2019年11月3日

フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (2)



2019-2020 年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール


フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (2)


日時 : 2019年11月08日(金曜日)19:30 - 21:00
場所:文京区民センター 2 階 C 会議室

参加費無料.事前登録不要.


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11月08日は,否定存在論的トポロジーと四つの言説に関する説明を補足した後,Freud が『夢解釈』の第 II 章で論じている「イルマの注射」の夢を再解釈して行きます.それは,Freud 自身が見た夢であり,『夢解釈』のなかで最初に詳細に分析されている夢です.そこから出発して,Freud は「夢は願望の成就である」[ der Traum ist eine Wunscherfüllung ] という公式を導き出します.

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イルマの注射の夢(『夢解釈』第 II 章 より)

予備的な情報

1895年の夏[つまり,Freud が『夢解釈』を書いている時点(1899年)の4年前]に,わたし [ Freud ] は,若い婦人 [ Irma ] を精神分析的に治療した.彼女は,わたしとわたしの家族にとって,とても近しい交友関係にある人だった.そのように医師患者関係と一般的な社交の関係が混ざり合った場合,その事態は,治療者 — 特に,精神療法家 — にとっては,多様な感情を惹起する元[もと]になり得る,ということは,誰にでも理解可能だろう.医師自身の治療的関心はより大きくなるが,彼の医師としての権威はより小さくなる.治療に失敗すれば,患者の家族や親族との長年にわたる親交を疎遠なものにしてしまうことになりかねない.精神分析治療は,部分的な成功を以て終わった.患者は,ヒステリー的な不安を感じなくはなったが,彼女の身体的な症状がすべてなくなったわけではなかった.当時,わたしは,ヒステリーの病歴に最終的に決着がついたということを表す指標に関して,まだあまり確信がなかったので,患者に,ある解決策 [ Lösung ] を取るよう,求めていた.しかし,それは,彼女にとっては,受け容れ難いと思われることだった.彼女がわたしの提案を受け容れないという不一致の状況において,我々は,夏のヴァカンスのゆえに,治療を中断した.ヴァカンスの滞在先で,ある日,年下の同僚 [ Otto ] — 彼は,わたしの親友でもある — が,わたしを訪ねてきた.彼は,わたしの患者 — Irma — と彼女の家族を,彼れらのヴァカンス滞在先に訪ねてきたところだった.わたしは彼に,彼女はどんな様子だったかを問い,この答えを得た:以前よりは良いが,完全に良いわけではない.友人 Otto の言葉 — ないし,それが述べられた調子 — に,わたしは怒りを覚えた,ということを,わたしは自覚している.つまり,わたしは,彼の言葉からひとつの非難が聴き取れる,と思った — たとえば,わたしは患者に[必ず治ると言って]多くを約束しすぎた,というような非難.そして,どうやらわたしのみかたになっていないらしい Otto の態度を,患者の家族 — 彼れらは,わたしの治療を好意的には見ていない,とわたしは推察していた — からの影響のせいにした — その推測が正しいか否かは不明であるが.ともあれ,そのとき,わたしは,わたしの苦痛な感覚を明確には感じ取ってはおらず,それをそのものとして表現することはなかった.その晩のうちに,わたしは,Irma の病歴報告を書きあげた — それを,いわばわたしを正当化する目的で,Dr M[Joseph Breuer :『ヒステリー研究』の共著者]— 彼は,Otto とわたしの共通の友人であり,当時,我々の仲間内で主導的な立場の人物だった — に提出するために.その夜(むしろ,翌日の朝方),わたしは,次の夢を見た.わたしは,それを,覚醒後すぐに書きとめた.

1895年07月23-24日に見た夢

広い広間.多くの客を,我々は迎えている.そのなかに,Irma がいる.わたしは,彼女を,すぐさま脇へ連れて行く — いわば,彼女の手紙に答えるために,つまり,彼女がわたしの「解決策」(Lösung) をまだ受け容れないことを非難するために.わたしは彼女に言う:「あなたがまだ疼痛を有しているなら,それは,まったく,ひたすら,あなた自身のせいだ[es ist wirklich nur deine Schuld : あなたの責任だ,あなたに罪がある]」.彼女は答える:「わたしが今,喉や胃[上腹部]や下腹部にどんな疼痛を有しているかを,知っていただけたら... それは,わたしを締めつけます」.わたしは驚いて,彼女を見やる.彼女は,青白く,むくんでいるように見える.わたしは考える:結局,わたしは,やはり,何か器質的なものを見逃していたのだ.わたしは,彼女を,窓のところへ連れて行き,咽頭を視診する.その際,彼女は,若干,抵抗のしぐさを見せる — 義歯を装着している婦人のように.そんな必要はないのに,とわたしは考える.次いで,口は大きく開く.右に,大きな白い斑が見える.ほかには,奇妙な〈皺のよった〉造形 — それは,明らかに,鼻甲介を模して形づくられている — のところに,灰白色の痂皮が広がっているのが,見える.わたしは,急いで,Dr M を呼び寄せる.彼は,改めて診察し,所見を確認する.Dr M は,普段とはまったく異なる外見をしている.彼は,青白く,跛行しており,顎にヒゲがない.今や,わたしの友人 Otto も,彼女のかたわらに立っている.友人 Leopold は,彼女[の胸部]を,胴着のうえから打診して,言う:彼女は,左下部に濁音を有している.そして,彼は,彼女の左肩の皮膚部分の浸潤を指さす(それを,わたしは,彼女が着衣のままであるにもかかわらず,彼と同じく,感じ取っている).M は言う:疑いなく感染症だが,何でもない;さらに赤痢が合併してきて,毒素は排出されるだろう.我々は,また,感染が何に起因しているのかを,直接に知っている.友人 Otto が,最近,彼女の気分が悪いときに,彼女に Propyl 製剤を注射したのだ — Propylen, Propionsäure[プロピオン酸],Trimethylamin(その化学式を,わたしは,太字で印刷された形において,眼前に見る).そのような注射は,そのように軽率にするものではない.おそらく,注射器も清潔ではなかったのだろう.
 


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今年度の日程については,東京ラカン塾の web site を参照してください.

小笠原 晋也

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