2014年8月6日

aliénation と séparation ; aliénation から Ereignis へ,他化から自有へ; 聖状 sinthome の悦; 欲望に忠実であること; phallus imaginaire は去勢の否認である.



Tweeting Seminar on Psychoanalysis : Freud, Heidegger and Lacan 612日に開始して,今日でほぼ2ヶ月たちます.今までに tweet したことを PDF にひとまとめにして東京ラカン塾の site に公表するつもりです.

aliénation séparation について御質問をいただいています.ありがとうございます.この問題については HEIDEGGER AVEC LACAN 第四章に詳しく論じたのですが,その部分を含む日本語版はまだ公表できていません.

aliénation séparation について Lacan が論じているのは『無意識の位置』という書においてです.それは1960年のある学会での発言をもとに1964年に書かれたもので,つまり,Séminaire XI 『精神分析の四つの基礎概念』と同時期の書です.そして,Lacan 自身が,『無意識の位置』の書はローマ講演の続きを成すものだという意味のことを言っており,重要なテクストです.

何が「無意識の位置」の書において重要かと言うと,まさに séparation の概念です.séparation 1967年に destitution subjective と命名し直され,精神分析の終わりにかかわる概念となります.言い換えると,Lacan が精神分析の終わりを初めて規定することができたのは,séparation の概念を以てです.séparation destitution subjective の概念無くしては,精神分析は Freud が言ったように,unendlich に,際限無く続けざるを得ないことになります.

もし精神分析家を「精神分析された者」と規定するなら,そこにはひとつの完了が含意されていますから,精神分析の終わり,完了を定義することができなければ,精神分析は,みづからは精神分析家とは何かを規定することもでず,したがって,自分が何をやっているのかもわからないような,文字どおりわけのわからないしろものだということになってしまいます.pragmatism の英米圏ではそれでも困らないでしょうが,Lacan はそこに甘んじませんでした.

精神分析の出発点は aliénation です.そこにおいては,主体の存在の真理 φ は他 A の場処に属する徴示素 a によって代理され,主体自身ではないものとして出現します.主体の存在の真理が主体自身のものではなく,他のものとして現れること,それが aliénation です.哲学用語で「疎外」と呼んでも良いでしょうし,精神医学では「狂気,精神疾患」一般のことですし,精神分析の臨床においては症状であり,無意識の造形です.症状のなかには自我も含まれます.narcissique なものとしての自我もひとつの症状です.

主体の存在の真理 φ が仮象 a により代理されているという構造が aliénation であり,精神分析はその構造を解体せねばなりません.aliénation を解消しないのであれば,精神分析に何の意義があるでしょう?

aliénation から Ereignis へ: これが Heidegger Lacan とに準拠する精神分析の標語です.aliénation alienus (他のもの)から Ereignis eigen (己れ自身のもの)へ.それが本当の意味での自有・自由です.それが精神分析の本当の目標です.

本当の己れ自身は,存在Seyn, φ です.自有においては,その深淵の穴を,何か他のもので塞ぐのではなく,穴・切れめが開いたままに保ち,φ の不安と苦痛に辛抱しなくてはなりません.

それは,Freud が源初的 Masochismus と呼ぶものと関連しています.もし精神分析の終わりとしての「症状」sinthome の悦について語るとすれば,それは,源初的 Masochismus の悦です.それこそが,死からの復活の悦です.

Lacan Joyce との関連で用いた sinthome には saint 「聖人」が含まれています.ですから,sinthome sainthome と書くことができます.発音は全く同じです.ですから「症状」は「聖状」となるのです.このばあい「聖」の字は「聖人」を「しょうにん」と読むときのように読んでください.「聖状」は,ですから「しょうじょう」です.それが sinthome の訳語です.「聖状」は聖人 saint として実存することです.それは,存在の真理 φ を,仮象で覆うことなく,そのままに ex-sister させることです.

