2015年11月25日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回,2015年11月27日.

『盗まれた手紙についてのセミネール』において Lacan が述べていることではなく,Poe の物語:『盗まれた手紙』に直接かかわることでひとつ気づいたことがあります.それは,女王から手紙を盗み取った D 大臣と主人公 Auguste Dupin とは兄弟どうしである,ないしそれに類する関係にあると推測し得るのではないか,ということです.

手掛かりのひとつは,両者の姓の頭文字がともに D であることです.登場人物がさして多いわけではないこの物語において,何故両者が同じ文字で始まる姓を持っているのか?Dupin は偽名であり,本当の姓は D 大臣と同じなのではないか?つまり,両者は実の兄弟どうしではないか?または,子供時代を兄弟どうしのように過ごしたのではないか?そして,血と肉の共通性のゆえに激しく憎しみあっているのではないか?

そのことを示唆しているのが,Dupin が引用する Crébillon の戯曲 Atrée et Thyeste です.ギリシャ神話において,Atreus と Thyestes は兄弟どうしであり,互いに激しく憎みあっています.Crébillon の戯曲においては,Atreus は,自分の妻と Thyestes との不倫関係から生まれた子 Pleisthenes を Thyestes に対する復讐のために殺し,その血を杯に入れて Thyestes に差し出します.Thyestes は悲しみのあまりみづから命を絶ちます.戯曲の最後を成す Atreus のすさまじい台詞は:

Et je jouis enfin du fruit de mes forfaits.
そして,わたしは,ついに,わが大罪の果実を悦する.

そのような復讐の筋書きを考えつつ,Atreus は独白します:

Quel qu'en soit le forfait, un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'Atrée, est digne de Thyeste.
その大罪が如何なるものであれ,かくも凶々しいもくろみは,
Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.

この台詞を Poe は引用し,Lacan もそのまま引用しています.

D はしたがって,dessein si funeste [かくも凶々しいもくろみ]の D でもあります.そして Lacan は,そこに destin si funeste [かくも凶々しい運命]を読み取ります.文字 D は dessein だけでなく,destin の D でもあるわけです.

『盗まれた手紙』において,Dupin は Crébillon を引用する直前,こう言っています:

D–, at Vienna once, did me an evil turn, which I told him, quite good-humoredly, that I should remenber.
D は,かつてヴィーンで,わたしに邪悪なことをしてくれた.わたしは全く上機嫌で彼に言った:このことを記憶にとどめておくよ,と.

つまり,彼らは旧知の仲なのです.『盗まれた手紙』のなかで D 大臣が Dupin の正体に気づかなかったとすれば,それは,D の「邪悪な仕打ち」により強いられた苛酷な人生が Dupin の容貌をすっかり変えてしまったからでしょう.勿論,Dupin は D 大臣との面会時はサングラスで顔を隠してもいました.

さらに Dupin はこうも言っています:

He is well acquainted with my MS.
D には,わたしの手書き文字はおなじみだ.

それほどに,彼らはかつては互いに親密であったのです.

以上から,D 大臣と Dupin とは兄弟どうしであると想像することが許されるでしょう.

さて,11月27日金曜日,今年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解して行きます.

時間は 19:30 - 21:00,
場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室です.

テクストは各自持参してください.

2015年11月20日

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

Antoine Leiris, 2015年11月16日,彼の FB で.

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

金曜日[2015年11月13日]の晩,あなたたちは,特別な人の命を奪った.わたしの生涯の愛である人,わたしの息子の母親である人の.だが,あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない.あなたたちが誰なのか,わたしは知らないし,知りたくもない.あなたたちは死せる魂だ.あなたたちが盲目的に殺しているのは神のためなら,そして,その神は我々を自身の似姿に創ったなら,わたしの妻の体のなかの銃弾ひとつひとつがその神の心を傷つけているだろう.

しかし,否.わたしは,あなたたちに憎悪の贈りものをする気はない.あなたたちは確かにそれを求めたが,しかし,憎しみに対して怒りで応えるなら,今のあなたたちの存りさまを作り出しているのと同じ無知に屈することになるだろう.あなたたちは欲している – わたしが恐怖を感ずることを,わたしが同胞市民たちを不信の目で見ることを,わたしが安全のために自由を犠牲にすることを.あなたたちの負けだ.勝負はまだ続いているとしても.

