08 October 2014 : métaphore と
métonymie ; 徴示素と主体との関係;言語の機能は
communication ではない;日本人は精神分析を必要としないか?;解離と離人症.
Lacan は métaphore と métonymie の用語を言語学者の Roman Jakobson から借りてきました.Jakobson は失語症のふたつの基本型,Broca 失語と Wernicke 失語とを取り上げました.そして,Broca 失語,いわゆる運動性失語,発話量が低下する失語においては,signifiant と signifiant との連結が障害されるのに対して,Wernicke 失語,いわゆる感覚性失語,発話量は低下しないが,言い間違いが起こり,重症例では jargon になってしまう,そのような Wernicke 失語においては,signifiant と signifiant との代理が障害される,と分析しました.そして,Broca 失語は métonymie の障害,Wernicke
失語は métaphore の障害である,と論じました.
Lacan は,友人 Jakobson が1956年に発表したこの議論を,1955-56年の精神病についての Séminaire を行っていた最中に知りました.そして,1957年の書『無意識における文字の機関』において,精神分析における métaphore と
métonymie の概念を展開しました.Lacan にとっては,当然ながら,言語学としての言語学における métaphore と métonymie の概念が重要なのではなく,あくまでも,精神分析における signifiant と主体との関係が問題なのです.
signification という用語においてかかわっているのも,言語学的な「意味」や「意義」ではなく,あくまでも主体,Bedeutung φ としての主体です.
aliénation は,主体 φ が徴示素 a により代表されるという構造に存します.それによって,主体は,主体そのものとしてではなく,客体として現象することになります.
aliénation が métaphore の構造を有すると言えるのは,主体と signifiant との関係の観点においてです.Lacan が
Jakobson に「aliénation は métaphore だ」と言っても,Jakobson には通じなかったでしょう.
Lacan が「言語の構造」 la structure du
langage と言うとき,それは a / φ の構造,つまり,signifiant a が主体 φ を代理するという構造のことです.
精神分析における言語の機能は communication ではありませんし,我れと汝れとの「共同注視」へ客体を提示することでもありません.
精神分析における言語の機能は,signifiant a が主体 φ を代理し,守護し,それによって主体 φ が
ek-sistieren し得るようにする,ということです.
日本人は精神分析を必要としない,と Lacan は言いました.それは,ひとつの虚構的な「日本人論」にもとづいてです.
構造 a / φ は,仮象が真理を代理するという構造であり,真理は仮象を解釈することによってしか到達され得ません.
ところが日本人は,仮象が仮象であることを心得ている,つまり,建前はあくまで建前であって,本音,真理は他のところにある,ということを a priori に前提しており,かつ,音読みと訓読みを含む日本語の音韻体系のおかげで,仮象から真理への解釈と翻訳は,分析無しに,自動的に達成される.
そのような「日本人論」にもとづいて Lacan は「日本人は精神分析を必要としていない」と言ったのです.勿論,「何という礼儀正しい日本人!」,つまり,「何と日本人は仮象を仮象として尊重するのか!」という皮肉と揶揄であっただろうと思います.
日本において精神分析がフランスにおけるように重要性を持たないままであったとすれば,それは,確かに,日本が伝統的に「仮象の帝国」であったからです.仮象の優位があまりに強かったからです.
しかし,その伝統も,資本の言説と科学の言説のなかで破壊されつつあります.
3.11 は,日本が黙示録的時代に突入したことを象徴する出来事です.それは,近現代の Vollendung, 満了と,それにともなう崩壊の時代です.
伝統的仮象が崩壊しつつある今,時代はまさに精神分析を必要としています.
離人症と解離について補足するなら,確かに,DSM と呼ばれる米国の精神医学の診断基準においては,離人症は dissociative disorder のなかに数え入れられています.ただし,dissociation の概念を定義し得ぬままに.
昨日わたしは,DSM が離人症を解離障害のひとつにしていることを全く忘れていました.解離障害は hystérie において起こるものであり,離人症は,むしろ精神病と関連するからです.
しかし,構造論的には,離人症と解離とにおいては同じ分裂がかかわっている,離人症と解離とは同じ分裂に基づいている,と言うことができます.
米国精神医学において適切に定義されないまま使われている dissociation の用語は,分裂と読み替えることができます.
分裂とは,主体の分裂です.そして,主体の分裂とは,構造 a / φ における a と φ との分裂です.
Hysterica においては,a と φ との分裂,解離が非常に容易に起こります.両者の結合がもともと非常に緩いのです.そのことが hystérie を特徴づけています.
ですから,hysterica
においては容易にひとつの a との同一化が解消され,ほかの新たな a との同一化が成起します.極端な場合,まったく別の人格との同一化が起こり,従来の人格は排斥されてしまいます.しかし,そこにおいては,a / φ の構造そのものは保たれています.
他方,dépersonnalisation
においては,構造 a / φ そのものがまさに崩壊しようとしています.その危機的な状態において,あの特有の現実感の喪失や自己感の崩壊が体験されます.
構造 a / φ の解体の予兆として,離人症は,精神病発症の前ぶれであることがありますし,精神病が発症しなければ,文字どおり構造 a / φ が崩壊して,自殺に至ることもあります.
精神分析の経過中にも dépersonnalisation は起こります.それは,従来の同一化の解体の徴候としてです.
明日9日はいつものようにこの精神分析 Tweeting Seminar を行いますが,10日金曜日は東京ラカン塾のセミネールの初回を行うので,twitter はお休みします.また,11-13日は,聖ペトロ・パウロ労働者宣教会の黙想会に参加しますので,その間も twitter はお休みします.したがって,10-12日はこの精神分析 Tweeting Seminar
はお休みです.13日の夜に再開できると思います.
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