(...) わたしが[精神分析の]
École を創立したのは,ひとつの仕事のためである.即ち,Freud が切り開いた畑[領野,場]において,その真理の犂の鋭利な刃を回復し
—,Freud が精神分析の名のもとに設立した独自の実践を,我れらの世においてそれに帰属する義務へ連れ戻し
—,精神分析における偏向と妥協〈それらは,精神分析の使われ方を堕落させることにより精神分析の前進を減衰させる〉を,不断の批判により告発する仕事.この目標を,わたしは堅持する.
それゆえ,わたしは [ l’École freudienne de Paris を] 解散する.そして,l’École freudienne のメンバーと言われる者らについて苦情を言ったりはしない.むしろ,わたしは彼らに感謝する.彼らに教えてもらったのだから.つまり,わたしは失敗したのである
—,即ち,解決の糸口を見失ったのである.
この教えは,わたしにとって貴重である.わたしはそれを有効利用する.
言い換えれば,わたしは,耐え忍びつつ続ける.
そして,今,1980年1月,Lacan と共に続けようと欲する者らに,再び集うよう呼びかける.
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