2020年9月21日

武田康弘氏への答え


武田康弘氏への答え

小笠原 晋也


わたしの 2015年04月08日付の記事「ハィデガーと親鸞:或る浄土真宗僧侶の作り話しについて」— そこにおいて,わたしは,親鸞会が 親鸞思想の偉大さの証拠のひとつとして「ハィデガーは,晩年,親鸞に帰依した」と喧伝していることに対して,それが虚言であることを証明した — に対して,2020年09月07日,武田康弘氏が コメントを寄せてくださった:

ハイデガーは,1966年の「シュピーゲル対話」[1] で,自身の存在論の挫折を語り,哲学にはもはや何も期待できない と語りました。哲学のかわりは,科学やサイバネティクスだと述べていますから,その点からは,親鸞に傾倒したという話もありうるのではないか、と思います。われわれ人類は,いつか(何百年後?)現れる神のようなものを待つだけだ,と語るハイデガーは,自らの名において,デカルトに始まる近代西欧哲学(スコラ哲学の改革)の終焉を語ったと見るのが妥当だと思いますが,如何お考えでしょうか。


武田康弘氏は,白樺教育館の主宰であり,浄土真宗大谷派の信者である,と自己紹介していらっしゃる.

わたしは,「Spiegel-Gespräch を読み直したうえで 9月14日から Twitter でお答えしてゆきます」と 彼に回答した.しかし,彼は Twitter をあまり活用していないそうなので,この記事で回答してゆくことにしたい.

が,回答に入る前に,上に引用した質問とコメントに加えて,武田康弘氏は,わたしが09月14日に改めて Facebook に投稿した「ハィデガーと親鸞:或る浄土真宗僧侶の作り話について」に対して,いくつかの質問とコメントを追加してきた.それらを先に提示しておこう.

9月14日付:

わたしは,ハイデガー自身が語った大きな思想の転換についてお尋ねしようと思います.1966年に行われた「シュピーゲル対話」におけるハイデガーの哲学敗北宣言についてです.その中で,ハイデガーは,「われわれは不在の神の前で没落している」,「いつか現れる神のようなもを期待して待つことしかできない」,「哲学は無力だ」と述べ,「哲学のかわりは,サイバネティクスとなる.哲学は,個別諸科学へと解体する」.

シュピーゲルは,ハイデガーにさらに質問します :「あなたは 2 年ほど前に,ある仏教僧との対話のなかで『思惟の〈ある全く新しい〉方法』ということを言い,この新しい思惟の方法は『さしあたり,ただ少数の人間にとってだけ遂行可能』であると語りました」.それに対して,ハイデガーは,「ごく少数の人々が,その洞察をある程度まで言うことができるという全く根源的な意味において,洞察を『持つ』のです」と応えています. 

ここにある「仏教僧」とは誰をさすのかは 分かりません [2].独自の禅哲学の久松真一さんとの対話(久松信一全集に収録されている有名なもの)は 1958 年のものなので,彼でないことは 確かです.久松さんは,「覚」の立場で 絶対者と自己との同一を説き,キリスト教も浄土教も「間」をもつために,「覚」(真の自覚)にはない と批判します.

この流れで言えば,ハイデガーが 浄土真宗 = 親鸞 に接近した可能性は 思想次元においては 大いにありうること と思いますが,どうお考えでしょうか?

9月15日付:

なお,わたしの考えの最大のポイントは,「ハイデガーの思想の大転換」の問題です.ハイデガーの存在論の挫折は,皆が承知していますが,人間の意識・関心を超えて「存在とは何か」を問えると考えるのは,「神が世界を創造したという一神教的思い込み」が背後にない限り 不可能であり,『存在と時間』で宣言した存在そのものの記述は,はじめからありえぬ話で,敗北宣言は必然とわたしは見ています.それが,「シュピーゲル対話」で フィロソフィーと個別科学の次元の相違さえも分からなくなるまでに混乱し,無様な姿をさらすことになったのだと思います.結論を先取りして言えば,彼をもって 17世紀にデカルトに始まる近代西欧哲学(スコラ哲学の改革版)は幕を閉じた というのが,わたしの俯瞰です.なお,ハイデガーが ギリシャ哲学やソクラテス以前の自然学を持ちだして 西洋とし(ギリシャやその思想を西洋とすること自体が 歪んだ見方),その伝統云々というのは,極めて一面的な理解でしかないのですが,それはまた後で主題化しましょう.

