湾岸戦争クウェートの感謝広告「日本外し」の真相は.
安全保障関連法案で根本から変わろうとしている日本の防衛策.その論議の原点と言えるのが1991年の湾岸戦争だ.イラクの侵攻から解放されたクウェートの感謝広告に日本の名前が無かった事実は,自衛隊海外派遣を求める主張の有力な材料となってきた.
クウェート解放のために約130億ドル(約一兆五千五百億円)を支援しながら,日本は感謝広告の30の国に入らなかった.日本は本当に国際社会から批判的に見られたのか.
安保法案の国会審議が大詰めを迎えた今,当事者たちに当たると,語り継がれてきた筋立てとなる事実が見えてきた.
クウェート市のビルの一室で白い装束姿のアルシャリクは感謝広告問題の核心に触れた:「あの広告のリストはそもそも私たちが作ったものではない.作ったのはアメリカだ」.当時東京に駐在していたエリート外交官は現在,政府外郭団体の代表者.「日本をわざと外したんじゃない.それは確かだ.広告をもう一度出せるなら,間違い無くなく日本を入れる」と自信満々で説明し,「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した広告だったんだ」と続けた.
説明によると,発案者は当時の駐米大使サバハ(故人).感謝広告を企画し,米国防総省に多国籍軍の参加国リストを求めた.もちろんそこに日本の名は無い.「戻ってきたものがそのまま広告になったんだ」とアルシャリクは言う.
広告の謝辞には「究極の犠牲をいとわなかった米国民に揺るぎない感謝をささげます.ありがとう」とある.米国を強く意識しているのは確かで,日の丸や日本の国名がなくても大きな違和感や矛盾はない.
在米日本大使館の元公使平林は今,「あえて言えば,クウェート側に悪気はなかった.わざとやったんじゃない.ただ,なんでも人にやらせちゃう国だから.やれということだけで,後は任せたんじゃないかな」と推測する.
広告が掲載された当時,外務省内に騒ぎを冷ややかにみる人々がいたことも明らかになった.匿名を条件に打ち明けるのは外務省の元高官だ.「当時はあんなつまらんことで騒ぐなんてと思ってましたよ.(在米)大使館の張り切った連中がさあ首を取ったと広告を使ったのは間違いない.米国の議員にたたかれていたから.それに乗って,やっぱりお金だけではだめなんだという議論に持っていきたかったんだよ」.
当時,中近東アジア局長だった渡辺允も「自衛隊を海外に出す,いわゆる普通の国になるという立場の人たちと憲法九条なんだという人たちの対立的な違いがあったわけです.その中で,自衛隊を出さなかったからこうなったんだということに使われた可能性はあると思う」と同様の見方を示した.(...)
2011年3月,クウェート市の日本大使館に東日本大震災被災者のためにと富裕層も労働者層も義援金を手に集まる.当時の大使小溝泰義は光景に「圧倒された」という.篤きは続いた.一カ月後,国際会議の席上,クウェートの石油相が切り出した.「原油500万バレルを日本の苦しみを軽減するために無償で提供することをサバハ首長が決定された」.原油は四百億円に相当した.首長といえども国の生命線の石油を簡単に他国に贈れない国.小溝は自身の着任式でサバハ首長にかけられた言葉を思い浮べた.「日本は130億ドルもの援助をしてくれた.私たちは決して忘れていない」.
米国はどうだったか.巨額支援への強い感謝の念は何度も示されている.元米軍総司令官シュワルツコフは自伝で,日本の資金が無ければ作戦は「破綻していただろう」と書いた.外岡はジョージ・ブッシュ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めたスコウクロフトにインタビューし,「日本の貢献に感謝している」と聞いている.
外岡は,日本が国際社会から感謝されていなかったという筋立てで語り継がれることに,「感謝広告は米国で当時ほとんど話題にならなかったし,いまだにその話をするのも日本人だけ.どうやって広告ができたか検証していれば,こんな話にはならなかったでしょう」と自戒を込めた.
外務省の元大使など OB らでつくる霞関会の月報に一連の湾岸危機をめぐる論文が載ったのは2008年3月.執筆者は,湾岸戦争当時クウェート亡命政府があったサウジアラビアの日本大使だった恩田宗.日本の貢献について「国際的に評価されなかったという論は,誰もが認めることとして定着してしまった.しかし,国際的に評価されなかったとの断定は正しくない.少なくとも正確ではない」と書いた.部隊や要員の国外派遣を主張する際の便利な「枕ことば」として使われてきたと指摘している.
恩田は1991年2月,クウェートの首長や外務次官から直接感謝の言葉を受けた.「クウェートは感謝している.お金を出して日本は感謝された.人を出すのが重要で金がだめだと言うのはあまりにも乱暴だ」と取材に対し語った.
クウェート市にある「湾岸戦争記念館」.名称の直訳は「サダム・フセイン政権の犯罪を忘れない博物館」だ.戦争のジオラマや米国の功績を紹介する展示がある.米国に比べ控えめな日本コーナーには,ペルシャ湾で掃海作業をする自衛隊とみられる写真が七枚掲げられ,アラビア語と英語で「イラクのクウェート侵攻時,日本は130億ドルという最大規模の金銭支援とその他の貢献を提供した」という解説がある.
記念館の存在も感謝の言葉も,日本ではこれまで大声で語られることはなかった.感謝広告問題がただ日本の失敗や屈辱として語られるばかりだ.
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