2014年9月16日

精神分析トゥィーティング・セミナー:フロイト・ハイデガー・ラカン



09 September 2014 : 死の主体化と存在の自有; アメリカ的非霊気性; sicut palea ; 精神分析における精神病発症の危険性.

あらかじめおことわりしておきますが,11日木曜日は藤田博史先生のお誘いによりフジタゼミに参加しますので,この Tweeting Seminar はお休みします.Facebook account をお持ちの方は藤田先生のページを御覧ください.

2002年のわたしの事件に関してコメントをいただきました.発言者の了解のもとに retweet します:

“はじめて質問します。単刀直入にいえば、小笠原さんに関心をもつひとのかなりの割合は、「わたしと分析をしようとする人には,当然,わたしの事件のことを事前に知っておいていただかなければなりません」をめぐっての筈です。以前だれかの問いにいやがらせとおっしゃていましたが,やはりツイッターでセミネールをする上でも、この語りにくいことをもうすこし触れることはできないものでしょうか。《わたしが「患者と恋愛関係」に陥ったとの御指摘ですが,それは事実ではありません.「おがさわらクリニックにかつて通院していた女性」です.当時,治療関係には既にありませんでした.しかも,その女性は実際には,精神科医療を必要とする厳密な意味での病者ではありませんでした.》 恋愛関係なしにあのようなことが起こるのは、わたくしには信じられません。もしこの応答で「恋愛関係」があったとあれば、それなりに納得したのですが。小笠原さんが批判的に言及したアレンカ・ズパンチッチには次のような言葉があります:「汝を生み出した行為の内なる死の欲動を、決してしらばくれることなしに汝自身のものんと認めよ」.やはり存在論的穴などを語る上でこれは必要不可欠なことではないでしょうか。”

引用されているわたしの発言においてわたしが否定したのは「恋愛関係」ではなく「患者」です.「恋愛関係が無かった」と否認したことは一度もありません.

「その女性がそもそも精神科治療を必要とはしていなかったとするなら,何故彼女は受診したのか」についての説明は御容赦願います.また,わたしの彼女に対する愛に関する具体的な説明も,御容赦願います.

第三者の方々には,ただ,わたしは2002年の事件のために殺人罪で懲役9年の有罪判決を受け,その刑も満了した,という事実だけを知っておいていただきたいと思います.

引用された Alenka Zupancic の言葉については,彼女の基本的な考え方はいまだに心理学的である,ということを指摘しておきたいと思います.

問題は「死の欲動を自分自身のものと認める」ことではなく,むしろ,このことです:つまり,人間は,Freud Todestrieb 「死の本能」と呼んだもの,つまり,Heidegger Seyn と呼んだもの,つまり,das Sein, 存在 ek-sistieren し得るように,解脱実存し得るように,存在に自有 (ereignen) されるがままに実存すべきである.

それがいったい如何なることであるのかは,twitter で手短に説明し得ることではありません.未完の『ハイデガーとラカン』で論じて行きたいと思います.

もうひとつ御指摘をいただいています.Louis Breger (1935- ) 2000年の著作 Freud : Darkness in the Midst of Vision にこう述べられているそうです:

“とりわけ興味深いのは、ナチスが彼の故国を破壊し、ユダヤ人にとって想像しうる最も残酷な迫害を及ぼしていた1930年代の終わりに、フロイトがモーゼと古代エジプトについて書いていたということである。空想された古代世界への逃避は、トラウマに対処するフロイトの最も古い手段の1つだった。(中略)フランスの分析家のルネ・ラフォルグという友人が1937年に彼を訪ね、オーストリアから退去するように助言したが、それに対してフロイトは、「ナチスだって、私はそんなものは怖くないのです。私の本当の敵と戦うために力を貸してくれたまえ」と応えた。ラフォルグが驚いて、それはどの敵のことかと尋ねた。すると、フロイトは「宗教、ローマカトリック教会」と答えたのである。ずっとそうだったのかもしれない。”

Ernest Jones が書いた Freud の伝記のなかには,1937年に René Laforgue Freud を訪問したと明記はされていません.代わりに,19372月終わりに Freud Marie Bonaparte にこう言ったそうです:

“事態は,終わりの始まりのように思われる,ということは否認しようがない.しかし,ここ (Wien) 辛抱するしかない.カトリック教会の保護のなかに安全を見出すことは,いまだに可能であろうか?誰ぞ知る?”

Wikipedia では Louis Breger psychologist, psychotherapist と記述されています.ただ,California Institute of Technology Psychoanalytic Studies の名誉教授という肩書きを持っています.