わたしは今朝,彼女を見た.幾日も幾晩も待って,やっと.彼女は,あの金曜日の晩に家を出たときと同じく美しく,わたしが12年以上前に彼女に夢中で恋していたときと同じく美しかった.勿論,わたしは悲しみに打ちひしがれた.あなたたちに小さな勝ちを譲ろう.しかし,それは短時間しか続かないだろう.わたしは知っている – 彼女は毎日わたしたちと共におり,そして,あの自由な魂たちの天国でわたしたちは再会するだろう,と.その天国にあなたたちが近づくことは決してない.

わたしの息子とわたしと,二人だけになった.しかし,わたしたちは世界のすべての軍隊よりも強い.それに,あなたたちにかかずらっている時間はもう無い.午睡から目覚めた Melvil のところに行かねばならない.彼は17ヶ月になったばかりだ.彼は,いつものようにおやつを食べる.それから,わたしたちは,いつものように遊ぶ.生涯,この小さな男の子は,幸福かつ自由であることによってあなたたちに恥をかかせることになる.なぜなら,否,あなたたちは彼からも憎しみを受け取ることはできないのだから.


Antoine LEIRIS, « Vous n’aurez pas ma haine »

Vendredi soir vous avez volé la vie d’un être d’exception, l’amour de ma vie, la mère de mon fils, mais vous n’aurez pas ma haine. Je ne sais pas qui vous êtes et je ne veux pas le savoir, vous êtes des âmes mortes. Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglément nous a fait à son image, chaque balle dans le corps de ma femme aura été une blessure dans Son coeur.

Alors, non, je ne vous ferai pas ce cadeau de vous haïr. Vous l’avez bien cherché pourtant, mais répondre à la haine par la colère, ce serait céder à la même ignorance qui a fait de vous ce que vous êtes. Vous voulez que j’ai peur, que je regarde mes concitoyens avec un oeil méfiant, que je sacrifie ma liberté pour la sécurité. Perdu. Même joueur joue encore.

Je l’ai vue ce matin. Enfin, après des nuits et des jours d’attente. Elle était aussi belle que lorsqu’elle est partie ce vendredi soir, aussi belle que lorsque j’en suis tombé éperdument amoureux il y a plus de douze ans. Bien sûr je suis dévasté par le chagrin, je vous concède cette petite victoire, mais elle sera de courte durée. Je sais qu’elle nous accompagnera chaque jour et que nous nous retrouverons dans ce paradis des âmes libres auquel vous n’aurez jamais accès.

Nous sommes deux, mon fils et moi, mais nous sommes plus forts que toutes les armées du monde. Je n’ai d’ailleurs plus de temps à vous consacrer, je dois rejoindre Melvil qui se réveille de sa sieste. Il a 17 mois à peine, il va manger son goûter comme tous les jours, puis nous allons jouer comme tous les jours, et toute sa vie ce petit garçon vous fera l’affront d’être heureux et libre. Car non, vous n’aurez pas sa haine non plus.

2015年11月19日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第五回,11月20日.

Lacan のテクスト:『盗まれた手紙についてのセミネール』をとおして文字の問いを問うために予備的に見てきた存在のトポロジーについて要約しておきましょう.

Lacan は存在のトポロジーを説明するために,投射平面 [ projective plane ] と呼ばれる閉曲面 [ closed surface ] をモデルとして用います.投射平面そのものは実数三次元空間へ embed することができません.そこで,その幾つかの可能な immersion のしかたのひとつ,cross-cap を Lacan は提示します:



投射平面は,ひとつの円板のエッジを成す諸点とひとつの Möbius strip のエッジを成す諸点とを一対一対応させつつ同一化することによって得られます:



上の図では,円板は半球面へ変形されています.そのエッジはひとつの円を成しています.それに対して,Möbius strip のエッジは,Lacan が huit intérieur [内巻きの 8]と呼ぶ曲線を描いています.

