2019年6月10日

Lacan と一神教 I

三位一体 (Trinitas) を表すボロメオ結び


Lacan と一神教 I


Lacan の母 Émilie (1876-1948) は,敬虔なカトリック信者でした.Lacan の弟 Marc-François Lacan (1908-1994) は,ベネディクト会に入り,司祭となっています(彼の名は,わたしが愛用しているフランス語訳聖書 la Traduction oecuménique de la Bible に,翻訳者のひとりとして挙げられています).

Lacan 自身も,初等教育と中等教育の12年間を,カトリックの教育機関 le Collège Stanislas で受けました(わたしは,それがイェズス会の運営する学校だと思っていたのですが,確認したところ,そうではないとわかりました).

Lacan がいつごろからミサに行く習慣をなくしたのかは不明ですが,ともあれ,彼は,神について問うことをやめませんでした.

Séminaire XXIII Le sinthome の1976年03月16日の講義においても,Lacan はこう言っています:


人類がたいそう必要としているのは「他の他はある」ということであり,一般的に「神」と呼ばれているのは,その「他の他」である.しかし,「神」について,精神分析が明らかにしたのは,このことだ :「神」とは,まったく単純に,「女」(La femme) のことである.  
「女」を La... と指し徴すのを許す唯一のことは — というのも,わたしがあなたたちに言ったように,La femme n'ex-siste pas[女は解脱実存しない]からだが;そして,ますますそう思う理由がある;とくに,あの映画[阿部定をヒロインとした大島渚の L'empire des sens : 邦題は「愛のコリーダ」]を見たあとでは... La femme を仮定するのを許す唯一のことは,女は,神[が創造するの]と同様,[新たな生命体を]生む者である,ということだ. 
ただし — それは,精神分析が我々を進歩させたということだが — その進歩とは,我々はこのことに気づく,ということだ:すなわち,神話は,あらゆる女を,唯一の母,すなわち Eva から発せさせているとはいえ,[唯一の神のように,唯一の女がいるのではなく]生む女は,個々,複数いるだけである.  
そして,それがゆえに,わたしは,Séminaire Encore において,このことを想い起こさせたのだと思われる:あの複雑な文字 — すなわち,「他の他は無い」ことの徴示素 S(Ⱥ) — は何を言わんとしているのか.

我々は,今回,6月14日,Heidegger の Antisemitismus の問題について若干の考察を補足した後,Lacan が神について如何に問い続けているかについて,そして,特に Lacan が神秘主義 (le mysticisme) について如何に問うているかについて,見て行きたいと思います.

今期のセミネールの残りの日程は,以下のとおりです:

VIII. 6月14日 : Lacan と一神教 (I)
IX. 6月21日 : Lacan と一神教 (II)
X. 6月28日 : Lacan と一神教 (III)


ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

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なお,2019-2020年度の 東京ラカン塾 精神分析セミネール は,本年10月ないし11月に開始する予定です.如何に Lacan が精神分析を,存在 の真理の実践的現象学として,純粋に(非経験論的に,かつ,非形而上学的に)基礎づけようとしたかを,あらためて見て行きたいと思います.

小笠原晋也

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