Ab-grund des Seyns[存在 という 基礎的な深淵 / 深淵的な基礎](Heidegger) と
trou du non-rapport sexuel[「性関係は無い」の穴](Lacan) — 否定存在論について
以下は,2024年07月06日 午後,ちきゅう座の現代史研究会でおこなった講演のテクストである.お招きくださった 合澤 清 氏 および 土田 修 氏に 感謝する.
これから お話しすることは,表題に明示されているように,第一次的には これら ふたりの Denker[哲人]— Heidegger (1889-1976) と Lacan (1901-1981) — に かかわる.
両者の関係は,要約するなら,こうである
: Lacan は,精神分析を 純粋に(つまり 非経験論的 かつ 非形而上学的に)基礎づけるために,Heidegger
の思考 — それを我々は「否定存在論」(ontologie
apophatique) と名づける(Heidegger
はその名称に顔をしかめるかもしれないが)— に準拠した;なぜなら このゆえに:その純粋基礎づけ無しには,精神分析は,その臨床にかかわる重要な問い — たとえば,何が精神分析において起きているのか,如何に新たな精神分析家を養成し,認定し得るのか,そして,精神分析家の養成の問題との関連において,如何に精神分析の終結を規定し得るのか(なぜなら,ある者が新たに精神分析家となるためには,その者は 自身の分析を その終結に至るまで 経験しとおさねばならないから),等々 — に sachgemäß に[事に適ったしかたで]答えることができない.そして,後ほど見るように,Freud は 実際 答えることができないでいた — 特に 精神分析の終結に関する問題について.
Lacan は 精神分析を — その理論と実践を — 純粋に基礎づけようとした — そのことは,彼の教えの要所要所に示唆されている.だが,そのことに気づき得た者は どれほどいるだろうか ? — そのことを踏まえずに Lacan を読むことはできないにもかかわらず.そして,我々は,そのことに基づいて,「Lacan
とは 誰か?」という問いに 簡潔に答えることができる : Si Freud est le
fondateur de la psychanalyse, Lacan en est le refondateur[Freud が 精神分析の創始者であれば,Lacan は 精神分析を基礎づけなおした者である].
しかし,今日 お話しすることは,彼らふたりだけでなく,彼らの共通の前提としての 第三の哲人 Hegel (1770-1831)
にも かかわる;そして,さらに,それら三人の哲人の共通の前提としての 第四の者 — 彼は 通常「哲人」とは呼ばれないが — Jesus Christus[メシア イェス]— にも かかわる.
Jesus Christus は,いうなれば,否定存在論の
Praktiker[実践者]である;そして,そう呼ばれ得るのは,彼だけではなく,しかして,カトリック教会が「聖人」と認める者たちも そうである;列聖される者たちは 必ずしも 殉教者(martyr
< μάρτυς : 証人,証しする者 — 彼らは 否定存在論的孔穴としての神について
証しした —)ではないが,殉教者たちの多くが列聖されている.そして,ここで先取り的に付言しておくなら,Lacan
は 精神分析家を 聖人と等価的なものと 見なしている — 精神分析家が「無意識の殉教者」(否定存在論的孔穴としての無意識について 証しする者)である限りにおいて.つまり,Lacan
を含めて,精神分析家も 否定存在論の Praktiker である.ただし,Heidegger も 単なる思弁の次元にとどまっていたわけではない;彼にとって 思考 (Denken) は,否定存在論的孔穴を証しすることであり,そのことにおいて 神への奉仕であり,そして,ひとつの実存的な転回 — 自有 (Ereignis) — をもたらす 実践である.
§
1. 否定存在論的孔穴
では,さっそく,否定存在論における中心的なもの — 否定存在論的孔穴[否定存在論的な穴](trou
apophatico-ontologique) —
について,説明して行こう.
否定存在論
(ontologie apophatique) という名称は,Heidegger
の「抹消された存在」(das durchgekreuzte
Seyn) によって,わたしに与えられた:
Heidegger は,生前に発表した論文や著書においては
Sein という〈現行の正書法にしたがう〉表記を用い続けたが,生前に発表することを意図していなかった手稿においては,1931年から Seyn という表記を用い始める;それは,19世紀まで通用していた正書法による表記である.Heidegger
が古い正書法における Seyn を用いた動機は,勿論,形而上学的「存在」(Sein) に対する Seyn の源初論的性格を示唆するためであろう.
また,我々は,今 書いているこの文章のような
Word 原稿において Sein
ないし Seyn を いちいち バツ印で抹消していることはできないので,その代わりに,技術的に より簡便な Sein または Seyn という表記を用いる.
Heidegger が 生前に発表したテクストのなかで Sein という表記を用いたのは,1955年の Zur
Seinsfrage[存在の問いについて]においてのみである.当時,その奇妙な表記が Heidegger の思考のなかで有する本質的な意義に気づいたのは,おそらく,世界中の Heidegger 読者たちすべてのうちで,ただひとり Lacan のみであっただろう.
Lacan は Sein の本質的な意義に気づいた — というのも,彼は Sein
に基づいて「抹消された主体」(le sujet barré : $) の 学素 (mathème)[Lacan
は,彼が用いたさまざまな記号 — たとえば S1, S2,
$, a —
を mathème(学素)と呼んでいる]を 考案している(と わたしは推測する)からである.
Lacan 以外の者たち — おおかたの Heidegger 研究者たち — は,おそらく〈巻の番号としては Gesamtausgabe[ハィデガー全集]の最終部分(第 94 巻[2014 年 出版]から 最後の第 102 巻[2022 年 出版]まで)を成す「黒ノート」(Schwarze
Hefte) — そこには,1931年から 1970年までの間,Heidegger が 出版や講義や講演の準備のために あるいは そのときどきの考えをまとめるために
書きとめた文章が 残されており,それらは,その 40年間の彼の思考の歩みをたどるための舞台裏の手がかりを我々に与えてくれるのだが,敗戦以前に書かれた部分に表現されている 彼の paranoisch な Antisemitismus のみが「黒ノート」出版開始時に sensational な注目を集めた — のうち,2015年に出版され始めた戦後の「黒ノート」のなかで Seyn が極めて頻繁に用いられているのを 見たときに〉初めて,Sein
または Seyn
の重要性に気がついただろう.
たとえば,1947-48年の「黒ノート」の Anmerkungen[覚え書き]IV (GA 97) の冒頭は こうである:
思考が[思考として]始まるのは,存在の思考であることにおいて[のみ]である.
つまり,思考と呼ばれるに値する思考は,存在について 考え,問う 思考のみであって,存在事象に関する思考は 思考と呼ばれるに値しない.実際,彼は 続けて こう言っている:
思考は,もはや,存在事象それ自体 および 存在事象としての存在事象の 表象ではない.
では,Seyn[存在]とは 何か ? それは,Heidegger が Sein
und Zeit (1927) において 彼自身に課題として与えた「存在論の伝統の破壊」(die
Destruktion der ontologischen Überlieferung) の成果を形式化する「学素」である.
周知のように,存在論を「存在事象を存在事象として観想する学知」(ἐπιστήμη
τις ἣ θεωρεῖ τὸ ὂν ᾗ ὂν) と定義したのは,Aristoteles
である.彼は,それを πρώτη φιλοσοφία[第一哲学]と呼び,哲学の伝統は それを〈そこにおいて彼がその定義を措定したところの彼の書の表題 Μετὰ τὰ φυσικά にもとづいて〉Metaphysik[形而上学]と呼ぶ.すなわち,形而上学は 本性的に 存在論である.
形而上学的な存在論の伝統 — それは,Aristoteles および 彼の師 Platon
に 始まり,中世の間 Scholastik(そこにおいて Thomas Aquinas [ ca
1225 – 1274 ] は Aristoteles
により キリスト教神学を 基礎づけた)により継承され,ルネサンスを経て,いわゆる古典主義時代
(l’âge classique) まで維持されてきたが,現代的な科学と資本主義の発達のもとに,18世紀後半以降,その自明性と有効性を失った;にもかかわらず,それは,21世紀の今,さまざまな ideologisch-paranoisch
な形態のもとに 再び活性化を見ている — は,破壊されるべきである — 形而上学的な「存在」— 哲学史上 その最初の形象は Platon の ἰδέα である — を閉出 (forclusion) するために.Seyn の 抹消のバツ印は,まさに Heidegger
による その破壊の作業を 表している.そして,それによって見出されたものは 何か ? それが,まさに「否定存在論的孔穴」— 存在の歴史 (Geschichte des Seyns) のなかで 形而上学的な「存在」が塞いできた源初論的な穴 — である.
もっとも,Heidegger
自身は「穴」(Loch) とは言わない;そうではなく,彼は「深淵」(Abgrund) または Ab-grund[深淵的な基礎 または 基礎としての深淵]と 言う.「穴」という語を用いるのは Lacan である — なにしろ,精神分析においては さまざまな身体的な穴がかかわってくるから:口の穴,肛門の穴,眼瞼裂の穴,耳の穴,そして,何よりも,phallus
の欠如の穴 — つまり Freud が「去勢」と呼んだところの 根本的な穴.のちほど説明するように,否定存在論的孔穴を
Lacan は「性関係は無い」の穴 (le trou du
non-rapport sexuel) と呼ぶことになる.
ここで,Heidegger
が Ab-grund des Seyns を捉え得たことによって,如何に 彼の〈存在の〉トポロジーが 1927年の Sein und Zeit におけるそれから 1936-38年のテクスト(死後 1989年に出版)Beiträge zur
Philosophie (vom Ereignis)[哲学への寄与(自有による)]へ 変化し得たか — それを 彼は みづから Kehre[転回,方向転換]と呼んだ — を 見ておこう.
