2014年9月10日

精神分析トゥィーティング・セミナー: フロイト・ハイデガー・ラカン



07 September 2014 : 去勢について; 実在,徴象,影象.

去勢の概念について御質問をいただいています.精神分析において去勢と言う場合,それは,徴示素としての phallus に関わります.

Freud は,去勢複合を,精神分析治療において最終的に克服不可能な行き詰まりを成すものと考えています.不安のせいで,そこから先へは進めない地点に到達する.精神分析はそこで終わらざるをえない,と Freud は考えます.

とすると,去勢不安は精神分析によっては克服不可能である,ということでしょうか?

その問いへ進む前に,castration symbolique という表現について考えてみましょう.既成の日本語訳では多分「象徴的去勢」と訳されているでしょう.

symbolique という表現は,勿論,symbole に由来します.symbole は「象徴」ですが,しかし,logique symbolique は「象徴論理学」ではなく,「記号論理学」です.

記号論理学は,別名,形式論理学です.形式論理学は,通常の言語にともなう曖昧さを取り除くために,それ自体としては意味を持たない幾つかの記号を用います.Lacan は形式論理学にならって,学素 mathème を精神分析へ導入しました.

Lacan symbolique と言うとき,それは,imaginaire ならびに réel との相関においてです.

L’imaginaire image 影像の位です.「影像」は三島由紀夫の文章のなかで見かけた語です.「映像」よりも適切な表現だと思います.なぜなら,imaginaire という語には,réel 「実」に対して,「虚」という意味があります.たとえば,real number 「実数」に対して,imaginary number と言えば,「虚数」です.「影」の字は「虚」の意味を有しています.

Lacan の用語 l'imaginaire は従来,「想像界」と訳されています.

「界」は,Lacan l'ordre imaginaire ないし l'ordre de l'imaginaire と言うときの ordre の訳語のつもりでしょう.ordre という語も訳しにくい語です.この場合,「秩序」ではありません.「次元」と訳したくなりますが,dimension ordre とを訳語のうえでも区別することができねばなりません.結局,「位」(くらい)と訳してみました.ordre は「位階」と訳せることにもとづきました.

Lacan le symbolique, l'imaginaire, le réel の三つの位の概念を措定したのは,精神分析においてかかわること,つまり,構造 a / φ に関して思考するためにはそれら三つの位を識別する必要があるからです.

Lacan は,従来の精神分析が imaginaire な関繋のなかに捕らわれてしまっており,それがゆえに行き詰まってしまっている,ということに気がつきました.

つまり,従来の精神分析は,構造 a / φ 全体を見ず,そこにおける a を,しかも imaginaire なものとしての a をしか見ておらず,したがって,imaginaire なものとしての a をしか扱っていなかったのです.

名詞 l'imaginaire を「影象」と訳し,形容詞 imaginaire を「影象的」と訳します.image を「影像」とするなら,imaginaire は「影像的」ですが,Lacan の用語の翻訳としては,「影像的」よりもより抽象的(ここに象が用いられているように)な語にしたかったのです.そして,「仮象」という語との関連も明らかにしておきたかったのです.

symbolique を「徴象」,imaginaire を「影象」とすることによって,両者の「仮象」semblant との関連が明白になります.

構造 a / φ における a imaginaire なもの,影象的なものとしてしか捉えられないと,その構造に含まれる jouissance imaginaire を打開することができません.Narcisse のように image に魅せられたままとなってしまい,身動きがとれなくなってしまうからです.そのような inertie 「惰性」を打ち破り,精神分析の過程を活性化するために,Lacan は,imaginaire を相対化し得るほかの二つの位,symbolique réel とを導入します.