9月17日付:

「武田康弘さんの思考は 認識論の次元にとどまっている」との小笠原晋也さんの批判について.ハイデガーも,師のフッサールにより 現象学(認識の原理論)を学び,それを 彼の存在論へと持ってゆきました.そもそも 純哲学的領域ともいうべき認識論を踏まえないのなら,存在論も まったく意味をなさない独断に陥りますから,「ハイデガーは 認識論を問題にしない」というのであれば,存在論は 根の張る場所を持ちません.小笠原さん,「ハイデガーは,現象学(認識の原理論)を踏まえないで = 問題にしないで,自身の存在論を書いている」と判断してよいのですね.

次に,ハイデガー存在論の「敗北」についてです.彼は,『存在と時間』の冒頭で,存在すべてについての記述を宣言し,まずは,人間存在(ハイデガーは「現存在」と造語)の分析と書きましたが,その後,肝心なはずの第二部(存在全般について)は書かず,書かない理由も書いていません [3].それは,ふつうの言語で言えば「敗北」です.「ハイデガーはそう思わない」と言っても,話になりません.言語は一般意味がベースですから,自分にしか通用しない言語では,言語の資格がありません(言わずもがなです).

それを,「存在開示」の哲学から,「ほかの思考 = 存在の穴(抹消された『存在』の歴史)を問う」と言ってみても,なぜ — どのような理由で — 変えたのか の説明すらないのは,あまりも不誠実ですし,そもそも「存在の穴」についても まったく分明にしていません.

彼の不誠実で自分勝手な論理と言動は,自らナチ党員となり,学生に向けて ナチに加盟するように ヒトラーばりの大演説をした(映像が残されていて,NHK でも放映)自身の言動についての反省や自己批判がないことで 証明済みですが,後期の彼が ヘルダーリンの詩に心酔して 詩を思索の代りにしたのには,呆れ果てます.明晰な言語で語ることができないまでに追い詰められても,それを認めない.形而上学を否定し,従来の西欧哲学(形而上学)は諸科学に分解されるというのは,そもそも「フィロソフィーとは何か」を明瞭につかんでいない証拠です.「知 + 恋愛の情」(philosophia) という意味でソクラテスが造語した地点に戻るべきだ,と わたしは確信しています.

「自然学」ではなく,「恋知」が誕生した意味を知れ!ですね.個別科学(学問)が 対象を狭く限定し 出来得る限り質的相違を数量化することによって得られる一定の「客観性」は,それゆえ,総合判断をすることはできず,理性(総合判断)のための手段に留まるのです.これは,初歩的な原理です.

9月18日付:

神学であれ,否定神学であれ,存在論であれ,否定存在論であれ,本質は同じで,「言語論理中心主義」で,赤裸々な人間存在を照射することは不可能です.人間の生きる意味,人間とはどのような存在かは,各自が一からつくる以外にはありません.個別科学ではないのですから,存在意味も存在価値も,各自が自由と責任により豊穣化させる以外はなく,積み上げはできません.
フッサールの「意識の志向性」(意識だけを取りだすことは不可能で,意識とは必ず何ものかについての意識である)という哲学革命に学んだサルトルの「現象学的存在論」(『存在と無』)は,各自の実存(赤裸々なその人の存在)とは,本質(予め定まった人間の定義)に先立ってあるという有名なテーゼ(「実存は本質に先立つ」)のとおり,一人ひとりの人間としての生を 正しく個人に返すものです.それは,思想 = 論理により解決できるレベルの問題ではありません.
[ハイデガーは]ヨーロッパ中心主義もいいところで,かつ,タレスもソクラテスもみな西洋という括りでは,欧米人の我田引水の見本です.現に,トルコとギリシャの古代エーゲ海文明は インドとの近親性をもち,紀元前 3 - 2 世紀には,仏教とギリシャの王たち(ポリスの王たち)と仏教徒たちとの哲学的対話が残されていますが,多くのギリシャ王は,仏教に帰依しています.だいたい,周辺革命はトインビーが言い出したもので,今では常識の部類です.同じ場所で漸次発展するものではないのです.また,古代インド(ブッダ以前)の思想の深さと豊かさは 驚くべきものです.いま 細論はできませんが. 
「終末論的な自有から出発して 存在の歴史を振りかえる」という思想は,完全に宗教であり,内在的に考えをつくり鍛えるというソクラテス出自のフィロソフィーとは無縁です. 
いま,目についた点について 少しだけ記しましたが,もう夜遅いのでこれくらいにします.小笠原さんの現象学理解は 大いに疑問で,書きたいことは山ほどありますが.


