2014年9月26日

精神分析トゥィーティング・セミナー:フロイト・ハイデガー・ラカン,20 September 2014



20 September 2014 : 影象的意味の了解; 実在的真理の解釈; 無からの創造と死からの復活; 症状は存在の保匿である.

二階堂奥歯氏は多読家であり,外国の著者の本もたくさん読んでいました.ただし邦訳で.自分で直接原文を原語で読み,解釈することはほとんどなかったようです.つまり,彼女は書物をもっぱら自分の母国語である日本語で読み,了解してしまいました.このことは,彼女にとってすべてが仮象でしかなかったことと関連するように思われます.

彼女は,出版社の編集者として働いていました.読むことが彼女の仕事であり,彼女は文字をとおして世界とかかわっていました.

文字を読み,了解する.そのとき意味は,imaginaire な意味でしかありません.

imaginaire な意味をしか持たない仮象の世界.そのような世界のなかには彼女は,彼女を生につなぎとめておくようなものを何も見いだせませんでした.

それに対して,もし彼女が Joyce Finnegans Wake の原文と出会い,その解読と解釈にとりかかる機会を持ったなら?了解不可能な signifiant と出会っていたなら?もしかしたら彼女は,この世のすべてが仮象であるわけではない,と感じ得ていたかもしれません.

我々は日常的には言葉を了解します.そこにおいてかかわる意味は imaginaire な意味です.要するに,大した意味ではないのです.そのような意味によっては感激もしないし,驚きもしません.つまらない小説を読むときはそのようなものです.

何事かに驚くとき,本当に感動するときは,imaginaire な意味には還元されないもの,了解不可能な何かがかかわっています.

芸術作品においては真理が現動している,と Heidegger は公式化しています.つまり,芸術作品の存在論的構造は a / φ です.ただし,a は,同時に réel であり symbolique であり imaginaire です.芸術の分野によって R, S, I の三者のうちいずれに最も重点が置かれているかは多少は異なるかもしれませんが.しかし,ともあれ,le réel の要素が欠けることはありません.imaginaire な意味には還元不可能であるようなものとしての実在です.

二階堂奥歯氏はすべてを了解してしまい,すべてを imaginaire な意味に還元してしまいました.つまり,彼女においては,実在的な症状が形成され得なかったのです.R, S, I の三つの輪をボロメオ的に結ぶ第四の輪が形成され得なかったのです.

無からの創造 creatio ex nihilo と,死者のうちからの復活 resurrectio ex mortuis とは,同じ構造を有しています.つまり,症状の構造としての a / φ です.

創造も復活も,無ないし死という深淵を bergen しています.

bergen Heidegger が用いている動詞です.verbergen は「隠す,秘匿する」です.bergen にも「隠す」の意味がありますが,さら,「守る,かくまう」の意味があります.

Heidegger bergen という動詞を用いるとき,それは,構造 a / φ において,a φ ek-sistieren させる,解脱実存させる,という事態を差し徴しています.

それは,芸術作品の構造であると同時に,キリスト者の実存構造でもあります.また,それは,精神分析家の存在論的構造でもあります.Lacan sinthome と呼ぶものは,それらをすべて含んでいます.

芸術作品と母国語・外国語との関連について御質問いただきました.勿論,母国語で書かれた文学作品も芸術作品でありえます.先ほどわたしは二階堂奥歯氏という特定の個人について,彼女がすべてを imaginaire な意味に還元してしまったことと,彼女が外国の文学作品を原語で読むことがほとんどなかったらしいこととに関連性があるのではないか,と推測してみただけです.

外国語での会話に慣れてしまうと,日本語と同じように,我々は意味を了解してしまいます.ところが,外国語の書物,とりわけ難解な文学作品や哲学書を読むときには,言葉は不透明な物質として立ち現れてきます.了解は困難です.解釈が必要になってきます.

日本では,了解困難な文学作品はあまり出版されません.出版社が売れないものは出さないからです.日本では Joyce のような作家が日の目を見ることは非常に困難でしょう.

二階堂奥歯氏は小説を書いていた,という御指摘をいただきました.確かに『八本脚の蝶』のなかにもその萌芽のようなものが見うけられます.

しかし,だとすれば,彼女がより積極的に創造へ向かわなかったことがいっそう残念です.あのように不安に追いつめられる前に,さっさと勤めをやめて,執筆に専念することができていたなら!社会常識に反するそのような助言を彼女にする者は,彼女のみぢかには誰もいなかったでしょう.残念なことです.

幸福について御質問をいただいていますが,今日はもう遅くなってしまったので,明日考えてみることにしましょう.

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