手掛かりのひとつは,両者の姓の頭文字がともに D であることです.登場人物がさして多いわけではないこの物語において,何故両者が同じ文字で始まる姓を持っているのか?Dupin は偽名であり,本当の姓は D 大臣と同じなのではないか?つまり,両者は実の兄弟どうしではないか?または,子供時代を兄弟どうしのように過ごしたのではないか?そして,血と肉の共通性のゆえに激しく憎しみあっているのではないか?
そのことを示唆しているのが,Dupin が引用する Crébillon の戯曲 Atrée et Thyeste です.ギリシャ神話において,Atreus と Thyestes は兄弟どうしであり,互いに激しく憎みあっています.Crébillon の戯曲においては,Atreus は,自分の妻と Thyestes との不倫関係から生まれた子 Pleisthenes を Thyestes に対する復讐のために殺し,その血を杯に入れて Thyestes に差し出します.Thyestes は悲しみのあまりみづから命を絶ちます.戯曲の最後を成す Atreus のすさまじい台詞は:
Et je jouis enfin du fruit de mes forfaits.
そして,わたしは,ついに,わが大罪の果実を悦する.
そのような復讐の筋書きを考えつつ,Atreus は独白します:
Quel qu'en soit le forfait, un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'Atrée, est digne de Thyeste.
その大罪が如何なるものであれ,かくも凶々しいもくろみは,
Atreus にはふさわしからずとも,Thyestes にはふさわしい.
この台詞を Poe は引用し,Lacan もそのまま引用しています.
D はしたがって,dessein si funeste [かくも凶々しいもくろみ]の D でもあります.そして Lacan は,そこに destin si funeste [かくも凶々しい運命]を読み取ります.文字 D は dessein だけでなく,destin の D でもあるわけです.
『盗まれた手紙』において,Dupin は Crébillon を引用する直前,こう言っています:
D–, at Vienna once, did me an evil turn, which I told him, quite good-humoredly, that I should remenber.
D は,かつてヴィーンで,わたしに邪悪なことをしてくれた.わたしは全く上機嫌で彼に言った:このことを記憶にとどめておくよ,と.
つまり,彼らは旧知の仲なのです.『盗まれた手紙』のなかで D 大臣が Dupin の正体に気づかなかったとすれば,それは,D の「邪悪な仕打ち」により強いられた苛酷な人生が Dupin の容貌をすっかり変えてしまったからでしょう.勿論,Dupin は D 大臣との面会時はサングラスで顔を隠してもいました.
さらに Dupin はこうも言っています:
He is well acquainted with my MS.
それほどに,彼らはかつては互いに親密であったのです.
以上から,D 大臣と Dupin とは兄弟どうしであると想像することが許されるでしょう.
さて,11月27日金曜日,今年度の東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,第六回では,引き続き Lacan の『盗まれた手紙についてのセミネール』を読解して行きます.
時間は 19:30 - 21:00,
場所は文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室です.
テクストは各自持参してください.