2019年11月25日

フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (4)

La gravure de Gustave Doré pour les vers 1-3 du Chant XXXI du Paradis de la Divine comédie de Dante (1861-1868) : « En forme donc de rose blanche m'apparaissait la sainte milice que le Christ épousa dans son sang ».
Dante Alighieri の『神曲』の『天国』の 第 31 歌 の 1-3 行のために Gustave Doré が制作した版画 (1861-1868) :「そのとき,白い薔薇の形を成して,聖なる軍団 — 彼れらを キリストは 彼の血において 彼の妻とした — が,わたし[と Beatrice]の眼前に,現れてきた」.



2019-2020 年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール



フロィトへの回帰 と オィディプスの彼方 (4)


日時 : 2019 年 11 月 29 日(金)19:30 - 21:00
場所:文京区民センター 2 階 C 会議室
参加費無料,事前申込不要

今回は,まず,Freud が Irma の注射の夢 の分析から引き出した命題 :「夢は 願望成就である」(der Traum ist eine Wunscherfüllung) の意義を再検討します.次いで,『夢解釈』第 IV 章(ドイツ語原文,英訳,邦訳のテクストを link 先から download することができます)で論ぜられている「願望が成就されない夢」のひとつ — smoked salmon の夢 — を取り上げます.その夢に,Lacan は,『治療の指針 と その力の原理[ La direction de la cure et les principes de son pouvoir ] (Ecrits, pp.585-645) のなかで 注目しています — hysterica における欲望不満足 (le désir insatisfait de l'hystérique) について論ずるために.それゆえ,その夢は,ラカン派分析家たちの間では有名な夢の一例です.

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Irma の注射の夢の最後に出現してくる trimethylamine の化学式の意義について

Freud が『夢解釈』の本論 — 第 I 章は先行研究の紹介と検討に当てられていおり,本論は第 II 章から始まる — の冒頭において提示した Irma の注射の夢 は,ある意味で,精神分析の alpha かつ omega です.その夢の中心 — それを Freud は「夢の臍」[ der Nabel der Traums ] と呼んでいます — を成すのは,大きく開かれた口の穴のイメージです.

その穴は,神による「無からの創造」(creatio ex nihilo)ἀρχή[源初]を成す穴 — そこから出発して創造が始まるところの無の穴 — です.その「無の穴」は,聖書 (Gen 01,02) においては「深淵」(תְּהוֹם [ tehom ], ἄβυσσος) と呼ばれています.それは,また,源初的な χάος [ chaos ] でもあり
ます  « χάος » ,「混沌」だけではなく,「口を開いた深淵」でもあります.

以上の意味において,大きく開いた Irma の口の穴は,精神分析の alpha です.

我々は,ἀρχή[源初]という語から,archéologique[源初論的]という形容詞を作ることができます.« archéologie » は,辞書においては「考古学」ですが,我々にとっては,それは「源初論」です.そこから出発して創造が始まるところの「無の穴」— 否定存在論的孔穴 — は,源初論的孔穴 [ le trou archéologique ] でもあります.それは,存在事象が位置づけられる時空間に対して「外」であり,解脱実存的 (ex-sistent) です.

« archéologique »[源初論的]の反意語は,« eschatologique »[終末論的]です.否定存在論的孔穴は,終末論的孔穴でもあります.

源初論的孔穴 — それが Platon の言う ἰδέα によって塞がれることによって,Heidegger の「存在の歴史」における「形而上学の歴史」の相 [ phase ] が始まります  は,今や,終末論的孔穴(それは,死の穴です)として,まさに来たらんとしている:源初論的なものの 終末論的なものとしての 到来の切迫 — それが,Heidegger の時間論です.

Irma の注射の夢において,大きく開いた口の穴として描かれている否定存在論的孔穴 — それは,源初論的孔穴としては「無の穴」であり,終末論的孔穴としては「死の穴」です.さらに,否定存在論的孔穴は「罪の穴」でもあります.

そのことは,実は,Irma の口のなかに見出される鼻甲介状の造形 — それは,しかも,膿の痂皮によって覆われています — によって示唆されています.というのも,明らかに,この「鼻甲介」は,Freud の当時の「親友」である耳鼻科医 Wilhelm Fließ (1858-1928) による Emma Eckstein (1865-1924) に対する医療過誤を表しているからです.

Wilhelm Fließ は,Berlin 在住の耳鼻咽喉科医でした.鼻粘膜と性機能との間に関連性があるという学説(今から見れば,まったく空想的ないし妄想的な説)を発表し,鼻粘膜に局所的にコカインを塗布したり,外科的処置を施すことによって,ヒステリー症状を治療し得る,と主張していました

Freud は,1887年に初めて Fließ に出会い,彼の nasale Reflexneurose[鼻反射神経症]説を信じ込んでしまいます.そのことは,Freud にとって Fließ が一種の催眠術的効果を有したことを,示唆しています.


