2021年10月9日

2021-2022年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール「ジャック ラカン — その人 と その教え」第 2 年 の 予定

Jacques Lacan, né le 13 avril 1901 à Paris et mort le 9 septembre 1981 à Paris


2021-2022年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール「ジャック ラカン — その人 と その教え」第 2 年 の 予定



2021年の 4月13日は,Jacques Lacan[ジャック ラカン:1901年04月13日に Paris で 生れ,1981年09月09日に 同じく Paris で 死去]の 生誕 120 周年の 記念日であり,そして,9月09日は 彼の 没後 40 周年 の 記念日であった.

それに備えるために,我々は,2020-2021年度の 東京ラカン塾 精神分析セミネール を「ジャック ラカン — その人 と その教え」(Jacques Lacan — sa personne et son enseignement) の 表題のもとに 行った.そして,今年度,2021-2022年度も,我々は その第 2 年めの 歩みを 続ける.

Jacques Lacan とは 誰か ? この問いに対する答えは,必ずしも 自明ではなかろう.精神分析の改革者?独善的な異端者?精神分析家中の精神分析家?衒学的なペテン師?20世紀の最も偉大な哲人のひとり?反哲学者?

しかるに,我々は 今や こう答えることができる : Lacan は,Freud が 経験論と形而上学に捕われたまま 創始した 精神分析を 純粋に(すなわち,非経験論的に かつ 非形而上学的に)基礎づけなおすことを 我々に教えた 精神分析家である.すなわち,Freud が 精神分析の創始者 (le fondateur de la psychanalyse) であるとすれば,Lacan は 精神分析を基礎づけなおした者 (le refondateur de la psychanalyse) である.

我々のセミネールにおいて かかわっているのは,Lacan の 思考の歩みを たどりなおすことであるが,そのたどりなおしを,我々は,敢えて 反時系列的に — つまり,彼の最晩年の教えから出発して,彼の教えの時系列を遡りつつ — 試みている.

そのような我々の試みを動機づけるのは,この洞察である : Lacan は,Heidegger と 同様に,あの穴 — Freud が「無意識」の名称のもとに 発見し,Heidegger が トポロジックに die Ortschaft des Seyns存在の在所]と 名づけ,Lacan が le trou du non-rapport sexuel[「性関係は無い」の 穴]として 我々に 提示し,我々が le trou apophatico-ontologique[否定存在論的孔穴]と 呼ぶ あの穴 — のまわりを 倦まず 弛まず 歩みながら その穴について問い続けた 哲人である.とすれば,Lacan が その穴そのものに 最も肉薄し得たのは,最晩年の彼の教えにおいてにほかならない.

実際,我々は,彼の最晩年のセミネールのひとつ,Séminaire XXV (1977-1978) Le moment de conclure[結論するとき]の 1978年04月11日の講義の冒頭に,この結論を見出すことができる :「性関係は無い [ il n'y a pas de rapport sexuel ] — それが 精神分析の基礎である」.それを 我々は Lacan の 教えの最終的な結論と取ってよいだろう.すなわち,精神分析の基礎は「性関係は無い」の 穴(否定存在論的孔穴)に ほかならない.

だが,そのセミネールにおいて,Lacan は そこにとどまってはいない.『結論するとき』の 最後の三つの講義 — 1978年04-05月に行われた 三つの講義 — において,Lacan は 何を 試みているか ? 穴のエッジから出発して 三ツ葉結び (le noeud de trèfle) — ボロメオ結合性 (la nodalité borroméenne) そのものの トポロジックな形式化としての 三ツ葉結び — を 得ること である.


そのとき,我々は,晩年の Lacan の 教え — Séminaire XX (1972-1973) Encore から Séminaire XXV (1977-1978) Le moment de conclure[結論するとき]に至る 6 年間の 彼の思考の歩み(我々は 彼の Séminaire XXVI (1978-1979) La topologie et le temps[トポロジーと時間]を とりあえず 括弧に入れておく,というのも,彼は 健康状態の悪化のゆえに そのセミネールを 思いどおりに行うことが できなかったから)— において 彼が 問い続けていたものを より明確に見出すことができる.それは,「性関係は無い」という 無-関係 の 穴を 代補するもの としての 愛-結合性 (l'amour-nodalité en tant que ce qui supplée au trou du non-rapport sexuel) である.

そこに,我々は,欲望の昇華 (la sublimation du désir) として 定義された 愛 — その歴史的なモデルを Lacan は,Séminaire VII (1959-1960)『精神分析の倫理』以来,常に,宮廷愛 (l'amour courtois) に 見出している — に関する Lacan の問いの歩みの 到達点を 見ることができる.

では,なぜ Lacan は 欲望の昇華としての愛について 問い続けたのか ? それは,それこそが 精神分析の終結を規定するものだからである.

2020-2021年度,我々は,Lacan の 最晩年のセミネール — Séminaire XXIV (1976-1977) と Séminaire XXV (1977-1978) — を 概観し,次いで,1975年06月に Paris で 行われた 第 5 回 International James Joyce Symposium における 彼の講演 Joyce le Symptôme[症状 ジョイス:講演版書版]を 読解した.今年度,2021-2022年度,我々は,Séminaire XXIII (1975-1976) Le sinthome から出発して Séminaire XX (1972-1973) Encore へ 遡行しつつ,Lacan の 思考の歩みを たどりなおす 試みを 続ける.