明らかに,武田康弘氏が立脚する公理系と わたしのそれとは,相互にまったく相異なる.わたしの観点から ひとくちで言えば,彼は「大学の言説」[ le discours de l'université ] にとどまっており,わたしは「分析家の言説」[ le discours de l'analyste ] から出発して思考している(Lacan の「四つの言説」に関する詳しい説明については,拙著『ハィデガーとラカン』を参照).

このような場合には,論点を限るしかないだろう.さもなくば,水かけ論 または argumentum ad hominem に陥るだけである(武田康弘氏は すでに ad hominem の過誤を犯している).そこで,本稿においては,わたしは 以下のことについてのみ 論ずる:

1) Heidegger と 仏教 ないし 東洋思想との関係;

2) Heidegger の思考の歩みにおける「方向転換」[ Kehre ] ;

3) 認識論と存在論との関係.


まず,Heidegger と 仏教 ないし 東洋思想 との関係について.Heidegger が 仏教や東洋思想に とりたてて積極的な関心を持ってはいない ということは,わたしが「ハィデガーと親鸞:或る浄土真宗僧侶の作り話について」で述べたことから,既に明らかであろう.さらに,まさに 武田康弘氏が言及している Spiegel-Gespräch (1966) において,Heidegger は,明確に こう断言している (GA 16, p.679) :

Meine Überzeugung ist, daß nur von demselben Weltort aus, an dem die moderne technische Welt entstanden ist, auch eine Umkehr sich vorbereiten kann, daß sie nicht durch Übernahme von Zen-Buddhismus oder anderen östlichen Welterfahrungen geschehen kann. Es bedarf zum Umdenken der Hilfe der europäischen Überlieferung und ihrer Neuaneignung. Denken wird nur durch Denken verwandelt, das dieselbe Herkunft und Bestimmung hat.

わたしの確信は,次のとおりである:世界において,そこから 現代の〈科学技術が支配的な〉世界が発したところの場所[つまり,西洋]— その同じ場所からのみ,ひとつの転回も 準備され得る;その転回は,禅仏教 または そのほかの東洋的な世界経験を借用することによっては,起こり得ない.思考転回のためには,ヨーロッパの伝統と その新たな習得とが 必要である.思考は,同じ由来と運命とを有する思考によってのみ 変えられる.

以上のように Heidegger は断言しているのだが,にもかかわらず,Heidegger のなかに 仏教的なもの  特に 仏教的な無 ないし 東洋的な無  を読み込もうとする試みは,日本だけでなく,世界中で 後を絶たない.そのような試みは,仏教的 ないし 東洋的な思考は,Heidegger と同様に,形而上学を超克しているに違いない という思い込みを 包含している.しかし,はたしてそうだろうか?

仏教的な無 ないし 東洋的な無 とは いかなるものか?それは,有と無との対立を超えた「絶対無」である,と説かれている.しかし,そのようなところに,結局,何を仏教は措定しているか? 真如,実相,仏性,等々.それらは,「諸行無常」とは異なり,「不生不滅」にして「常住不変」なるものと見なされている.死によって 諸行無常なる存在事象の世界から離脱し,真如やら実相やら仏性やらが措定される「絶対的な無」に至ることができれば,「成仏」することになる(逆に,もし「成仏」できなければ,輪廻転生のなかへ戻ることになる).

ということは,我々の否定存在論の観点からすれば(否定存在論 [ die apophatische Ontologie, l'ontologie apophatique ] については 拙著『ハィデガーとラカン』を参照),仏教的な無 ないし 東洋的な無 は,Platon の ἰδέα と同様に,否定存在論的孔穴を閉塞するものにほかならない.つまり,仏教的な無 ないし 東洋的な無は,真如や実相や仏性やらとともに,仏教における「イデア」であるにすぎない.そして,そのことにおいて,仏教は 形而上学と同等である.

勿論,仏教に「西洋的な行き詰まり」の超克の可能性を見たがる者は,そのことに気づきはしないし,多分,いくら説明されても,そのことを認めようとは決してしないだろう(実際,Heidegger に関心を有する者たちの Facebook group において,Heidegger と仏教との繋がりについて語っている人々に対して,わたしは 幾度か「仏教的な無は 仏教における『イデア』にすぎない」と説明したことがあるが,そのようなわたしの説明に対して 彼らは 激怒するだけだった).