無意識の発見と精神分析の創始の道を歩みつつあった Freud は,孤独でした.Josef Breuer (1842-1925) という有力な先輩医師の庇護を得ることはでき,『ヒステリー研究』(1895) は 彼との共著として出版できましたが,Freud にとって Breuer だけでは 十分に安心できなかったようです.そのような状況において,Freud は,Fließ に大きな「心の支え」を見出します.

Fließ の「鼻反射神経症」説を無批判的に信じ込んだ Freud は,ときおり Fließ を Berlin から Wien に招き,Freud 自身や 彼の患者の 耳鼻科的な処置を,Fließ に任せます.

Freud が hysterica として精神分析治療していた Emma Eckstein に対しても,Freud は Fließ に耳鼻科的治療をしてもらいます.

Freud が Irma という仮名で呼んでいる患者(その伝記的な事実については 何もわかっていないようです)と Emma とは,比較的若いこと,身体症状を伴う hysterica であること,Freud と家族ぐるみの社交的関係を有していること,など,少なからぬ共通点を有しています.Irma と Emma は同一人物ではなかろうか?と疑いたくなります.しかし,「Irma の姓 と Ananas[パイナップル]という単語は,語音のうえで非常に良く似ている」と Freud は言っているので,残念ながら,Irma の姓が Eckstein であるとは,まず考えられません(Ananas と類似の語音を有する ユダヤ人の姓としては,Ananias, Anania, Hananiah, Hanani などが挙げられるでしょう;ただし,Emma の母親の旧姓[不明]が Ananas と類似の語である可能性は排除しきれません;また,Freud は, Irma は「若い未亡人」である 言っており,それに対して,Emma は結婚歴がありませんが,「若い未亡人」は camouflage である可能性も排除しきれません).

Emma Eckstein は,1892年から Freud のところで治療を受け始めています.そして,1895年 2 月(Freud が Irma の注射の夢を見る 5ヶ月ほど前),Fließ から,鼻甲介の一部の切除を含む鼻腔内の手術を受けます.

Fließ は,ほかの患者たちに対しては,鼻粘膜に対して局所的な処置を施すにとどまっていましたが,何を思ったのか,Emma に対しては,かなり大がかりな外科手術を行います.そして,Fließ は,Emma の鼻腔内ないし副鼻腔内に置いた止血用のガーゼを手術終了時に取り去ることを,忘れてしまいます.手術後 数週間たって,患部が化膿したため,Emma は Wien 在住の或る耳鼻科医の診察を受けます.その医師は,Emma の鼻からガーゼを除去しますが,その際,大出血が起こります(Freud は,Emma の大出血の現場を目撃しています).そのような大出血が起きたのは,Fließ が除去し忘れたガーゼのせいで Emma の鼻腔内には細菌感染が起こり,鼻中隔の一部が壊死していたためです.Emma は,出血性ショックによる死を かろうじて免れます.しかし,彼女の顔面には変形が残ってしまいます.医療過誤を犯したのは Fließ ですが,Fließ による手術を Emma に勧めたのは Freud ですから,Freud 自身,重大な責任を感じないではいられなかったはずです.

以上の事実は,Irma の注射の夢の解釈が展開されている『夢解釈』第 II 章では,まったく触れられていません.が,Freud と Fließ との文通(そのうち,Freud が書いたものは,廃棄や破壊を免れて,1954年に不完全な形で,次いで,1986年に完全な形で,出版されました)によって,事件の全容は周知のものとなっています.

Fließ による Emma に対する重大な医療過誤事件によって,Freud の Fließ に対する催眠術的な信頼は,即座に解消されたわけではありません(Fließ が「Freud は,わたしの学説を剽窃した者たちに加担した」と妄想的に確信して Freud を非難したことによって,両者の関係が最終的に破綻するのは,1906年のこと)が,大きく揺らいだことは確かです.

Irma の注射の夢に,その信頼の揺らぎは,大きく関与していたはずです.というのも,Irma の口が大きく開き,恐ろしい否定存在論的孔穴 — 無の穴,死の穴,罪の穴 — が Freud の眼前に出現した ということは,まさに,Fließ の〈支配者徴示素 S1 としての〉穴塞ぎの機能が不全に陥った ということを示唆しているからです.



S1 による穴塞ぎが無効になって,口を開いた否定存在論的孔穴を前にして 不安に襲われた Freud は,穴塞ぎとして機能し得るかもしれない者たち — 先輩医師 M (Josef Breuer) および 同僚医師 Otto と Leopold — を動員しますが,しかし,彼らは頼りになりません.

そして,最後に,忽然と,trimethylamine の化学式が,太字で印刷された形において,現出してきます.



はたして,その機能は何なのか? Gérard Haddad は,彼の著書 Lacan et le judaïsme (1981) において,ヘブライ語とヘブライ文字にもとづく独創的な解釈を提示しています.彼は,trimethylamine の化学式を こう表記します:



そのとき,ヘブライ文字を知っている者に見えてくるのは,ש です.



