2016年1月19日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,2015-2016年度第10回,01月22日.

嘘言者狂言と嘘言者逆説


2015年1月15日,我々の前回のセミネールにおいて,Freud の嘘言者狂言へ Lacan が言及している一節 (Écrits, p.20) を読みました.

嘘言者狂言とは,Freud が Der Witz und seine Beziehung zum Unbewußten [Witz – 機知,狂言,冗談,etc. – とその無意識への関繋]のなかで紹介しているユダヤ狂言のひとつです:

ふたりのユダヤ人,A と B が,ガリチア地方の或る駅の鉄道車両のなかで出会う.「おまえさん,どこへ行くんだね?」と A が訊ねる.「Krakau へ」と B は答える.「おい,おまえは何という嘘つきだ」と A は突如怒り出す.「Krakau へ行くと言っておいて,おまえは,おれが « B は Lemberg へ行く » と信ずるよう,欲している.しかし,おれは今や,おまえが本当に Krakau へ行くと知っている.さあ,何故おまえは嘘を言うんだ?

真理を言いつつ嘘言し,嘘を以て真理を言うという不条理に存するこの狂言においては,重大なことが問題となっている,と Freud は指摘します:それは,真理の条件にかかわる問いである.

この嘘言者狂言に Lacan が注目するのも,まさに,精神分析における主体の存在の真理の現象学的構造に関して問うためです.

1956年に書かれた Le séminaire sur « La Lettre volée » においては Lacan は,Heidegger の名をはっきりと挙げつつ,こう言っています:真理は,虚構 [ fiction ] の構造のなかに己れを隠す [ sich verbergen ] ことによって,最も真に己れを示す [ c’est à ce qu’elle se cache dans la structure de fiction que la vérité s’offre le plus vraiment ] (cf. Écrits, pp.17 et 21).

そこにおいて Lacan が「虚構の構造」と呼んでいるものは,signifiant[徴示素] S と signifié[被徴示] s との間の切れ目によって条件づけられる言語の構造



にほかなりません.なぜなら,言語の構造は,このことに存するからです:被徴示の座に己れを隠す主体の存在の真理を,徴示素の座に位置する仮象が代表する.

さて,Séminaire XI のなかで,1964年4月22日の講義においても Lacan は嘘言者狂言に言及していますが,それは,嘘言者にかかわるもうひとつの問題,すなわち,嘘言者逆説 : je mens [我れは嘘言する]をより詳しく論ずるなかにおいてです.

嘘言者逆説は,自己言及的 [ self-referential, autoréférentiel ] と呼ばれる一連の逆説のひとつです.Russell の逆説や,その通俗版の床屋の逆説も,そこに属しています.

それらの逆説の陥穽が示唆しているのは,何か?それは « la division de l’énoncé à l’énonciation » [表言に対する言表の分裂] (Séminaire XI, p.128, version Seuil) の構造である,と Lacan は説いています.

言表と表言との分裂の構造を言語の構造の学素


にならって形式化するなら:


また,言表と表言との分裂は,所言 [ dit ] と言 [ dire ] との分裂とも呼ばれ得ます:



「我れは嘘言する」という命題には,「我れは言う」が暗黙のうちに前提されています.すなわち,je dis que je mens, 我れは言う:「我れは嘘言者である」と.それを言語の構造の学素にしたがって形式化すると:


「我れは言う」 [ je dis ] は,真理の座に位置づけられます.言表と表言との分裂において,または,所言と言との分裂において,真理の座における「我れは言う」の「我れ」と,仮象の座における「我れは嘘言する」 [ je mens ] の「我れ」とは,同じひとつのものとは見なされ得ません.

而して,表言の「我れ」は,言表の「我れ」に対して ex-sistent [解脱実存的]です.なぜなら,真理の座は,主体の存在の真理の在処として,解脱実存としての実在の位 [ l’odre du réel en tant qu’ex-sistence ] であり,それに対して,仮象の座は,徴示素の場処として,定存としての影在の位 [ l’ordre de l’imaginaire en tant que consistance ] であるからです.加えて,真理の座と仮象の座との間の切れ目は,穴としての徴在の位 [ l’ordre du symbolique en tant que trou ] です.

言表に対する表言の解脱実存を規定する主体の存在の真理の現象学的構造を無視し,解脱実存的な表言の「我れ」に対する言表の「我れ」からの「自己言及」が成り立つという思い込みこそが,嘘言者逆説を生ぜしめます.

