27 September
2014 : 情動 vs 言葉;
無意識はひとつの言語として構造化されている; 言語の構造において,徴示素 a は主体の存在の真理を代表する.
Télévision において
Lacan が affect 「感情,情動」について語っている箇所に関して御質問をいただいています.非常に難解な部分です.
Autres écrits, p.521 において Jacques-Alain Miller は Lacan にこう質問しています:あなたは「無意識はひとつの言語として構造化されている」と公式化しているが,心的エネルギーや affect や pulsion についてはどうなのか?
つまり,人間に関して言葉では言い表せないかもしれないようなもの,言葉では捉えきれないかもしれないようなものについては,どうなのか?
まず,Jacques-Alain
Miller が引用している Lacan の基本公式のひとつ:「無意識はひとつの言語として公式化されている」を改めて検討してみましょう.
Ecrits を見てみるとわかるように,l'inconscient est structuré comme un langage という公式は,Lacan の諸公式のなかでも最も良く知られたものでありながら,この形でそっくり引用できる箇所は Ecrits のなかにはありません.この公式が述べられている箇所ではどこでも,若干ちがった形でそれは提示されています.勿論,l'inconscient est structuré comme un
langage という形に整理することはできます.
この公式を Lacan が最初に提起したのはいつかを探してみると,1953年のローマ講演のなかにこの命題が見つかります:le symptôme
est structuré comme un langage (Ecrits,
p.269). 症状は,ひとつの言語として構造化されている.
Lacan の言う「言語の構造」は,症状の構造 a / φ にほかなりません.
そこにおいて a は imaginaire でも symbolique でも réel
でもありえますが,広い意味で a は
signifiant です.そして,φ は signifié です.
phallus は signifiant だ,と Lacan は強調していますが,抹消された phallus : φ は
signifiant の座には来れません.
Ecrits に収録されている書 La signification du phallus の難解さは,そこに起因しています.いったい
phallus は signifiant なのか?もしそうであるとすれば,Saussure の言う言語の構造においてどう位置づけられるのか?そして,a と
phallus との関係は如何なるものなのか?
学素 a / φ は,そのような問いに答えてくれます.
Autres écrits p.521 において Jacques-Alain Miller が Hamlet のせりふを引用して,「言葉,言葉,言葉」.では,言葉で表現できないものはどうなのか?と質問するとき,しかしながら,我々が準拠すべきは常に,言語の構造 a / φ です.なぜなら,言語の構造において,「言葉」つまり signifiant a
は,signifiant の座に決して来れないもの(なぜなら,それは抹消された signifiant ですから)である φ を代表しているからです.
言葉になり得ないものは,言語の構造の signifié の座に位置しています.そして,その座は,主体の存在の真理の座です.
言語の構造 a / φ は,主体の存在の真理の現象学的構造です.『ハイデガーとラカン』第一章で証明した Heidegger-Lacan 定理を参照してください.
精神分析で
pulsion と呼ばれるものは,いわゆる性欲に対応します.誰もが「感覚的に」体験しています.affect 「感情,情動」も「筆舌に尽くせない」ものとして「感ぜられる」ものです.そのようなことに基づいて,人間の内に「心的エネルギー」が想定されます.
御嶽山が噴火して,亡くなった方もいるそうですが,しかし,ここで火山の image を思い浮かべることは許されるでしょう.無意識という心の奥底の深いところに熱いマグマがたまっており,そのエネルギーが或る限界を越えると,地上に噴出してきて,何らかの表現や行動や症状になる.
無意識についての通俗的な思念はそのようなものでしょう.しかし,そのような通俗的な観念を一掃するためにこそ,Lacan は「無意識はひとつの言語として構造化されている」と言ったのです.
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