2019年3月18日

フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教

Moïse brise les tables de la loi (1866)
dessin de Gustave Doré (1832-1883), gravure sur bois d'Abraham Hotelin


フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教


4月05日に開始する 東京ラカン塾 精神分析セミネール 2018-2019年度の第三学期の表題は,当初,「フロィト,ハィデガー,ラカン & ユダヤ教」としていましたが,Freud の著作 Der Mann Moses und die monotheistische Religion[モーゼという男と唯一神の宗教]にならって,「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」に改めます.

ここで,「一神教」ないし「唯一神の宗教」という名称が指しているのは,勿論,ユダヤ教と,そこから派生したキリスト教およびイスラム教のことです.ただ,わたし自身はカトリックであり,イスラム教についてはまったく無知ですから,今回は,おもにキリスト教とユダヤ教について問うて行きたいと思います.

今,全世界でユダヤ教徒は約千五百万人(世界の総人口の約 0.2 %)しかいませんが,Pew Research Center の調査によると,キリスト教徒は世界の総人口の 31.2 %, イスラム教徒は 24.1 % と見積もられています.合計すると,Abrahamic religions[旧約聖書の創世記の物語に登場するユダヤ民族とユダヤ教の祖 Abraham を信仰上の祖として共有するユダヤ教,キリスト教,イスラム教]の信者の数は,世界の総人口の 55.5 % となります.ちなみに,仏教徒は世界の総人口の 6.9 %, ヒンズー教徒は 15.1 % です.また,今のところ,日本人(現行法規において日本国籍を有すると規定される者)の数は,世界の総人口の約 1.7 % です(今後ますます減少して行くことは確実です).

世界の総人口の 0.1 - 0.2 % をしか成していないまったくの少数民族であるユダヤ人は,しかし,厳しい歴史的な試練 — 紀元前 586 年に新バビロニア帝国によって Jerusalem と神殿は破壊され,支配階級はバビロンに捕囚されたこと(バビロン捕囚は,紀元前 539 年に新バビロニア帝国がアケメネス朝ペルシャによって滅ぼされるまで続く),および,紀元 70 年にローマ帝国によって再び Jerusalem と神殿は破壊され,ユダヤ民族は固有の国土を失い(1948年のイスラエル建国まで),各地に離散したこと — にもかかわらず,世界史の舞台から消え去ることなく,民族的な生存と同一性を維持してきました.そして,現代に至って,ユダヤ人たちは,経済の分野においても科学の分野においても芸術の分野においても,目ざましく活躍するようにさえなりました.

それは,非常に驚くべき歴史的事実です.いかにして,固有の国土を失いながらも,かくも長期間にわたりユダヤ人たちは民族同一性を保持し得ているのか?

それは,疑い無く,ユダヤ教の聖書 Tanakh[律法と預言者と諸書]によってです.より正確に言うと,ヘブライ文字で書かれた Tanakh のテクストと,その解釈学 Midrash によってです.さらに言い換えると,Tanakh の文字テクストに対するユダヤ人たちの絶大な信頼  それをとおして神はユダヤ民族に語りかけていると信ずることを可能にする信頼  こそが,ユダヤ民族とユダヤ教の存続と同一性の維持を条件づけています.

自分たちの言語とその文字に対する絶大な信頼  そのような信頼を,我々日本人は,少なくとも今の日本語に対しては,まったく持つことができません.

他方,Heidegger は,ドイツ語に対して,ユダヤ人がヘブライ語に対して有している信頼と同じ程度の信頼を — 絶大な信頼を — 寄せているように思われます.はたして,そのことは,彼の反ユダヤ主義と何らかの関連性を有しているのでしょうか?

また,Lacan は,精神分析の可能性の条件としての Midrash について,こう述べています (Autres écrits, pp.428-429) :

Freud の準拠にもうひとつ決定的なものを付け加えるなら:ユダヤ人は真理の地震に違わないという彼の特異な信仰.その理由は,ユダヤ人は,バビロン捕囚から帰還して以来,読むことのできる者であるということにほかならない.つまり,ユダヤ人は,文字によって,口頭の言葉から距離をとり,両者の間隙を見出し,そこにおいてまさに解釈を巧みに行うのである — 唯一の解釈,すなわち,Midrash の解釈.Midrash が書を文字どおりに取るとすれば,それは,その文面を多かれ少なかれ明白な意図によって支えさせるためではなく,而して,その物質性において捉えられた文字の徴示素的共謀からテクストのもうひとつのほかの言を引き出す — テクストが無視していることをそこに包含してさえも — ためである.