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2021-2022年度の 日程は 下記のとおり(2021年11月から 2022年06月まで 原則的に 毎月 2 回,隔週 金曜日に 行います.ただし,そのときどきの事情により 日程は変更されることがあります)

時間:開始 19:30, 終了 21:00

媒体 : Zoom Meeting(毎回 録画し,終了後,編集したうえで YouTube に 公開.参加者の顔や声が画面に出ないよう 配慮します)

受講料:無料

申込と問合せ : ogswrs@gmail.com(東京ラカン塾の mailing list に未登録の参加希望者は 申込をしてください.登録済みの参加希望者へは Zoom Meeting 参加リンクを そのつど mail で 配信します)

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2021-2022年度の 日程

1. 11月05日:ラカン没後 40 周年を 記念して
2. 11月19日
3. 12月03日
4. 12月17日
5. 1月14日
6. 1月28日
7. 2月11日
8. 2月25日
9. 3月11日
10. 3月25日
11. 4月08日
12. 4月22日
13. 5月13日
14. 5月27日
15. 6月10日
16. 6月24日

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付録として,わたしが 最近 日本語で書いた ふたつのテクストを 参考までに 紹介します:


ある日本文学研究者の追加質問に答えて

2020-2021年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール「ジャック ラカン — その人 と その教え」第 1 年

Jacques Lacan, né le 13 avril 1901 à Paris et mort le 9 septembre 1981 à Paris


2020-2021年度 東京ラカン塾 精神分析セミネール「ジャック ラカン — その人 と その教え」第 1 年



2020年11月06日,第 1 回:導入


2020年11月13日,第 2 回:質問に答えて
精神分析家であること と カトリックであることは 両立可能なのか?


2020年11月27日,第 3 回
ラカンの教えを動機づけている実践的な問い — 精神分析家の養成と資格認定の問題
三人の囚人の譬え と 終末論的救済の確実さの先取りとしての精神分析の終結


2020年12月04日,第 4 回
セミネール XXV『結論するとき』(1977-1978) におけるラカンの結論は 何か?


2020年12月11日,第 5 回:質問に答えて
ラカンの「四つの言説」に関する概説 — 精神分析の学素的な基礎とトポロジックな基礎との統合によって


2020年12月18日,第 6 回:質問に答えて
ラカンの教えにおける 学素 a に関する概説


2021年01月15日,第 7 回:質問に答えて
1) ex-sistence について
2)「性関係は無い」について


2021年01月22日,第 8 回:質問に答えて
1)「源初に 主体 $ の穴が あった」と措定することの必要性について
(特に ニヒリズムとの関係において)
2) 超自我 (Über-Ich) と 自我理想 (Ichideal) と 理想自我 (Ideal-Ich) について


2021年01月29日,第 9 回
ジャック ラカン の 思考の歩みを その全体において 概観する
(その 1)


2021年02月05日,第 10 回
ジャック ラカン の 思考の歩みを その全体において 概観する
(その 2)


2021年02月19日,第 11 回
最晩年の ふたつのセミネール — XXIV と XXV — について
(その 1)


2021年02月26日,第 12 回
最晩年の ふたつのセミネール — XXIV と XXV — について
(その 2)


2021年04月09日,第 13 回
セミネール XXV『結論するとき』を結論するときに ラカンが結論していること
(その 1)


2021年04月16日,第 14 回
セミネール XXV『結論するとき』を結論するときに ラカンが結論していること
(その 2)


2021年04月23日,第 15 回 : Joyce avec Lacan — 導入


2021年05月14日,第 16 回:症状 ジョイス
(その 1)


2021年05月21日,第 17 回:症状 ジョイス
(その 2)


2021年05月28日,第 18 回:症状 ジョイス
(その 3)


2021年06月11日,第 19 回:症状 ジョイス
(その 4)


2021年06月25日,第 20 回:症状 ジョイス
(その 5)

2021年9月26日

ある日本文学研究者の追加質問に答えて


ある日本文学研究者の追加質問に答えて




早稲田大学 文学研究科 博士課程で 川端康成 (1899-1972) の文学について 研究している 馮 思途 氏の いくつかの質問に 答えるために,9月12日付の記事を 書きました.それに対して,彼は,いくつかの追加質問を 送ってきました.それらに答えるために,この記事を書きます.


否定存在論的孔穴について:

「否定存在論」(l’ontologie apophatique) も「否定存在論的孔穴」(le trou apophatico-ontologique) も,わたしの造語です.わたし以外,誰も用いていませんし,誰も用いることはないでしょう.

9月12日付の回答のなかでも述べたように,「否定存在論」は Heidegger の das Denken des Seyns存在 の 思考]のことです(そのままだと 見えにくいので,赤色で示します).しかし,「穴」(Loch) という語 — たとえば 宇宙物理学で言う black hole は ドイツ語では schwarzes Loch です — は,彼の思考の語彙には 属していません.代わりに,彼は,Abgrund[深淵],Ab-grund[深淵的な基礎,基礎としての深淵],Riß[裂けめ],Zerklüftung[裂けめ]などの語を 用いています.

