Martin Heidegger (1889-1976) と Viktor Frankl (1905-1997), 1950年代末,Wien のレストランにて.Heidegger は,Hitler 政権下で Freiburg 大学総長という公職に就いていた (1933-1934) ことの責任を,戦後,問われて,1951年まで,大学で教える資格を停止された(一種の公職追放).しかし,一般的には「Heidegger 自身は反ユダヤ主義的な思想の持ち主ではない」と思われてきた.もし仮に Frankl が如何に Heidegger は反ユダヤ主義的な文言を「黒ノート」に書きつけていたかを知っていたなら,彼は微笑みながら Heidegger と同席しようとはしなかっただろう.
Viktor Frankl の最も有名な著作 ...trotzdem Ja zum Leben sagen : Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager[...それでも,生に「いいとも」と言う:ひとりの心理学者が強制収容所を体験する](1946) のなかの Nach dem Sinn des Lebens fragen[生の意味について問う]と題された章の冒頭部分から:
Was hier not tut, ist eine Wendung in der ganzen Fragestellung nach dem Sinn des Lebens : Wir müssen lernen und die verzweifelnden Menschen lehren, daß es eigentlich nie und nimmer darauf ankommt, was wir vom Leben noch zu erwarten haben, vielmehr lediglich darauf : was das Leben von uns erwartet ! Zünftig philosophisch gesprochen könnte man sagen, daß es hier also um eine Art kopernikanische Wende geht, so zwar daß wir nicht mehr einfach nach dem Sinn des Lebens fragen, sondern daß wir uns selbst als die Befragten erleben, als diejenigen, an die das Leben täglich und stündlich Fragen stellt — Fragen, die wir zu beantworten haben, indem wir nicht durch ein Grübeln oder Reden, sondern nur durch ein Handeln, ein richtiges Verhalten, die rechte Antwort geben. Leben heißt letztlich eben nichts anderes als : Verantwortung tragen für die rechte Beantwortung der Lebensfragen, für die Erfüllung der Aufgaben, die jedem einzelnen das Leben stellt, für die Erfüllung der Forderung der Stunde.
ここで必要なのは,生の意味に関する問題措定全体に転回をもたらすことである:我々は,このことを学ばねばならない,そして,絶望する者たちに教えねばならない — すなわち,本来的にかかわっているのは,決して,「我々は生からなおも何を期待すべきか」ではなく,而して,むしろ,ただ,このことである:生は我々から何を期待しているのか!専門的に哲学的に語るなら,我々はこう言い得るだろう — つまり,ここにおいては,このような一種のコペルニクス的転回がかかわっているのだ:我々は,もはや,単純に,生の意味について問うのではなく,而して,我々は,自身を,[生から]問いかけられている者として経験する.すなわち,生は,日々,刻々,我々に問いを措定している.それらの問いに,我々は答えねばならない — 考えこんだり,言葉を発したりすることによって答えるのではなく,而して,ただ,行為によって,正しい行動によって,正しい答えを返すことを以て.生とは,究極的に,まさにこのことにほかならない:生の問いに正しく答える責任を負うこと,生が各人に措定する使命をまっとうする責任を負うこと,[我々が生きている]時が要請してくることを果たす責任を負うこと.
6月14日の 東京ラカン塾 精神分析セミネール において,参加者のひとりが以上の一節について質問しました.
今,Viktor Frankl を読む人がどれほどいるのか知りませんが,彼のこの著作の邦訳は,『夜と霧』という〈原題からはかけ離れた〉書名のもとに,1956年に(わたしが生まれた年!)に出版され,わたしが学生のころは,学生向け推薦図書のひとつとして有名でした(わたしは,当時,その本は「心理学者」が書いた「心理学」関係の本だと思いこんでいた — 翻訳者が霜山徳爾という上智大学の心理学の教授であったせいで — ので,さして関心を持つこともなく,読まずじまいでしたが).
Viktor Frankl (1905-1997) は,Wien で生れ育った精神科医で,Rothschild 財団が設立した神経科病院に勤務し,そこにおいて,もっぱら,自殺の危険性のある(自殺未遂をした,あるいは,希死念慮のある)患者の治療を担当していました.精神分析にも関心を向けてはいましたが,教育分析を受けることはなく,精神分析家として臨床を行うこともなかったようです.1941年に USA へ行く visa を得る機会がありましたが,年老いた両親を Wien に置いておくことはできないと考え,亡命することを断念しました.彼と彼の家族(彼の妻と彼の両親)は,1942年09月に強制収容所に収容され,彼の家族は皆,殺されました.しかし,彼だけは,1945年04月にアメリカ軍によって強制収容所から解放されました.