Sein und Zeit においては,Heidegger
は,〈存在事象としての 我々自身の Dasein[現場存在]から出発して 存在へ向かう という方向性において〉存在について問うている — 途中,謎めいた 存在論的差異 (die ontologische
Differenz) — 存在事象と存在との差異 — の 領域(黒い領域)を(もし可能なら あるいは もし必要なら)通り抜けつつ.
この「存在論的差異」は,Sein
und Zeit が 1927年の始めに出版されたあと,同じ 1927年の夏学期の講義 Die
Grundprobleme der Phänomenologie[現象学の基礎問題](GA
24) において初めて措定された用語である ; Sein und
Zeit においては,存在事象の領域から出発して 存在の領域へ行こうとするときに 遭遇するかもしれない 境界線は der transzendentale Horizont[超越論的地平線]と呼ばれていた.いずれにせよ,この存在論的差異とは如何なるものであり得るのか という問いが,Heidegger
を〈1936年に書き始められる Beiträge
へ〉導くことになる.
1936年の時点においては
Seyn という語はまだ抹消を受けてはいない;また,先ほど述べたように
Heidegger 自身は「穴」という語を用いはしない;しかし,我々は,Beiträge
以降の Heidegger の思考における 存在のトポロジー[Topologie des Seyns
: それは Heidegger 自身の用語である]を,上のように 図式化することができる:すなわち,中心を成すのは Seyn の穴である;それは,存在事象の領域に口を開く中心的な穴である.存在論的差異と呼ばれていたものは,その Seyn の穴そのものへ 解消される.
1927年の「存在事象から出発して 存在へ向かいつつ 問う」という方向性から
1936年の「存在の穴を中心に措定し,その穴から出発し,かつ,その穴のまわりを回りつつ 問う」という方向性への 転換 —
Heidegger 自身が Kehre と呼んだ 転回は,そのことに存する.
§ 2.
存在の歴史
そして,この存在の穴の措定は,Heidegger
に「存在の歴史」(die Geschichte
des Seyns) の公式化を可能にする.Heidegger
自身は 次のような単純な形では述べていないが,わたしは 存在の歴史を こう公式化する:
0) 源初論的位相 (la
phase archéologique) : 源初において,否定存在論的孔穴は 口を開いていた.その穴は,源初論的なものであるので,あとから なかったことにすることはできない;また,その穴は まことには 閉塞不可能かつ隠蔽不可能である.創世記神話においては,エデンの園から追放される以前の
Adam と Eva の生は,何ひとつ欠けていない完璧なものであったが,そのような源初的完璧性は,まさに神話的なものにすぎない.むしろ,我々は 創世記の冒頭のふたつの節に注目すべきである;そこには
creatio ex nihilo[無からの創造]の開始以前の 源初論的な無が こう描写されている:
源初において,神は 天と地とを 創造した.そのとき,地は 空無であった;闇が 深淵のおもてに,そして,神の息吹が 水のおもてに 覆いかぶさっていた.
その「深淵」( תְּהוֹם
, ἄβυσσος, Abgrund ) こそが,そこから出発して
creatio ex nihilo が開始されるところのものとして,源初における否定存在論的孔穴の開口を示唆するものである.Heidegger
は,一時期,Vorsokratiker たち — 特に Anaximandros
(ca 610 – ca 546 ACN), Herakleitos (fl. ca 500 ACN), Parmenides (ca 520/515 –
ca 460/455 ACN) — のテクスト断片のなかに 源初論的な Seyn
の証言を 探し求めていた;しかし,我々は,より身近なところに — 聖書のなかに — それを見いだすことができる.そして,ヘブライ語聖書(旧約聖書)の諸テクストの大部分がおおよそ現在の形において成立した時期 — それは,ユダヤ民族のバビロン捕囚 (587-538 ACN) からの解放後,紀元前 5 世紀から 4 世紀にかけてのことと推定されている
— は,Vorsokratiker たち および Sokrates
(ca 470 – 399 ACN) の活動期と さほど大きく異なってはいない.
1) 形而上学的位相 (la phase métaphysique) : それは,否定存在論的孔穴が
Platon の〈τὸ ὄντως ὄν[本当に存在するもの]としての〉ἰδέα によって閉塞されたことを以て,始まる;そして,その閉塞は,ἰδέα
の後継概念である 一連の transzendental な 諸形象 — τὸ ὂν ᾗ ὂν, οὐσία, ἐνέργεια,
substantia, actualitas, また,Pascal
(1623-1662) が「アブラハムとイサークとヤコブの神」(書かれないことをやめない神)との区別において「哲学者たちと神学者たちの神」(形而上学的な神)と呼んだ スコラ学的な神,等々 — によって 維持されてゆく — 先ほども述べたように,中世 (Scholastik) をとおり,ルネサンスを経て,古典主義時代に至るまで.形而上学的位相においては,原則的に,古典的な秩序が自然的に前提されており(勿論,存在事象の次元においては 偶発的に 戦争や疫病が生じ,民族大移動が起こり,大きな世界史的変化が生じてはいるが),その Apriorizität が疑われることはない(それゆえ,Descartes [
1596-1650 ] の方法的懐疑は 哲学史上 例外的であり,先取的である).
2) 終末論的位相 (la
phase eschatologique) : しかし,現代的な科学と資本主義が優位となってきたとき,否定存在論的孔穴の形而上学的閉塞は 無効となる;なぜなら このゆえに:科学にとって「本当に存在するもの」とは 科学的に分析可能なもの(今は分析不能でも,もし何らかの条件が整えば 分析可能となるものも含めて)であり,資本主義にとって「本当に存在するもの」とは 資本の増殖(剰余価値の生産)のために 利用可能なもの(今は利用不能でも,もし何らかの条件が整えば 利用可能となるものも含めて)であり,科学と資本主義から見れば,従来 否定存在論的孔穴を塞いできたイデア的なものは,科学的に分析可能でも 資本主義的に利用可能でもないのであるから,本当に存在するものではあり得ない.
かくして,18世紀後半以降,形而上学的な存在による否定存在論的孔穴の閉塞は 自明的な(問うまでもない,あるいは 問うことのできない)前提としては 維持され得なくなる;そして,かくして,終末論[Eschatologie
des Seyns : これも Heidegger
自身の用語である]的な〈否定存在論的孔穴の〉開出
(Aufgehen) が 成起しようとする.
しかし,そのとき,哲学史上,何が起きたか
? Kant (1724-1804) による reine
Vernunft[純粋理性]の批判的な措定(自明的ではなく,しかして,その必要性と必然性を吟味したうえでの 措定)である — それによって 改めて 否定存在論的孔穴を閉塞するために.そして,その試みは,Husserl
(1859-1938) の das
transzendentale Ich[超越論的自我]に至るまで 継承される.
だが,Heidegger は こう見る:最終的に Nietzsche
(1844-1900) において,形而上学は その Vollendung[満了]に至る — つまり,神の死と Übermensch の到来を告げ知らせた哲人において,形而上学は 自身の本性 — それは,イデア的なものによって否定存在論的孔穴を閉塞し続けようとする不可能な試みに,存する — を露わにし,かつ,以後,従来どおりに自身を維持することはできなくなる.
では,形而上学が満了に達したとき — すなわち,否定存在論的孔穴の閉塞がもはや維持され得なくなったとき — 如何なる事態が生ずるのか?それは,ニヒリズム — 至高なる諸価値の価値喪失 (Entwertung der obersten Werte) —
である.その喪失を嘆くだけの者たちの態度は,受動的ニヒリズムと呼ばれる;それに対して,失われたものの代わりに 新たな価値を措定しようとする者たちの態度は,能動的ニヒリズムと呼ばれる;そして,Nietzsche
自身は,彼の「力への意志」(Wille zur Macht) の措定を「古典的ニヒリズム」と呼ぶ
—「女々しい」ロマン派的な受動的ニヒリズムの対極に位置づけられるべき「雄々しい」能動的ニヒリズムの頂点を成すものとして.
Nietzsche によって イデア的なものの代わりに 穴塞ぎとして 措定された「力への意志」は,しかし,形而上学的「存在」のように,不生不滅にして万古不易なものではない.力への意志は,「Werden
に Sein の特徴を刻印する」ことの要請により,常に自分自身よりもより強大なものに成ることによってしか 自分自身を維持し得ない.しかも,その「常に より強大である」こととの相関において,それ自身のまわりに「同じものの 永遠なる回帰」をともなう.
だが,そのような力への意志は,ひとりの人間において あるいは ひとつの共同体において 実現可能なものであろうか
? 確かに,資本家たちと資本主義は,一見,常により多くの剰余価値を生産し続けようとする
absoluter Bereicherungstrieb[絶対的富裕化本能
: Marx が用いた表現]において,力への意志を実現しているかのように見える.しかし,それは,彼ら以外の者たちに対する搾取と 自然資源の争奪および濫用と 地球温暖化による〈我々皆がともに住まう家の〉破壊を 代償としてのことである.それゆえ,資本主義は — のみならず 全人類は — 自身の経済活動によって,みづから 自身の生存可能性を自身から奪い,自滅することになるだけであろう.力への意志は — そして,それを体現している資本主義は —,実際には 自身を維持することのできない paranoisch な イデオロギーである(paranoisch と言っても,それは Nietzsche の〈44歳時に急激に発症した〉脳疾患とは関係ないが).
要約するに,存在の歴史の終末論的位相を特徴づけるものは これである:科学と資本主義の優位のもとで,否定存在論的孔穴の形而上学的な閉塞は 今や 無効となる;そして,それゆえ,否定存在論的孔穴は 開出してこようとする;だが,それに対する抵抗として,新たな穴塞ぎが — 形而上学的なものであれ 非形而上学的なものであれ — 措定される;そして,21世紀の今,それは ますます ideologisch-paranoisch なものとなってきている.必然的な〈穴の〉開出と それに対する激烈な(しかし,存在の歴史の必然性の観点から見れば 無駄な)抵抗 — 今 我々は そのような終末論的緊張の状況を 生きている.
