執着することも 剰余悦への固着も 棄てて(なぜなら,それらは 欲望にとって ごまかしでしかないから),欲望の昇華 [ la sublimation du désir, sublimation of desire ] を 目ざすべきである.それが,欲望の倫理としての 精神分析の倫理です.

ファロス悦でも 剰余悦でもない 悦 としての 昇華の悦 [ la jouissance de sublimation ] — 如何に それを 規定し得るか ? それが,Lacan が 徹底的に 問うた 問題です.なぜなら,昇華の悦こそが 精神分析の終結を条件づけるものであるからです.そして,精神分析の終結に関する問いは,如何に「精神分析家である」ことを 規定するか の 問いでもあります.というのも,「精神分析家である」ということは「精神分析の経験を その終結に至るまで 経験しとおした」ということによって 条件づけられるからです.

Freud の 根本的な誤謬は,このことに存しています:彼は「性関係は可能である」と 信じていた.そのことを 我々は 彼の「性本能の発達」の 思念(性本能は 未熟な状態から 成熟した状態へ 発達する という 思いこみ)と,性本能の成熟としての「性器体制」(Genitalorganisation, l’organisation génitale) の 概念に 読み取ることが できます.

Freud の「性本能の発達」は,このことに 存します:未熟な 前性器的段階においては,複数の 部分本能 (Partialtriebe) が さまざまな 前性器的な客体に 固着している.成熟の段階に至ると,もろもろの部分本能は ファロスの優位 [ das Primat des Phallus, le primat du phallus ] のもとに 統合され,かくして 性器体制 [ Genitalorganisation, l’organisation génitale ] が 達成される.それによって,性本能は その本来の目的 — 生殖 — に 役立つことができるようになる.

そのような Freud の 考え方に,我々は,まず,生物学的な先入観を 見ることができます:まず,性本能という概念そのものが 生物学的なものです(如何に Freud が「精神分析で言う 性本能は 生物学的なものと 心理学的なものとの間の 境界概念である」と 注釈をつけようとも).そして,「性本能は 未熟な状態から 成熟した状態へ 発達する」という考えも,生物学的な思いこみです.さらに,我々は,Freud の 形而上学的な(アリストテレス的な)先入観をも 指摘することができます :「性本能の本来的な目的は 生殖に存する」という考え方は,形而上学的な目的論 (téléologie, finalisme) に ほかなりません.

それらの フロィト的な先入観を 精神分析から 一掃するのが,Lacan の 公式 :「性関係は無い」です.もう一度 述べるなら,それは このことを言っています:性器体制は不可能である,なぜなら,性器体制の可能性の条件である phallus Φ は 不可能である(書かれないことをやめない)から.

かくして,かかわっているものを「性欲」と呼ぶにせよ「性本能」と呼ぶにせよ,それは もはや 精神分析の中心的な主題ではありません.「性本能」の正体は「死の本能」です.そして,それを 我々は このように理解します:欲望の弁証法の過程において,主体 $ の 穴 は 必ず 開出してこようとする.


回答 2.「意識」と「心」について

Lacan が 精神分析を 純粋に基礎づけた 今,我々は,生物学的な先入観からも 医学的な先入観からも 心理学的な先入観からも 形而上学的な先入観からも 解放されています.と同時に,我々は,それらの領域の思念へ再び陥ることのないよう 注意しなければなりません.

確かに,Freud は,彼の 最初の Topik[場所論]において,「意識」(das Bewußtsein),「前意識」(das Vorbewußte),「無意識」(das Unbewußte) という 用語を 使いました.他方で,それらとともに,彼は,Seele[こころ]という語も 頻繁に 用いています.

まず,ドイツ語の Seele という単語は,まったく日常的な語彙に属する語であると同時に,ギリシャ語の ψυχή に由来する 用語を ドイツ語に翻訳する際に 用いられます:たとえば,Psychologie は Seelenkunde であり,Psychiatrie は Seelenheilkunde であり,Psychotherapie は Seelenbehandlung です.

ギリシャ語の ψυχή については,それが 古代ギリシャ哲学における議論 または それに由来する議論のなかで 用いられるのか 聖書的な文脈のなかで 用いられるのか によって,その意義は かなり異なるものとなりますが,今は そこには 立ち入らないでおきましょう.

他方,「意識」(das Bewußtsein) という語は,語源的には wissen[知る]と関連しています.ドイツ観念論の伝統のなかでは,das Bewußtsein は,Kant におけるように 認識論的な意味において用いられることもあり,また,Hegel におけるように 存在論的な意味において用いられることもあります.日常的なドイツ語においては,bewußt という形容詞は「...を意識している,認識している」ということを意義しています.つまり,認識論的な意味合いで用いられています.その否定である unbewußt も,認識論的な意味合いで「...に気づいていない,を自覚していない」です.

ですので,Freud が das Unbewußte を 彼の基本的な用語のひとつとしたとき,彼としては それを topisch[場所論的]に 用いているのですが,しかし,どうしても その語は 認識論的な先入観(形而上学的な先入観)から自由ではいられません.

