2016年9月21日

精神分析の面接の料金について

先日,東京ラカン塾の website を改訂しました.この機会に,精神分析の面接の料金について説明しておきましょう.

Freud は,いわゆる開業医でした.自身の生計をたてるために,診療行為に対して患者から支払を受けました.そのことは,形の上では,あらゆる専門職に関して同様です.

自身の生計のために,弁護士は法律相談や弁護活動に対して,税理士は会計業務に対して,顧客から支払を受けます.精神分析家についても,形の上では同様です.

一般的に,或る専門職の者が自身の専門的な知識と経験にもとづいて行う業務には,それに固有な内在的な「価値」があり,それに見合う代価を顧客は支払う,と思念されています.精神分析家が行う精神分析の業務に関しても,確かに,事は同じであるように見えます.

しかし,精神分析に金を払うということには,ほかの専門職の業務に対する支払とは本質的に異なる必然的な理由があります.それは,このことです:


精神分析においては,「顧客」,すなわち精神分析の「患者」 – ラカン派精神分析においては analyste [分析家]との区別において analysant [分析者]と呼ばれる者 – は,精神分析の経過中,それまで悦してきたことを断念せざるを得なくなるよう,経済的な負化の状態を耐えねばならない.なぜなら,悦は,精神分析において解体されるべき症状の意味であるから.

たとえば,あなたは何か高価な物品の収集を「趣味」にしており,自身の収入のかなりの部分をそれに費やしている.そして,そのような「趣味」を続けるための出費のせいで,あなたは,より有意義であるかもしれない他の何かをすることができない.より悪い場合には,「趣味」は「浪費」を招き,そのせいで,あなたは,より開かれた可能性を生きることをまったく妨げられてしまう.

そのような「趣味」は,ひとつの症状です.(上の譬えは,Freud が「リビードの経済論」として論じていることにもとづいています.)

そのことに気づいて,あなたがその症状を何とかするために精神分析を試みる場合,精神分析家は,あなたにとって症状の継続が多少とも困難になる – ただちに全く不可能にはならないとしても – 程度の経済的負化をあなたが被るよう,精神分析の料金を設定します.

つまり,精神分析の料金は,精神分析家の専門的な業務に内在的な「価値」の関数というよりは,むしろ,あなたの症状に固有な悦の関数において,設定されます.

ですから,弁護士の相談料が 30分につき幾らと明示され得るのとは異なり,精神分析の料金は「一回の面接につき幾ら」というような形で予め表示することはできません.

一般的に言って,精神分析の面接は,有効であるためには,週に一回ではなく,複数回,数ヶ月間ではなく,幾年間かにわたり,継続される必要があります.

したがって,一回の面接の料金は,あなたが精神分析を,上に述べたような経済的負化に耐えつつ,週に複数回,幾年間かにわたって続けることが可能であるように,設定されます.

「週に複数回」と言いました.面接の頻度についてもここで触れておきましょう.面接の頻度は,日本で臨床心理士らが「カウンセリング」と称して行っているものにおいては,週に一回であることが一般的です.しかしそれは,そこにおいて何事も起こらないようにするための方便にすぎません.

精神分析は週に一回では無効だとは言いませんが,週に複数回の方がより有効です.精神分析では症状を解体することがかかわります.多かれ少なかれ強固な固着から成る症状に揺さぶりをかける作業は,週に一回の面接ではなかなかはかどりません.週に複数回の面接の方が望ましいのはそのためです.

ともあれ,精神分析の面接の頻度と料金は,最初の幾度かの面接においてあなたの症状を見究め,あなたの経済状態や日常生活を考慮したうえで,個別に設定することになります.

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