「生の意味について問う」ことから「生からの問いかけに答える」ことへの「コペルニクス的転回」は,まさに,Frankl が,死の穴に直面したことによって,異状の構造としての大学の言説の構造から,分離の構造としての分析家の言説の構造へ,跳び移ったことを証しています:
「生の意味(ないし,意義)について問う」— 我々がそうするのは,大学の言説の構造において,「真理の座」(黄色の領域)に措定された le signifiant maître[支配者徴示素]S1 が確固たる外見を失ったときです.
S1 は,たとえば,形而上学における真善美のイデアであり,あらかじめ与えられた「人生の目標」であり,「なぜ生きるのか」の問いに ready-made な答えを与える意義(支配者意義,la signifiance maîtresse, Herrenbedeutung)です.社会構造や価値観がまったく安定している場合,我々は,所与の S1 に頼り切りきったまま(あるいは,支配されたまま),何の疑問も持ちません.「生の意味について問う」必要は,全然ありません.
しかし,我々が生きている時代(19世紀以降)は,我々を,それとはまったく逆の状況に投げ入れます.所与の支配者意義 S1 は揺らぎ,失墜してしまいます.従来は最も価値があり,最も意義があるものと信ぜられてきたもの — たとえば,プラトン的な「真,善,美」のイデア,神が与える律法と秩序,神が約束する天国,意識的で理性的な自我の自由意志と自律性,等々 — は,もはやただの神話にすぎず,まったく無意味なものとなってしまいます.そうなると,何のために生きているのか,生の意義は何に存するのかは,我々にとって,自明なものではなくなります.それが,ニヒリズム — 後で言及する「能動的なニヒリズム」との対比において「受動的なニヒリズム」と呼ばれます — の状況です.
ニヒリズムの状況において「生の意味を問い,生の意義を探し求める」こと — 日本では「自分さがし」という表現もよく用いられました —,それは,所詮,大学の言説の構造における「真理の座」に改めて措定し得る新たな支配者徴示素 S1 を探し求めたり,新たにでっちあげようとすることにすぎません.そのような試みは,「受動的なニヒリズム」に対して,「能動的なニヒリズム」と呼ばれます.その最も代表的な例は,Nietzsche の「力への意志」と「超人」です.
また,新たな S1 を探し求める者は,「わたしこそ,新たな価値(つまり,新たな支配者徴示素,新たな支配者意義)を提供し得る者です」とうそぶく者たち — Lacan は,そのような者たちを「ゲス」(下司,下衆:フランス語では canaille)と呼び,倫理的にもっとも下劣なものと見なします — による催眠術の罠にかかり,そのような者たちよって食いものにされる危険性もあります.新興宗教の教祖や,ある種の政治家や,自己啓発セミナーの主催者などを,そのような「ゲス」の例として挙げることができるでしょう.
Frankl が置かれた強制収容所の状況においては,受動的なニヒリズムは最も極端な形を取り,能動的なニヒリズムが入り込む余地はありません:明日にでも家畜のように殺されることが確実であり,生きている「意味」は何も無い.そこにおいては,如何なる支配者意義 S1 ももはや可能ではなく,支配者徴示素 S1 は「真理の座」から完全に閉出されてしまっています.
S1 の閉出によって真理の座が空座となったとき,Frankl に何が起きたか?異状の構造としての大学の言説から分離の構造としての分析家の言説への構造転換 (Wendung) です.
そこにおいて成立する $ / S1 の構造は,「生」からの問いかけ — つまり,存在 [ Seyn ] からの問いかけ,神からの問いかけ — に答える〈その本来性における〉実存の様態を形式化するものです.
S1 は,大学の言説の構造における「真理の座」から閉出 (forclusion) されて,分析家の言説の構造において「生産の座」へ位置づけられますが,そこにおいて,S1 は,書かれないことをやめない不可能な signifiant[徴示素]となります.
大学の言説の構造において「真理の座」に措定されていることによって否定存在論的孔穴を塞ぐものと信ぜられている S1 は,その閉出が精神病発症を条件づけるところの「父の名」(le Nom-du-Père) であり,また,性本能の成熟段階としての「性器体制」(Genitalorganisation) において性関係を可能にすると想定されている「家父長ファロス」(le phallus patriarchal) Φ でもあります.
それに対して,分析家の言説における $ / S1 の構造は,不可能な「神の名」を代理するキリスト者の主体 $ の形式化であると同時に,性関係の不可能性(家父長ファロスの不可能性)を代理する昇華された欲望 $ の形式化でもあります.
精神分析の経験においてその構造に耐えることができるようになること — 分析の終結は,そのことに存します.
小笠原 晋也
Viktor Frankl (1905-1997) は,Wien で生れ育った精神科医で,Rothschild 財団が設立した神経科病院に勤務し,そこにおいて,もっぱら,自殺の危険性のある(自殺未遂をした,あるいは,希死念慮のある)患者の治療を担当していました.精神分析にも関心を向けてはいましたが,教育分析を受けることはなく,精神分析家として臨床を行うこともなかったようです.1941年に USA へ行く visa を得る機会がありましたが,年老いた両親を Wien に置いておくことはできないと考え,亡命することを断念しました.彼と彼の家族(彼の妻と彼の両親)は,1942年09月に強制収容所に収容され,彼の家族は皆,殺されました.しかし,彼だけは,1945年04月にアメリカ軍によって強制収容所から解放されました.