§ 3.
如何に穴の開出は経験され得るか
さて,先に述べたように,哲学史において否定存在論的孔穴の開出を証しするのは ニヒリズムである;では,我々自身は 否定存在論的孔穴の開出を どのように経験しているのだろうか? それは「不安」(Angst)
として 経験される.実際,不安を Heidegger
は Sein
und Zeit において 我々の Grundbefindlichkeit (Grundstimmung)[基礎情態(基礎気分),基本情態(基本気分),根本情態(根本気分)]と呼んでいる.そして,臨床的には,それは,無の不安 または 死の不安 または 罪の不安として 経験される(Heidegger も,無と 死と 罪について 論じている).いわゆる去勢不安とは,その
Grundbefindlichkeit の フロィト的な名称にほかならない.
ここに,何らかの不安をまったく経験したことのない人は,誰もいないだろう;少なくとも,睡眠中に 不安や恐怖に満ちた悪夢を 一度も 見たことのない人は,皆無だろう.睡眠中に経験される不安も,否定存在論的孔穴の開出の ひとつの証しである.そこで,実際に,夢のなかで否定存在論的孔穴が如何に現れてくるかを,ひとつの実例において 見てみよう — ほかならぬ Freud 自身の夢 — 彼が 彼の 1900年の 著作『夢解釈』(Traumdeutung) のなかで 最初に詳細に分析してみせた 彼自身の夢 — 通称「イルマ (Irma) の 注射の 夢」— において.彼の『夢解釈』の 第 II 章から 当該部分を引用する:
予備的な情報
1895年の夏[つまり,Freud が『夢解釈』を書いている時点(1899年)の 4年前]に,わたし [ Freud ] は,若い婦人 [ Irma ] を精神分析的に治療した.彼女は,わたしとわたしの家族とにとって,とても近しい交友関係にある人だった.そのように医師患者関係と一般的な社交の関係が混ざり合った場合,その事態は,治療者 — 特に,精神療法家 — にとっては,多様な感情を惹起する元になり得る,ということは,誰にでも理解可能だろう.医師自身の治療的関心はより大きくなるが,彼の医師としての権威はより小さくなる.治療に失敗すれば,患者の家族や親族との長年にわたる親交を疎遠なものにしてしまうことになりかねない.精神分析治療は,部分的な成功を以て終わった.患者は,ヒステリー的な不安を感じなくはなったが,彼女の身体的な症状がすべてなくなったわけではなかった.当時,わたしは,ヒステリーの病歴に最終的に決着がついたということを表す指標に関して,まだあまり確信がなかったので,患者に,ある解決策 [ Lösung ] を取るよう,求めていた.しかし,それは,彼女にとっては,受け容れ難いと思われることだった.彼女がわたしの提案を受け容れないという不一致の状況において,我々は,夏のヴァカンスのゆえに,治療を中断した.ある日,ヴァカンスの滞在先で,年下の同僚 [ Otto ] — 彼は,わたしの親友でもある — が,わたしを訪ねてきた.彼は,わたしの患者 — Irma — と彼女の家族を,彼れらのヴァカンス滞在先に訪ねてきたところだった.わたしは彼に,彼女はどんな様子だったかを問い,この答えを得た:以前よりは良いが,完全に良いわけではない.友人 Otto の言葉 — ないし,それが述べられた調子 — に,わたしは怒りを覚えた,ということを,わたしは自覚している.つまり,わたしは,彼の言葉からひとつの非難が聴き取れる,と思った — たとえば,わたしは患者に[必ず治ると言って]多くを約束しすぎた,というような非難.そして,どうやらわたしのみかたになっていないらしい Otto の態度を,患者の家族 — 彼れらは,わたしの治療を好意的には見ていない,とわたしは推察していた — からの影響のせいにした — その推測が正しいか否かは不明であるが.ともあれ,そのとき,わたしは,わたしの苦痛な感覚を明確には感じ取ってはおらず,それをそのものとして表現することはなかった.その晩のうちに,わたしは,Irma の病歴報告を書きあげた — それを,いわば わたしを正当化する目的で,Dr M[Joseph Breuer :『ヒステリー研究』の共著者]— 彼は,Otto とわたしの共通の友人であり,当時,我々の仲間内で主導的な立場の人物だった — に提出するために.その夜(むしろ,翌日の朝方),わたしは,次の夢を見た.わたしは,それを,覚醒後 すぐに 書きとめた.
1895年07月23-24日に見た夢
広い広間.多くの客を,我々は迎えている.そのなかに,Irma がいる.わたしは,彼女を,すぐさま脇へ連れて行く — いわば,彼女の書簡に答えるために,つまり,彼女がわたしの「解決策」(Lösung) をまだ受け容れないことを非難するために.わたしは彼女に言う:「あなたがまだ疼痛を有しているなら,それは,まったく,ひたすら,あなた自身のせいだ[es ist wirklich nur deine Schuld : あなたの責任だ,あなたに罪がある]」.彼女は答える:「わたしが 今 喉や胃[上腹部]や下腹部にどんな疼痛を有しているかを,知っていただけたなら... それは,わたしを締めつけます」.わたしは驚いて,彼女を見やる.彼女は,青白く,むくんでいるように見える.わたしは考える:結局,わたしは,やはり,何か器質的なものを見逃していたのだ.わたしは,彼女を,窓のところへ連れて行き,咽頭を視診する.その際,彼女は,若干,抵抗のしぐさを見せる — 義歯 (Gebiß) を装着している婦人のように.そんな必要はないのに,とわたしは考える.次いで,口は 大きく開く.右に,大きな白い斑が見える.ほかには,奇妙な〈皺のよった〉造形 — それは,明らかに,鼻甲介を模して形づくられている — のところに,灰白色の痂皮が広がっているのが,見える.わたしは,急いで,Dr M を呼び寄せる.彼は,改めて診察し,所見を確認する.Dr M は,普段とはまったく異なる外見をしている.彼は,青白く,跛行しており,顎にヒゲがない.今や,わたしの友人 Otto も,彼女のかたわらに立っている.友人 Leopold は,彼女[の胸部]を,胴着のうえから打診して,言う:彼女は,左[肺の]下部に 濁音を有している.そして,彼は,彼女の左肩の皮膚部分の浸潤を指さす(それを,わたしは,彼女が着衣のままであるにもかかわらず,彼と同じく,感じ取っている).M は言う:疑いなく感染症だが,何でもない;さらに赤痢が合併してきて,毒素は排出されるだろう.我々は,また,感染が何に起因しているのかを,直接に知っている.友人 Otto が,最近,彼女の気分が悪いときに,彼女に Propyl 製剤[の溶液 (Lösung)]を注射したのだ — Propylen, Propionsäure[プロピオン酸],Trimethylamin(その化学式を,わたしは,太字で印刷された形において,眼前に見る).そのような注射は,そのように軽率にするものではない.おそらく,注射器も清潔ではなかったのだろう.
口が大きく開かれる — それが,この夢における〈否定存在論的孔穴の開出の〉表象である.夢のなかでそのように穴が開出してくるとき,我々は たいていは そのことに ぞっとする — 無の深淵をまえにして,あるいは,死の穴をまえにして(というのも,それは 我々を 死へ呑み込もうとするのだから).しかし,このイルマの注射の夢においては そうではない.Freud は,彼自身が犯しているのかもしれない誤診(「何か器質的なものを見逃していたのだ」)の不安 — 罪の不安 — を感じている(その不安は,しかし,さして強いものではない — なぜこの夢が非常に強い不安をともなう悪夢とはならなかったのかについては,後述する).そして,実際,夢のなかに「罪」(Schuld)
という語が 登場している — ただし,一見,自責のためにではなく,他責のために : “es
ist wirklich nur deine Schuld”.
Freud が『夢解釈』のなかではまったく言及していない ある重大な医療過誤事件が このイルマの注射の夢の形成の要因となっている ということが,Freud の書簡にもとづく伝記的な研究によって,明らかにされている.それは,直接的には
Freud 自身が犯した過誤ではないが,それについて彼に責任がないわけではない.過誤により害を被ったのは,当時
Freud が精神分析により治療していた ひとりの若い hysterica — Emma Eckstein
(1865-1924) — である.そして,過誤を犯したのは,当時 Freud の親友であった Berlin
在住の 耳鼻咽喉科医 Wilhelm
Fließ (1858-1928) である.後者は「鼻粘膜と性機能との間に関連性がある」という — 今から見れば まったく paranoisch な — 説を 確信と善意を以て 唱え,鼻粘膜に 局所的に コカインを塗布し あるいは 何らかの外科的処置を施すことによって ヒステリー症状を治療し得る,と主張していた.Freud
は,1887年に初めて Fließ に出会い,彼 および 彼の nasale Reflexneurose[鼻反射神経症]の説に 魅了された.言うなれば,Freud は Fließ の非意図的な催眠術にかかった — あるいは,Freud は Fließ をとおして 非意図的に 自分自身に催眠術をかけた — のである.当時,Freud は,無意識の発見と精神分析の創始の道を歩みつつ,孤独であった.上の引用箇所で
Dr M と呼ばれている Josef
Breuer (1842-1925) という有名かつ有力な先輩医師の庇護を得ることはできていたが,それだけでは Freud は十分に安心することができなかったのだろう.そのような状況において,Freud
は,Fließ に 大きな「心の支え」を 見出した.そして,「鼻反射神経症」説を無批判的に信じ込んだ
Freud は,ときおり Fließ を Wien へ招いて,Freud 自身や 彼の患者に対する 耳鼻咽喉科的な処置を 彼に依頼するようになる.1892年から精神分析を受けていた Emma についても,Freud は Fließ に 治療を依頼する;そして,1895年02月(イルマの注射の夢の 5 ヶ月前),Fließ は 彼女に 鼻甲介の部分切除を含む かなり大がかりな鼻腔内の手術を行う.Fließ は,ほかの患者たちに関しては,鼻粘膜に局所的な処置を施すにとどまっていたのに,なぜ Emma に対しては そのようなことをしたのかは,不明である(親友である
Freud の患者に対する 大いなる「善意」が 彼にそうさせたのかもしれない).ところが,Fließ は,患者の鼻腔内に置いた止血用のガーゼを手術終了時に取り出すことを,怠る.数週間後,患部の腫脹と疼痛のため,Emma
は Wien の ある耳鼻科医の診察を受ける(Fließ に Berlin から来てもらう時間の余裕はない).その医師が 彼女の鼻から問題のガーゼを除去したとき,患部から大量の出血が起こる(Freud
は その現場を目撃している).Emma は 出血性ショックによる死をかろうじて免れるが,彼女の顔には変形が残ってしまう.