また,東洋的なものを称賛しようとする人々は,「ヨーロッパ中心主義」や「西洋中心主義」を批判する.しかし,今や,地球上のどこであれ,科学と資本主義が支配的であるところは すべて「西洋的」である — アジアであれ アフリカであれ.それは,現代の科学と資本主義が,西欧において始まり,西洋諸国から出発して 全世界を支配するようになったからにほかならない.

我々の課題は,科学と資本主義によってもたらされた 現代のニヒリズムを超克することである — なぜなら,ニヒリズムこそが 現代世界が陥っている行き詰まりの核心を構成するものであり,そして,科学と資本主義によって規定されたニヒリズムは,今や,人間を単なる労働力として非人間的に搾取するだけでなく,全人類の共通の家である地球を破壊し,人類の存続そのものを危うくしているからである

そのようなニヒリズムの超克は,Heidegger が我々に教えているように,東洋思想をどこからか借用してくることによってではなく,しかして,科学と資本主義の支配をもたらした西洋の形而上学そのものの 源初 [ Anfang ] と 満了 [ Vollendung ] とを見極めることによってのみ 可能となる.そのためにこそ,Heidegger は,Vorsokratiker を含む古代ギリシャの哲人たちと Nietzsche とに取り組んでいるのである.


第 2 に,Heidegger の思考の歩みにおける「方向転換」[ Kehre ] について.Heidegger の思考の歩みの「方向転換」が最も明瞭に説明されているのが,下記の 注 3 において引用された『人本主義についての書簡』(1946) の一節である.そこにおいて,その方向転換は「『存在と時間』から『時間と存在』への方向転換」に存する,と Heidegger は述べている.

実際,彼は,それから 16 年後,1962年に,すなわち『存在と時間』(1927) の出版から 35 年後に,『時間と存在』と題した講演を行っている.そのテクストに付された注においても,Heidegger は,注 3 に引用された『人本主義についての書簡』の一節においてと同様に,こう言っている (GA 14, p.103) :

『時間と存在』という表題は,論文『存在と時間』(1927) の[当初の]計画においては,その 第 1 部 第 3 章の表題であった.著者 [ Heidegger ] は,当時,『時間と存在』という表題において名ざされている主題について十分に論じあげることのできる域に達していなかった.それゆえ,『存在と時間』の公刊は その箇所において 中断された.

では,「存在と時間」から「時間と存在」への方向転換は,より詳しく説明するなら,何に存しているのか?『人本主義についての書簡』(1946) の冒頭に付された脚注において,Heidegger は,こう言っている (GA 9, p.313) :

ここに言われていることは,その執筆のときに 初めて 考え出されたことではなく,しかして,1936年に — 存在の真理を 単純に [ einfach ] 言う試みの瞬間に — 始められたひとつの道の歩みに 準拠している.

この 1936 年は,Heidegger の第 2 の主要著作と呼ばれている Beiträge zur Philosophie (Vom Ereignis)哲学への寄与(自有から出発して)](1936-1938) の執筆が開始された年である.「存在と時間」から「時間と存在」への方向転換は,その表題のうち 括弧に括られた部分 —「自有から出発して」— によって 示唆されている.

すなわち,Heidegger は,1927年の『存在と時間』においては,「存在の意味」に関して問うために,「存在論の歴史の現象学的破壊」[ eine phänomenologische Destruktion der Geschichte der Ontologie ] から出発して,「解脱的」[ ekstatisch ] な「存在の意味」へ向かうことを試みていた.それに対して,1936-1938年の『哲学への寄与(自有から出発して)』においては,逆に,単純に [ einfach ], 存在の歴史 [ die Geschichte des Seyns ] の過程において「解脱実存的」[ ex-sistierend ] にして「終末論的」[ eschatologisch ](当時,Heidegger は,その語をまだ用いていないが,戦後,用いるようになる)な Ereignis[出来事,自有]から出発して,存在の歴史 全体 について問うことになる.

つまり,『存在と時間』においては 形而上学から出発して その解脱的な彼方 (Ekstase) へ向かう方向性が取られていたのに対して,『哲学への寄与(自有から出発して)』においては,逆に,解脱実存的な在所から出発して 形而上学の歴史 全体を 見渡す という方向性が取られるようになったのである.

否定存在論的に言えば,『存在と時間』においては,Heidegger は,否定存在論的孔穴を塞ぐ形而上学的な「存在」を破壊することから出発して 否定存在論的孔穴そのものを見出そうと試みていたのに対して,『哲学への寄与(自有から出発して)』においては,逆に,単純に,否定存在論的孔穴そのものから出発して,如何に 否定存在論的孔穴は 存在の歴史において 塞がれてきたか,そして,現代において その穴塞ぎは無効になったか を問うことになる.

