12 September 2014 : 他 A は,形而上学の超克のための足がかりを与えてくれる; 異物について; 引用はもとの文脈のなかに置き直されねばならない; 深淵という基礎.
Alenka Zupancic の心理学的・社会学的思考について,わたしは彼女が「自我主体を中心に置いている」と言いました.その際の「自我主体」は,形而上学や観念論における伝統的な自我,主体,das Ich, das Subjekt のことです.彼女の思考は,形而上学の次元にとどまっています.
多分,英語でものごとを考えている限り,形而上学を超克するのは難しいでしょう.なぜなら,英語では Heidegger の言う ontologische Differenz, つまり,Seiendes 「存在事象」と Sein 「存在」との差異を思考することが困難だからです.
Sein は英語では being です.他方,Seiendes は,動詞 sein の現在分詞の名詞化ですから,やはり
being と訳されざるを得ません.よほど工夫しない限り英語では両者を区別することができません.
しかるに,英語圏の論者の大部分は,そのような工夫をしようとはしません.なぜなら,彼らは英語が almighty な言語だと信じているからです.そして,日本人の多くもその錯覚を共有しています.
形而上学を超克するための出発点は,自我主体を中心に据える思考をやめることです.そのために Heidegger は,神を中心に考える神学に準拠しました.
精神分析が準拠すべきところは無意識ですが,「無意識」という用語さえ使っていれば良いというわけではありません.
Lacan は「無意識は,他 A の言説である」と提起しました.無意識をそのように考えることによって初めて,形而上学的,心理学的自我主体の概念を克服する足がかりが得られます.
自我に関しては,形而上学的・心理学的自我の概念と,narcissisme との関連における自我の概念と,さらには Freud の第二トピックにおける自我の概念とを区別しなくてはなりません.この問題は,今は脇に置いておきましょう.
ただ,le
moi narcissique は,Narcisse の神話が示しているように,死の本能をはらんでいる,とだけ言っておきます.つまり,ナルキッソス的自我の構造は,a / φ にほかなりません.
次の話題に移ると,Freud が用いた Fremdkörper 「異物」という表現は,『ヒステリー研究』の予備報告 (1893年) に見出されます.そこにおいて Freud は,「心的外傷,ないしその想起は,異物〈其れは,体内への侵入から長時間たった後も,現在的に作用する因子として効果を持つ〉のように作用する」と述べています.
我々はこの「異物」を a / φ と捉えることができます.ただし,そこにおいて a は影象的・徴象的仮象であって,純粋徴示素ではありません.
それに対して,sinthome においては a は,聖人の実存構造においては穴としての純粋徴示素です.
しかし,Joyce
をも視野に入れるなら,Joyce の場合,sinthome の a は,むしろ逆に,全く不透明な物質性における創造物です.
ところで,Lacan
に限らず,誰の言葉であっても,それについて考えるとき,文脈から切り離して考えてはなりません.どこかに引用された Lacan の言葉を,それだけ取り出して恣意的に解釈してはなりません.
たとえば,Lacan
は1979年1月9日の
séminaire の最後に「わたしは間違っていた」と言っています.その発言は唐突であるように見えます.悪意ある人は,Lacan が今までの自分の言ってきたことすべてが間違っていたと白状したのだ,と取るかもしれません.しかし,文脈を見てみれば,Lacan の「間違い」は,1978年12月12日の
séminaire において Vappereau に指摘された「一般ボロメオ結び」に関する間違いであることがわかります.
Lacan の図に関しても,同様のことが言えます.これら二つの図は,1970年代のものですが,どういうわけか良く知られているようです:
Lacan の難解な言葉に対して,図はわかりやすいもののように見えるかもしれません.しかし,図も Lacan の教え全体の文脈から切り離して解釈してはなりません.
Lacan の教えの基礎を成すものは,精神分析の基礎
fondements を成すものにほかなりません.
「基礎」はドイツ語で Grund です.そして,精神分析の基礎である Grund は,Heidegger の言う意味での Abgrund 「深淵」です.Heidegger はしばしば Ab-grund と書きます.それによって「深淵」という語のなかに Grund 「基礎,基底」が含まれていることがわかります.
それは,深淵ですから,底無しですが,逆説的にも,底無しの深淵,それがうがつ穴こそが,精神分析の基礎の場処を示しています.
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