とりわけ,symbolique の概念と signifiant の概念は,構造 a / φ が完全に固定化されてしまったものではなく,解体可能なものである,と考えるために必須のものです.そのことを Lacan は,Saussure の「恣意性」の概念に学びました.Sausure は,signifiant signifié とのつながりを「恣意的」なものと見なします.つまり,両者のつながりは全く固定化されたものではなく,切り離され得るもの,分離可能なものなのです.

symbolique を「徴象」と訳すのは,symbolique signifiant, signe との本質的な関連のゆえにです.signfiant signe に由来します.signe は「しるし」です.「記」や「印」ではほかの意味の語とまぎらわしいので,「徴」の字を用います.signe を「徴」と訳すのは,渡辺守章氏の文章で見かけました.「象」の字については先ほど説明したとおりです.結果的に,「象徴」をひっくり返して「徴象」にしたかのようになってしまいました.

「象徴」とは,何らかの意味を有するひとつの影像です.言い換えると,ひとつの記号として機能し得る影像です.象徴は,したがって,影象的かつ徴象的です.

Lacan の用語としての symbolique を「象徴的」と訳すのを避けるべきであるのは,それがゆえにです.Lacan symbolique は,imaginaire 影象的なものと厳密に区別されねばなりません.「象徴的」と訳したのでは,imaginaire との区別が曖昧になってしまいます.

castration symbolique に戻りましょう.徴象的去勢とは,signifiant としての phallus symbolique の位,すなわち,signifiant の宝庫としての他 A の場処に欠けている,ということです.

それが,Freud が「母親における phallus の欠如」と呼んだ事態の Lacan による公式化です.

Lacan は,「去勢の影象的関数」を ( − φ ) と書きました.しかし,それでは,書かれぬことをやめない signifiant としての phallus, つまり,不可能な signifiant としての phallus, 実在としての phallus の学素にはなりません.ですから,φ という学素を新たに考案しました.

さて,徴象的去勢と forclusion との関連は如何?この本題は明日論ずることにしましょう.


08 September 2014 : 精神分析家であることとキリスト者であること; 真理は虚構の構造によって己れを顕す; 欠如について; 閉出 (forclusion) について.

精神分析の創始者 Freud が信仰を持っていなかった限りにおいて,わたしの精神分析家としての立場とカトリックとしての立場は相互にどのように関連しているのか,という内容の御質問をいただきました.

正確に言うと,質問者の方は「Freud は無神論者である」と述べているのですが,信仰を持たないことと無神論者であることとは必ずしも重なり合いません.確かに Freud は,宗教的信念は一種の幻想である,と主張しています.しかし,彼は無神論者だったでしょうか?

そう問う余地はあります.なにしろ,彼の最晩年の著作のうち最も大著であるものは「モーゼと一神教」にかかわっているのですから.全く神に無関心である人間がそのような主題に関して真摯に思考しようとするでしょうか?

ともあれ,(存在論的に言って)精神分析家と聖人とは同じものだ,と Lacan が指摘している限りにおいて,精神分析家であることとカトリックであることとは相互に矛盾しない,と言うことができるでしょう.

キリスト教の信仰を持っているということは,聖書に書かれてあることを文字どおりそっくりそのまま信じているということではありません.

確かに,USA のプロテスタントの一部,fundamentalist と呼ばれる会派のなかには,現代物理学の宇宙論や生物学の進化論を否定する人々もいます.彼らは,聖書に書かれてあることを字義通りに信じています.しかし,それは,カトリックのなかでは一般的な態度ではありません.

Freud は,宗教は幻想だと言いました.聖書に書かれてあることは作り事だ,というわけです.「作り事」とは,言い換えると,フィクション fiction です.幻想や fiction は,全く単純に空想的なものであり,まともに相手にする価値のないものでしょうか?もしそうであったなら,精神分析家は臨床において患者たちが述べる幻想に耳を傾けることはなかったでしょう.

精神分析において,幻想とは何か?Fiction とは何か?それらは虚構であり,仮象であるとしても,真理を代表する仮象なのです.

Fiction の構造は,存在の真理の現象学的構造 a / φ にほかなりません.

