09 October 2014 : 村上春樹氏の作品は悦ばしき悲劇である; 芸術は死からの創造である; 無意識における文字 a という機関.
ノーベル文学賞は今回も村上春樹氏に授与されず,残念なことです.しかし,嬉しいことに,Patrick Modiano はフランスの作家です.どういうわけかまだ一度も読んでいないので,さっそく何か注文して,読んでみましょう.
村上春樹氏の作品は,好き嫌いが分かれるようです.わたしは彼の作品が大好きです.もっとも,最初に読んだのは『1Q84』で,そこからさかのぼって,彼の長編はすべて読みました.
基本的に彼は悲劇作家です.三島由紀夫がそうであったように.
随筆集『遠い太鼓』に収録されている『午前三時五十分の小さな死』において村上春樹氏は言っています:
長い小説を書いているとき,僕はいつも頭のどこかで死について考えている.(…)いったん長い小説にとりかかると,僕の頭の中にはいやおうなく死のイメージが形成されてしまう.(…)僕は小説を書くことによって,少しずつ生の深みへと降りていく.小さな梯子をつたって,僕は一歩,また一歩と下降していく.でもそのようにして生の中心に近づけば近づくほど,僕ははっきりと感じることになる.そのほんのわずか先の暗闇の中で,死もまた同時に激しいたかまりを見せていることを.
『午前三時五十分の小さな死』のなかの村上春樹氏のこのような言葉は,彼れの芸術的創造が無からの創造であり,かつ,死からの復活であることを証言しています.それらふたつを縮合して,死からの創造と言うこともできるでしょう.
芸術作品の構造は,Lacan の言語の構造,症状の構造,存在の真理の現象学的構造 a / φ です.文学作品においては,a は文字です.
朗読や演劇において,文字は俳優の声において受肉し,よりいっそう現在的となります.Paris 滞在の楽しみは,演劇です.Comédie Française をはじめとするさまざまな劇団が常にさまざまな戯曲を上演しています.前回の Paris 滞在で新たに出会ったのは,Vincennes にある劇場を本拠地にする Théâtre de l'Épée de Bois 「木の剣の劇場」という劇団です.「木の剣」は「竹光」と訳せば良いかもしれません.Molière を17世紀のフランス語の発音で演じてみせ,現代フランス語とは違う発音はそれだけでおもしろいのですが,ドタバタ劇風の滑稽な演出で,大いに楽しめました.機会があれば,是非また見たいものです.
声において受肉する文字.客体 a としての文字.
Lacan の書のうちで最も有名なもののひとつは『無意識における文字の機関,または,フロイト以来の理性』と題されています.1957年の書です.
「理性」は単に「理」,つまり「ことわり」と言ってもよいでしょう.「理性」の「理」は「真理」の「理」でもあります.そして,「ことわり」という表現は,真理の深淵の場処を示す裂けめ,裂口,亀裂,穴を示唆しています.
L'instance de la lettre の
instance は従来「審級」と誤訳されてきました.この誤訳は,Freud
における Instanz を「審級」と誤訳したことに由来しています.Instanz, instance は,司法制度に言う審級ではありません.Freud は『夢解釈』において Instanz を
Apparat に属するものと提示しています.Apparat は確かに「装置」ですが,この場合,organisation と同義であり,「機構」です.Instanz は,機構に属するひとつの機関です.
Freud や Lacan の邦訳テクストにおいて誤訳は枚挙に暇がありません.
文字は,無意識という機関の代表です.Lacan が文字と呼んでいるのは,勿論,signifiant
徴示素のことです.しかし,文字と signifiant とでは,それらの概念において力点の置き方が異なります.
signifiant は symbolique の位に属しています.それに対して,文字は,勿論,signifiant ですが,しかるに,Freud が「夢は絵文字 Bildschrift で書かれている」と言ったように,Bild でもあります.ドイツ語の Bild は,フランス語では image です.文字は
imaginaire の位のものでもあります.
そして,文字は,Lacan が何千年もの間砂に埋もれたまま残る
hiéroglyphe 古代エジプトの神聖文字の例を出しているように,その物質性において,réel の位のものでもあります.
1957年に用いられた「文字」という用語は,かくして,1974-75年の Séminaire RSI において Réel, Symbolique, Imaginaire
の三つ輪の交わりに位置づけられた a の地位を既に示唆している,ということがわかります.
文学という芸術作品は,文字 a により死 φ を ek-sistieren 解脱実存させます.かつ同時に,それは,死からの創造として,復活の悦でもあります.
村上春樹氏の作品は,基本的に悲劇作品です.そこには,取り返しのつかない喪失や死が描かれています.しかし同時に,全く absurde な喜劇的要素も織り交ぜられています.悦ばしい悲劇,それが村上春樹氏の作品の魅力を成しています.
既にお知らせしたように,10月10日から12日まではこの精神分析 Tweeting Seminar はお休みします.月曜日13日の夜に再開します.
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Allez, bon weekend !
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