しかし,上の図で明かなように,円と内巻きの 8 とは相互に位相同型的 [ homeomorphic ] です.円を成す輪を連続的な変形により内巻きの 8 の輪にすることができます.したがって,確かに円板のエッジと Möbius strip のエッジを同一化することが可能である,とわかります.

それによってできあがる cross-cap においては,交線のように見える線分を成す諸点以外の曲面は円板に還元されます:



つまり,Möbius strip は実数三次元空間の外に解脱実存 [ ex-sistence ] しています.

こうして,実在 [ le réel ], 徴在 [ le symbolique ], 影在 [ l'imaginaire ] の三つの位 [ ordre ] と存在のトポロジーとの対応を把握することができます.すなわち:

実在 [ le réel ] は,解脱実存 [ ex-sistence ] として,Möbius strip ;
影在 [ l'imaginaire ] は,定存 [ consistance ] として,円板;
徴在 [le symbolique ] は,穴として,Möbius strip のエッジと円板のエッジとの同一化の閉曲線.

さらにまた,un signifiant représente le sujet pour un autre signifiant [ひとつの徴示素は,主体を,もうひとつのほかの徴示素に対して代表する]という Lacan の命題を,存在のトポロジーに位置づけることができます.

そこにおいて「主体」は,解脱実存です.つまり,Möbius strip です.つまり,実在です.

主体を代表する「ひとつの徴示素」は,投射平面を実数三次元空間において代表する曲面,つまり,円板です.つまり,影在です.

そして,「もうひとつのほかの徴示素」は,究極的には S(Ⱥ) であり,それは,「他の場処のなかの欠如の徴示素」として,穴です.つまり,徴在です.


ただし,この図における S1$ を即座に四つの言説における S1$ と混同しないでください.

以上を踏まえて,引き続き Lacan の Le séminaire sur « La Lettre volée » を読んでゆきましょう.

日時は,11月20日金曜日 19:30 - 21:00,

場所は,文京シビックセンター 3 階 C 会議室です.

参加のために事前の申込や登録は要りません.

テクストは各自持参してください.テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年11月12日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第四回


Edgar Allan Poe, par Horst Janssen

« Car nous déchiffrons ici en la fiction de Poe cette division où le sujet se vérifie de ce qu’un objet le traverse sans qu’ils se pénètrent en rien, laquelle est au principe de ce qui se lève à la fin de ce recueil sous le nom d’objet a. (...) À cette place que marquait l’homme, nous appelons la chute de cet objet, révélante de ce qu’elle l’isole, à la fois comme la cause du désir où le sujet s’éclipse, et comme soutenant le sujet entre vérité et savoir »
[そも,我々は,ここで,Poe のフィクション『盗まれた手紙』において,主体という裂け目を解読する.その裂け目において,主体は,ひとつの客体が主体を貫通する – ただし,両者はいささかも貫入し合わない – ことにより真現する.主体という裂け目は,この論文集 Écrits の最後に客体 a という名のもとに立ち現れるものの原理にある.人間という刻印が付いていたあの座へ,我々は,客体 a の失墜を呼ぶ.その失墜は,それが客体を – 同時に,そこにおいて主体は掩蔽されるところの欲望の原因として,かつまた,主体を真理と知との間に支えるものとして – 単離することによって啓示的である] (Écrits, p.10).

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第四回

日時 : 2015年11月13日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室

文字の問いは,客体 a の問いであり,かつ,存在欠如としての主体の問いでもあります.
Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]の精読を続けます.

2015年11月5日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度 第 3 回

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-16年度:「文字の問い」,第三回

日時 : 2015年11月06日 19:30 - 21:00
場所 : 文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室

Lacan の Écrits の冒頭の書 : Le séminaire sur « La Lettre volée »[盗まれた手紙についてのセミネール]を精読する今年度の我々のセミネールを La question de la lettre [文字の問い]と題することにします.

lettre [文字]は,主体を代表するひとつの signifiant [徴示素]としては imaginaire [影在]の位のものであり,同音的な l'être [存在]としては,存在を Heidegger の言う Lichtung [朗場]と取る限りにおいて,symbolique [徴在]の位のものであり,そして,James Joyce の警句 a letter, a litter [文字,ゴミ]により,閉出されたものとしては,réel [実在]の位のものです.