その文字は,ヘブライ語とユダヤ教の伝統のなかでは,HaShem[名,すなわち,神の名]や El Shaddai[全能の神]を表し得ます.

すなわち,夢の最後に,神の名が,否定存在論的孔穴を支えるエッジとして — 穴を塞ぐものとしてではなく ,現出してきます(冒頭に掲げた Gustave Doré の版画を参照).その支えのおかげで,Freud は,Irma の注射の夢を 悪夢のような不安夢として経験せずに 済んでいる,と 我々は推察することができます.しかも,Freud が Irma の注射の夢を 非常に重要な(「夢の神秘」を啓かしてくれた)夢と見なしているということは,Freud は この夢において 昇華の悦を得ることができた,ということを示唆しています.



つまり,神の名 ש がエッジとして否定存在論的孔穴の開口を支えてくれたことによって,異状から分離へ(大学の言説から分析家の言説へ)の 構造転換が生じ得たのです.そして,それによって,否定存在論的孔穴は,終末論的孔穴として,現出してきます.それゆえ,Irma の注射の夢は,精神分析の omega でもある,と言うことができます.

我々は,Freud 自身による解釈を超えて,Irma の注射の夢に,以上のように,否定存在論的孔穴の現象学を読み取ることができます.

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smoked salmon の夢(『夢解釈』第 IV 章 より)

神経症者を精神分析で治療するとき,夢は,かならず 話題になる.その際,わたし [ Freud ] は,患者に,心理学的な説明 — その助けによって,わたし自身が,患者の症状の理解へ至り得たところの説明 — をすべて与える.だが,そうすると,患者から 容赦のない批判を 浴びせられることになる — そのように辛辣な批判は,同じ専門領域の医師たちからは予期し得ないほどである.まったく例外なく,患者たちの反論は,「夢はすべて願望成就である」という命題に対して 向けられる.わたしに対して反証として提起された夢の材料の例を,いくつか,以下に示す.

あなたは「夢は,成就された願望である」といつも言いますが — と,ある機知に富む女性患者 [ eine witzige Patientin ] は切り出す — では,ひとつの夢のことをお話ししましょう.その夢の内容は,まったく逆に,わたしにとって ある願望が成就されない,という方向へ至ります.そのことを,あなたは,あなたの理論と どう一致させるのですか?その夢は,次のようです:

わたしは,晩餐会をしようと思うが,手元には 若干の smoked salmon 以外に 何もない.そこで,買い物に行こうと思うが,しかし,今は日曜日の午後 — 店はすべて閉まっている — であることを,思い出す.そこで,配達業者に電話しようと思うが,電話はつながらない.かくして,わたしは,晩餐会をする願望を 断念せねばならない.

[自由連想 と]分析

患者の夫は,実直で有能な食肉卸売業者である.

数日前,夫は「太りすぎたから,体脂肪を落とす治療を始めようと思う」と わたし[患者]に 宣言しました.朝 早く起きて,運動をして,厳しいダイエットをして,そして,何よりも,晩餐会への招待をもう受けないでおこう,と言うのです.

彼女は,夫について,さらに,笑いながら 語る:

彼は,[酒場で]常連たちと飲んでいる席で,ひとりの画家と知りあいになりました.その人は,是非,彼の肖像を描きたい,なぜなら,これほど印象的な頭部は今まで見たことがないから,と言うのです.しかし,夫は,ぶしつけに こう答えたそうです:ありがたいことだが,しかし,絶対,あなたも,若くて美しい娘の尻の方が,わたしの顔なんかより,好きでしょう.

[彼女は,さらに語り続ける:]

わたしは,夫のことをとても愛しており,彼とふざけあいます.また,わたしは,彼に請います,わたしに caviar をくれないように,と.

それは,いったい,どういうことなのか?

わたしは,以前から,こう願っていました,毎朝,caviar を載せたパンを食べることができるようになりたい,と.しかし,caviar を載せたパンを与えられることを,自身に許しません.勿論,夫に請えば,わたしは,彼から,すぐに,caviar を得ることができるでしょう.しかし,わたしは,逆に,わたしに caviar をくれないよう,請うています — それによって,今後もずっと 彼をからかうことができるように.

この理由づけは本当のものではないだろう,と わたしには思えた.そのような不十分な回答の背後には,それと認められていない動機が隠れているものである.Hippolyte Bernheim のところで見た催眠術の被験者たちのことが思い出される — 彼れらは,催眠状態の最中に与えられたある課題を 催眠状態から醒めた後に 遂行するのだが,なぜそうしたのか と質問されると,「なぜそうしたのか,自分でもわかりません」とは答えず,しかして,かならず,明らかに不十分な理由づけをでっちあげる.わたしの患者の caviar に関しても,事態は同様だろう.彼女は,実生活において,成就されない願望を自身のために作り上げる必要があるのだ,と わたしは気づく.彼女の夢は,願望拒否 [ Wunschverweigerung ] を,実現されたものとして,彼女に示している.だが,いったい,何のために,彼女は 成就されない願望 を必要としているのか?

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