2018年7月17日

κάθαρσις (Katharsis, catharsis) について


Jean Racine (1639-1699) の最初の撰集 (1675) の扉絵として用いられた版画.Charles Le Brun の下絵にもとづいて Sébastien Leclerc が作成.玉座に座るのは,9人のミューズのうち,悲劇を司る Μελπομένη (Melpomène). 画面下部には,互いに殺し合う兄弟たち(Θηβαΐς [ La Thébaïde ] における Ἐτεοκλῆς [ Étéocle ] と Πολυνείκης [ Polynice ] とは限らない).その隣には,彼らの姉妹か恋人らしい若い女が,放心状態で座っている.Melpomène の向かって左側の putto は恐怖 (φόβος) におののき,右側の putto は憐れみ (ἔλεος) のゆえに涙をぬぐっている


先週金曜日(13日)の東京ラカン塾夏期特別講義において,『ヒステリー研究』(1895) の時代に Freud が用いていた kathartische Methode[カタルシス療法]に関する質問が為されました.回答を補足します.

ギリシャ語 κάθαρσις は,「清め,浄化」です.関連する形容詞 καθαρός は「清い」です.

Aristoteles は,『詩学』第 VI 章において,悲劇を定義しつつ,こう述べています:
 
Ἔστιν οὖν τραγῳδία μίμησις πράξεως σπουδαίας καὶ τελείας μέγεθος ἐχούσης, ἡδυσμένῳ λόγῳ χωρὶς ἑκάστῳ τῶν εἰδῶν ἐν τοῖς μορίοις, δρώντων καὶ οὐ δι᾽ ἀπαγγελίας, δι᾽ ἐλέου καὶ φόβου περαίνουσα τὴν τῶν τοιούτων παθημάτων κάθαρσιν.
悲劇は,〈真摯であり,完遂されており,偉大さを有する〉行為 [ πρᾶξις ] の模倣 [ μίμησις ] である.その手段は,作品の諸部分すべてにおいて,行為者 [ δρῶν ] たちの形相 [ εἶδος ] の各々によって別々に発せられる〈ἡδονή[快]をもたらすように詩作された〉ことば [ λόγος ] であって,ひとりの語り手による語りではない.そして,悲劇は,憐れみ [ ἔλεος ] と恐怖 [ φόβος ] とによって,それら[憐れみと恐怖]のような情念 [ πάθημα ] の κάθαρσις[浄化]を為し遂げる.

κάθαρσις とは直接関係ありませんが,上の一節において,「行為の模倣」[ μίμησις πράξεως ] との関連において「行為者たちの形相(複数)」[ τὰ εἴδη δρώντων ](すなわち,劇の役者たち)という表現を読むなら,εἶδος という語 ‒ それは,形而上学的な文脈においては,ὕλη[materia, 質料]との対置において,forma[ἰδέα と同義の語としての形相]です ‒ を Aristoteles は日常的な意味(見かけ,外観)において用いていることに,我々は気がつきます.

ともあれ,上の一節を,我々はこう読むことができます:普段,我々の心には,さまざまな情念 [ πάθημα ] が鬱滞している.それらが鬱滞しているとすれば,それは,それらの情念が,秘匿されたまま (verborgen), 十分に等合的 (adäquat) な表現 ‒ signifiant métaphorique[メタフォリックな徴示素]‒ を得ることができていないからである.しかるに,例えば,肉親どうしが殺し合い,息子と母親とが近親相姦を犯すような悲劇 ‒ そこにおいては,我々自身が日常生活においてみづから経験し得ないような出来事が「模倣」的すなわち「虚構」的に演ぜられる ‒ を我々が観賞するとき,我々の心のうちに秘匿され,鬱滞していた情念は,虚構 (fiction) において,多かれ少なかれ等合的な表現 (signifiant métaphorique) を得る.そして,それによって「浄化」される.

『ヒステリー研究』の時代の Freud は,Hysterie 症状の原因を,心的な外傷をもたらした出来事に求めます.その際に生じた Affekt[感情,情動,情念]に対する多かれ少なかれ「等合的な反応」(adäquate Reaktion) が unterdrücken[この語こそ「抑圧」と訳すのが適当です]されると,Affekt は外傷的出来事の想起 (Erinnerung) に結び付けられたままとなります.そして,その耐え難い表象は,意識の場所から verdrängen[排斥]され,病因的 (pathogen) となります.

したがって,Hysterie の治療は,症状において固定化された Affekt の放出 (Entladung) を促すことに存します.entladen の代わりに,Freud は,abreagieren[固定化された Affekt が放出されるように反応する]とも言います.そのような治療を,Freud は,kathartische Methode[カタルシス療法]と呼びます.

精神分析においては,カタルシス療法の手段は,言語です.患者が自由連想によって語るなかで,症状に固定化された Affekt が,症状の徴示素よりもより等合的な徴示素によって代理されることができれば,つまり,症状よりもより等合的な métaphore を得ることができれば,Affekt はもはや症状に固着している必要はなくなり,Affekt 放出後,症状は消退することになります.

カタルシス療法の限界は,それによって,結局,新たな症状が作り出されるだけだ,ということです  いくら悲劇が次から次に創作され,上演されても,もはや悲劇は必要ないということにはならないのと同様に.

精神分析の終結に到達するためには,症状のメタフォリックな構造そのものが解体されねばなりません.そのためには,aliénation[異状]の構造としての大学の言説の構造から sublimation[昇華]の構造としての分析家の言説の構造への転回が必要となります.



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