Heidegger の思考の歩みにおける「方向転換」[ Kehre ] は,以上のとおりである.


第 3 に,認識論と存在論との関係について.周知のように,Aristoteles は ἔστιν ἐπιστήμη τις ἣ θεωρεῖ τὸ ὂν ᾗ ὂν καὶ τὰ τούτῳ ὑπάρχοντα καθ᾽ αὑτό[存在事象としての存在事象 および その固有の属性 を観想する学 が ある」と述べ,それを ἡ πρώτη φιλοσοφία[第一哲学]と呼んだ.それは,彼の死後,形而上学 [ la métaphysique, die Metaphysik ] と呼ばれるようになった.それゆえ,形而上学は 本来的に 存在論である.

Heidegger は,存在の意味に関する問いは アリストテレス的な意味において「形而上学的」であると考えていた限りにおいて,1935年までは,彼自身の思考を形而上学的なものと見なしていた.しかし,『哲学への寄与(自有から出発して)』(1936-1938) 以降は,〈存在の歴史において 形而上学の伝統は 必然的に ニヒリズムに行きつかざるを得なかった という事態について〉問ううちに,形而上学の歴史を批判的に考察するようになる.そして,Heidegger は,「プラトニスムの逆転」[ die Umdrehung des Platonismus ] を試みた Nietzsche において「形而上学の満了」[ die Vollendung der Metaphysik ] を見て取ることになる.

Heidegger が「哲学は 終わった」と言うとき,その「哲学」は,Platon に始まり Nietzsche において終わる 形而上学のことであり,そして,その形而上学は 本来的に 存在論である.

また,しかして,それがゆえに,Heidegger は,彼自身の思考を「存在論」とは呼ばなくなる — 彼は,終生,存在に関する問いと思考をやめることはないにもかかわらず.


我々は,今,彼の「黒ノート」[ die schwarze Hefte ] のなかに見出される das Denken des Seyns存在 の思考]という表現を以て,Heidegger の思考 全体 を特徴づけることができる.わたしは,それを「否定存在論」[ die apophatische Ontologie, l'ontologie apophatique ] と名づける.それは,今,我々の思考の公理系を成している(勿論,それは 既に完全にできあがったものではない).


否定存在論の観点からは,存在の歴史には 次の三つの位相が区別される:

1) 源初論的位相 [ la phase archéologique ] : そこにおいては,否定存在論的孔穴(存在 の穴)が口を開いていた.

2) 形而上学的位相 [ la phase métaphysique ] : イデア的なもの — その代表は,勿論,Platon の ἰδέα であり,また,形而上学的意味における「存在」(τὸ ὄντως ὄν : 本当に存在するもの)である — が 存在 の穴を塞ぐことによって,形而上学の歴史が始まる.

3) 終末論的位相 [ la phase eschatologique ] : 科学と資本主義が支配的となった現代(18世紀の終り以降)において,イデア的なものによる否定存在論的孔穴の閉塞は無効になり(すなわち 形而上学の終焉),存在 の穴は 開出 [ aufgehen ] してこようとする.しかし,それに対する激しい抵抗も生ずる — 穴を塞ぎ得ると想定される何かを新たに措定することによって,あるいは,穴を隠し得ると想定される何かを際限なく増殖させることによって.たとえば,Nietzsche は,「力への意志」と それを実現すると想定された「超人」を,存在 の穴を塞ぎ得るものとして措定する.また,「同じものの永遠なる回帰」は,存在 の穴のエッジにおいて,穴を隠すために 無際限に増殖して行く存在事象である.

我々は いまだに 存在の歴史の終末論的位相を生きている.存在 の穴を塞ぐものと信ぜられているのは,もはや プラトン的な ἰδέα からは かけ離れた nationalism[民族主義,国粋主義,国家主義]や racism[人種差別]や phallocentrism[男性中心主義,女性差別]などの〈ますます過激化してゆく〉イデオロギーであり,他方,穴を隠すために 穴のエッジにおいて 際限なく増殖しているのは,性倒錯的な〈欲望の〉客体(資本主義的に生産される商品を含めて)である.

Freud は,否定存在論的孔穴を塞ぐものを「超自我」[ das Über-Ich ] と名づけた.存在 の穴のエッジにおいて 際限なく増殖し,反復される客体は,リビード [ Libido ] で修飾される〈欲望の〉客体である.