そのような実存の手本を,我々は,ブッダとイェスに持っています.覚者となること,死からの復活において永遠の命を実存すること,それが精神分析の終わりであり,目標です.そして,それは可能です.Heidegger が「死」を我々の最も本自的な存在可能性と規定する限りにおいて.

séparation 「分離」に話を戻すと,分離とは,aliénation の構造,症状の構造 a / φ において φ から a を分離することです.あるいは,両者を相互に分離することです.これは,『無意識の位置』を読めば,明白です.

分離によって,Ⱥ φ とが実際にひとつになります.それまで「他 A のなかの欠如」と「主体自身の存在欠如」として別々のもののように思われていたものが,同じひとつの欠如に重なりあいます.

それは,死の予覚的覚悟です.

予覚は Heidegger Entwerfen, 覚悟は Heidegger Verstehen です.

死の予覚的覚悟は,しかし,生理学的な死をもたらすのではなく,死からの復活へ至ります.死からの復活の成起が Heidegger Ereignis 「自有」であり,Lacan sinthome 「聖状」です.

分離は,ですから,文字どおり,去勢の完了である,と言ってよいと思います.去勢とは φ そのもののことですから.

わたしが欲望について話題にしてこなかったという御指摘をいただきました.文面の上では確かにそのとおりです.しかし,欲望とは何でしょうか?心理学的に理解してはいけません.存在論的に問わねばなりません.Lacan の答えは,「フロィト的な物,それが欲望である」です.

「フロィト的な物」 la chose freudienne, それは,ex-sistence としての主体の存在φ です.φ のことは毎日のように問題にしてきました.そして,φ こそが,精神分析的な意味での欲望なのです.

「欲望に関して譲歩する」という表現は『精神分析の倫理』 (p.368) この命題に由来します : « la seule chose dont on puisse être coupable, c’est d’avoir cédé sur son désir »[我れらの唯一の罪は,己れの欲望に関して譲歩したということである].

すなわち,有罪性は欲望に関して譲歩したことに存する.この有罪性は,無意識的罪意識のことです.存在論的有罪性のことです.

「欲望に関して譲歩する」とは如何なることでしょうか?それは,「欲望 φ を仮象 a で覆い隠してごまかして,満足を得た気になってしまう」ということです.

まことには,欲望 φ は如何なる仮象客体 a によっても満足しません.ごまかしはききません.ですから,本当の意味で欲望 φ に忠実であろうとすれば,あらゆる客体 a を棄却せねばなりません.

それは,構造論的には分離と同じことであり,主体滅却 destitution subjective と同じことです.つまり,自有,聖状に成ることです.

欲望という語は容易に心理学的に理解されてしまうので,非常に誤解・曲解を招きやすいものです.たしかに catchy な言葉ですし,精神分析は「性欲」を扱うと一般には思われていますから,欲望を論ずることは必要です.しかし,欲望が何であるかを明確に踏まえなければなりません.精神分析における欲望とは,フロィト的な物,ex-sistence としての存在φ です.心理学的誤謬は避けねばなりません.

最後に,いただいた御指摘のうち重要な一点に言及しないわけには行きません.それは,phallus imaginaire ( − φ ) はそのものとしてひとつの aliénation にほかならない,という御指摘です.これは大変的を射た御指摘です.わたしも気づいていませんでした.

たとえば Hans 少年が彼の母親や妹のペニスを想像するとき,それは去勢 φ に対するひとつの防御です.去勢の実在を否認するために,妹にも,今は小さくてわからないけど,ちゃんとペニスがあるのだ,と彼は想像します.

そのような image négatif としての phallus imaginaire ( − φ ) は,まさに,去勢 φ fonction imaginaire であり,( − φ ) / φ という学素に形式化できます.

大変重要な御指摘をくださり,ありがとうございました.

では今学期はここまでにしましょう.引き続き御質問,御意見,御要望等を随時お送りください.お待ちしています.また来週,可能な限り早く再開します.Allez, bonne soirée et bonnes vacances !

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