以上のような重大な帰結に至った医療過誤を犯したのは
Fließ であるが,Fließ による手術を Emma に勧めたのは Freud 自身である;それゆえ,Freud は その出来事に関して 相当の責任を感じないではいられなかったはずである.その罪意識は,夢の前日の 友人 Otto の〈Irma に関する〉非難めいた言葉によって,明瞭に想起されない程度に 再活性化される;そして,そのことが,その晩,Freud
に,Irma の治療に関する釈明を書かせ,さらには「イルマの注射の夢」を見させることになる.
夢のなかで大きく開かれた
Irma の口は,罪の穴としての否定存在論的孔穴の開出を 表している(口腔内に見える鼻甲介状のものは,明らかに Fließ の医療過誤事件を徴示している).そして,そのとき,Fließ の代わりに 穴塞ぎとして 動員されてくるのは,当時の Freud にとって現実のなかで多かれ少なかれ頼りになっていた 先輩 Breuer と 同僚 Otto および Leopold である.だが,夢のなかで 彼らの言動は 医学的には ナンセンスであり,彼らはドタバタ喜劇を展開するだけである.それに対して,夢の最後に おごそかに登場する — あたかも deus
ex machina のごとくに — ものは 何か ? Trimethylamine の 化学式である — しかも,「太字で印刷されて」(fettgedruckt) — つまり,とても強調されて.
Trimethylamine は 実際に 必須栄養素 choline の代謝の中間産物として 生体内に見出される物質であるが,Fließ
は それを sexualité
の生化学に関連する物質と見なしていたようである.我々が 今 化学の教科書などで見かける
trimethylamine の化学式は このように印刷されているだろう:
Gérard Haddad (1940-
) — ラカン派の精神分析家;彼は,1969年から 1981年の Lacan の死の直前まで,Lacan に分析を受けていた;彼は,敬虔なユダヤ人の両親から生まれたが,若いころは マルクス主義者であり,無神論者であった;しかし,Lacan との分析の最中に,彼自身の息子の bar mitzvah(男の子の場合 13歳になるときに — 女の子の場合 12歳になるときに — おこなわれる ユダヤ教の〈元服式のような〉宗教儀式)を 祝うか否かに関して 彼の父親と電話で激しく口論した(勿論,彼の父親がその儀式を行うよう主張したのに対して,Gérard Haddad 自身は それを拒否した);そして,その会話を乱暴に切った;しかし,その直後に,彼は ふと 信仰に目覚めた(その出来事については 後ほど 改めて立ち帰る); Lacan は その彼の信仰への覚醒を あたかも一種の神秘経験であるかのように 肯定した — は,彼の著書 Lacan et le judaïsme[ラカンとユダヤ教](1981) において,このような解釈を提示している:
つまり,イルマの注射の夢を厳かに締めくくる
trimethylamine の化学式は,הַשֵּׁם[神の名,父の名,le Nom-du-Père]として,開出してきた否定存在論的孔穴を 改めて塞いだのである — その夢が 非常に強い不安をともなう悪夢となることを 防ぐために,そして,イスラエルの息子 Freud を 悪夢による中途覚醒の危機から 救うために.
ただし,そのような〈父の名による〉否定存在論的孔穴の再閉塞は,穴の開出に対する防御であり,抵抗であって,本当の意味での救いではない.真なる救済は むしろ このことに存する —
Heidegger によれば —:我々が 否定存在論的孔穴の開出の成起 (Ereignis) に 従順であること;そして,その成起が我々をおのがものとする
(sich aneignen) がままにすること;そして,それによって 我々自身が「自有」(Ereignis)
と成ること.
以上によって,否定存在論においてかかわっているのが このことであることを 御理解いただけたと思う:すなわち,否定存在論的孔穴 — それは 源初においては 口を開いていた — が 如何に閉塞され,そして,如何に開出してくるか.それは,弁証法的な変化である.というより,Heidegger
は,存在の歴史を,Hegel 弁証法への準拠において 公式化しているのである.そして.Lacan にとっても Hegel は Heidegger と並ぶ 重要な準拠である — というのも,Lacan は,精神分析の過程について論ずるとき,Phänomenologie
des Geistes をモデルとしているからである.
§ 4. キリスト教的時間論
ここで,Geist という語に言及したからには,Hegel と キリスト教とのかかわりについて 触れておかねばならない.Phänomenologie
des Geistes が『精神の現象学』と訳されたことによって,日本人は
Hegel と キリスト教神学との繋がりを 一気に 見失ってしまう.しかるに,Geist とは キリスト教における der Heilige Geist (πνεῦμα ἅγιον, Spiritus Sanctus) である.それは,通例「聖霊」と邦訳されているが,わたしは それを 適切な訳とは思わない — なぜなら,Spiritus Sanctus とは「神の息吹」であるから.先ほど見たように,創世記 第 1 章の冒頭において,無からの創造が始まるまえの源初において,神の息吹が 無の深淵を覆っていた;そして,神は,まず「光が存在せよ」と命じ,ことばにより 存在事象を創造してゆく;しかるに,ヘブライ語聖書(旧約聖書)においては,神のことばと神の息吹とは 等価なものである(キリスト教においては「神のことば」は Jesus Christus の別名となるが).また,創世記 第 2 章において,神は,地面の塵から 人間を形造り,そして その鼻に 息を吹き込む — 人間にいのちを与えるために.つまり,人間が生きているいのちは 神の息吹そのものにほかならない.神の息吹は 神と 創造界 (Schöpfung,
création) との間の媒介である;神は 息吹によって 創造界に存在を与え,生きものに いのちを与える.つまり,Geist とは 存在事象の存在の可能性の条件としての 存在 (Sein) であり,特に 生きものについては,その いのち (Leben) である.それゆえ,その意味において,Phänomenologie des Geistes は「精神の現象学」ではなく,しかして「存在の現象学」であり,「いのちの現象学」である.
周知のように,Hegel は ルター派のクリスチャンであった.彼は,ベルリン大学の哲学教授への就任の 3 年後の 1821年秋から 1831年11月に 61歳で病死するまでの間,ほぼ 3 年ごとに (1821, 1824, 1827, 1831)「宗教哲学講義」(Vorlesungen über die
Philosophie der Religion) を 行っている.それらのうち
1824年の講義において,彼は こう言っている:「哲学 — それは 神学である — においては,唯一 このことのみが かかわっている:宗教の理性を示すこと」.また,1827年の講義においては こう言っている:「宗教の対象も 哲学の対象も,それそのものにおける
永遠なる真理である;つまり,神であり,神以外の何ものでもない;そして,神を明示することである.(…)
それゆえ,宗教と哲学とは ひとつのものへ 一致する.哲学は,実は,それ自体,神への奉仕[礼拝]である — 宗教と同様に」.
であるから,Phänomenologie
des Geistes の 最後からふたつめの章が 宗教に当てられているのは,至極当然のことである — わたしも,学生時代に邦訳で『精神の現象学』を読んだときには,なぜ 最終章の「絶対知」のまえに 宗教が論ぜられねばならないのか,不思議に思ったものだが.
そのようにクリスチャン(プロテスタント)である
Hegel と Heidegger および Lacan — 後二者の宗教的な背景は カトリックである — が 彼らの思考において 共有しているものは 何か ? それは,時間論である:キリスト教的
時間論 — あるいは,それは ユダヤ教にも イスラム教にも共通しているものであるから,「一神教的 時間論」と呼ぶ方が より適切かもしれない.では,それは 何に存するのか ? このことに存する:「無からの創造」(creatio ex
nihilo) の源初論 (archéologie) と「時(または 世)の完了」(consummatio saeculi) の終末論 (eschatologie) とを ともに 包含すること — それらは 物理学的な時間軸のうえには 位置づけられ得ないのだが.
その時間論を Hegel は Phänomenologie des Geistes において こう公式化している:源初論的な Unmittelbarkeit[直接性,未媒介性],ついで,現在的な Entfremdung[異化,疎外],そして,最後に,終末論的な Reflexion in sich selbst[自身への回帰]と それによる
das absolut vermittelte Sein[絶対的に媒介された存在]の成起.
Heidegger は Sein und Zeit および 同年の Die Grundprobleme der Phänomenologie において こう公式化している : die Zeitlichkeit als ekstatische
Einheit von Zukunft, Gewesenheit und Gegenwart[将来(終末)と 既存(源初)と 現在の 解脱的統一としての 時間性].ちなみに,この Heidegger の時間概念は,おそらく 新約聖書の Ἀποκάλυψις[啓示]の 1 章 8 節:
Ἐγώ εἰμι τὸ Ἄλφα καὶ τὸ Ω, ἡ ἀρχὴ καὶ τὸ τέλος, λέγει κύριος ὁ θεός, ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος, ὁ παντοκράτωρ.