如何にして 我々は 我々に耐えがたい苦しみをもたらしている終末論的位相に 決着をつけることができるか? それは,存在 の穴の開出に対する抵抗をやめ,我々自身の 現場存在 [ Dasein ] を 存在 に その宿 ないし その住まい として 提供することによってである.そのとき,ひとつの構造転換が生ずる — Lacan の用語で言えば,大学の言説 [ le discours de l'université ] の構造から 分析家の言説 [ le discours de l'analyste ] の構造への転換である.


Heidegger は,Spiegel-Gespräch において,brauchen という動詞の両義性 
—「使う,用いる,利用する」と「必要とする」— を利用して,この構造転換を巧みに表現している.その一節を読んでみよう (GA 16, p.672) :

Die Welt kann nicht durch den Menschen, aber auch nicht ohne den Menschen sein, was sie und wie sie ist. Das hängt nach meiner Ansicht damit zusammen, daß das, was ich mit einem langher überlieferten, vieldeutigen und jetzt abgegriffenen Wort »das Sein« nenne, den Menschen braucht, daß das Sein nicht Sein ist, ohne daß der Mensch gebraucht wird zu seiner Offenbarung, Wahrung und Gestaltung. 
Das Wesen der Technik sehe ich in dem, was ich das »Ge-Stell« nenne. Der Name, beim ersten Hören leicht mißverständlich, recht bedacht, weist, was er meint, in die innerste Geschichte der Metaphysik zurück, die heute noch unser Dasein bestimmt. 
Das Walten des Ge-Stells besagt : Der Mensch ist gestellt, beansprucht und herausgefordert von einer Macht, die im Wesen der Technik offenbar wird. 
Gerade in der Erfahrung dieses Gestelltseins des Menschen von etwas, was er selbst nicht ist und was er selbst nicht beherrscht, zeigt sich ihm die Möglichkeit der Einsicht, daß der Mensch vom Sein gebraucht wird. 
In dem, was das Eigenste der modernen Technik ausmacht, verbirgt sich gerade die Möglichkeit der Erfahrung des Gebrauchtseins und des Bereitseins für diese neuen Möglichkeiten. 

世界[宇宙,万物]は 何であるのか? 世界[宇宙,万物]は どのようであるのか? 世界[宇宙,万物]の「本有」と「様態」は,人間によって規定されているわけではないが,しかし,人間なしに規定されているわけでもない.わたしの見解では,それは,このことと連関している:すなわち,存在 — いにしえから伝承されてきており,多義的であり,今や使い古された「存在」という語を以て わたしが名ざすところのもの — が 人間を brauchen する[使う,必要とする]ということ;人間が 存在の開示と守護と成形のために brauchen される[使われる,必要とされる]ということなしには 存在は存在ではない ということ. 
科学技術 [ Technik ] の本有を,わたしは,わたしが Ge-Stell[総召集体制,総召出体制,総召]と呼ぶところのものに,見る.Ge-Stell という名称は,その語を初めて聞く者は誤解しやすい[注:辞書には Gestell という語の意味として「台架,骨組み」が挙げられているが,Heidegger は,Ge-Stell という表記を以て,その語を ひとつの néosémie(意味論的新造語)として用いている]が,よく考えてみるなら,それが意味するところを,形而上学の歴史の内奥 — それは,今日 なおも 我々の現場存在を規定している — へさかのぼって,さししるしている. 
総召の臨在とは,このことを言う:人間は,ひとつの〈科学技術の本有において明らかとなる〉力によって,召集[召出]され,求められ,求め出されている.
まさに〈何か — それは 人間自身ではなく,かつ,人間は みづから それを支配してはいない — によって 人間は 召集[召出]されている という〉経験において,〈人間は 存在によって brauchen される[使われる,利用される,搾取される]ということの〉洞察の可能性が 人間に対して 示唆される.
この〈現代の科学技術に最も固有である〉ことのなかに,まさに,〈人間は 存在によって brauchen される[必要とされる]ということを 経験する〉可能性と,〈人間は この新たな可能性のために 準備ができている〉可能性とが,秘匿されている.

すなわち,大学の言説の構造 — それは,形而上学の構造であり,また,Heidegger が Verfallen[堕落,頽落]と呼び,Lacan が aliénation[疎外,異状]と呼ぶ事態の構造である — においては,形而上学的な意味における「存在」は,否定存在論的孔穴を閉塞するものの座に措定された S1上の図の左側の部分を参照)として,人間を brauchen する[使う,利用する,搾取する].

