2014年8月1日

大学の言説は差別の言説である; 大学の言説としてのプロテスタントの言説; 分析家の言説としてのカトリックの言説; 復活の概念に対する反感



わたしがカトリックだからプロテスタントの悪口を言うわけではありませんが,少なくとも USA のプロテスタント諸会派の一部は,大学の言説に陥っています.

大学の言説は,差別の言説です.

あるときヘブライ語の聖書をネットで探していて,http://theotex.org を見つけました.そこからヘブライ語原文とフランス語訳を無料で download できるのですが,そのためにはクイズに答えなければなりません.どんなクイズかというと,ユダヤ人を救済の経済から排除することを正当化しているキリスト教神学システムの名は?というものです.ヒントとして,Left Behind という大ヒット映画の筋書きはそのような神学に基づいている,と付言されています.

Wikipedia で調べて,答えは簡単に見つかりました.Dispensationalisme が答えです.

日本語に訳しにくい用語ですが,dispensation は,この場合,「配分」です.最終的な救済である世の終わりに至るまでに,神は幾つかの時代,期間を人間たちに配分した.そのように配分された時代が dispensation です.

そして,ある時期,神はユダヤ人に己れを啓示していたが,その時代は過ぎ去った.ユダヤ人は最終的な救済から排除されている,と dispensationalisme の神学は考えます.少なくとも,dispensationalisme を信奉する人々の一部はそう考えます.

USA のプロテスタントの一部では,そのような差別神学が信奉されているのです.http://theotex.org は,そのような差別を告発するために,あのクイズをしかけたのです.

ユダヤ人差別だけでなく,USA のプロテスタントは,WASP : White Anglo-Saxon Protestant 中心主義に組み込まれ,アフリカ系を始めとする少数民族に対する差別を容認してきました.

キリスト教は普遍的な神の愛を説くのに,なぜ差別の言説がまかり通るのか?それは,プロテスタントの聖書絶対主義に起因すると思います.

プロテスタントはローマ教皇の権威を否定するために,信ずるべきは聖書のテクストだけだ,と主張します.それゆえ,プロテスタントでは聖書の解釈学が非常に発達します.それはそれで神学的に有意義なことですが,ところが,プロテスタントは,聖書解釈学の知 S2 が能動者の座に就いて支配する大学の言説に行きついてしまいました.

ある意味で,今のイランの政治体制も同様です.コラーンのテクストの解釈の知を握る神学者たちが支配する大学の言説です.

聖書のテクストを読むのは勿論大切なことですが,本来もっと本質的なのは,神の御ことばであるイェスの声を聴くことです.カトリックはそれを重視します.それは,大学の言説ではなく,分析家の言説の構造のなかに位置づけられます.神の声 a が能動者の座に位置し,それは神の知 S2 を代表しています.

そのような構造の下地の上に,カトリック諸国での精神分析の広まりは基礎づけられているのではないかと思います.

話は変わって,先日ちょっとおもしろい経験をしました.Zizek の関係のグループの Facebook のページで,わたしが「復活」に言及したところ,嫌悪感を以て反発する反応が返ってきました.英語でやりとりするグループです.反応したのはイギリス人でした.

キリスト教圏においても,今や,死からの復活を持ち出すと反感を買うことがあるわけです.西暦1世紀に聖パウロがアテネで死からの復活を説いたときと同様に.

(31 juillet 2014)

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