始める前に夏休みの予定をお伝えしておきます.7日は終日所用で tweet している時間がありません.そして,11日に引越をする予定です.その前後は当然,ごたごたします.ですから,7日から約1週間,この Tweeting Seminar on Psychoanalysis は夏休みとします.来週何曜日から再開できるか,現時点では正確には言えません.引越の後どの程度迅速にかたづけが済むかによります.ともあれ,夏休み期間中も,御質問,御意見,メッセージ等は御遠慮なくお送りください.一応,スマホもノートパソコンも持っていますから,時間の余裕があればすぐお答えすることも不可能ではありません.
ファロスの学素について御質問を幾つかいただいていますので,昨日に引き続きファロスについて考えてみましょう.Lacan がオィディプス複合と去勢複合とを一体の問題として考えたように,父の問題とファロスの問題は表裏一体です.Lacan が父の問題を問うことをやめなかったとすれば,それは,彼はファロスに関して問うことをやめなかったということでもあります.
わたしが工夫した学素
φ は,Lacan の ( − φ ) にもとづいています.1960年のテクスト「主体のくつがえし」で Lacan は ( − φ ) を「去勢の影象的関数」と定義しましたが,その後,1967年のテクストなどでは ( − φ ) が存在,ex-sistence
を表すために用いられていると解釈できるところがあります.
であれば
( − φ ) を実在的 phallus の学素として使えば良いではないかと思われるかもしれませんが,それは混乱を招くこと必至です.
それゆえ,( − φ ) の代わりに,ex-sistence
を形式化する学素として φ を導入しました.
しかし,学素は,形式論理学の記号と同様,まったく形式的な,任意のものです.わたしはここではこう定義する,と宣言すれば,どの記号をどう使おうと勝手です.ただし,一貫性がなくては混乱してしまいますが.
ギリシャ語大文字の Φ については,Lacan は1960年の「主体のくつがえし」のなかでこう定義しています : Φ (grand phi), le phallus symbolique impossible à négativer, signifiant
de la jouissance [大文字の Φ, 負の記号を付することの不可能な徴象的ファロス,悦の徴示素].
ここで impossible à négativer と言っているのは,小文字の
φ が ( − φ ) :
phallus négatif であるのとは異なって,ということです.
また,1958-59年の Séminaire VI, p.534 で一回だけ
Lacan は Φ を抹消して提示していますが,その学素はその後定着しませんでした.
そして1960年に結局,Φ は負の記号を付けて用いることは不可能だ,と宣言されることになります.もっとも1972年の性別の公式の父の機能では Φ は否定の記号を付されることになりますが.
ともあれ,「主体のくつがえし」(Ecrits, p.823) の一節にも書かれてあるとおり,Φ は源初的なものではなく,後から,つまりオィディプス期になって初めて登場するものです.そして,男女の性別にかかわる signifiant だ,とそこでも述べられています.
したがって,Φ が「悦の徴示素」であるとしても,それは,「性関係は無い」: φ という欠如の穴塞ぎの仮象としてでしかありません.それは,世界のところどころで見うけられる多産,豊穣の象徴としてのハリボテの男根にすぎないのです.男根を御神体にしている神社は,わたしが知る限りでも日本に複数あります.
しかし,Φ は,厄介なことに,大学の言説の構造である男の言説の構造において,排他的な「すべて」の暴力を規定する signifiant でもあります.今日の新聞にも,どこかで平然と male chauvinism を正当化する発言が報道されていました.
話をもとに戻すと,ギリシャ語大文字の
Φ はオィディプス複合と男女の性別にかかわります.小文字の
φ は,それに対して,より源初的なものにかかわります.φ は,本当の源初そのもの,失われた源初そのものです.
ex-sistence として,φ はそのままでは限りなく横滑りして行き,捕らえようのない signifié です.Freud も unfaßbar 「とらえようのない」という形容詞を使っています.
そのように常に己れを離退し,己れを隠し続ける存在の真理は,しかし,存在の真理の現象学的構造
a / φ のなかに位置づけられることによって,仮象 a に代理されて,己れを顕すことになります.
ですから,φ の離退を食い止める point de capiton を成すのは,構造
a / φ そのものです.あるいは,その構造において a が φ をつなぎとめている,と言っても良いと思います.
いずれにせよ,ではこの a / φ の構造を可能にしているものは何なのか?という問いが措定されます.それが「父の名」の問題です.
さて,明日は夏休み前の最後の日になりますから,多少とも「一学期」のまとめになるよう努力してみましょう.
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