Lacan は「穴」(trou) という語を より積極的に 使っています.しかし,彼の思考における その語の 本質的な重要性を 十分に強調している ラカニアンは,多分,わたし以外には いません.

いずれにせよ,穴について問うという思考は,トポロジックな思考です.それを,Heidegger も Lacan も 共有しています.

勿論,世界のどこを見まわしても,宇宙のどこを探索しても,源初論的孔穴は 目に見える形で 見出されるわけではありません.その直接的な証拠を提示することは できません.しかし,その代理 ないし その表象は,さまざまな形で 出現します — 芸術作品において,夢において,等々.

Freud が「無意識」の名称のもとに発見したものを,Lacan は,生物学(医学)にも 心理学にも 還元せず,而して,トポロジックに「人間存在の中核に口を開く穴」と捉えます.それは 否定存在論の基本的な考え方です.

しかも,Freud が 無意識を発見したのは 19世紀であって,それ以前ではなかった.ということは:無意識の穴は,18世紀までは塞がれていたが,19世紀に その穴塞ぎが無効になったことによって 口を開いた.

Michel Foucault を読んでいる あなたなら,それは coupure épistémologique[エピステモロジックな 切れめ]である,と言うでしょう.しかし,Foucault の その概念は,実は,Heidegger と Lacan に 基づいています.Foucault は Heidegger を 丹念に読んでいましたし,また,彼は,一時期,Lacan の セミネールを 聴講していました(後に 彼は 精神分析に対して 批判的になりますが).

Lacan が Freud をとおして 否定存在論的孔穴に気づいたのに対して,Heidegger は どのように それに気づいたのか ? それは,形而上学的な存在論の批判をとおしてです.

そのことを 我々は 彼の Sein und Zeit[存在と時間](1927) において 読み取ることができます.しかし,Heidegger を 初めて読む人に対して わたしが 勧めているのは 彼の『ニーチェ』講義(原著英訳邦訳)です.それは,1936-1940年に為された講義と 1940-1946年に執筆された論文に もとづいて 1961年に 二分冊の形で 出版された 本です(彼の Gesamtausgabe[全集]の 第 6 巻).大著ですが,『存在と時間』よりも はるかに 読みやすく,そして,読んで おもしろい 本です.もし あなたが この本を読んで おもしろいと感ずることができないなら,あなたには Heidegger は あまり向いていない,と 言ってもよいほどです.

そこにおいて Heidegger が 論じているのは,Nietzsche において読み取ることにできる〈形而上学の歴史の「満了」(Vollendung) としての〉Nihilismus[nihilism, nihilisme, 虚無主義,ニヒリズム]と Nietzsche による その超克の試みです.

ニヒリズムは,基本的には,このことに存します : Platon 以来 歴史的に最高の価値と見なされてきたもの — イデア的なもの,形而上学的なもの,そして,哲学者と神学者が「神」と呼んできたもの — の価値が 現代では 失われてしまった(その喪失の穴は,否定存在論的孔穴にほかなりません).その喪失に対して,受動的な態度において 不安におののき 悲嘆し 絶望する者も います(受動的ニヒリズム — その代表例は Schopenhauer).他方,その喪失の穴を再び塞ぐために,能動的に 穴塞ぎとなるものを措定しようとする者も います(能動的ニヒリズム — その代表例は Nietzsche).

我々は,今も,基本的に言って,ショーペンハウアー的態度 または ニーチェ的態度の いずれかを 取っています.しかし,「それらの いずれによっても ニヒリズムを超克することはできない;むしろ,ニヒリズムを 形而上学の歴史の必然的な帰結と 捉え,形而上学そのものの基礎を 批判せねばならない」— Heidegger は そう考えます.

形而上学とは,τὸ ὄντως ὄν[本当に存在するもの]ないし τὸ ὂν ᾗ ὄν[存在としての存在]について 思考する 思考です.ですから,形而上学とは 本質的に言って 存在論です.

Platon は,τὸ ὄντως ὄνἰδέα[イデア]と 名づけます.源初に 本当に存在するものとしての イデアが あった — それが,形而上学の主導的命題です.

それに従う限り,現代のニヒリズムは「本当に存在するもの」の価値が 失われた ということであり,それを超克するためには,「本当に存在するもの」ないし その代わりになる価値を 改めて措定せねばならない,ということになります.

そして,Nietzsche は まさに そのことを 実行しました — Wille zur Macht[力への意志]と ewige Wiederkunft des Gleichen[同じものが 永遠に 回帰すること,永劫回帰]を 措定することによって.

しかし,それらは 明白に paranoisch[妄想的]な 構築物です.我々としては,それらを以て ニヒリズムは超克された と 見なすことは とてもできません.

Heidegger の 選んだ道は,Platon の イデア論 そのものを 批判することです.つまり,「源初に 本当に存在するものとしての 存在が 存在した」という形而上学の主導命題を 批判することです.