それに対して,分析家の言説の構造においては,形而上学的な「存在」S1 は,書かれないことをやめないもの(すなわち,不可能なもの)の座へ閉出され,それによって,否定存在論的孔穴は,存在 の穴 $ として 開出してくる(上の図の右側の部分を参照).そのとき,人間は,自身の現場存在 (Dasein) を,存在 の穴 $ として,今や 書かれないことをやめないものとなった 存在 S1 に,その宿 ないし その住まい として 提供する.今や,そのように,存在 は 人間を brauchen する[必要とする]— ek-sistieren[解脱実存]するために.そして,そのとき,終末論的な Ereignis[出来事,自有」は成起する.

Heidegger の 否定存在論的な「存在の歴史」は,おおまかに述べれば,以上のようなものである.

それに対して,認識論 — Kant に始まる現代的な認識論 — は どのようなものか?周知のように,Kant が超越論的な認識論を展開したのは,Newton が公式化した物理法則の可能性の条件について問うためであった.客体の側に 普遍的 かつ a priori に妥当する法則が成り立つとすれば,それに応じて,主体の側にも 普遍的 かつ a priori な(すなわち 超越論的な)認識の可能性の条件が要請される.それを Kant は「純粋理性」と名づけた.


Kant の言う「純粋理性」は,大学の言説の構造における S1 にほかならない.つまり,古典主義時代から現代への転換期に生きた Kant は,形而上学的構造の崩壊を予感しつつ,それを防止するために,純粋理性を,否定存在論的孔穴を新たに塞ぐ S1 として,措定した.そして,プラトン的な「真 善 美」のイデアに応じて,純粋理性を,認識論的な真の可能性の条件としてだけでなく,倫理学的な善の可能性の条件 および 感性論的な美の可能性の条件としても 措定した.

新カント派 および Husserl の超越論的な認識論は,すべて,Kant のそれと同様,大学の言説の構造のなかにとどまっている.

当初,Heidegger は,Husserl の現象学に,存在の意味に関して問うための新たな手がかりを見出した.しかし,彼の否定存在論的関心は,彼が Husserl の認識論的な現象学のもとにとどまることを,許さなかった.Heidegger は,むしろ,1929年の書『カントと形而上学の問題』や 1935-1936年の冬学期の講義『物に関する問い』において,Kant の認識論の存在論的な基礎づけを試みている. 

Heidegger が『存在と時間』の § 7 において「存在論は 現象学としてしか 可能ではない」と断言するとき,当然ながら,その「現象学」は もはや フッサール的な(認識論的な)ものではあり得ない.

周知のように,その命題より少し前のところで,Heidegger は,現象学を こう定義している (GA 2, p.46) : ἀποφαίνεσθαι τὰ φαινόμενα : Das was sich zeigt, so wie es sich von ihm selbst her zeigt, von ihm selbst her sehen lassen[自身を示現するものを,それが みづから 自身を示現するがままに,それ自身から発して,見えるようにすること].

そこにおいて「自身を示現するもの」は,形而上学の源初において イデア的なものによって排斥され,隠されてしまった 存在 のことである.それは,常に,分析家の言説の構造において,自身を示現してこようとするが,それに対しては,大学の言説の構造において,激しい抵抗が生ずる.

Heidegger は,半世紀以上にわたる 彼の思考の歩みにおいて,存在 が 自身を示現するがままに それ自身から発して 開出してくるために,彼自身の現場存在 (Dasein) を 存在 に供することを やめなかった.我々は,今,精神分析を そのような 存在 の終末論的な開出を助け,促す実践として 行っている — それによって 終末論的な Ereignis[出来事,自有]が成起するために.


注:

1. Heidegger は,1966年09月23日,ドイツの代表的な報道週刊誌 Spiegel を創立したジャーナリスト Rudolf Augstein (1923-2002) によりインタヴューされた.が,Heidegger の要望により,それが誌上に発表されたのは,彼の死後,1976年05月31日付の Spiegel 誌 においてであった.Spiegel-Gespräch のテクストは,今は,GA 16 に収録されている.ただ,父の著作権の相続者である Hermann Heidegger (1920-2020) は,GA 16 の巻末の注において,Spiegel 誌に発表されたテクストは Heidegger が生前に了承していない改変を含んでいることを指摘している.GA 16 に収録されたテクストにおいては,それらの改変部分は修復されている.

