2017年9月4日

Radiophonie 読解 (4) : la passion du signifiant

La passion du signifiant


問い II と問い III への答えのなかに登場する « la passion du signifiant » (pp.412 et 418) について解説しておきましょう.それは La signification du phallus (Écrits, p.688) で用いられている表現です.そこにおいて Lacan はこう言っています:

徴示素は,其こにおいて徴示され得るものが徴示素のしるしを被り,その passion によって被徴示になるように見えるところの諸効果の決定において,能動的な機能 [ fonction active ] を有している.そのような passion du signifiant[徴示素による passion, 徴示素からの passion]は,爾来,人間の条件のひとつの新次元となる 「人間は言葉を話す」のみならず,「人間において,人間をとおして,何かが語る」のである限りにおいて,また,人間の本性は,其こにおいて言語の構造 人間は,其の質料になる が見出されるところの諸効果によって織り成されるようになる限りにおいて,また,そこから,観念の心理学が思想し得たものすべての彼方において,人間のなかに,ことばの関繋が響く限りにおいて.

passion は,action[作用,能動]に対して,受動です.また,キリスト教の文脈においては,Jesus の受難です.そこにおいて,彼は,十字架につけられて処刑され,三日目に永遠の命へ復活します.

ここで,Heidegger がバツ印で抹消した存在のことを思い出しましょう:


この Sein[存在]という単語のバツ印による抹消について,Heidegger (GA 9, p.411) « die kreuzweise Durchstreichung » または « die Durchkreuzung » と言っています.« Kreuz » は十字のしるしであり,キリスト教の文脈においては十字架のことです.

かくして,我々は,« passion du signifiant » という表現に,Heidegger がバツ印で抹消した Sein を見てとることができます.つまり,言語存在としての主体の存在欠如 Sein です.

Radiophonie において,Lacan passion du signifiant についてこう言っています:

其こにおいて性的なもの[le sexuel  すなわち rapport sexuel, 性関係]が passion du signifiant を被るところの神話的な原点は,phallus に要約される (Autres écrits, p.412) ;

記入されるものの下を passion du signifiant は滑走する passion du signifiant jouissance de l’Autre[他の悦]と言われねばならない,なぜなら,それが身体から奪われることによって,身体から lieu de l’Autre[他の場処]が生成するがゆえに (ibid., p.418).

Lacan は単に « le sexuel » と言っていますが,それは le rapport sexuel[性関係]のことであると理解しておきましょう.「性関係は無い」の学素としての抹消された phallus φ passion du signifiant[徴示素による受難]としての抹消された存在 Sein との等価性 :


が,改めて示唆されています

ふたつの学素 φ および Sein により形式化される否定存在論的抹消は,存在論的切れ目 S(Ⱥ) の効果です.

「滑走する」[ glisser ] は,signifiant に対する signifié ex-sistence を指し示すために Lacan が好んで用いる表現です.例えば : « un glissement incessant du signifié sous le signifiant »[被徴示が徴示素の下を絶えず滑走すること](Écrits, p.502).

signifié の正体は,passion du signifiant としての Sein です.それは,「記入されるもの」 すなわち,signifiant の下を絶えず滑走する.つまり,signifiant に対して ex-sistent です.

さらに Lacan は,passion du signifiant jouissance de l’Autre と言い換えています.この jouissance de l’Autre は,ですから,「性関係は無い」ことによる不可能な悦のことです.言い換えれば:不可能な phallus φ .


不可能な phallus φ と他の場処とは,存在論的切れ目 S(Ⱥ) によって相互に分離されています.不可能な phallus φ は,他の場処に対して ex-sistent です.

徴示素の宝庫(徴示素の集合)としての他の場処が規定されるのは,存在論的切れ目 S(Ⱥ) によって,それが主体の 存在 の解脱実存的在処から分離されることにおいてである それが,「他の悦が身体から奪われることによって,身体から他の場処が生成する」ということです.

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