それによって,Heidegger は,形而上学の源初とは異なる もうひとつの ほかの源初 について 問うことになります.それを 彼は,Sein[存在]という語を バツ印で 抹消することによって,指ししるします:


「存在」を抹消することは,形而上学の基礎 (Grund) を 抹消することです.そのとき,存在 は ひとつの Abgrund[深淵]となります.が,それは 同時に Ab-grund[深淵的な基礎,基礎としての深淵]でもあり得ます.

そのような 源初論的な 存在 の 穴 を措定することは,形而上学の この思いこみを 否定することです :「源初においては 何も欠けてはおらず,すべては完璧であった;もし 今 何らかの欠如や欠落や欠陥が見出されるとすれば,それは,源初より後に 何かが欠けたからである」.

そうすることによって,我々は,何らかの新たな価値を妄想的に措定することによってニヒリズムを超克しようとする 不可能な試みを 断念することができます.

そして,そのとき,ニヒリズムの超克の可能性は このことに存することになります:源初論的な 存在 の 穴を 穴として受けいれ,その 存在 の 穴を 我々自身 生きること.

源初に ひとつの Ab-grund の 穴が あった — そのことを 我々は 実は 聖書の冒頭に 見出すことができます(Heidegger は 明確に そう指摘しては いませんが).旧約聖書です.つまり,ユダヤ民族が 神との関係において 古代ギリシャ文明の黄金時代よりも前に 書き上げた テクストです.

その最初の書『創世記』は こう始まります :「源初において,神は 天と地を 創造した.そのとき,地は 無定形であり 空虚であった.闇が 深淵のおもてにあった.そして,神の息吹が 水のおもてに 動いていた」.

その「深淵」という語(ヘブライ語では תְּהוֹם [ tehom ], ギリシャ語では ἄβυσσος[この語は,英語の abyss および フランス語の abysse の 語源であり,ドイツ語では Abgrund と訳され得ます])は「源初論的な穴」(否定存在論的孔穴)を 指している — 我々は そう読むことができます.

この創世記の冒頭は,「無からの創造」(creatio ex nihilo) という 神学の概念を 動機づけています.また,「無からの創造」は,終末論 (eschatology, eschatologie) とも 相関的です — もっとも,その終末は,単純に すべてが無に帰することではなく,而して,永遠の命[いのち]における救済に 存します.

「無からの創造」と 終末論は,ユダヤ教と キリスト教と イスラム教に 共有されています.ほかの文化圏(日本を含む中国文化圏,ヒンズー教が支配的なインド文化圏)にとっては 異質な考え方です.しかし,「無からの創造」と 終末論にもとづかない限り,現代の最大の問題である「ニヒリズムの超克」に取り組むことは できません.

穴は源初論的であり,それを 塞ぐことも 隠すことも 決して できない.そのことを自覚すれば,我々は,穴を塞いだり隠したりする試みを 断念することができます — それは達成不可能な試みですから.そして,我々自身,穴として生きる という 終末論的な覚悟における生き方を 生きることができます.精神分析の終結において成起する「欲望の昇華」は,それにほかなりません.

ですので,お勧めする読書は,Heidegger と 神学です.ただし,Heidegger は ドイツ語で読まないと 本当には読むことはできません.ドイツ語で読めなければ,せめて 英訳で読んでください.邦訳では読めません(ただし,ドイツ語はできないが Heidegger を読んでみたいと思っている日本人には,わたしは,先ほども言及した 彼の『ニーチェ』講義の邦訳を 勧めています).Heidegger は 中国語には翻訳されているでしょうか?

神学に関しては,キリスト教を 中国文化や日本文化には異質なものとして 敬遠している限り,あなたの思考が深まることはない,と わたしは断言します(カトリックであるわたしがそう言っても 眉唾ものだ と あなたは思うでしょうが).

神に対して心を閉ざし続ける社会が どうなるか — 着々と自滅に向かいつつある 今の日本社会は その典型例です.

神学を学ぶためには,まず 聖書を読む必要があります(聖書は神学書ではありませんが).

神学そのものに関する入門書は 何がよいか?これは難問です.早稲田大学の図書館で探してみてください.ただ,キリスト教神学も 非常に多様です.わたし自身はカトリックですから,やはり,プロテスタントの著者の本よりは,カトリックの著者の本を お勧めしたいと思います.今 Google で探したところ,フランス語原著の『カトリック神学入門』が 目にとまりました.図書館にあるでしょうか?


神経衰弱 (Neurasthenie) について:

Neurasthenie は,19世紀に 広く通用していた概念ですが,今の精神医学においては もはや 疾病単位 (clinical entity) とは 見なされていません.

もし 男女の性別に関連づけるなら,ヒステリーが女性の病理であるとすれば,男の病理の代表例は 強迫神経症 (Zwangsneurose, obsessive-compulsive disorder) です.しかし,強迫神経症は 女性でも 珍しくはありませんし,男性のヒステリー患者も います.

いずれにせよ,「神経衰弱」を論じようとすることは,もはや時代錯誤です.

男女の性別に関しては,否定存在論的孔穴を塞ぐ phallus に準拠する必要があります.が,ここでは その問題には 立ち入りません.