Russell の逆説の通俗版,床屋の逆説も見ておきましょう.それをこう提示してみましょう:

仮定せよ:自分で自身のヒゲを剃らない者すべて – かつ,そのような者のみ – のヒゲを剃る床屋がいる.さて,この床屋は,自分で自身のヒゲを剃るか,剃らないか?

其のヒゲをこの床屋が剃るところの者の集合を M とし,他方,自分で自身のヒゲを剃らない者の集合を N とします.

仮定により,M = N. 

さて,もしこの床屋 b が自分で自身のヒゲを剃るなら,


となり,これは M = N により矛盾です.

逆に,もしこの床屋 b が自分で自身のヒゲを剃らないなら,


となり,これも M = N により矛盾です.

自己言及を生ぜしめる落とし穴は,どこにあるか?それは,例えばこのように述べることができます:ふたつの集合 M と N の要素も,床屋自身も,すべて,ヒゲを剃る必要のある男である,という暗黙の前提.

より厳密に,「自分で自身のヒゲを剃らない男すべて – かつ,そのような男のみ – のヒゲを剃る床屋がいる」 と仮定し,次いで M を「其のヒゲをこの床屋が剃るところの男の集合」と定義し,また,N を「自分で自身のヒゲを剃らない男の集合」と定義しましょう.そして,この床屋は実は女性である,すなわち,男の集合に対して解脱実存的な者である,としましょう.そうすれば,この床屋が自分で自身のヒゲを剃る男であるか否かと問うことに存する自己言及は,そもそも成り立たなくなります.

以上のように,論理学において自己言及的逆説と呼ばれているものは,総じて,解脱実存 – 言表に対する表言の解脱実存,または,或る集合に対する或る要素の解脱実存 – の構造の無視によって生じています.

主体の存在の真理の現象学的構造としての解脱実存的構造と精神分析的去勢ならびにカント的定言命令との連関に関しては,既に述べたことがあります.ここでは再論しません.

最後に,嘘言者狂言に戻って,なぜ「どこへ行くのか?」と問うた者が「Krakau へ行く」という答えに激怒したのかを,改めて問うてみましょう.

先に答えを述べるなら,ひとくちで言うと,質問者が激怒したのは,回答者が下司 [ canaille, knave ] であるからです.

下司とは,不可能な「他の他」 [ Autre de l’Autre ] を代理する理想的で完璧な他 Autre として己れを提示し,それによって誰かを支配し,利用し,搾取しようとする者です.

Il n’y a pas d’Autre de l’Autre [他の他は無い].而して,不可能な「他の他」は,実在の位に解脱実存しています.

不可能な「他の他」を Ⱥutre と書きましょう.その学素は Ⱥ です.

下司性 [ canaillerie ] の構造は,かくして,このように形式化されます:


大学の言説における支配者の座に 
S2 が絶対知として己れを提示するとき,それは下司性の一形態となり得ます.

不可能な他 Ⱥ を代理する完全無欠な他 A として己れを提示すること,それは,解脱実存的な真理について真理をすべて言う者としてふるまうことです.「我れは常に真理を言う.ただし,すべてではない.真理をすべて言うことは,不可能である」と述べる Lacan とは逆に.

下司とは異なり,道化 [ fool ] は,真理を狂気によって言います.狂気は,真理に対する仮象の一形態です.道化性の構造は,かくして,こう形式化されます:



嘘言者狂言において,一方が「どこへ行くのか?」と問うたとき,他方は,Krakau へ行くという意図の真理をそのまま代表してはいない仮象的な解答:「Lemberg へ行く」を提示せず,而して,もろに「Krakau へ行く」と答えました.つまり彼は,真理について真理を言ったのです.真理を仮象によってではなく,真理そのものによって言う:それは下司の言説にほかなりません.かくして,質問者が回答者に対して激怒したのは全く正当な理由によってであったことが,わかります.

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」,2015-2016年度第10回

日時 : 2016年01月22日金曜日,19:30 - 21:00 ;

場所:文京シビックセンター(文京区役所の建物) 3 階 B 会議室.

引き続き,Lacan の「盗まれた手紙についてのセミネール」の読解を行います.

テクストは各自お持ちください.テクストの入手の困難なかたは,小笠原晋也 ogswrs@gmail.com へ御連絡ください.

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