「生の意味について問う」ことから「生からの問いかけに答える」ことへの「コペルニクス的転回」は,まさに,Frankl が,死の穴に直面したことによって,異状の構造としての大学の言説の構造から,分離の構造としての分析家の言説の構造へ,跳び移ったことを証しています:
「生の意味(ないし,意義)について問う」— 我々がそうするのは,大学の言説の構造において,「真理の座」(黄色の領域)に措定された le signifiant maître[支配者徴示素]S1 が確固たる外見を失ったときです.
S1 は,たとえば,形而上学における真善美のイデアであり,あらかじめ与えられた「人生の目標」であり,「なぜ生きるのか」の問いに ready-made な答えを与える意義(支配者意義,la signifiance maîtresse, Herrenbedeutung)です.社会構造や価値観がまったく安定している場合,我々は,所与の S1 に頼り切りきったまま(あるいは,支配されたまま),何の疑問も持ちません.「生の意味について問う」必要は,全然ありません.
しかし,我々が生きている時代(19世紀以降)は,我々を,それとはまったく逆の状況に投げ入れます.所与の支配者意義 S1 は揺らぎ,失墜してしまいます.従来は最も価値があり,最も意義があるものと信ぜられてきたもの — たとえば,プラトン的な「真,善,美」のイデア,神が与える律法と秩序,神が約束する天国,意識的で理性的な自我の自由意志と自律性,等々 — は,もはやただの神話にすぎず,まったく無意味なものとなってしまいます.そうなると,何のために生きているのか,生の意義は何に存するのかは,我々にとって,自明なものではなくなります.それが,ニヒリズム — 後で言及する「能動的なニヒリズム」との対比において「受動的なニヒリズム」と呼ばれます — の状況です.
ニヒリズムの状況において「生の意味を問い,生の意義を探し求める」こと — 日本では「自分さがし」という表現もよく用いられました —,それは,所詮,大学の言説の構造における「真理の座」に改めて措定し得る新たな支配者徴示素 S1 を探し求めたり,新たにでっちあげようとすることにすぎません.そのような試みは,「受動的なニヒリズム」に対して,「能動的なニヒリズム」と呼ばれます.その最も代表的な例は,Nietzsche の「力への意志」と「超人」です.
また,新たな S1 を探し求める者は,「わたしこそ,新たな価値(つまり,新たな支配者徴示素,新たな支配者意義)を提供し得る者です」とうそぶく者たち — Lacan は,そのような者たちを「ゲス」(下司,下衆:フランス語では canaille)と呼び,倫理的にもっとも下劣なものと見なします — による催眠術の罠にかかり,そのような者たちよって食いものにされる危険性もあります.新興宗教の教祖や,ある種の政治家や,自己啓発セミナーの主催者などを,そのような「ゲス」の例として挙げることができるでしょう.
Frankl が置かれた強制収容所の状況においては,受動的なニヒリズムは最も極端な形を取り,能動的なニヒリズムが入り込む余地はありません:明日にでも家畜のように殺されることが確実であり,生きている「意味」は何も無い.そこにおいては,如何なる支配者意義 S1 ももはや可能ではなく,支配者徴示素 S1 は「真理の座」から完全に閉出されてしまっています.
S1 の閉出によって真理の座が空座となったとき,Frankl に何が起きたか?異状の構造としての大学の言説から分離の構造としての分析家の言説への構造転換 (Wendung) です.
そこにおいて成立する $ / S1 の構造は,「生」からの問いかけ — つまり,
S1 は,大学の言説の構造における「真理の座」から閉出 (forclusion) されて,分析家の言説の構造において「生産の座」へ位置づけられますが,そこにおいて,S1 は,書かれないことをやめない不可能な signifiant[徴示素]となります.
大学の言説の構造において「真理の座」に措定されていることによって否定存在論的孔穴を塞ぐものと信ぜられている S1 は,その閉出が精神病発症を条件づけるところの「父の名」(le Nom-du-Père) であり,また,性本能の成熟段階としての「性器体制」(Genitalorganisation) において性関係を可能にすると想定されている「家父長ファロス」(le phallus patriarchal) Φ でもあります.
それに対して,分析家の言説における $ / S1 の構造は,不可能な「神の名」を代理するキリスト者の主体 $ の形式化であると同時に,性関係の不可能性(家父長ファロスの不可能性)を代理する昇華された欲望 $ の形式化でもあります.
精神分析の経験においてその構造に耐えることができるようになること — 分析の終結は,そのことに存します.
小笠原 晋也
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