2. Spiegel-Gespräch のなかで Rudolf Augstein が言及している「ある仏教僧侶との対話」は,1963年秋に行われた Maha Mani という名のタイ人僧侶との対談であり,そのテクストは GA 16 に収録されている.わたしは 既に「ハィデガーと親鸞:或る浄土真宗僧侶の作り話」のなかで その僧侶の名を明記している.なお,わたしは,久松真一氏と Heidegger との「対話」を,「久松真一著作集」第 1 巻を参照して,確認したが,それは,「対話」と言えるような内容のものではなく,ただ ふたりが挨拶を交わした という程度のものにすぎない.

3. ここで 武田康弘氏は 事実をふまえずに発言している.実際には,Heidegger は,『存在と時間』§ 8 において,彼が 当初 意図していた『存在と時間』の構想を,こう提示している:

それゆえ,存在について問う作業を完遂するなら,それは ふたつの課題に分岐することになる;それに応じて,この論文[『存在と時間』]の構成も 二部じたてとなる:

第 1 部:時間性 [ Zeitlichkeit ] を目ざして 現場存在 [ Dasein ] を解釈すること,および,時間を 存在に関する問いの超越論的な地平として 説明すること. 

第 2 部:時間性 [ Temporalität ] の問題を導線として 存在論の歴史を現象学的に破壊する作業の基本特徴.

第 1 部は,三つの章に分かれる:

1. 準備的な〈現場存在の〉基礎分析.

2. 現場存在 と 時間性 [ Zeitlichkeit ]. 

3. 時間 と 存在.

第 2 部も また 三章じたてとなる:

1. 時間性 [ Temporalität ] を問題とすることの前段階としての Kant の〈シェマティズムと時間に関する〉教え.

2. Descartes の »cogito sum« の存在論的基礎 と 中世の存在論の »res cogitans« の問題への引き継ぎ.

3. 古代の存在論の現象的な基礎と領域の境界線としての時間に関する Aristoteles の議論.


そして,以上のような計画のとおりに『存在と時間』を完成し得なかった理由について,Heidegger は,約 20 年後,Jean Baufret からの質問に対する回答として書かれた『人本主義についての書簡』(1946) のなかで,こう述べている:

しかしながら,もし あなたが 人間の解脱実存的 [ eksistent ] な本有に関する命題を このように説明しようとするなら — すなわち,その命題は,キリスト教神学によって神について言表された考え(Deus est ipsum esse : 神は 存在そのものである)の 人間への 俗化的な転移である というように説明しようとするなら —,それは 究極の錯誤であろう.そも,解脱実存 [ Ek-sistenz ] は 何らかの本質の実現ではなく,また,解脱実存は みづから 本質的なものを 生ぜしめたり 措定したりするわけでもない.もし あなたが『存在と時間』のなかで »Entwurf«[解脱投出]と名づけられたものを ひとつの目標表象的な措定と理解するなら,あなたは,それを 主体性の機能として取ることになる.であるなら,あなたは,解脱投出を このようには — »das Seinsverständnis«[存在覚悟]が »das In-der-Welt-Sein«[宇宙内存在]の »実存論的分析« の領域においてのみ 思考され得るようには — 思考しないことになる.すなわち,あなたは 解脱投出を 存在の朗開への解脱的な繋がりとして 思考しないことになる.ともあれ,あなたが この ほかなる  主体性を放却した — 思考を 十分に 事後的に ないし 同時的に 遂行しようとしても,それは,このことによって —『存在と時間』の出版の際に 第 1 部 第 3 章「時間と存在」[の発表] が差し控えられたことによって — 困難となっている.そこ[「時間と存在」]において,すべては 逆転 [ sich umkehren ] する.当該の章[の発表]が差し控えられたのは,思考が その方向転換 [ Kehre ] を うまく十分に言えなかったからであり,すなわち,形而上学の言語の助けを以ては 遂行し得なかったからである.講演『真理の本有について』— それは,1930 年に思考され,[講演として]公表されたが,1943年に 初めて 印刷物として出版された — は,「存在と時間」から「時間と存在」への方向転換の思考への若干の洞察を 与えている.この方向転換は『存在と時間』の観点の変更ではなく,しかして,その方向転換においてこそ,試験的な思考は,初めて,〈そこから出発して『存在と時間』が 存在忘却の根本経験において 経験されるところの〉次元の在所へ到達するのである.


Heidegger の思考の歩みにおける「方向転換」[ Kehre ] については,この記事の本文のなかで 論じてある.