川端康成の「記憶」に関して:

川端康成の父は 彼が 19ヶ月のときに死に,ついで 彼の母も 彼が 2歳 7ヶ月のときに死んだ という 伝記的な事実は,彼が とても幼いときに 死の穴(喪失の穴)に直面させられた ということを 示しています.死の穴との直面の経験は,当然,彼に対して外傷的に作用したはずです.だからこそ,その記憶は 排斥(Verdrängung,「抑圧」)されました.彼は 両親の死そのものについて みづからは 何も想起することはできない.その代わりに,親戚の人々の言葉が 想起される.つまり,それらの言葉は 彼にとって 死の穴を 塞ぐ あるいは 隠すものです.

彼の作品は 両親の死の穴をめぐりつつ為された創造である と 言うことができるかもしれません — たとえ 死が主題的に扱われてはいない作品でも.しかし,結局,彼は喪を克服することはできなかったのではないか — 彼の 72歳での 自殺は そのことを示唆しているように 思われます.

わたしは,川端康成の作品のなかで読んだことがあるのは,『伊豆の踊子』と『雪国』だけなので,確たることは何も言えません.しかし,彼の自殺の理由は 単純な伝記的研究では 見えてこないだろう ということは 確かでしょう.ノーベル文学賞の誉れを受けた 72歳の作家が,病苦も無いのに,何故 自殺を選んだのか ? 幼児期の死の穴の経験 以外に,説得力のある答えを見出すのは,困難でしょう.

2021年9月24日

Quelques remarques sur la corrélation entre les quatre discours de Lacan et la théorie freudienne du développement libidinal

 


Quelques remarques sur la corrélation entre les quatre discours de Lacan et la théorie freudienne du développement libidinal




 

Cet article est pour présenter une petite idée que j’ai eue à partir du schéma que Lacan nous présente au commencement de la séance du 19 juin 1963 de son Séminaire X L’angoisse (à la page 341 de la version du Seuil).


À partir de là, je fais quelques remarques : 1) ce schéma-là correspond au processus dialectique du trou du sujet $ que Lacan formalise avec les quatre discours, excepté la phase conclusive qui est le discours de l’analyste ; 2) à la phase phallique qui se situe là au sommet central, correspond la structure du discours du maître qui est une formalisation lacanienne de la phase archéologique de l’Histoire de l’être ; 3) à partir de là, la structure peut régresser aux stades prégénitaux, auxquels correspond la structure du discours de l’hystérique où le trou du sujet $ est obturé par l’objet a ; 4) et aussi à partir de la phase phallique, la structure peut « progresser » au stade scopique et au stade de la voix (le surmoi), auxquels correspond le discours de l’université où le trou du sujet $ est obturé par le surmoi (le signifiant maître S1) et où l’objet a dans le fantasme se situe au le bord du trou du sujet $ ; 5) le mythe de la horde primitive et du meurtre de l’Urvater que Freud nous présente dans son Totem et tabou est une mythification du passage « progressif » du discours du maître au discours de l’université.

Quand Lacan nous présente « les schèmes structuraux des quatre discours » dans la dernière page de sa Radiophonie (cf. Autres écrits, p.447), il y ajoute ces remarques : « le discours du maître s’éclaire par régression au [1] discours de l’hystérique » et « le discours de l’université s’éclaire de son progrès dans le discours de l’analyste ».

[1] On trouve à la page 447 des Autres écrits ceci : « par régression du discours de l’hystérique », mais il nous faut lire ceci : « par régression au discours de l’hystérique », puisque à la page 436 Lacan dit du discours du maître ceci : « C’est d’un effet de régression que s’opère le passage [ du discours du maître ] au discours de l’hystérique ». Ainsi c’est bien le passage du discours du maître au discours de l’hystérique qui est une régression, non pas le contraire.

Donc les quatre discours sont dotés d’une orientation : le progrès consiste dans la transformation de la structure du discours de l’hystérique en celle du discours du maître, la transformation de la structure du discours du maître en celle du discours de l’université et la transformation de la structure du discours de l’université en celle du discours de l’analyste ; et la régression consiste dans les transformations inverses.


Et ce terme « régression » nous suggère que Lacan pense à une certaine analogie entre les quatre discours et les stades du développement libidinal dont Freud suppose qu’il part du stade oral et, en passant par le stade anal, arrive à la phase phallique ou à l’organisation génitale [2] où les pulsions partielles prégénitales seraient unifiées sous le primat du phallus pour que la pulsion sexuelle puisse servir à la procréation en tant que sa finalité.

[2] Il y a une ambiguïté chez Freud en ce qui concerne la position de l’organisation génitale : soit il la situe avant la période de latence (c’est-à-dire l’organisation génitale infantile), et dans ce cas-là elle coïncide avec la phase phallique, soit il la situe après la période de latence (c’est-à-dire l’organisation génitale finale), et dans ce cas-là elle est le stade final de maturation de la pulsion sexuelle, dans lequel sa finalité de procréation est réalisable. De toute façon, la phase phallique et l’organisation génitale se caractérisent, toutes les deux, par le primat du phallus, sous lequel s’unifieraient les pulsions partielles prégénitales.

Alors, quelle serait la corrélation entre les quatre discours et les stades du développement libidinal ?