幻想の学素 ( $a ) も構造 a / φ の学素と等価です(このことは,後日説明します).

存在の真理は,仮象を通してしか現れ出ません.

キリスト教の信仰とは,聖書に書かれた作り話をそのものとして信じ込むことではなく,聖書が物語る神話によって代理されている存在の真理をみづからの存在の真理として生きることであり,存在の真理において実存することです.

存在の真理において実存することは,聖人と精神分析家に共通の存在論的構造です.

昨日途中まで論じた castration symbolique forclusion のことに戻る前に,コメントをひとついただいていますので,それに関連して,Lacan Séminaire IV において展開している「欠如」の表のことに触れましょう.

1956-57年の Séminaire IV において Lacan Freud の症例 Hans 少年,5歳の男児の馬恐怖症の症例を取り上げ直しながら,欠如の問題を symbolique, imaginaire, réel の三つの位の観点から見直しています.

1956-57年という時点は,Lacan の教えにおいて豊かな展開がくりひろげられる時期ですが,それだけに,Lacan の話について行くのになかなか苦労します.後年の学素を用いての形式化もまだ始まったばかりです.ですから,50年代の Lacan の言っていることの言葉じりひとつひとつのこだわりすぎていると,全体を見失い,道に迷ってしまうことになります.

そうならないためにわたしが最も基本的な足がかりにしているのが,Lacan 1969年に提唱する分析家の言説の構造です.分析家の言説の構造を踏まえることによって,1930年代の「超自我精神病」の Lacan から,1970年代のボロメオ結びの Lacan に至るまで,その一貫性をおおまかに展望することができます.分析家の言説の構造は,Lacan の教え全体の結びめである,と言うことができると思います.

1956-57年の時点においても,manque 「欠如」という用語が差し徴しているのは,つまるところ,manque à être 存在欠如です.つまり,我々の学素では φ です.

去勢とは,昨日述べたように,他 A の場処のなかの欠如です.他 A の場処には signifiant が欠けている.この徴示素欠如こそ,母親に欠けている phallus として Freud が見定めたものの真理です.

以上をふまえて Séminaire IV の表を見るならば,去勢とは signifiant phallique, つまり phallus symbolique の欠如であり,それに対して,phallus imaginaire ( − φ ) phallus symbolique の欠如を代補する客体はです.

1956-57年の時点では,a は影象的な自我と他者の学素であり,客体 a としてはまだ登場しません.

表の右の列の objet は,欠如の穴に位置づけられる客体です.

客体 a の代わりに phallus imaginaire を以て,去勢の構造を ( − φ ) / φ と書くことができます.

興味深いのは,Séminaire IV Lacan père réel 「実在的父」と呼んでいるものです.それは,現実において父親としてふるまっている人物のことではありません.そうではなく,「実在的父」は,Lacan が存在の真理の座に位置づける「父の名」に相当するものではなかろうかと思われます.

Séminaire IV の表についてはまだまだ検討すべきことがたくさん残っていますが,昨日中断した castration symbolique forclusion の問題に戻りましょう.

まず,forclusion の概念も一義的ではない,と言わねばなりません.

『あらゆる精神病の治療にとって前提的なひとつの問いについて』において提示された図 schéma I (Écrits, p.571) P zéro は「父の名の閉出」の穴であり,Φ zéro はそれに対応する phallus の欠如の穴です.

それにのっとって言えば,φ は父の名の閉出の関数(相関者)である,と言えるかもしれません.

それに対して,φ そのものが signifiant phallique の閉出 forclusion であると言ってよいだろうか?閉出は,或る徴示素が決して徴象の位に記入されることがない,ということだ,と定義するなら,書かれぬことをやめない徴示素 phallus : φ についても,その徴示素は閉出されている,と言ってよいでしょう.用語の濫用とは言えないと思います.ただ,forclusion 「閉出」を如何なる意味で用いているかについて説明は必要です.

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