我れ — אֶהְיֶה — は 存在する : Alpha かつ Omega, 源初かつ終末 — と 主なる神は 言う — 現在 存在し,かつ,源初に存在し,かつ,終末に到来する者,全能なる者.
に もとづいている と思われる.なお,אֶהְיֶה は,旧約聖書の出エジプト記 3,14 において 神の名を問うモーセに答えて 神が言う אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה[我れは「我れは存在する」である]にもとづいて,YHWH の代わりに用いられる神の名のひとつと見なされている.新約聖書において
Jesus Christus が「わたしは…である」(ἐγώ εἰμι…) と言うとき,彼は 暗に「わたしは אֶהְיֶה である」と言っている,と解釈されている.
§ 5.
否定存在論的孔穴のトポロジーと四つの言説
そして,Lacan は,その時間論を,四つの言説 (les quatre
discours) — 支配者の言説 (le discours du maître), 大学の言説 (le discours de l'université), ヒステリカの言説 (le discours de l'hystérique), 分析家の言説 (le discours de l'analyste) — の図式を以て 形式化している:
この投射平面のトポロジーを より扱いやすいしかたで 図式化するのが,1964年の Séminaire
XI『精神分析の四つの基礎概念』において導入される この二重円の図である:
穴開き球面は,投射平面をユークリッド空間のなかで存立させている存在事象の領域であるので,存立性
(la consistance) と呼ばれる;他方,メビウスの帯は,ユークリッド空間に対して 外へはみ出している領域であるので,解脱実存性
(l’ex-sistence) と呼ばれる.
まず,存在事象 — la
consistance の領域(青)— は,一般的に言って,滅び得るものであり,すなわち「書かれることをやめる」(ce
qui cesse de s’écrire) ものである;そのことが「可能」(le possible) を定義する.
次いで,l’ex-sistence
の 領域(赤)は,ユークリッド空間の外へ はみだしていることにおいて,そのなかで「書かれないことをやめない」もの (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) である;そのことが「不可能」(l’impossible) を定義する.
しかし,偶然に このことが成起することがある:「書かれないことをやめない」もの(不可能)が,「書かれないことをやめる」もの (ce qui cesse de ne pas s’écrire) —「偶然」(le
contingent) — となることを経て,「書かれることをやめない」もの (ce
qui ne cesse pas de s’écrire) —「必然」(le nécessaire) — となる(それは,あとで詳述するように,大学の言説から分析家の言説への構造転換において 成起することである).
「書かれることをやめない」こと(必然)— それは「反復」(répétition, Wiederholung)
である;そして,それは,穴について証しするものとして,穴のエッジ(緑)に 位置づけられる.
反復との関連において ここで 注をさしはさむと,昨今,皆さんもどこかで見かけたことがあるだろう
PTSD (post-traumatic stress disorder) と呼ばれる精神病理が 初めて 精神病理学の注目を集めたのは,第一次世界大戦の帰還兵たちにおいて観察された病理現象 — それは 当時 Kriegsneurose[戦争神経症]と呼ばれていた — として であった.彼らは,互いに殺し合うことを余儀なくされる戦場で,恐怖に満ちた死の危険を まぢかに経験する;そして,戦場から離れたあとも,その恐ろしい場面を 悪夢として 繰り返し 経験し続ける.Freud は,その事態を「反復強迫」(Wiederholungszwang)
と名づける.死の穴としての否定存在論的孔穴との遭遇は,そのような外傷的
(traumatisch) な経験である;そして,それとの相関において,穴のエッジには,強迫的に反復されるもの(たとえば 悪夢)が 増殖する.USA において,PTSD は,ヴェトナム戦争の帰還兵たちにおいてしばしば見出される病理として,改めて 注目を集めた.日本において 現在 臨床的に 最も頻繁に観察されるのは,性的暴力の被害者における
PTSD である;反復強迫の現象は 俗に flashback と呼ばれている.
以上のような tétradique な 否定存在論的トポロジー(否定存在論的孔穴のトポロジー)に準拠することによって,我々は,あの
triade — Lacan を読む者にとって いつまでたっても わかったようで よくわからない あの triade — le
symbolique[徴示性],l’imaginaire[仮象性],le
réel[実在性]— をも よりよく理解することができるようになる.
まず,l’imaginaire
は「書かれることをやめる」存在事象(青)である;次いで,le
symbolique は 否定存在論的孔穴を塞ぐものの領域(黄)に位置づけられるものである;そして,Lacan
による le réel の定義は 実は 二重である:ひとつには,それは「書かれないことをやめない」もの(不可能:赤)であり,そして,もうひとつには,それは「書かれることをやめない」もの(必然:緑)である.
したがって,le symbolique, l’imaginaire,
le réel の triade は,le réel の二重化(不可能と必然)のゆえに,実は tétrade である.
さて,四つの言説と 否定存在論のトポロジーとの対応は,二重円の図によって,こう図式化される:
次いで,形而上学的位相に相当するのは,大学の言説
(le discours de l’université) である.そこにおいては,否定存在論的孔穴は 支配者徴示素 (le
signifiant maître) S1 によって 塞がれている.つまり,支配者徴示素
S1 は,穴塞ぎとして機能する 一連のイデア的形象 — それは Platon の ἰδέα に始まる — の形式化である.そして,穴を塞ぐ S1 によって,主体 $
は,書かれないことをやめないもの(不可能)の在所へ「源初排斥」(Urverdrängung)
される.
支配者の言説 および そこから 大学の言説への移行は,Freud
が Totem
und Tabu (1913) において提示している 原始部族に関する
Urvater[源初的父]の仮説において,神話的に 描かれている.Freud は,オィディプス複合と近親相姦禁止の成立を説明するために,こう想像する:源初において,原始部族では,ひとりの
Urvater が 独裁者として君臨していた;彼は,彼自身の部族の女たちを すべて 性的に所有していた(彼女たちのなかには 彼自身の娘たちも含まれているわけだが,Urvater
にとっては 近親相関のタブーは まだ存在していなかった);それに対して,成人した息子たちは,部族から追い出され,女を所有することはできず,性的な満足を得ることができなかった;そこで,彼らは 共謀して 父を殺した;そして,彼の力を自分たちのものにすることによって みづから支配者となるために,彼の肉を食べた(取り込み
[ Einverleibung, incorporation ] による同一化).しかし,彼らは,父殺しの罪意識のゆえに,父の所有物であった女たち(彼女たちは 彼らの母 または 姉妹である)に手をつけることができなかった.
源初における Urvater の独裁体制は,支配者の言説に対応する(そこにおいて
Urvater は 左上の座[支配者の座,存立性の座:青]に位置づけられた
S1 である).しかし,そこにおいて 否定存在論的孔穴に位置づけられているは 抹消された主体 $ である;そして,主体 $ は 欲望である —
Hegel が 弁証法の動きの出発点において Selbstbewußtsein[自己意識]を Begierde[欲望]と定義しているように —;それゆえ,支配者の言説においては,欲望の穴の口は開いたままであり,それは 何によっても 満たされ得ない.つまり,すべての女を独占している
Urvater の満足は,エデンの園における Adam と Eva のカップルの満足と同様に,まさに 神話的なものである;それが神話化しているのは,まったく逆の 源初における欲望不満足(désir insatisfait : 不満足な欲望)である;源初に見出されるのは,深淵的な穴 — 如何なるものによっても満たされることのない欲望の穴 — である.
ついで,父殺しによって成立する事態は,大学の言説に対応する.そこにおいて,全能なる支配者 — 権力においても 性的にも 全能である支配者 — であった Urvater
S1 は,死して,イデア化され,否定存在論的孔穴を塞ぐものの座(黄)に就く.息子たち
S2 は,取り込みによって
Urvater S1 と同一化し,みづから 支配者の座(Urvater
の座であった 左上の座:青)に就く.源初欲望 (Urbegierde) としての主体 $
は,l’ex-sistence の在所(赤)へ 源初排斥される.そして,欲望の客体
a が 穴のエッジ(緑)で métonymique に 増殖する.
Freud の 第 2 トピック[場所論]は,この大学の言説の構造のなかに 位置づけられる:
§
6. ファロス
Φ と 実存的性別
「男である」ことの規定性との関連において,ここで le phallus symbolique Φ を導入し,そして あの Lacan の sensational な命題「性関係は無い」(il n’y a pas de rapport
sexuel) を説明しよう.
Freud が「去勢複合」について語り,Lacan が「去勢」を phallus の欠如の穴 ( − φ ) [ le moins phi ] として形式化したことにより,phallus は 精神分析のなかで 中心的な位置を占めるに至った;だが,それに対しては 注釈を付さねばならない:精神分析における中心的なものは,わたしが 再三 強調しているように,否定存在論的孔穴である;その穴を,我々は,無の穴(存在欠如の穴),死の穴,そして 罪の穴として,経験する.
しかるに,もし Freud が 否定存在論的孔穴を「去勢の穴」— すなわち phallus の欠如の穴 ( − φ ) — として発見したとすれば,それは このことによるだろう : phallus symbolique Φ は,Sokrates
と Platon が ἰδέα を措定するよりも もっと前から,穴塞ぎと見なされてきた — 古代ギリシャの Dionysus 崇拝の熱狂的な祭典 (τὰ ὄργια) における「ファロス行列」(τὰ φαλληφόρια または τὰ φαλλαγώγια) が示唆しているように.