La réponse nous en est suggérée par le schéma des « formes stadiques de l’objet » que Lacan nous présente au commencement de la séance du 19 juin 1963 de son Séminaire sur l’angoisse, et ce pour nous expliquer la structure obsessionnelle.


Dans ce schéma-là, la flèche part du stade oral (les seins) et monte, en passant par le stade anal (l’excrément), vers le sommet qui consiste dans la phase phallique ou le manque phallique ( − φ ), c’est-à-dire l’impossibilité (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) du phallus Φ sous le primat duquel réaliserait l’organisation génitale 
[3]. Et à partir de là, elle descend, en passant par l’étage scopique (le regard) ou la formation du fantasme (l’imaginaire), pour aboutir à l’étage de la voix ou à l’institution du surmoi et de l’idéal du moi (le symbolique).

[3] L’impossibilité du phallus Φ sous le primat duquel réaliserait l’organisation génitale ou la phase phallique, autrement dit le fait que ce phallus Φ est un signifiant qui ne cesse pas de ne pas s’écrire, c’est ce que veut dire la formule lacanienne : « il n’y a pas de rapport sexuel ».

Dans ce schéma-là, il serait naturel de supposer que le vecteur ascendant indique le progrès et que le vecteur descendant la régression, mais ce n’est pas si simple que cela, puisque Lacan y ajoute ces remarques : « dans une régression il y a une face progressive » et « dans tout accès progressif au stade ici posé comme supérieur, il y a une face régressive ».

Là, nous trouvons quelque chose de nouveau chez Lacan par rapport à Freud. Ce dernier croit qu’un enfant peut atteindre vers 5 ans – c’est-à-dire à l’apogée du complexe d’Œdipe – le stade de l’organisation génitale ou la phase phallique, et qu’il régresse de là aux stades prégénitaux à cause de l’interdiction de l’inceste ou à cause de l’angoisse de castration, ces deux éléments – l’interdiction de l’inceste et le complexe de castration – étant intrinsèques au complexe d’Œdipe.

En revanche, Lacan dit que la flèche qui descend à partir de la phase phallique pour aboutir au surmoi, est à la fois régressive et progressive : régressive pour autant qu’elle va du génital (le phallus) au prégénital (l’objet a : le regard et la voix), et progressive pour autant qu’elle arrive à l’institution de l’instance nouvelle que sont le surmoi et l’idéal du moi.

Alors, quelle serait la relation entre la phase phallique et le surmoi ? Freud nous en donne la clef de la réponse par cette thèse qu’il nous avance dans Le moi et le ça : le surmoi est l’héritier du complexe d’Œdipe.

Comme on le sait, Freud traite de la question de savoir comment on passe de la phase phallique à la formation du surmoi aussi bien dans Le moi et le ça que dans Le déclin du complexe d’Œdipe, mais pour notre part, nous interprétons la formule freudienne : « le surmoi est l’héritier du complexe d’Œdipe » de façon topologique.

Du point de vue topologique que Lacan nous enseigne, nous dirons ceci : l’instance du surmoi est instituée à la place du phallus impossible Φ (qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) pour obturer le trou du ( − φ ), que Lacan dans la séance du 26 juin 1963 de son Séminaire sur l’angoisse appelle aussi « le trou central », « le trou phallique au centre du génital », « la béance centrale du désir phallique » et « le trou castratif », c’est-à-dire le trou central et fondamental du non-rapport sexuel [4].

[4] Lacan dira au commencement de la séance du 11 avril 1978 de son Séminaire XXV Le moment de conclure ceci : « J’ai énoncé – en le mettant au présent – qu’il n’y a pas de rapport sexuel. C’est le fondement de la psychanalyse ». L’expression « le trou du non-rapport sexuel » est utilisée par Lacan dans la séance du 15 avril 1975 de son Séminaire XXII R.S.I.


Alors les trois instances de la seconde topique de Freud sont situables dans la structure de l’aliénation et celle du discours de l’université de façon suivante :


Si j’ajoute une remarque sur ce que Lacan dit dans la séance du 15 décembre 1965 (Le Séminaire XIII L’objet de la psychanalyse) au sujet du schéma de l’aliénation et du « trou du manque de l’objet a », je dirai ceci : que dans la topologie de l’aliénation, l’objet a fait le bord du trou de sorte qu’il peut se présenter lui-même comme un trou.


Si nous projetons la structure de l’aliénation sur le plan projectif (le cross-cap, ou, comme Lacan l’appelle dans L’Étourdit [cf. Autres écrits, pp.471ff.], l’asphère) qui se forme par l’identification du bord du disque (qui est homéomorphe à la sphère trouée) et de celui de la bande de Möbius, l’objet a fait le bord de la bande de Möbius, et le S1 est ce qui obture le trou.

Les deux éléments qui composent le plan projectif (le cross-cap, l’asphère) : la sphère trouée qui est homéomorphe au disque, et la bande de Möbius. On obtient le plan projectif par l’identification du bord du trou avec celui de la bande de Möbius.

Par sa position au bord du trou dans la structure de l’aliénation (qui est aussi la structure du discours de l’université), l’objet a (vert) fait la fonction de joindre l’une à l’autre ces trois surfaces : la sphère trouée (bleu), la bande de Möbius (rouge) et la surface de ce qui obture le trou (jaune).


