2014年6月29日

宮刑と宦官

なぜ宮刑と宦官は日本で定着しなかったのか,なぜ宦官には phallus の喪失の代わりに権力が与えられるのか,という御質問をいただきました.歴史の分野には全く不案内ですが,わたしなりに考えてみました.

とりあえずアイヌ民族や沖縄の人々の歴史のなかでそのような風習や制度があったのかどうかについては全く無知ですので,ここでは触れません.

恐らく,日本では第一次産業として牧畜が主流ではなかったことと,仏教が支配者の宗教であったことが因子として挙げられると思います.

割礼も性器切断も,宗教的な意味がありました.そのような徴を体に刻んだものは,神聖なものとして神に捧げられたものです.家畜を犠牲に献げたのと同じ意義です.

たとえ刑罰として身体に刺青を入れたり性器切断をほどこす場合でも,そのような徴を刻まれたものは,一般社会から排除されることにおいて,忌み嫌われると同時に神聖になります.

ともあれ,動物を犠牲として神に捧げるという宗教的習慣は,日本では主流ではありませんでした.そして,仏教が支配的となると,仏教では神を崇めませんし,仏陀は動物の犠牲を要求しませんから, そのような祭儀は皇室や朝廷内では全く行われなかったでしょう.

宮刑が定着しなかった理由も,その文脈で考えられると思います.

宦官は神聖なものとして神に仕えていたと思います.そこから宮廷内にも取り入れられたのでしょう.始めから後宮で使う目的では必ずしもなかったのではないでしょうか.神聖なものであったので,権力も与えられます.

江戸時代の大奥では,管理能力のある優秀な女性がいたので,宦官のようなものは必要なかったでしょう.

以上は全くの推測です.この問題について専門的な研究があれば,お教えいただけると幸いです.

2014年6月28日

ラカンの性別の公式についての若干の考察

昨日公開した Une petite réflexion sur les formules de sexuation de Lacan の日本語版:

ラカンの性別の公式についての若干の考察

を公開しました.ラカンの性別の公式は,形式論理学の論理式の体裁をとっていますが,一見したところ矛盾した式で,わけのわからないしろものにみえます.しかし,ラカンはそれらを単にふざけて持ち出したわけではありません.

東京都議会での性差別的不規則発言を機に,ラカンが男女をその性別において如何に規定しているか,そして,精神分析の臨床において男女の性別は如何なる意義を有しているのかについて考察してみました.

2014年6月27日

Une petite réflexion sur les formules de sexuation de Lacan

J'ai publié dans le site de l'Ecole lacanienne de Tokyo un nouveau article :

Une petite réflexion sur les formules de sexuation de Lacan.

Lacan nous présente ces formules de sexuation dans son écrit L'étourdit et dans son Séminaire Encore. Elles sont écrites avec des symboles de la logique formelle qu'on ne peut pas reproduire sur la présente page du blog. Donc allez lire mon article. Je pense avoir réussi à déchiffrer un petit peu ces formules d'une apparence contradictoire et énigmatique.
 


 

2014年6月25日

男女の性別の構造論的基礎について

今回の都議会における性差別発言に対して,『男女の性別の構造論的基礎について』と題した小論を書きました:

http://www.lacantokyo.org/harcelement_sexuel_japonais.pdf

東京ラカン塾の site からも download できます.


2014年6月19日

三位一体の普遍性

『ラカンの「科学と真理」における三位一体と Filioque について』
http://www.lacantokyo.org/trinite_japonaise_20140619.pdf
でははっきり書かないままになっていて,今急に頭に浮かんできたことを付け加えると,三位一体はキリスト教だけの特殊事情ではありません.神の現象学を内 包するあらゆる宗教,つまり,人間にとって神と認識し得る神がかかわる宗教すべてにおいて,三位一体は明示的ないし暗示的に作用しています.たとえばイス ラム教においては,それ自体としては隠れている神が,預言者マホメットに語りかけ,その言葉がコラーンとして書きとめられました.隠れている神は,キリス ト教の父なる神であり,コラーンは受肉した御言葉イェスに相当します.聖なる霊気(聖霊)は,コラーンが神の御言葉であることの保証とは言わずとも,その 可能性の条件です.ほかのあらゆる宗教において,同様のことが当てはまります.

ゴブラン織りの三位一体

ラカンが『科学と真理』において言及している三位一体の図柄のゴブラン織りタピストリーです:


父と子と聖なる霊気とが,全く同一の形姿で描かれています.比較的若い男性ですから,イェスを表していると見て良いでしょう.
三位一体を三つの全く同一の形象として描いている図は,ほかにもあります.
ラカンは,このように三つの同一の人物像で描かれた三位一体は無気味だと言っています.同一人物がふたりいても無気味ですが,三人なら無気味さも倍加されます.

三位一体と Filioque

Twitter で自由連想的に話していると,話題は神のことになって行きます.

今年は6月8日が Pentecôte, 聖霊降臨の主日であったのに続いて,先日の日曜日,6月15日は,三位一体の主日でした.

いったい,聖霊やら三位一体やらが,無意識の主体,精神分析の主体と何のかかわりがあるのか?

しかしラカンは,精神分析家は神学を勉強すべきだ,と言っています.特に,彼れの『科学と真理』には神学への言及が多く見られます.特にそこでラカンは,三位一体と Filioque の問題に触れています.

この機会に,『ハイデガーとラカン』においてはまだ立ち入ってコメントしていない『科学と真理』を部分的に詳しく読んでみました:

『ラカンの「科学と真理」における三位一体と Filioque について』
http://www.lacantokyo.org/trinite_japonaise_20140619.pdf


2014年6月13日

2014年6月10日

ハィデガーとラカン日本語版公開,Heidegger avec Lacan version 20140609 公開

論文『ハィデガーとラカン』の日本語版を,まだ序のみですが,公開しました.東京ラカン塾の site から download 可能です.フランス語版にも若干の修正と付加を行いました.
J'ai publié une nouvelle version 20140609 de HEIDEGGER AVEC LACAN dans le site de l'Ecole lacanienne de Tokyo. J'y ai fait quelques corrections et rajouts.

2014年6月8日

東京ラカン塾 web site の開設

東京ラカン塾 L'Ecole lacanienne de Tokyo の web site を開設しました:

http://www.lacantokyo.org

そこに論文 Heidegger avec Lacan フランス語版を発表しました.日本語版は準備中です.

おわび


  このたび東京ラカン塾を設立するにあたり,200212月の事件の際に,多方面,特に,当時「おがさわらクリニック」に通院中であった方々に,多大な御迷惑をおかけいたしましたことにつきまして,関係各位の皆様に深くおわび申し上げます.どうか御容赦ください.

  被害者遺族の方には別の機会に既におわびしております.プライバシーにかかわることには,ここでは立ち入らないことを御承知ください.

  わたしの心中行為は欝状態のさなかに起きたことでありながら,裁判では精神鑑定は行われませんでしたが,最終的な判決においては裁判官にそれなりに事情を斟酌していただきました.

  事件に関して,いまだに Internet 上に情報が残っておりますが,それらが含む不正確な記述について一々訂正することはいたしません.

  Paris で自分の精神分析を受け直して戻ってきた今,新たな気持ちで再出発します.

  精神分析は,わたしの lifework です.精神分析に関心を有する方々のお役に立つことができますよう,今後も尽力してまいります.

  よろしくお願い申し上げます.

  2014年6月4日
  小笠原晋也