Jan Baptist Weenix (1621 - ca 1660), The Circumcision of son of Moses (ca 1640), National Museum in Warsaw. 前景では,天使が剣をふるって Mose を殺そうとし,中央奥では,Tsippora が息子に割礼をほどこしている(人物の服装は17世紀のもの).
4月12日の東京ラカン塾精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」では,最初の一時間ほどを,実際に旧約聖書の一節を読む演習に当てたいと思います.
Lacan がユダヤ教に注目した理由のひとつは,ユダヤ教における聖書解釈学 Midrash に存します.それは,Tanakh(ユダヤ教の聖典,キリスト教の旧約聖書に相当)を成す文字の連鎖とおして神の声を聴き取ろうとするユダヤ教の文字の伝統 (la tradition littérale) に基づいています.
すでに紹介したように,Lacan は,精神分析的解釈の可能性の条件としての Midrash について,こう述べています (Autres écrits, pp.428-429) :
Freud の準拠にもうひとつ決定的なものを付け加えるなら:ユダヤ人は真理の地震に違わないという彼の特異な信仰.その理由は,ユダヤ人は,バビロン捕囚から帰還して以来,読むことのできる者であるということにほかならない.つまり,ユダヤ人は,文字によって,口頭の言葉から距離をとり,両者の間隙を見出し,そこにおいてまさに解釈を巧みに行うのである — 唯一の解釈,すなわち,Midrash の解釈.Midrash が書を文字どおりに取るとすれば,それは,その文面を多かれ少なかれ明白な意図によって支えさせるためではなく,而して,その物質性において捉えられた文字の徴示素的共謀からテクストのもうひとつのほかの言を引き出す — テクストが無視していることをそこに包含してさえも — ためである.
そこで,実際に,旧約聖書の一節を Midrash(ユダヤ教の聖書解釈学)のように読んでみましょう.その一節は,伝統的に旧約聖書のなかでも特に不可解と見なされている 出エジプト記 4 章 24-26 節です.
その一節において,イスラエルの民をエジプトから連れ出す任務を与えられた Mose は,妻 Tsippora と息子ふたり (Gershom と Eliezer) を連れて,エジプトへ向かう旅の途中にあります.
Mose の妻 Tsippora(Botticelli による Cappella Sistina のフレスコ画の部分)
昨年12月に刊行された聖書協会共同訳によると:
さて,その途中,宿泊地でのことであった.主は,モーセと出会い,彼を殺そうとした.ツィポラは,火打ち石を取って,息子の包皮を切り,それをモーセの両足に付けて,言った :「わたしにとって,あなたは血の花婿です」.すると,主はモーセを放した.彼女は,そのとき,割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである.
英訳 (New American Standard Bible : NASB) によると:
Now it came about at the lodging place on the way that the Lord met him and sought to put him to death. Then Zipporah took a flint and cut off her son’s foreskin and threw it at Moses’ feet, and she said, “You are indeed a bridegroom of blood to me.” So He let him alone. At that time she said, “You are a bridegroom of blood” — because of the circumcision.
仏訳 (La Traduction oecuménique de la Bible : TOB) によると:
Or, en chemin, à la halte, le Seigneur l'aborda et chercha à le faire mourir. Cippora prit un silex, coupa le prépuce de son fils et lui en toucha les pieds en disant : « Tu es pour moi un époux de sang ». Et il le laissa. Elle disait alors « époux de sang » à propos de la circoncision.
ヘブライ語原文:
וַיְהִי בַדֶּרֶךְ בַּמָּלֹון וַיִּפְגְּשֵׁהוּ יְהוָה וַיְבַקֵּשׁ הֲמִיתֹֽו
וַתִּקַּח צִפֹּרָה צֹר וַתִּכְרֹת אֶת־עָרְלַת בְּנָהּ וַתַּגַּע לְרַגְלָיו וַתֹּאמֶר כִּי חֲתַן־דָּמִים אַתָּה לִֽ
רֶף מִמֶּנּוּ אָז אָֽמְרָה חֲתַן דָּמִים לַמּוּלֹֽת
なぜ神は Mose を殺そうとしたのか — イスラエルの民をエジプトから救出する任務を Mose に与えておきながら?まったく不可解です.そして,割礼の意義は何に存するのか?去勢とは如何に関連するのか?そもそも,女性が割礼の儀式を執り行うとは !?
この一節に関しては,さまざまな解釈が為されてきました.あなたはどう読みますか?
邦訳は「標準的」な解釈にもとづいていますが,それに捕らわれないでください.この一節の直前の部分で何が論ぜられているのかをも考慮してください.また,英訳や仏訳を見るとわかるように,代名詞が誰を指しているのかも,必ずしも自明ではありません.
邦訳は「標準的」な解釈にもとづいていますが,それに捕らわれないでください.この一節の直前の部分で何が論ぜられているのかをも考慮してください.また,英訳や仏訳を見るとわかるように,代名詞が誰を指しているのかも,必ずしも自明ではありません.
0 件のコメント:
コメントを投稿