Cette fonction de joindre les trois surfaces se retrouve dans la fonction du quatrième rond de ficelle dans le nœud borroméen à quatre, qui noue les trois autres de façon borroméenne. Lacan appelle cette fonction du quatrième rond « nodalité » dans son Séminaire XXI Les non-dupes errent et « nomination » dans son Séminaire XXII R.S.I.


Maintenant, nous sommes prêts à présenter le schéma suivant qui est une schématisation topologique des quatre discours :


Si je les explique de nouveau, primo, le domaine bleu correspond à la place de l’agent des quatre discours et à la sphère trouée (parmi les composants du plan projectif), et sa fonction est la consistance (l’imaginaire) ; secundo, le domaine rouge correspond à la place de la production et à la surface möbiusienne, et sa fonction est l’ex-sistence (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire) ; tertio, le domaine jaune correspond à la place de la vérité et au trou fondamental du non-rapport sexuel (qui est obturé par ce qui s’installe dans la place de la vérité), et sa fonction est la différence (le symbolique) ; et quarto, le bord vert correspond à la place de l’autre des quatre discours. Il est à la fois le bord de chacun des trois domaines et ainsi les joint l’un à l’autre. Et sa fonction est la nodalité (le réel en tant que ce qui ne cesse pas de s’écrire) qui noue de façon borroméenne les trois ronds du réel (en tant que ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), du symbolique et de l’imaginaire, ou la nomination qui donne à ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire un nom qui ne cesse pas de s’écrire.

Les trois flèches (deux flèches de « progrès », une desquelles va du discours du maître au discours de l’université et une autre va du discours de l’université au discours de l’analyste, et une flèche de régression qui va du discours du maître au discours de l’hystérique) indiquent que le point de départ est le discours du maître. En effet, quand il nous présente les quatre discours dans la première séance de son Séminaire XVII (1969-1970), Lacan nous dit que le discours du maître en est la « première forme ».

Mais, plus précisément, en quel sens le discours du maître est-il le premier parmi les quatre ? C’est en ce sens-ci : que le discours du maître correspond à la phase archéologique de l’Histoire de l’être [5].

[5] « Die Geschichte des Seyns » est le nom que Heidegger a donné en 1938 à son penser de l’être (das Denken des Seyns). Dans ses « cahiers noirs » de l’après-guerre, il écrit souvent « die Geschichte des Seyns » en barrant le mot « Seyn » d’une croix (das durchgekreuzte Seyn) pour indiquer qu’il s’agit là du fondement abyssal (Ab-grund) sur lequel se fonde l’ontologie à son insu (puisqu’elle l’a forclos à son commencement chez Platon ou chez des présocratiques). Du point de vue topologique, nous appelons cet Ab-grund des Seyns « trou de l’être » et « trou du sujet $ ». Comme je l’ai déjà dit ailleurs, il est très probable que Lacan a inventé son mathème du sujet barré $ à partir du « Sein » qui se trouvait dans l’article de Heidegger Zur Seinsfrage (1955). Nous appelons das Denken des Seyns de Heidegger « ontologie apophatique », puisqu’il ne s’agit plus là de l’être métaphysique mais bien du trou de l’être.

Si je présente cette Histoire de l’être d’une façon topologique, j’y distingue ces trois phases : 0) la phase archéologique, 1) la phase métaphysique et 2) la phase eschatologique. Dans la phase archéologique, le trou du sujet $ était ouvert. Au moment du commencement de la phase métaphysique, ce trou du sujet $ est obturé par le signifiant maître S1 [6] qui par là refoule le trou du sujet $ dans la localité de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire (l’impossible). Dans la terminologie freudienne, nous pouvons dire Urverdrängung (archirefoulement) du sujet $, et dans la terminologie lacanienne la forclusion du sujet $.

[6] Le premier S1 dans l’histoire de la philosophie serait ou bien le Ἕν héraclitien ou bien l’ἰδέα platonicienne – Heidegger n’est pas tranchant là-dessus.


En corrélation avec cet archirefoulement du trou du sujet
$ dans la localité de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire (l’impossible), l’objet a se multiplie en tant que ce qui ne cesse pas de s’écrire (le nécessaire) au bord du trou pour porter les traces du sujet $ archirefoulé.

Enfin vient la phase eschatologique qui commence à la fin de l’âge classique (la fin du XVIIIe siècle) où l’obturation du trou par quelque chose de métaphysique et d’idéal (S1) s’annule sous l’effet des discours de la science et du capitalisme de sorte que le trou du sujet $ va surgir comme une béance.


Mais il y a des résistances véhémentes contre l’ouverture du trou du sujet $, parce que ce trou a la signification angoissante de la mort, du néant et du péché originel. La résistance s’exerce soit par l’installation de nouveaux signifiants maîtres S1 pour obturer de nouveaux le trou, soit par la multiplication indéfinie de l’objet a au bord du trou pour le dissimuler.

En conséquence, il y a des va-et-vient indéfinis entre la structure de l’aliénation et celle de la séparation, ce que Lacan appelle « pulsation temporelle » dans son Séminaire XI et dans son écrit Position de l’inconscient.

