2019年6月24日

Lacan と 一神教 III

Caravaggio (1571-1610), Maria Maddalena in estasi (1606), collezione privata

神秘的な恍惚状態にある Maria Magdalena — この絵には,ある意味で,キリスト教の誕生の瞬間が描かれています.なぜなら,それは,彼女において,初めて,Jesus Christ が死から永遠の命へ復活した瞬間の場面を表しているからです.

Maria Magdalena は,Apostola Apostolorum[使徒たちの使徒]と呼ばれています.なぜなら,福音書(特にヨハネ福音書)によれば,復活した Jesus は,まず最初に彼女に現れ,そして,彼女は,そのことを,使徒たちに伝えたからです.

Jesus は死から永遠の命へ復活した — それは,キリスト教信仰の中核を成すことですが,当然ながら,生物学的にはあり得ないことです.いったい,そのようなあり得ないことを,キリスト教徒は如何に信じているのか?

個々のキリスト教徒にそう問えば,答えはさまざまでしょうが,我々は「死から永遠の命への復活」を否定存在論的に捉えます.

復活した Jesus が Maria Magdalena に現れる — それは,ひとつの神話です.それが神話化しているのは,如何なる事態であるのか?それは,このことです:死から永遠の命へ復活した Jesus は,彼女において 自身を示現する.

普通は「彼女に対して 自身を示現する」と言うでしょうが,我々は,敢えて,「彼女において 自身を示現する」と言います.なぜなら,Jesus の復活は,彼女において 成起することだからです.

ただし,それは,彼女の「こころのなかで」起きる,ということではありません.そのような心理学的な考え方はやめましょう.

死から永遠の命へ復活した Jesus は,Maria Magdalena において自身を示現します.そして,そのことは,同時に,彼女が死から永遠の命へ復活する,ということでもあります.

つまり,そのとき,彼女は,現場存在 (Dasein) において 存在 (Seyn) を守護する者である,という本来的な実存様態に立ち戻り,そして,神の命である永遠の命は,存在 (Seyn) として,彼女において — 彼女の現場存在において — 保匿されます.

それが,神秘主義神学において θέωσις (theosis) と呼ばれる「神と人間との合一」の事態です.

神秘主義 (la mystique) は,キリスト教のなかのひとつの特殊な信仰様態ではありません.むしろ,キリスト教は本来的に神秘主義的です.

そして,Lacan が我々に教えている精神分析も,本来的に神秘主義的です.

今期の 東京ラカン塾 精神分析セミネール の最終回となる06月28日の講義では,神秘主義の本質を否定存在論的に捉え,如何にそれが精神分析と関連しているのかを,より詳しく見て行きましょう.

6月28日(金曜日),いつものように,開始時刻は 19:30, 場所は 文京区民センター 2 階 C 会議室です.

また,いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

******
2019-2020年度の 東京ラカン塾 精神分析セミネール は,本年10月ないし11月に開始する予定です.

本年09月23日が Freud 没後80周年の記念日であることを受けて,Freud について改めて問うてみたいと思います — 特に,Freud が陥った行き詰まりと,それを動機づける Freud の過誤と限界について,Lacan の教えにもとづいて,論じたいと思います.

また,如何に Lacan が精神分析を,存在 の真理の実践的現象学として,純粋に(非経験論的に,かつ,非形而上学的に)基礎づけようとしたかを,あらためて見て行きたいと思います.

日程の詳細は,後日発表します.

小笠原晋也

0 件のコメント:

コメントを投稿