2019年5月11日

息子による父殺し と 父による息子殺し


Saturno (Crono) mutila il Cielo (Urano) : affresco del Giorgio Vasari (1511-1574) che adorna il soffitto della Sala degli Elementi in Palazzo Vecchio


旧約聖書において,父が息子を殺す(ないし,殺そうとする)主題は,神学的にとても重要な意義を有するエピソードにおいて,見出されます:主の命令によって,Abraham は,彼が年老いてから神により授けられた唯一の息子 Isaac を,いけにえとして神に捧げ返すために,屠ろうとします(創世記 22,01-19).

また,我々の04月12日のセミネールにおいては,旧約聖書のなかでも最も不可解と見なされてきた出エジプト記の一節 (4,24-26) を,我々は,「主が,Moses をして,息子を殺させようとした」(Moses と Tsippora との息子ふたり — Gershom と Eliezer — のうちどちらなのかは定かではありませんが,やはり,おそらく,初子である Gershom でしょうか?)と解釈し得ることを見ました.

そして,父が息子をいけにえとして神に捧げるという主題は,Jesus Christ の受難の物語へ展開されて行くことになります.

それに対して,息子が父を殺す主題は,聖書のなかには,意義深いものとしては見出されません.多分,聖書に物語られている唯一の父殺しは,これでしょう : Jerusalem を攻撃しようとした新アッシリアの王 Sennacherib(在位 : 705-681 BCE)は,自身の息子たち(ふたり)により暗殺された (2 列王記 19,37). その暗殺が史実であるか否かは定かではないようですが,ともあれ,このエピソードにとりたてて神学的な意義を見出すには及ばないだろうと思われます.

ギリシャ神話や患者の話のなかに(そして,彼自身のなかに)息子による父殺しの主題を人間存在(少なくとも「男である」こと)の本質的な条件として見出してきた Freud は,もしかしたら,何としてでも旧約聖書のなかにその主題を「ユダヤ人の条件」として再発見したかったのではないでしょうか?そして,であればこそ,神学者であり聖書学者である Ernst Sellin が「ユダヤ教の父,モーセは,彼が率いてエジプトから連れ出したイスラエルの子らによって,殺害された」という説を発表したとき,それに即座に飛びついたのではないでしょうか?

「息子による父殺し」と「父による息子殺し」— それらふたつの主題は,一見,相互に対称的であるように見えますが,それらの意義においては,実は,まったく対称的ではありません.

5月17日(金)の 東京ラカン塾 精神分析セミネール「フロィト,ハィデガー,ラカン & 一神教」においては,「なぜ,精神分析の父である Freud は,父殺しの主題をかくも重要視したのか?」について,彼の最晩年の著作『モーセという男と唯一神の宗教』にもとづいて,引き続き問うて行きましょう.

Freud の Der Mann Moses und die monotheistische 
Religion [モーセという男 と 唯一神の宗教]のテクストのドイツ語原文と英訳と邦訳は,こちらから download することができます.

セミネールの日程は,以下のとおりです:

IV. 5月17日 : Freud の『モーゼという男と唯一神の宗教』について (II)

V. 5月24日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (I)

VI. 5月31日 : Heidegger の反ユダヤ主義について (II)

VII. 6月07日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (I)

VIII. 6月14日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (II)

IX. 6月21日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (III)

X. 6月28日 : Lacan と精神分析とキリスト教について (IV)

ただし,必要に応じて内容を変更する可能性もあります.

各回とも,開始時刻は 19:30, 終了時刻は 21:00 の予定です.

場所は,各回とも,文京区民センター 内の 2 階 C 会議室です.

いつものとおり,参加費は無料です.事前の申込や登録も必要ありません.

問い合わせは,小笠原晋也 まで:
tel. 090-1650-2207
e-mail : ogswrs@gmail.com

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