その場合,phallus は 無の穴を塞ぐ「豊饒」(fertilité) の象徴であり,死の穴を塞ぐ「生命力」(vitalité) の象徴であり,罪の穴を塞ぐ「悦」(jouissance) の象徴である.アゴラのかたすみで Sokrates が誰かと交わす対話を注意深く聞く機会を持つことができなかったであろう民衆にとっては,目に見えない ἰδέα よりも,むしろ,祝祭的に勃起した phallus こそが,無と死と罪の不安に対する 最も
powerful な 護符であっただろう.
そのような 穴塞ぎの phallus
symbolique Φ があればこそ,否定存在論的孔穴は phallus の欠如の穴 ( − φ ) となる;つまり,否定存在論的孔穴は phallus symbolique Φ によって 塞がれ得る — あるいは,否定存在論的孔穴を塞ぎ得る phallus symbolique Φ が ある — という想定が,否定存在論的孔穴に phallus の欠如の穴 ( − φ ) — すなわち「去勢」の穴 — という意義を与える.
以上のような Freud の 発達段階論 — それは 一見 事実に適っているように見える — は,しかし,形而上学的な目的論 (téléologie) を包含している;それは この想定である:性本能は 生殖を目的としている.それが どれほど 事実から乖離した想定にすぎないかは,あらゆる種類の性倒錯(性犯罪や売買春も含む)が蔓延している日本社会を見れば,明白であろう.Lacan も Freud の発達段階論に対しては 早くから懐疑的であったはずである.実際,1953年の「ローマ講演」において,彼は « cette mythologie
de la maturation instinctuelle »[あの〈本能の成熟という〉神話]という表現を以て Freud の所説を批判している.そして,性本能の成熟段階としての「性器体制」(Genitalorganisation) という Freud の概念を 完全に否定するのが,1968-1969年の Séminaire XVI D'un Autre à l'autre において 初めて披露された この公式「性関係は無い」(il n’y a pas de rapport sexuel) である.その意義は 何か ?
それは,このことである:否定存在論的孔穴を塞ぎ得る 本当の phallus symbolique Φ は もはや 無い.それは,言い換えれば,このことである:否定存在論的孔穴を塞ぎ得るものとして措定された〈イデア化された〉性的全能者 Urvater S1 — 男の自我理想は 源初的には 彼に由来する — は,もはや 仮象 (semblant) にすぎない.
それは,我々が 今 ふりかえって見れば,当然のことである — ὄργια
において 崇拝された
phallus も,神話的な Urvater も,我々が 今 ふりかえって見れば,symbolique なものではなく,imaginaire なものにすぎない;それらだけでなく,Platon の ἰδέα に始まる 一連の形而上学的な穴塞ぎも.
Symbolique なものと思われていた phallus Φ および 男の自我理想は 今や 実は 仮象にすぎない — ということは,masculinité(男性性,男の gender identity)の規定性も,もはや 確固たるものではない,ということである.だが,そのことが明らかになった今,如何なる事態が 反動的に 生じているか ? それは,穴塞ぎの支配者徴示素 S1 としての男性性のイデオロギー化とパラノイア化である.その極端な一例を挙げるなら,USA で 何件か 起きた いわゆる incel (involuntary celibate)[不本意な独身者:恋人を欲しいと思っているのに,女性の誰からも相手にされない(と思い込んでいる)男]による 無差別殺傷事件は 男性性にかかわる「復権妄想」(délire de revendication) のカテゴリーに 位置づけられ得る.また,gender studies において
toxic masculinity と呼ばれているものも,「男である」ことが 如何に イデオロギー化され,パラノイア化され得るかを,示している.
では,「女である」ことは 如何に 規定され得るのか ? その問いに対しては Lacan は 1971年の Séminaire XVIII D'un discours qui ne serait pas du semblant において これもまた sensational な公式を 聴衆に披露している : La Femme n’existe pas[女は 存在しない].その命題に関しては,フランス語の定冠詞の機能を 若干 説明しなければならない:フランス語の定冠詞は,英語の定冠詞とは異なり,特定の対象を指す機能のみならず,集合名詞を形成する機能をも有している;すなわち,そこにおいて Lacan が la Femme と言うとき,それは「女 すべての 集合」の謂である(そのことを示唆するために,Lacan および lacaniens のテクストにおいては 大文字の F を以て Femme と表記される).すべての女たちから成る集合は 存在しない;なぜなら このゆえに:あらゆる女 x に関して「x は F である」と言うことを可能にする賓辞 F は 存在しない;なぜなら,女であることを規定する symbolique な自我理想は 存在しないから — 男に関しては(今や仮象的なものになったとはいえ)自我理想 Φ が措定され得るのとは異なり.
それゆえ,symbolique の次元においては,ある者 x について「x は 女性である」という肯定命題を措定することはできない;しかして,我々が言うことができるのは このことだけである:「x は 男性である」または「x は 男性ではない」.
では,我々が 日常的に ある者 x について「x
は 女性である」または「x は 女性的だ」と言うとき,その女性性を規定するのものは 何か ? それは,女性の imaginaire な理想自我 (Idealich, le moi idéal) との同一化である(まぎらわしい表現であるが,区別していただきたい:自我理想 [ Ichideal, l’idéal du moi ] が symbolique なものであるのに対して,理想自我 [ Idealich, le moi idéal ] は imaginaire なものである).女性性の理想自我との同一化は,基本的には,子ども時代における 母親(ないし その代理となる人物)との 同一化である;そして,それに加えて,そのときどきに流行している「女性らしさ」のイメージとの同一化である.
四つの言説を用いて 図式化してみよう:既に見たように,「男である」ことの規定性が 四つの言説のうち 大学の言説の構造のなかに位置づけられる — そこにおいては 否定存在論的孔穴を塞ぐものの座(黄)に 男の自我理想 Φ が 措定されている — のに対して,女性性の規定性は ヒステリカの言説の構造のなかに位置づけられる:
以上のような性別の規定性は,生物学的なもの (biological sex) でも 社会学的なもの (sociological gender) でもない — すなわち,第三の性別規定性である.それを わたしは「実存的性別」(existential sexuation) と呼ぶ(本当は「否定存在論的性別」と言いたいのだが,それが如何なるものであるのかを理解しようとする者は誰もいないであろうので,わたしは その名称を用いることを 控えている).
昨今 しばしば話題となる transgender において問題となる性別は,まさに その実存的性別である と わたしは考えている.ある者において,男の自我理想との symbolique な同一化が成立していれば,その者の生物学的な性別 — それは 原則的には 性染色体によって 規定される — が雌雄のどちらであろうと,その者は 実存的に 男である.
しかし,そうでない場合は,我々は「その者は女である」と言うことはできず,しかして「その者は男ではない」と言うことができるだけである.そして,その「男ではない」者において,女性の理想自我との imaginaire な同一化が ある程度(その程度に関する規定は 時代や場所によって さまざまである)成立していれば,その者は,その生物学的性別にかかわらず,「女性である」または「女性的である」と見なされることになる.また,女性の理想自我との同一化が曖昧にしか成立していない場合には,その者は gender questioning または
non-binary gender と見なされることになる.
§ 7. 大学の言説から分析家の言説への終末論的構造転換
話を元に戻そう.大学の言説の構造は,我々ひとりひとりの日常的な存在様態の構造である.Hegel は それを Entfremdung[異化,異状,疎外,aliénation]と呼び,Heidegger は それを Verfallenheit[頽落]と呼ぶ.廣松渉の「四肢的存在構造」も,この大学の言説の構造に相当する.そこにおいては,主体 $ は,源初における その本来的な座(否定存在論的孔穴)を 支配者徴示素 S1 によって 奪われている;支配者徴示素 S1 は,否定存在論的孔穴を塞ぐものの座(黄)に就くことによって,主体 $ に 取って代わり (Entfremdung), その中心的な座を占め,そして,主体 $ を 源初排斥する — 解脱実存性
(l’ex-sistence) の座(赤)へ,つまり,書かれないことをやめないもの(不可能)の座へ.そして,我々の日常的な自我 S2(青)は,我々が「普通」の人間としてふるまう限りにおいて,支配者が 我々に a
priori に押しつけてくる規範 S1 を取り込み,それに同一化している.それが,Heidegger の言う das Man[普通人]の形成である.Das Man[普通人]とは,言うなれば,「世間の同調圧力」に屈し,「空気を読め」という命令に服従している者である.
しかし,今や,存在の歴史の終末論的位相において,大学の言説の構造における否定存在論的孔穴の閉塞は,もはや 形而上学的位相におけるようには 維持され得ない.否定存在論的孔穴は,開出してこようとする;そして,それによって,源初論的位相における開口を回復しようとする — ただし,単純に逆戻りするのではなく,しかして,弁証法的な前進によって.その動きを形式化するのが,大学の言説から 分析家の言説への 終末論的 構造転換である:
支配者徴示素 S1 の その変化にともなって,主体(存在)の穴 $ は,「書かれないことをやめない」もの(不可能)の座(右下:赤)から「書かれることをやめない」もの(必然)の座(右上:緑)へ 開出してくる.その〈存在の穴の〉終末論的開出こそが,現象学において かかわっていることである —
Heidegger が Sein und Zeit において 現象学を こう定義しているように : ἀποφαίνεσθαι τὰ φαινόμενα — すなわち,「自身を示現するものを,それがみづから自身を示現するがままに,それ自身から,見せること」—;それは,すなわち,終末論的な 啓示 (ἀποκάλυψις,
Offenbarung, révélation) にほかならない.
