2016年4月21日

東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-2016年度 「文字の問い」 第18回,4月22日

La lettre en souffrance ou la métonymie du sujet



Écrits p.29 において Lacan は,Poe の物語:『盗まれた手紙』の原題 the purloined letter という表現を la lettre en souffrance [宛先人不明などの理由で配達不可能であるがゆえに処理が滞っている手紙]と訳すことを提案したのに続いて,こう言っています:

« Voici donc simple and odd, comme on nous l'annonce dès la première page, réduite à sa plus simple expression la singularité de la lettre, qui comme le titre l'indique, est le sujet véritable du conte : puisqu'elle peut subir un détour, c'est qu'elle a un trajet qui lui est propre. Trait où s'affirme ici son incidence de signifiant. Car nous avons appris à concevoir que le signifiant ne se maintient que dans un déplacement comparable à celui de nos bandes d'annonces lumineuses ou des mémoires rotatives de nos machines-à-penser-comme-les-hommes, ceci en raison de son fonctionnement alternant en son principe, lequel exige qu'il quitte sa place, quitte à y faire retour circulairement. C'est bien ce qui se passe dans l'automatisme de répétition. »
[かくして,文字の特異性 は,『盗まれた手紙』の最初のページで早くも告げられているように,simple and odd [単純にして奇妙]という最も簡潔な表現へ還元されており,文字 [ lettre ] こそは,The Purloined Letter という題名が示唆しているように,物語の本当の主体[主題]である.手紙[文字]は逸脱を被り得るのであるから,それは,文字[手紙]はそれ本来の経路を有している,ということである.その特徴において,ここで,文字の徴示素としての効果が確認される.そも,我々は,次のように思想することを学んだ:すなわち,徴示素は,転座[ずれ]においてしか維持されない – [文字が移動して行く]電光掲示板や,人間のように思考する機械の回転式記憶装置の場合と比較可能なように.それは, その原理において交代的な徴示素の機能様態のゆえにである.それは,徴示素はその座から離れる – そこへ循環的に回帰するとしても – ことを要請する.それは,まさに,反復自動において起こることである.]

Lacan は『盗まれた手紙』における odd という語を singulier と訳すことを提案しています.それをどう日本語に訳すかはさておき,それはここでは ex-sistent [解脱実存的]と同義です.問題の文字は,le lieu de l'Autre [他の場処]と名づけられることになる場所に対して,解脱実存的である:それが la singularité de la lettre です.détour という語の接頭辞 dé- も,ここでは文字の解脱実存性を指しています.また,「文字本来の経路」も,文字は解脱実存的在処に位置する,ということを指しています.

解脱実存的な文字こそが,本当の主体である,つまり,精神分析においてかかわる無意識の主体 [ le sujet de l'inconscient ] である – 冒頭,Écrits p.11 において「解脱実存の座に,無意識の主体を位置づけねばならない」と述べられているように.

問題の文字は,Lacan が Freud の用語を借りて scène primitive [ Urszene, 原光景,源初場面] と呼ぶ源初の状況 – 支配者 S1 たる王の登場の機に,女王の剰余悦 a たる手紙[文字]が大臣 D により持ち去られ,どこにも無いところ [ nullibiété ] へ隠されることになるとき – において成起する Urverdrängung [源初排斥]により定立される解脱実存的在処を標しています.

Das Urverdrängte [源初排斥されたもの] – ce qui n'est jamais venu au jour du symbolique [いまだかつて一度たりとも徴在の朗場へ来たらざりしもの] – としての問題の文字は,ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire [書かれぬことをやめぬもの]であり,つまり,「性関係は無い」限りにおける不可能な性関係の不可能な徴示素,phallus φ にほかなりません:


この不可能な徴示素 phallus φ が,la lettre en souffrance [配達不可能な手紙]の正体です.さらに,不可能な徴示素 phallus φ は,存在欠如 [ le manque-à-être ] としての主体の存在 [ être, Sein ] のことにほかなりません:


不可能な徴示素 phallus φ は,解脱実存的な在処としての被徴示の座に隠されたまま,徴示素の下をやむことなく横滑りして行きます (cf. Écrits, p.502 :  « un glissement incessant du signifié sous le signifiant » ). 同じ事態を Lacan は Écrits p.29 では「徴示素は,転座[ずれ]においてしか維持されない」という命題で表現しています.そして,不可能な徴示素 phallus φ は,その転座において消え去りつつも,常に同じ座へ – 解脱実存的な在処へ – 回帰してきます.それが反復です : le réel, c'est ce qui revient toujours à la même place [実在は,常に同じ座へ回帰する].

この déplacement [転座,ずれ]ないし glissement [横滑り]を,Lacan は métonymie と呼びます.

La lettre en souffrance [配達不可能な手紙]は,不可能な徴示素 phallus φ メトニュミアにほかなりません.


Le désir de l'Autre est la métonymie du manque-à-être du sujet [他の欲望は,主体の存在欠如のメトニュミアである] (cfÉcrits, p.623). この命題を形式化するのが,この学素です : Ⱥ ◊ φ


盗まれた手紙は,配達不可能な手紙です.しかしながら Lacan は,« une lettre arrive toujours à la destination » [手紙(文字)は,常に,宛先へ到着する] (Écrits, p.41) と言っています.いったい,如何なることでしょうか? 我々はそれを,Lacan のこの命題 (Écrits, p.388) との関連において思考することができるでしょう:

« ce qui n'est pas venu au jour du symbolique, apparaît dans le réel. »
[徴在の朗場へ来たらざりしものは,実在において現れる.]


東京ラカン塾精神分析セミネール 2015-2016年度「文字の問い」 第18回


日時 : 4月22日,19:30 - 21:00.
場所:文京シビックセンター 3 階 B 会議室.

Lacan の Le séminaire sur « La Lettre volée » の読解を継続します.

参加のために事前の申込や登録は必要ありません.テクストは各自持参してください.テクストの入手が困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください : ogswrs@gmail.com

なお,4月29日と 5月 6日は,連休期間中なので,休講します.5月13日に再開します.5月13日以降,場所は,文京区民センター 2 階 C 会議室へ変更されます.御留意ください.

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