Le séminaire XVII L'envers de la psychanalyse, le chapitre VI Le maître châtré
セミネール XVII 巻 『精神分析の裏』,第 VI 章 「去勢された支配者」
この章の冒頭で Lacan は,精神分析の裏(つまり,分析家の言説の裏側)は支配者の言説である,と明言しています.
分析家の言説と支配者の言説との表裏関繋を,投射平面 [ projective plane ] の存在論的トポロジー [ la topologie ontologique ] において見てみましょう.
投射平面は,精神分析の基礎を成す否定存在論 [ l'ontologie apophatique ] を説明するために Lacan が援用した数学的構築物です.それは,実存の構造のモデルとして有用です.そのようなものを持ち出すことによって Lacan は単に奇を衒ったわけではありません.
Lacan は投射平面を,もっぱら cross cap として表象しています.それは,投射平面の Euclid 空間への immersion のしかたのひとつです.
閉曲面の一種である投射平面は,適切な切れ目を入れると,穴あき球面と Möbius strip とへ切り分けられます.逆に言うと,穴あき球面の穴のエッジと Möbius strip のエッジとを同一化すると,投射平面が得られます.
四つの言説の構造における他者の座(右上の座)と真理の座(左下の座)とは,投射平面を穴あき球面と Möbius strip とへ切り分ける切れ目のエッジに相当します.つまり,もとの閉曲面においては,両者は同一の閉じた線を成しています.それに沿って閉曲面が切り分けられると,穴開き球面の穴のエッジは他者の座に相当し,Möbius strip のエッジは真理の座に相当します.
支配者の言説と分析家の言説においては,切れ目のエッジに相当する他者の座と真理の座に位置しているのは,S2 と $ です.
他方,四つの言説における能動者の座(左上の座)は穴あき球面に相当し,生産の座(右下の座)は Möbius strip の曲面に相当します.
cross cap は,交線上の諸点を取り除くと,一枚の円板と homeomorph です.穴あき球面も,円板と homeomorph です.つまり,cross cap から交線上の諸点を取り除いた曲面と,穴あき球面とは,相互に homeomorph です.
つまり,cross cap の交線は,投射平面を穴あき球面と Möbius strip とへ切り分ける切れ目のエッジに相当します.
Möbius strip は,そのものとしては,cross cap の図には描かれていません.それは,投射平面のうちで Euclid 空間のなかに描くことが不可能な部分であり,Euclid 空間に対して ex-sistent [解脱実存的]である部分です.
ところで,ex-sistence [解脱実存]は,其れを以て Lacan が le réel [実在]を定義するところのものです.
ここで,投射平面の存在論的トポロジーと,le réel [実在],le symbolique [徴在],l'imaginaire [影在]の三位のボロメオ結びのトポロジーとの相関も明示しておきましょう:
穴あき球面 ‒ consistance [定存] ‒ l'ordre de l'imaginaire [影在の位];
切れ目 [ coupure ] ‒ trou [穴] ‒ l'ordre du symbolique [徴在の位];
Möbius strip ‒ ex-sistence [解脱実存] ‒ l'ordre du réel [実在の位].
ところで,実在とは不可能在です [ le réel, c'est l'impossible ]. さらに,不可能在とは,「書かれぬことをやめぬもの」 [ ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire ] です.
この「書かれぬことをやめぬもの」は,根本的に言って,何か?それは,性関係を可能にするはずであろう phallus です.
そのような phallus は,書かれないことをやめない.言い換えると,徴在の明るみへ来たことが一度もない [ ce qui n'est jamais venu au jour du symbolique ] (Ecrits, p.388). さらに言い換えると,根本的に閉出されている [ foncièrement forclos ].
すなわち,性関係は無い [ il n'y a pas de rapport sexuel ].
この Lacan の公式:「性関係は無い」の「無い」 [ il n'y a pas ] こそは,精神分析においてかかわる存在論が,実体論的 [ substantialiste ] ないし本質論的 [ essentialiste ] な存在論では無く,而して ontologie apophatique [否定存在論]であることを証しています.
源初的に閉出されている phallus は,抹消された φ の学素を以て形式化されます :
技術的な簡便さのため便宜上
四つの言説における右下の座(生産の座)は,phallus
「性関係は無い」とは,他の欲望 Ⱥ が phallus を悦することは不可能 [ impossible ] である,ということです:
この関係が,四つの言説における左下の座(真理の座)と右下の座(生産の座)との関係を成しています.cross cap の存在論的トポロジーの図においては,前者は Möbius strip のエッジであり,後者はその曲面です.
支配者の言説においては,根本的に閉出された phallus の座に剰余悦 a が位置づけられます.他の欲望 Ⱥ との関係においては,これは,剰余悦を悦することの不能 [ impuissance ] を表しています:
話を戻すと,投射平面のうち,Euclid 空間のなかに現れている部分を「表」と呼ぶなら,Euclid 空間に対して ex-sistent である部分は「裏」です.
支配者の言説においては支配者徴示素 S1 が表,剰余悦 a が裏であるのに対して,分析家の言説においては,剰余悦 a が表,支配者徴示素 S1 が裏です.
ところで,「支配者」という用語を以て Lacan が問うているのは,「父」です.そも,この第 VI 章の表題:「去勢された支配者」に対応して,Lacan はこう言っています:「父は,源初から,去勢されている」(Séminaire XVII, p.115).
分析家の言説において支配者徴示素 S1 が不可能な phallus
支配者徴示素 S1 としての父は,源初から既に死んでいる父です.
父は源初から去勢されている,源初から既に死んでいる,という真理にもとづくと,Freud の言うオィディプス複合の概念は,その真理の否認にほかなりません.オィディプス複合における父は,息子には禁止されている悦を悦し得る者と想定されているからです.
他方,「徴在の機能の支え」 (Ecrits, p.278) としての「父の名」は,存在論的トポロジーにおいては,投射平面を穴あき球面と Möbius strip とへ切り分ける切れ目の可能性の条件を成すものです.
ともあれ,精神分析において,その「裏側」ないし「基礎」を成すものとして問われているのは,父の問題です.
また,支配者の言説と分析家の言説との表裏関繋は,Verdrängung [排斥]と Wiederkehr des Verdrängten [排斥されたものの回帰]との表裏関繋でもあります.
支配者の言説においては,剰余悦 a は生産の座へ排斥されます.それに対して,分析家の言説においては,排斥された剰余悦 a は代理者の座へ立ち現れて来て,症状を含む「無意識の成形」 [ formations de l'inconscient ] の徴示素となります.
また,支配者の言説と分析家の言説とが相互に表裏を成すのと同様に,大学の言説と hysterica の言説も相互に表裏を成しています.それらにおいては,切れ目のエッジを成すのがS1 と a です.S2 と $ は,切れ目によって相互に分離される曲面を成します.
hysterica の言説においては,$ が穴あき球面,S2 が Möbius strip の曲面を成し,逆に,大学の言説においては,S2 が穴あき球面,$ が Möbius strip の曲面を成しています.
hysterica の言説の能動者(代理者)の座に位置する $ は,他の欲望 Ⱥ を代理する hysterica の désir insatisfait [不満足な欲望]であり,排斥されたものの座としての生産の座における S2 は,Freud が hysterica においてヒステリー症状の病因として発見した無意識的な記憶 (Reminiscenz, ἀνάμνησις) です.
大学の言説の能動者の座に位置する S2 は,強迫神経症者の絶対知であり,ex-sistence の座としての生産の座における $ は,強迫神経症者の désir impossible [不可能な欲望]です.
0 件のコメント:
コメントを投稿