影在と徴在と実在,それら三つの位の重なり合いの状態を有するものとしての文字を,Lacan は objet a [客体 a]と名づけます.

Lacan の『エクリ』を読もうとしたけれど,最初の「盗まれた手紙についてのセミネール」で挫折して,あるいは全然理解できなくて,もう Lacan なんか二度と読まないと思った人々,読みたいけれどまだ読んでいない人々,ならびに上記のいずれでもない人々のために,「盗まれた手紙についてのセミネール」のフランス語原文テクストを読解します. 

参加費無料.事前登録不要.

テクストは各自持参してください : 

1) Écrits(二分冊の版の場合は第一分冊); 

2) Le Séminaire II[セミネール第2巻]« Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse ».

Edogar Allan Poe の物語 The Purloined Letter[盗まれた手紙]は予め各自お読みください.

テクストの入手の困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください.

2015年11月2日

Au jour de la Commémoration des défunts

En ce jour de la Commémoration des défunts, nous prions pour toutes les victimes de la Seconde Guerre mondiale qui a fini il y a soixante-dix ans par les défaites de l’Allemagne et du Japon.

Au contraire de l’Allemagne où l’on ne cesse pas de condamner des criminels nazis, maintenant au Japon est dominant un révisionnisme qui consiste à dénier la responsabilité et la culpabilité du gouvernement japonais et de l’armée japonaise pendant la Guerre.

Les quatorze criminels de guerre japonais principaux qui ont été condamnés dans le Procès de Tokyo en 1948, sont déifiés dans le Temple de guerre Yasukuni à Tokyo pour qu’on les vénère comme âmes héroïques de la patrie. On ne veux pas reconnaître leur criminalité, de sorte qu’elle n’a jamais été l’objet de repentir sincère pour la plupart des Japonais.

Pas de contrition, donc pas de pardon de leur péché.

Quand nous étions encore ennemis de Dieu, Il nous a envoyé Son Fils unique pour nous réconcilier tous avec Lui. Jésus Christ a assumé tous nos péchés pour nous racheter par Son sang innocent.

À l’imitation de notre Seigneur, nous assumons le péché de ce monde qu’on ne cesse pas de dénier. C’est-à-dire nous assumons tous les péchés commis par le gouvernement japonais et l’armée japonaise pendant la Seconde Guerre mondiale pour nous en repentir et pour en demander pardon.

Aie pitié de nous, notre Dieu, selon ta fidélité !
Selon ta grande miséricorde, efface nos torts !
Et accorde-nous tous la réconciliation mutuelle et la paix mondiale !

2015年11月1日

11月2日,死者の日のために.

カトリックでは,毎年112日は死者の日,11月は死者の月と定められています.

1945年の敗戦から70年,改めて,戦争の犠牲者と被害者すべてのために祈りましょう.

第二次世界大戦における日本の戦争責任を否認する歴史修正主義が,今,日本で支配的になっています.

ドイツでは Nazi の支配下で犯された戦争犯罪は今もなお徹底的に裁かれているのに対して,日本では戦争犯罪者たちは靖国神社に神々として祀り上げられ,彼らの罪は否認され,罪として悔いられることもありません.それゆえ,彼らの罪はいつまでたっても赦されることがありません.

神は,わたしたちがまだ罪人であったとき,御子イェス・キリストを世に使わしてくださいました.そして,罪無きイェスは,わたしたちの罪をすべて身に引き受け,十字架上の死により,わたしたち皆を贖ってくださいました.

主イェス・キリストにならって,わたしたちも,世の罪を我が身に引き受け,みづからの罪として悔い,赦しを願いましょう.

靖国神社に祀られている14人の A 級戦犯の罪を含めて,第二次世界大戦で日本政府と日本軍,およびその関係者らが犯した罪をすべて,わたしたちは自分の罪として悔い,赦しを願います.

神よ,慈しみ深くわたしたちをかえりみ,豊かな哀れみによって,わたしたちの罪をお赦しください.

そして,すべての者に和解と平和をお与えください.

Amen !