東京ラカン塾 精神分析セミネール『フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教』を,5月10日から再開します.
Séminaire XI『精神分析の四つの基礎概念』の初回講義(1964年01月15日)において,Lacan は,Gérard Haddad が2007年の彼の著書の表題に借用した印象的な表現 :「精神分析の原罪」(le péché originel de l'analyse) を提示しつつ,こう言っています :
hysterica によって,我々は,ある「精神分析の原罪」のあとをたどることになる.
ある「精神分析の原罪」があったにちがいない.そのまことの「精神分析の原罪」は,おそらく,ただひとつのことである.それは,Freud 自身の欲望である.つまり,Freud のなかで何ごとかが決して分析されなかった,ということだ.
まさにその地点に,わたしはたどり着いていた — わたしが,ある奇妙なめぐりあわせによって,わたしの Séminaire をやめねばならない立場に置かれたときに.
実際,わたしが[1963-1964年度の Séminaire において]les Noms-du-Père[複数形における「父の名」]について言うはずであったことは,源初を問いに付することを目ざしていたにほかならない — すなわち,如何なる特権によって,Freud の欲望は,彼が「無意識」と名づけた〈経験の〉場へ入る門を見つけることができたのだろうか?
この源初へさかのぼることは,まったく本質的である — 我々が精神分析を両脚で立たせようとするのであれば,つまり,片脚が欠けないことを欲するのであれば.
Freud のなかで決して分析されなかったもの — それは何か?
それは,そのことによって,Freud が,精神分析の創始者として,源初において,ひとつの罪を犯したことになるところのものです.そして,その罪は,源初の父 Freud から彼の息子たち(第二世代の精神分析家たち)へ,そして,さらに,彼らから彼らの息子たち(第三世代の精神分析家たち)へ,代々相続 (erben) されていった罪 (Sünde) — すなわち,Erbsünde[ドイツ語で「原罪」のこと]— です.
如何なる罪か?それは,Heidegger が das Frag-würdigste[最も問うに価するもの]と呼ぶところのものを問うことを怠った罪です.すなわち,
源初におけるその怠りによって,精神分析は単なる心理学に変質してしまっていました.その事態を立て直そうとしたのが,Lacan です.如何にして? Freud が問うことを怠った問いを問い直すことによって.そして,それによって,精神分析をその純粋な基礎のうえに立脚させ直すことによって.
Freud が問うことを怠った問いは,das
そのことを,Freud は,予感してはいました — 彼の人生の最晩年の 5 年間,Der Mann Moses und die monotheistische Religion[モーセという男と唯一神の宗教]を執筆しつつ.というのも,彼は,そこにおいて,男にとって原罪を成す父殺しの問題について問い続けたのですから.
そこで,我々も,まず,Freud の Der Mann Moses und die monotheistische Religion に取り組んでみましょう.
テクストのドイツ語原文と英訳と邦訳は,こちらから download することができます.
セミネールの日程は,以下のとおりです:
III. 5月10日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (I)
IV. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)
V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)
VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)
VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)
VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)
IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)
X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)
ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.
各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.
場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.
いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.
問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com
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