2014年9月26日

精神分析トゥィーティング・セミナー:フロイト・ハイデガー・ラカン,21 September 2014



21 September 2014 : Anne Rau と二階堂奥歯; 自然な自明性の喪失; 症状に乏しいこととボロメオ結びの解離; 不可能な signifiant の創造としての詩作.

二階堂奥歯氏が「社会に対する違和感ではなく,世界に存在することの違和感が書かれた小説を読みたい」というような内容の発言をしていた,という御教示をいただきました.

離人症 dépersonnalisation という用語は,それらの違和感を両方とも指します.すなわち,一方では,社会ないし外界が自然さや現実性を失った状態と,他方では,自分自身が異質なものと感ぜられる状態と.

二階堂奥歯氏は dépersonnalisation と呼び得る精神病理学的状態にあっただろうと推測されます.

木村敏先生が紹介したため日本の精神病理学界で有名になった症例 Anne Rau のことが想起されます.彼女を診ていた精神科医 Wolfgang Blankenburg (1928-2002) は,彼女について一冊の本を書きました.その本の表題 Der Verlust der natürlichen Selbstverständlichkeit は,Anne Rau 自身が用いた表現にもとづいています.

selbstverständlich は「おのづと了解される」,つまり,「わかりきった,あたりまえの」です.natürlich も「勿論,当然」です.日常性においては我々にとって存在事象は「当然,自然におのづと了解され得るもの」である.natürliche Selbstverständlichkeit とは,そういうことです.木村敏先生は「自然な自明性」と翻訳していました.

ところが,Anne Rau にとっては,自分自身を含めたあらゆる存在事象が「自然におのづと了解され得」なくなってしまいました.彼女は1944年生まれで,1964年から1968年まで Blankenburg は彼女を診ていました.その治療が中断したのは,1968年に彼女が自殺したからです.

Anne Rau と二階堂奥歯氏とは,年齢についても病歴についてもほぼ重なり合うのではないかと思われます.

言い添えておくと,Blankenburg は精神分析家ではなく,大学病院の精神科医です.精神分析とは直接には関係ありません.

彼は Anne Rau を「症状に乏しい Schizophrenie の症例」と診断しています.

Schizophrenie は今,日本では「統合失調症」と呼ばれていますが,わたしはその表現を使う気にはなりません.動詞 σχίζειν (schizein) は「分裂する」にほかなりませんから.さりとて,いわゆる political correctness を無視するわけにも行きません.そこで,原語 Schizophrenie, schizophrénie をそのまま用います.英語では schizophrenia です.

Anne Rau は,二階堂奥歯氏のように高等教育を受けた知性豊かな女性ではありませんでした.ところが彼女は医師にこう言いました:「すべては natürliche Selbstverständlichkeit を失ってしまった」.哲学的意義に満ちた彼女の言葉のゆえに,Blankenburg は彼女に魅せられました.彼は,Anne Rau の治療のために多大な努力を払いました.当時は精神薬理学はまだあまり発達していませんでしたから,いわゆる精神療法的な治療でした.しかし,Anne はあっさりと自殺してしまいました.

Anne Rau の言う natürliche Selbstverständlichkeit の喪失は,構造 a / φ の解体のひとつの様態です.ボロメオ結びの観点から言えば,実在,徴象,影象の三つの輪の解離です.

R, S, I の解離において,imaginaire な意味は失われ,φ の深淵がむき出しになり,強い不安が惹起されます.Anne Rau も二階堂奥歯氏も,そのような強烈な不安,恐怖を表明しています.

相互に解離した R, S, I を再び結び合わせるには,第四の輪,症状が必要です.ところが,Blankenburg がいみじくも言ったように,Anne Rau においてはまさに症状が乏しかったのです.

Blankenburg が症状と呼んでいるのは,Schizophrenie においてよく見うけられる幻覚妄想症状のことです.それらの精神病症状も,構造 a / φ の解体を代補するために新たに増殖する a にほかなりません.

二階堂奥歯氏においても,Schizophrenie において出現する幻覚妄想症状は全くありませんでした.目立つ精神病理は,強烈な不安だけでした.

彼女の多読は,あらわになった φ の深淵の穴を何らかの signifiant で塞ごうとする必死の努力であったのかもしれません.

しかし,彼女にとってはあらゆる signifiant は仮象にすぎませんでした.十分に物質性を持った不透明な signifiant に出会う機会が彼女には無かったようです.あるいは,そのような signifiant をみづから創造することへ向かう機会がありませんでした.

詩を作ることは,物質的に不透明な signifiant の創造のひとつの様態です.

poème という語は,ギリシャ語の ποιεῖν に由来します.ποιεῖν は,詩に限らず,なんらかのものを作ること,創作することです.

ドイツ語では「詩」は Dichtung ないし Gedicht です.dichten という動詞は「創作する」です.ですから,Dichtung は「詩」のみならず,あらゆる「創作」であり,fiction「作りごと」という意味をも持ち得ます.

詩には,通例,何らかの形式的条件が課せられます.そのため,詩作は或る種の「無理」をせねばなりません.そのような「無理」が,通常は不可能な signifiant の出現を促します.それが詩の魅力の源泉を成します.

現代において,詩は形式的制限から解放されましたが,日常的にはありえない signifiant を新たに創造することが詩作の本質を成すことに変わりはありません.そして,常識的には不可能な言葉という意味では,Joyce Finnegans Wake はひとつの長大な詩です.

みづから創造しなくても,或る既に創造された詩的徴示素を以て,R, S, I の解離を代補する症状とすること,ないし,φ の深淵の穴を塞ぐことはできます.その際,症状となる徴示素は,容易に了解され得ず,十分に不透明な物質性を備えている必要があります.

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