2014年9月26日

精神分析トゥィーティング・セミナー:フロイト・ハイデガー・ラカン,23 September 2014



23 September 2014 : Empedokles と二階堂奥歯; Bedeutung φ の顕現としての意義体験; 他 A の罪を引き受けること; 無意識の殉教者,聖奥歯; metaphora metonymia.

『八本脚の蝶』の巻末に,二階堂奥歯氏と親しかった幾人かの文章が付録されています.そのうちのひとり,彼女の petit ami であった吉住哲氏は,彼女と三原山へ行ったときのエピソードを語っています:彼女は突然,活火山である三原山の火口へ投身しようとしました.そのときは,吉住氏は何とか彼女を思いとどまらせることができ,彼女は自殺に至りませんでした.

火山火口への投身といえば,Etna 山の火口へ身を投げたと伝えられる Empedokles を想起せずにはいられません.Hölderlin Der Tod des Empedokles 「エンペドクレスの死」と題された未完の草稿を残しています.その一節を紹介してみましょう:

そのとき,我れを捕らえた,意義が,おののきのうちに:
それは,我が民から去りつつある神であった!
神の言葉を我れは聞いた.そして,沈黙せる星を
我れは見上げた.そこに神は降り来たった.
して,神を贖うために,我れは行った.
(…)
今や,己れのあまりの孤独さを
大地の心が嘆き,して,
昔の一体を記憶する冥き母が
天空へ火の腕を広げ,
して,今や,支配者がその光のうちに来たるとき,
されば,我れらは,我れらがその方の親族であることの徴に,
その方に従う,聖なる炎のなかへ降りて行きつつ.
(…)
おお,汝れら,霊たちよ,
汝れらは我が生の始めに近しき者らであった,
汝れら,遙か彼方を予覚する者らよ!
我れは汝れらに感謝する,汝れらのおかげで我れは
長き数の苦悩を
ここで終わらせることができる,ほかの義務から解放されて,
自由なる死において,神の律法にしたがって!

Empedokles の口を借りて詩っているのは,勿論,Hölderlin 自身です.

周知のように,Hölderlin は自殺はしませんでした.彼においては,精神病が発症しました.Schizophrenie であったと推測されます.

彼の作品には,精神病発症期の独特の切迫感や緊張感がみなぎっています.そして,詩作にもかかわらず,Schizophrenie に典型的に見られる声の幻覚が発症します.一時期は典型的な緊張病状態を呈していたことがうかがわれます.

Hölderlin が「意義が我れを捕らえた」と言っているのは,精神病理学において Bedeutungserlebnis 「意義体験」と呼ばれているものに相当します.そこにおいては,存在Bedeutung φ としてまさに顕現しようとします.典型的な幻覚妄想症状の前段階です.

Hölderlin の神は「我が民から去りつつある神」です.逃げ去ってしまった神.それは,己れを離退する存在 φ そのものです.

「神を贖う」とは如何なることか?キリスト教においては,神が我れらの罪を贖ってくれます.ところが,先ほどの引用箇所では,Hölderlin が神を贖うのです.

「神を贖う」は,神の罪を前提しています.Hölderlin は神を贖う.ということは,Hölderlin は,神の罪を己れの罪として引き受けたのです.

ここで,「人間の欲望は他 A の欲望である」という Lacan の命題を想起してもよいでしょう.神の罪を己れの罪と認めること.それは,Ⱥ ≡ φ の等価性を認めることです.

そして,神の罪を己れの罪と認めることにおいて,Hölderlin は神の親族となります.つまり,聖人となります.

神の親族,聖人は,神に従順です.神に従順に「聖なる炎のなかへ降りて行き」ます.二階堂奥歯氏も,まさにそうしようとしました.

「おお,汝れら,霊たちよ,我れは汝れらに感謝する.汝れらのおかげで我れは長き数の苦悩をここで終わらせることができる」と Hölderlin は詩っています.

二階堂奥歯氏も,強烈な不安を長期間,辛抱してきました.拷問の苦痛を堪え忍ぶ殉教者のように.彼女は簡単に世を捨て去ったわけではありません.死の前の数ヶ月間,彼女は耐えがたい不安を辛抱し続けていたのです.殉教者として,重い十字架を担い続けたのです.彼女は十分に辛抱しました.存在の深淵について,十分に証言しました.

だから,神はついに彼女に言いました:もうよい,こちらへ来なさい,と.

彼女は,地上的な負いめから解放されて,「自由なる死」を死にました.「神の律法にしたがって」.

神の律法にしたがうこと.Antigone もそうしました.

二階堂奥歯氏は,無意識の殉教者です.したがって,聖人,聖女です.死後ではあっても,主は彼女を洗礼するでしょう.洗礼名は,彼女が愛読した聖女 Marguerite-Marie Alacoque にちなむことになるでしょう.

殉教者たちは,S(Ⱥ) の穴をそのものとして証言します.

それに対して,James Joyce は,S(Ⱥ) の穴の場処において「無からの創造」を為し遂げます.それによって彼は,死者のうちから復活します.

métaphore は,a / φ の構造そのものです.

métonymie は,まったく制止不能,把握不能な φ そのものです.

φ a / φ métaphorique な構造に全く捕らわれずにいるとき,それは死そのものです.それは,ボロメオ結びにおいて R, S, I の三つの輪が相互に解離している状態に対応します.

φ métaphorique に保匿する何らかの a を創造することが,死からの復活です.詩は,そのような創造のひとつの様態です.

精神病に関して Lacan phénomènes élémentaires と呼んだものは,そこから出発して幻覚妄想症状が形成されるところの anidéique つまり,imaginaire な,了解可能な意味を持たない 核です.Bedeutungserlebnis もそのひとつです.Lacan の精神医学の師である Clérambault automatisme mental phénomènes élémentaires に数えられます.

精神病症状は,S(Ⱥ) の穴の場処に増殖する a の典型例です.

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