また,同様に,Seele という語も 心理学的な先入観(経験論的な先入観)から自由ではいられません.

我々としては,精神分析を 認識論にも 心理学にも 逆戻りさせないために,むしろ,それらの語を用いないようにしています.実際,Lacan の 教えのなかにで,それらの語は 積極的には用いられていません.勿論,Freud を問い直す以上,「無意識」という語は 用いざるをえませんが,Lacan は,「無意識」を 精神分析の基礎概念として温存するのではなく,しかして,それを さまざまなしかたで捉え直すよう 努力し続けています.最も根本的には,Freud が「無意識」という名称のもとに発見したのは,我々の本有の中核に開出してこようとする否定存在論的孔穴に ほかなりません.

ですから,我々としては「意識 と 心は どう異なるのか,どう関連しあっているのか」という問いに こだわる必要はありません.そのような問いは,認識論や心理学の次元の問いであって,精神分析にかかわる問いではありません.


回答 3. 精神分析の普遍性について

精神分析は,人間が言語の構造に住まう者である限り,普遍的です — その言語が フランス語であれ ドイツ語であれ 英語であれ 中国語であれ 日本語であれ.Lacan が 精神分析をトポロジックに形式化したのは,如何に 精神分析においてかかわる構造が フランス語や日本語などの既存の各国語の言語学的な諸特徴に規定されない より根本的な構造であるか を 明確にするためです.

その構造を,わたしは,既に述べたように,「否定存在論的な構造」または「否定存在論的なトポロジー」と名づけています.もっとも,「否定存在論」(l’ontologie apophatique) という用語を使っているのは,わたしだけです.誰か ほかの人に「否定存在論」と言っても,まったく通用しません.ただ,Heidegger の Schwarze Hefte[黒ノート]を読んでいる人になら,否定存在論とは Heidegger の das Denken des Seyns のことだ,と言えば,かろうじて理解してもらえるかもしれません.

ともあれ,精神分析の臨床においても,精神分析家が否定存在論に準拠しているなら,精神分析は どの言語においても 実践可能です.

臨床においては,精神分析家は 患者に いちいち Freud や Lacan の 用語や概念を 説明したりはしません.重要なのは,患者の症状や 患者が語る夢や 患者の なにげない ひとことのなかに,主体 $ の 穴 の 開出を 捉えることです.

それは,否定存在論に準拠していれば,さして難しいことではありません.たとえば,今,少なからぬ数の人々が 自身の根本的な問題として訴える ある種の 内的な空虚感や不全感.より古典的な症状としては,先ほども挙げた Hans 少年においては 彼の指をかもうとする 馬の口.また,Freud が『夢解釈』で 最初に 詳細に分析している 彼自身の「Irma の注射の夢」では,Irma の 大きく開いた口.さらに また,以前にも述べたように,最近の文学作品を挙げるなら,村上春樹氏の『騎士団長殺し』では,最初から最後まで,否定存在論的孔穴が さまざまな形に変奏されつつ 描かれています.あなた自身も 自分の夢を 注意深く観察するなら,さまざまな形で現れてくる穴に 気づくことができるはずです — 文字どおりに ぽっかり口を開いている穴,そこから 何か あるいは 誰かが 入ってこようとする 窓やドア,あるいは,あなたを呑み込もうとする海や炎,等々.そして,Freud が 精神分析の創始期に気づいたとおり,女性に対して極めて外傷的に作用し得る〈男の 性的な欲望 という〉穴.また,男にとっては,父の機能の不全のもとで 口を開いたままである「母の欲望」(le désir de la mère) の穴
も 不安を惹起するものです.

ラカン的な精神分析は,まず,そのような穴を見定めることから 始まります.

翻訳の問題に関して言うなら,当然ながら,あなたが専門的な研究者であるなら,Heidegger や Freud を 読もうとするなら ドイツ語で読まねばならず,Lacan を 読もうとするなら フランス語で読まねばならず,Platon や Aristoteles を 読もうとするなら ギリシャ語で読まねばなりません.翻訳で読むのは 問題外です.

一般大衆に関しては,彼れらは,日常生活においては おおむね 何も思考していませんから,どれほど 哲学の語彙が 一般語彙のなかに根づいているか否かは さして重要ではありません.

問題は,為政者と知識人です.彼れらが 思考することのできる人間であるか否かに,その国のあり方は 決定的に左右されます.それは,今のドイツと日本とを比較してみれば,明瞭です.両者は ともに 第二次世界大戦の敗戦国ですが,どう戦争責任を引き受けているか,どう戦争犯罪を反省しているか,国際社会にたいして どう貢献しているかについて,両者の間には 雲泥の差があります.その差を条件づけているのは,このことです:ドイツ語は思考可能な言語であり,日本語は思考不能な言語である.

日本語が思考不能な言語である ということについては,わたしが 以前 書いたものを参照してください :



いただいた御質問に対する回答は 以上のとおりです.それは,多分,あなたが期待していたような回答ではないでしょう.ですから,さらに疑問に思われることがあれば,あらためて質問してください.

早稲田大学における あなたの研究が 実り豊かなものであるよう 祈っています.