さらに,Séminaire XXII R.S.I. の1975年04月08日の講義において,Lacan は,こう言っています:

皆が神の解脱実存を信じているということは,形式的には,Freud のユダヤ教の伝統によるものにほかならない.その伝統は,文字の伝統であり,それは,彼を科学へ結びつけており,同時に,彼を実在へも結びつけている.

唯一神の宗教の信仰を支えるのは,ユダヤ人のヘブライ語とヘブライ文字に対する絶大な信頼であり,そして,ユダヤ人の文字の伝統は,ユダヤ人を科学と実在へ結びつけている.それは,精神分析の可能性の条件でもある.そのような Lacan の示唆にもとづいて,我々は,「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」について問うてみましょう.

唯一神の宗教は,日本人がそれに対していかに耳を塞ごうとも,人間の生と死を条件づけるものであり,それを無視して思考することはできません.ニヒリズムの超克が最も重要な,かつ,喫緊の課題である今,唯一神の[抹消された]存在 (Seynについて,改めて問う必要があります.

また,可能であれば,日本的な仏教に対する批判も展開してみたいと思います.

講義内容の予定は,次のとおりです:

I. 4月05日:一神教について問うために必要とされる否定存在論とそのトポロジーについて (I)

II. 4月12日:一神教について問うために必要とされる否定存在論とそのトポロジーについて (II)

III. 5月10日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (I)

IV. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)

V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,4月12日以外は,毎回,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.4月12日のみ,文京区民センター内の 2 階 B 会議室を使用します.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

We will resume the third trimester of our Seminar on Lacanian Psychoanalysis on the 5th April. The subject will be : Freud, Heidegger, Lacan and Monotheistic Religions.

It has been said that Freud, Heidegger and Lacan are all atheist criticising enslaving effects of religions, but we know that Freud spent four years just before his death to write "Moses and Monotheism", that Heidegger talked about coming of the last God, and that Lacan compared psychoanalysts to Catholic saints. We could say Judaism and monotheistic religions might constitute the hidden center of their thinking.

It seems that both Jewish people and Heidegger have a great confidence in their own language, that is, Hebrew and German respectively, in the sense that they believe absolutely that God and Being (Seyn) speak to them in their own mother tongue : the confidence the Japanese people can never have in the Japanese language. Then what would be the possibly intrinsic relationship of Heidegger's thinking with his antisemitism ?

About the necessary relationship between Judaism and psychoanalysis Lacan says the literal tradition of Tanakh and the hermeneutic tradition of Midrash are constituting the condition of possibility of Freudian psychoanalysis. What does he exactly mean by that remarks ?

We'd like to treat such questions in terms of the apophatic ontology constituting the foundation of psychoanalysis and of a possibility of overcoming the contemporary nihilism.

No charge and no application required.

Place : the Bunkyo Kumin Center (BKC)
Time : from 19:30 to 21:00

Schedule :

I. 5 April (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On the apophatic ontology and its topology as postulate for questioning about monotheistic religions (I)

II. 12 April (19:30-21:00, the room 2B, BKC) On the apophatic ontology and its topology as postulate for questioning about monotheistic religions (II)

III. 10 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Freud's "The Man Moses And The Monotheistic Religion" (I)

IV. 17 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Freud's "The Man Moses And The Monotheistic Religion" (II)

V. 24 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Heidegger's Antisemitism (I)

VI. 31 May (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Heidegger's Antisemitism (II)

VII. 7 June (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (I)

VIII. 14 June (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (II)

IX. 21 June (19:30-21:00, the room 2C, BKC: On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (III)

X. 28 June (19:30-21:00, the room 2C, BKC) : On Lacanian Psychoanalysis and Christianism (IV)


問合せ先:

tel. 090-1650-2207

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