なぜ
その終末論的構造転換は 成起するのか ? それは,人間の意志によるものではない;なぜなら このゆえに:人間は,耐え難い不安を惹起する〈存在の穴の〉開出に対して 抵抗しようとし,それを防御しようとし,そして,それによって 大学の言説のなかにとどまろうとするだけである.それゆえ,我々は こう言うしかない:終末論的構造転換の成起は 存在の歴史の必然である;言い換えれば,それは,人間の意志によるものではなく,しかして,存在そのものの意志によるものである.Freud は その ἀνάγκη を Todestrieb[死の本能]と呼んだ — 否定存在論的孔穴は「死の穴」として開出してくるがゆえに.だが,我々は こう言うこともできる:その成起は 神の意志によるものである;すなわち 神秘である.
まとめると こうである:支配者の言説から出発して,大学の言説を経て,分析家の言説へ至る 過程 — それは 弁証法的な存在の歴史の形式化である — において,主体 $ の穴は,源初論的位相においては an sich[自然的]なものであった;次いで,形而上学的位相の開始において,穴を塞ぐものの座(黄)に 支配者徴示素
S1 が措定されることによって,主体 $ は,「書かれないことをやめない」もの(不可能)の在所(赤)へ 排斥され,それと同時に,S1 によって代理される (Entfremdung, aliénation) ; そして,それによって,自身の本来性を失い,頽落の状態に堕する;しかし,最後に,終末論的な構造転換において,支配者徴示素 S1 の〈不可能の在所(赤)への〉閉出により,主体 $ は「書かれることをやめない」(必然的な)エッジ(緑)を有する穴として,開出してくる — an und für sich[自然的かつ自覚的]な様態において.
終末論的構造(分析家の言説の構造)において,書かれることをやめない(必然的な)もの(緑)となった 主体 $ は,書かれないことをやめない(不可能な)もの(赤)となった 支配者徴示素
S1 の 代理となる.それは,主体 $ が 神の意志を 神に代わって 世において実行する者(それが すなわち 聖人である)となったことを 形式化している.
ところで,先に,わたしは,Lacan が 精神分析家と聖人とを等価なものと見なしていることに,言及した.では,何において両者は等価であるのか ? それは,このことに存している:自身の Dasein[現場存在]を,否定存在論的孔穴 $ の終末論的開出の成起 (Ereignis) および 書かれないことをやめないものとなった神 S1 の保匿
(Bergen) のために,捧げること — みづから 自有 (Ereignis) と成るために.
聖人は,自身の信仰生活をとおして — 祈りによって,神秘経験によって,殉教によって — 否定存在論的孔穴の開出を 証しする.分析家 (analyste) の場合は,自有に到達するためには,みづから 分析者(analysant :
精神分析の患者)として 精神分析を その終結に至るまで 経験しとおす必要がある(いわゆる教育分析).そして,分析家が自有となっていることが必要であるのは,このためである:分析者における 不安に満ちた〈否定存在論的孔穴の〉開出を,分析家において「書かれることをやめない」ものとなった 主体 $ の穴によって,支えること — 分析者が大学の言説へ退行しないように.
今日の話の冒頭において わたしは このことに言及した : Freud は 精神分析の終結の問題について 十分に思考し得なかった.実際,彼は,その問題について,悲観的に こう考えていた:精神分析は,最終的に,去勢に対する抵抗(男における männlicher Protest[男性的抗議]および 女性における Penisneid[ペニス妬み])という克服し得ない障害物に突き当たったときに,行き詰まりに陥ることを以て,終わる.
そのような Freud の見解は,彼が「去勢とは何か?」について適切に問うことも思考することもできなかったことを 示唆している.すなわち,彼は,否定存在論によって精神分析を純粋に基礎づけるという発想を欠いていたがゆえに(それは しかたのないことである : 1927年から 1939年までの間に
Freud が Sein und Zeit を読んだ形跡はない — ドイツ語圏の哲学界で それが すぐさま 非常に大きな反響を呼び起こしたとはいえ),去勢を〈あるべきである — あるいは あるべきはずであった — phallus の欠如 と〉捉え,そして,それがゆえに,去勢の穴を〈しかるべき phallus によって閉塞され得るもの と〉見なし続けた;つまり,彼は〈去勢の穴が 源初論的な 還元不可能な かつ 閉塞不可能な 穴であることに〉気づき得なかった;そして,それがゆえに,否定存在論的孔穴の開出に対する抵抗を 当然のものと見なした;つまり,彼は こう考えることが できなかった:我々は,否定存在論的孔穴の開出に対する抵抗をやめて,不安の彼方において,穴の開出に対して従順であることができ,かつ,そうであるしかない;そして,そこにこそ 精神分析の終結は存する.つまり,精神分析は,自有の道 — そのひとつの道であって,唯一の道ではないが — であり得る.
ところで,今までの話によって,皆さんは,自有
(Ereignis) は 存在の歴史の終りにおいてしか実現しないことである と 思ったかもしれない;そして,大学の言説から分析家の言説への終末論的構造転換は 分析の終結においてしか起こらないことである という印象を受けたかもしれない.確かに,Heidegger は,今 我々が置かれている 存在の歴史の現状を Ge-stell[総召集体制]と名づけ,それは 最終的な Ereignis の直前の状態である,と論じた.だが,終末論的構造転換における 否定存在論的孔穴の開出は,実は,いつでも 誰にでも 起こり得る — 不意に,まったく予期し得ぬしかたで —;なぜなら,終末論的瞬間は 物理学的な時間軸のうえには位置づけられ得ないから.
先ほど わたしは,Lacan との分析の最中にあった Gérard Haddad における 信仰の目覚めのエピソードに 言及した.彼は,敬虔なユダヤ人の両親のもとに生まれたが,共産党員であり,唯物主義者かつ無神論者であった;彼は,あるとき,彼自身の息子の bar mitzvah の儀式を行うか否かに関して,彼の父親と 電話で 激しく口論した;しかし,荒々しく会話を切った直後,不意に「わたしが わたしの息子の bar mitzvah を祝おう」という気持ちになった.そのとき,何が起きたのか ? 大学の言説から分析家の言説への終末論的構造転換である:すなわち,否定存在論的孔穴を塞いでいた支配者徴示素 S1(父の名)は 不可能の座へ 閉出され,そして,主体 $ が 必然の座へ 開出してきた;そして,その必然の座に開出した主体 $ は 不可能の座に閉出された神の意志 S1 の代理となった.それをきっかけに,彼は 信仰へ目覚めた.それは 一種の神秘経験である.しかし,それを以て 彼は 分析を終えたわけではなく,しかして,それは 分析の経過の最中に起きた ひとつのエピソードである.
同様に,終末論的構造転換の成起を,Descartes
も Pascal も,証ししている.通常,哲学史上 — Heidegger も含めて — Descartes は « cogito ergo sum » を以て 初めて 超越論的自我 — それは 大学の言説における S1
である — を措定したと 評価ないし批判されている.しかし,Lacan は « cogito ergo sum » の ユニークな解釈を 提示している:
また,Pascal は,1654年11月23日から24日にかけての 深夜 — 当時 彼は 31歳であった —,一種の神秘経験に襲われる;そして,それにもとづいて,現在 Mémorial de Pascal[パスカルの覚え書き]と呼ばれている 短いテクストを 一枚の紙に 書き留める.その夜は,テクストの最初の語「火」にもとづいて,「火の夜」(la nuit de feu) と呼ばれている.邦訳を 如何に提示する(括弧内の聖書引用箇所の表示は わたしによる付加):
火
哲学者と神学者の神ではなく,アブラハムの神,イサークの神,ヤコブの神[を わたしは信ずる].確かだ,確かだ,感ずる,喜び,平安.Jésus‑Christ の 神.わたしの神 すなわち あなたたちの神[のもとへ,わたしは昇って行く](Jn 20,17).あなたの神は わたしの神です (Rt 1,16).世を忘れ,すべてを忘れる — 神をのぞいて.福音のなかで教えられている道によってしか 神は見出されない.人間の魂は偉大.正義なる父よ,世は あなたを識らなかったが,わたしは あなたを識った (Jn 17,25).喜び,喜び,喜び,泣くほどに 喜び.わたしは 神から離れていた.命の水の源である わたしを,彼らは棄てた (Jr 2,13).わが神よ,あなたは わたしを見棄てますか?わたしが 永遠に 神から離れていることが ありませんように!これこそ 永遠の命である:すなわち,彼らは識る — 唯一の真なる神である あなた と,あなたが使わした者 Jésus‑Christ とを (Jn 17,03).Jésus‑Christ.Jésus‑Christ.わたしは 彼から 離れていた.見棄てられ,十字架に架けられた彼から,わたしは逃げていた.わたしが 決して 彼から離れていることが ないように.福音のなかで教えられている道によってしか 彼を保ち続けることはできない.全的な 甘美な 放棄[自我と世を放棄すること].わが導き手である Jésus‑Christ への 全的な服従.永遠に喜びのうちに — 地上における信仰実践の一日のゆえに.わたしは あなたのことばを 忘れない (Ps 119,16). Amen.
以上のように,終末論的構造転換は,存在の歴史のどの時点においても,分析の過程のどの時点においても,ひとりの Dasein において,不意に 起こり得る.歴史上,その最初の成起ではないかもしれないが,最も大きな歴史的転換点を成す成起は,勿論,Jesus Christus の 死と復活である.そして,その後,多くの殉教者たちと神秘経験者たちと信仰者たちが 存在の穴の成起を 証しし続ける.
§ 8. 穴の開出の彼方 — 昇華
今まで,否定存在論的孔穴を「無の穴,死の穴,罪の穴」として提示してきた.その開出の不安に耐えるということは,〈我々自身が 無から創造され,無へ帰る者であり,死すべき者であり,罪人であることを〉認めることである — 如何に それが認めがたいことであろうとも(特に non-Christians にとっては「原罪」(peccatum originale) は まったくのナンセンスであろう).だが,無と死と罪が 終末論の最後の語ではない.では,その彼方に 何があるか ?