メッセージをくださった方が既成の日本語訳において引用してくださった箇所のなかのこのくだりは,いかにもアメリカ人的です:“ナチスが彼の故国を破壊し、ユダヤ人にとって想像しうる最も残酷な迫害を及ぼしていた1930年代の終わりに、フロイトはモーゼと古代エジプトについて書いていた。空想された古代世界への逃避は、トラウマに対処するフロイトの最も古い手段のひとつだった。”

1937年,Freud 81歳です.口腔内の癌とその再発のためにそれまでに何回もの手術を受けてきました.勿論,完治はしていません.自分の父親や兄が死んだ年齢にも達しました.Freud は,死をまぢかに感じており,死を覚悟していました.

存在事象にのみ目を奪われがちなアメリカ人には,当時の Freud の状況は,死を覚悟したこの老人の最後の努力は,「空想世界への逃避」,いわゆる現実逃避であるようにしか見えないわけです.

Thomas Aquinas (1225-1274) は,中世最大の神学者で,Summa Theologica 『神学大全』と呼ばれる著作集を残しました.今でも神学者は必ず彼の業績に言及します.ところが彼は,死の直前,自分の仕事は sicut palea 「塵芥のようなものだ」と言い残したと伝えられています.

わたそがこの sicut palea を知っているのは,Lacan がそれをどこかで引用しているからです.

神の偉大さの前では,あるいは,死という絶対的な支配者の前では,存在事象は塵芥のようなものだ.

Freud もそう思ったでしょう.ですから,Nazi が彼の業績と彼自身とを抹殺しようとしているとき,彼は,そんなものを恐れてはいない,と言い切れたのでしょう.

真に取り組むべき相手は,神そのもの,死そのもの,つまり,存在φ そのものです.そのためには,Freud にとって,宗教とカトリック教会は邪魔ものにすぎませんでした.

Anticléricalisme athéisme とは区別されなければなりません.前者は,聖職者たちと制度としての教会とを嫌い,それらに反対する立場です.だからといって,そのような立場の者が無神論者であるとは限りません.両者はしばしば混同されていますが,区別せねばなりません

Freud anticlérical でした.それは,制度化された教会組織が真の問題を覆い隠していたからです.第二 Vatican 公会議以前の教会はそう批判されてもいたしかたありませんでした.だからこそ,第二 Vatican 公会議が必要だったのです.

Freud が『モーゼと一神教』で取り組んだのは,死せる父の問題です.つまり,実在としての父の名の問題です.それは,死を覚悟した者の必死の努力です.空想への逃避では全然ありません.先ほどの引用箇所は,Breger 教授のアメリカ人らしさを証言しているだけです.

もうひとつメッセージをいただいています.Lacan 19751124日に Yale University で行った講演のなかから Zizek が次のような引用をしているそうです:

One should not push an analysis too far. When the patient thinks he is happy to live, it is enough.

原文はこうです : Une analyse n'a pas à être poussée trop loin. Quand l'analysant pense qu'il est heureux de vivre, c'est assez. (Scilicet 6/7, p.15)

英文を訳してみましょう:「分析を突きつめすぎてはならない.患者が自分は生きていて幸福だと思えば,それで十分だ」.原文を訳してみましょう:「分析は突きつめすぎるには及ばない.分析者が自分は生きていて幸福だと思えば,それで十分だ」.引用箇所を構成するふたつの文のうち最初のものの英訳は不適切であることがわかります.

文脈を考えてみましょう.直前に Lacan は何を言っているか?精神分析を終わりまで突きつめて行くとき,精神病の発症の危険性に対して十分に注意していなくてはならない,と Lacan は警告を発しています.「我々は非常に慎重であらねばならない」と彼は言っています.

USA での講演は,James Joyce についての Séminaire XXIII Le sinthome の一回目と二回目の合間に行われました.その séminaire において,Lacan はこう論じます: Joyce は,彼の娘が精神病者であったことから推測されるように,潜在的に精神病者である.彼の文学的創造は精神病症状と等価であり,それは彼の存在そのものである.そのような存在様態に至ることは,或る意味で,神経症者が到達し得る精神分析の終わりを凌駕している.

1953年に Lacan は,「精神病者は無意識の殉教者である」,つまり,精神病者は無意識について証言する証人である,と言っています.殉教者は列聖され,聖人になります.

sinthome symptôme 「症状」の古い正書法ですが,その発音は saint homme と同じであり,要するに「聖人」です.Joyce le sinthome と言うことは,Joyce は聖人であり,無意識の殉教者である,と言うことです.

聖人であること,聖人の存在論的構造において実存すること,それこそが精神分析が目ざすべき地点ですが,しかし,その際,精神病の発症の危険性には十分に注意せねばならない,という臨床的な忠告を Lacan は与えているのです.

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