今しがた引用した Pascal は 何について語っているか ? 喜びである;とても大きな喜びである.では,それは 何に動機づけられているか ? 無の彼方の 有(自有),死の彼方の 生(永遠のいのちへの復活),罪の彼方の 義(罪の赦し)である;ひとことで言えば,救済である.
その可能性を,神は あらゆる人間に 与える — しかも 無償で — なぜなら,神自身が 神の息子 Jesus Christus を 贖いのいけにえとして 神自身に献げたから.そのキリスト教の根本的教義は,Jesus Christus による〈救済論の〉コペルニクス的転回に もとづいている:彼以前のユダヤ教においては こう考えられていた:ある者が救済されるとすれば,それは,その者が神の律法を遵守したからである;それに対して,Jesus は こう教えた:人間が何もしなくても,神は あらゆる人間を 救済する — わたし(神の息子 Jesus Christus)が 贖いのいけにえとして 父なる神に 献げられるから —;そして,それが 神の意志である.
ところで,Pascal の喜びと同様の喜びが 精神分析の臨床においても 成起し得る.先ほども名を挙げた Gérard Haddad に関して,このような逸話が伝えられている:
Lacan の 分析者[Lacan に分析を受けている者]ふたりは,知りあいであった.彼らのうち 一方が,5, rue de Lille[Lacan の面接室の所在地]に最も近いビストロで 自分の面接の時間を待っていた.そのとき,彼は 他方 (Gérard Haddad) がやって来るのを 見た.彼の打ちのめされたような顔つきから判断して,彼は[Lacan との]苛酷な面接から出てきたばかりのはずであった.一方は 愛想よく 他方に 席を勧め,「ぐあいはどうだ?」と 心配して 彼に尋ねた.すると,他方は,ガックリきていることを 吐露し始めた.そのとき,他方に この考えが 浮かんだ:「戻らねばならない」— つまり,分析に.彼は,そう言うや,実行した.先にビストロにいた者は,そこにとどまった.まもなく 彼は 他方が戻ってるのを 見た — 気分が完全に逆転して — 大きな微笑みを唇に浮かべて.その突然の劇的な変化は,勿論,一方の好奇心をそそった.いったい 何が起きたのか ? そう問うことを 他方は 一方に求めているようにしか 見えなかったので,一方は 他方に すぐさま問うた:
— で,きみは 彼 (Lacan) に 何と言ったのだ?—「わたしはダメになったような感じがします」(j’ai le sentiment d’être foutu) と言った.— なるほど;で,彼は きみに 何と答えたのだ?— 彼は わたしに こう言った:「いや,あなたは[実際に,本当に]ダメになっている」(Mais vous êtes foutu).
無と死と罪の深淵の縁にまで来ていた Haddad は,深刻な欝状態において,「自分はダメになった」と感じていた.そして,「そのとおり」と認める Lacan のひとことは,彼を さらに ひと押しする — 口をひらいた穴の方へ,そして,その彼方へ —;そのとき,突如,劇的な転換が生ずる:無と死と罪の苦悩は,ひとつの歓喜に 変化する.
わたしが 数年前に見た夢のことも お話ししよう.「わたしは ひとりで ビル街を歩いている.すると,不意に,わたしの懐から 血まみれの赤ん坊が 出てくる.わたしは,彼を服のなかへ押し戻そうとする — 彼を隠すために —;だが,そうすることができない」.夢のなかで わたしは〈その赤ん坊は死んでいる と〉思っていた.わたしが彼を殺したのだろうか ?
ともあれ,それは,罪意識の不安に満ちた悪夢であった.しかし,数週間後,再び不意に この解釈が わたしに与えられる:わたしは あの赤ん坊を 生んだのだ — というのも,「懐」を言うフランス語単語 sein は,「乳房」でもあるが,「胎」でもあるのだから.そして,わたしに この確信が与えられる:生まれたのは,おさな子
Jesus であり,また,わたし自身でもある : « Amen,
amen, わたし (Jesus) は あなたに 言う:改めて生まれるのでなければ,誰も 天の王国を見ることはできない » (Jn 3,03). かくして,その悪夢は 喜びの夢に 変わる.
そのような喜びは,精神分析の臨床においては「昇華の悦」(jouissance sublimatoire) と呼ばれ得る.Lacan は,1959-1960年の Séminaire VII『精神分析の倫理』以来,昇華に関して 問い続ける — 特に,精神分析の終結の問題との関連において.Freud が「死の本能」と呼んだ ひとつの必然にしたがって,精神分析の過程は,終末論的な否定存在論的孔穴の開出 — 死の穴の開出 — に至る;しかし,そのとき,死の本能は 生物学的な意味での死を以て 満足を見ることはできない;もし仮に そうであるならば,精神分析の過程は 自殺による死を以て 終わることになってしまうだろう.しかし,そうではない.では,そのとき 死の本能は 如何なる運命を — ごまかしではない運命を — たどることができるのか ? それが,Freud が「昇華」(Sublimierung) と呼んだ Triebschicksal[本能の運命 — Freud が 一連の Metapsychologie の論文のひとつの表題において 用いた表現]である.昇華においては,本能は,本来の目標 — 死の本能の場合 それは 死である — に到達することなく,満足を — ごまかしではない満足を — 達成する.では,それは如何なるものであり得るか ?
それが,Lacan が措定した問いである.
1959-1960年の『精神分析の倫理』以来,昇華について Lacan が 問うとき,彼の手がかりとなり続けるのは,中世における amour courtois[宮廷愛]の伝統である.そこにおいては,騎士が 高貴な婦人 — たいていは 彼が仕える王の妻 — を 愛する — ただし,性関係は無しに —;そして,騎士は,彼の彼女に対する愛にもとづいて,詩作する.つまり,宮廷愛は,本能の芸術的-創造的な昇華の一例である.そして,彼は,1972-1973年の Séminaire XX Encore において,昇華に関して この命題を 我々に与える:
宮廷愛は,とても洗練された〈「性関係は無い」を 代補 (suppléance) する〉しかたである.
そして,最晩年の Séminaires において,彼は,この「性関係は無い」の穴の代補のトポロジックな形式化を試みる.その成果を,我々は,1977-1978年の Séminaire XXV『結論するとき』の 最後の三つの講義において 見ることができる.そこにおいて 彼は何をしているか ? このことである:彼は,一本の帯に半ひねりを 三回 加えることによって得られる メビウスの帯(我々が 通常 見かける メビウスの帯は,一本の帯に 反ひねりを 一回だけ 加えることによって 得られるものである)の エッジを 切り出す;そして,それが 三葉結び (nœud de trèfle, trefoil
knot) を成していることを,我々に示す.
エッジは 三葉結びを成している
ただし,その際,Lacan は,彼が何のために そのようなトポロジックな操作を行って見せているのか,また,その精神分析における意義は何に存するのかを,我々に まったく説明していない.
だが,かかわっているのがメビウスの帯とそのエッジであることが,我々に このことを示唆している:彼は,1961-1962年の Séminaire IX『同一化』において導入した投射平面を構成するメビウスの帯を,半ひねりを三回ほどこされたものに 置き換えた;そして,その場合,終末論的構造転換において開出してくる否定存在論的孔穴のエッジ $ は,単純な輪を成すのではなく,しかして,三葉結びを成すことになる ということを 我々に示した.
では,精神分析における その意義は 何か? それは このことである:その三葉結びこそが〈否定存在論的孔穴の開出の彼方 — すなわち「性関係は無い」の穴の代補 — すなわち 昇華の悦 — を形式化する〉トポロジーである.
以上のように,Lacan は,主体 $ の終末論的開出 — すなわち 自有 — を,単に穴の成起として捉えるだけでなく,しかして,結び目の成起 — 結び目のうちでも最も単純な三葉結びの成起 — として捉える — それを以て 昇華の悦を形式化するために.
では,Heidegger は どうか ?
我々は,Heidegger における 結び目のようなものを,彼が 戦後 論ずるようになる 謎めいた
Geviert に見出すことができるだろう.その語は,ラテン語の動詞 quadrare(四角にする,正方形を作る,[正方形をひとつの完全な図形と見なすことから]完全にする,調和的な全体を形成する)をドイツ語に翻訳するために用いられた 動詞
vieren の 過去分詞 geviert に由来する;名詞 Geviert は ラテン語の名詞 quadratus[四角形]に相当する(ただし,ドイツ語で「四角形」を言うために 通常 用いられる語は Geviert ではなく Viereck である).また,ドイツ語の接頭辞 ge- は,集合名詞を形成する機能や,「ともに属すること,ともに接合されてあること,共同性」の意味を付加する機能を有している.したがって,Heidegger が「地と天,神的なものと死すべきもの」(Erde und Himmel, die Göttlichen und die Sterblichen)
の 四項から成る
Geviert について語るとき,そこには,それら四者が成す平和的な共同性 — いわば 四位一体 — が 考えられている と思われる.そして,Geviert が 昇華と何らかの関連性を有していると思われるのは,Heidegger が 芸術的創造としての Ding[物]について こう言っているからである:
Dingend verweilt das Ding die einigen Vier, Erde und Himmel, die Göttlichen und die Sterblichen, in der Einfalt ihres aus sich her einigen Gevierts.
物在しつつ,物は,統一的な四者 — 地と天,神的なものと死すべきもの — を,それらの〈おのづと統一的な〉Geviert の一様において,滞在させる.
天と地は,神が 無からの創造において 最初に創造したものであり,そして,死すべき者たち(人間)は 神が最後に創造したものである.我々は,Heidegger が Geviert と呼ぶものに,神と創造界と人間との和解のようなものを感じ取ることができるだろう.そして,それが,最終的な Ereignis において 実現されるのであろう.それが,おそらく,Heidegger の終末論であろう.
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