Aujourd’hui, nous sommes encore dans cette phase eschatologique de l’Histoire de l’être. De nouveaux signifiants maîtres S1 deviennent de plus en plus paranoïaques, et l’objet a ne cesse pas de s’écrire sous les formes diverses de plus-de-jouir et de plus-value.

Alors, nous pouvons mettre en corrélation cette conception heideggérienne de l’Histoire de l’être avec les quatre discours de Lacan de façon suivante :

0) la phase archéologique où le trou du sujet $ était ouvert, correspond au discours du maître où le sujet $ se situe dans la place de la vérité, ce qui veut dire que le trou du sujet $ et le trou archéologique du non-rapport sexuel ne font qu’un seul et même trou ;

1) la phase métaphysique et la réobturation du trou par de nouveaux signifiants maîtres S1 dans la phase eschatologique correspondent au discours de l’université où le signifiant maître S1 se situe dans la place de la vérité, ce qui veut dire que le trou du non-rapport sexuel est obturé par le signifiant maître S1 ;

2) le surgissement béant du trou du sujet $ dans la phase eschatologique correspond au discours de l’analyste où le sujet $ se situe dans la place de l’autre, ce qui veut dire que le sujet $ fait le bord du trou apophatico-ontologique de sorte qu’il se manifeste comme un trou béant.

Alors, revenons au schéma des « formes stadiques de l’objet ».


Là la flèche part du stade oral, mais c’est pour autant que Freud suppose que le développement libidinal commence par là à partir du fait empirique que l’être humain commence sa vie comme un bébé qui suce les seins maternels. Lacan renverse cette supposition naïve de Freud : le point de départ est la phase phallique où le trou du non-rapport sexuel ( − φ ) était ouvert. Elle est le point de départ parce qu’elle correspond à la phase archéologique de l’Histoire de l’être et à la structure du discours du maître où le trou de l’être (le trou du sujet $) était ouvert dans sa position centrale et fondamentale.

Cette perspective-là nous permet une nouvelle interprétation du mythe du patriarche (Urvater) que Freud nous raconte dans son Totem et tabou. Il nous le présente là comme un maître tout-puissant qui jouit du rapport sexuel et génital avec toutes les femmes (c’est-à-dire avec La Femme qui est en fait impossible) sans aucune restriction. Ainsi, il nous dit qu’au commencement mythique il existait au moins un pour qui la jouissance phallique de La Femme était pleinement possible. Mais ce n’est qu’un mythe, et un mythe nous dit la vérité par une fiction mythologique. Quelle vérité ? Cette vérité qu’il n’y a pas de rapport sexuel, c’est-à-dire le phallus patriarcal Φ en tant que condition de la possibilité de l’organisation génitale, est en fait impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire). Ce que le patriarche mythique à la fois nous cache et nous représente, c’est cette vérité-là. Et le discours du maître formalise justement cette vérité par la position archéologique du trou du sujet $ qui est aussi le trou du non-rapport sexuel ( − φ ).

Alors, passons de la phase phallique à la formation du surmoi. Ce processus correspond à la transformation « progressive » de la structure du discours du maître en celle du discours de l’université.

 
C’est ce processus de transformation structurale que le mythe du meurtre du patriarche mythifie. Les fils (les esclaves) S2 tuent le père (le maître) S1 pour s’installer eux-mêmes dans la place du maître (la place de l’agent). Et ils mangent de la chair du père mort pour incorporer (s’approprier, s’identifier à) la toute-puissance patriarcale, c’est-à-dire le phallus patriarcal Φ tout-puissant et tout-jouissant. Mais puisque ce phallus patriarcal Φ est en fait impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), ce qu’il incorpore et ce à quoi ils s’identifient, c’est le signifiant maître S1 en tant que surmoi et idéal du moi, lequel signifiant s’installe dans la place de la vérité pour obturer le trou apophatico-ontologique. Le désir archéologique $ est maintenant archirefoulé dans la place de la production (la place de ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire), et le petit a qui était La Femme impossible dans le discours du maître, apparaît maintenant dans la place de l’autre en tant que femmes (des femmes qui existent comme objet cause du désir) et en tant qu’objet a dans le fantasme.

Si Lacan réduit le surmoi à l’impératif catégorique « Jouis ! », c’est parce que le surmoi S1 est l’héritier du complexe d’Œdipe, lequel suppose la téléologie de l’organisation génitale où devrait se réaliser la jouissance génitale de La Femme.

Mais, en fait, cette téléologie œdipienne est impossible parce que le phallus patriarcal Φ en tant que condition de la possibilité de l’organisation génitale est impossible (ce qui ne cesse pas de ne pas s’écrire). Ainsi, l’exécution de l’impératif surmoïque est aussi une tâche impossible à accomplir. Alors le surmoi ne cesse pas d’ordonner de jouir, ce qui veut dire que l’impératif surmoïque n’est pas simplement « Jouis ! », mais « Jouis toujours encore plus ! ».

C’est cet impératif surmoïque « Jouis toujours encore plus ! » qui conditionne la multiplication indéfinie et répétitive du plus-de-jouir a.

Si Lacan ne nomme pas cette structure « discours de l’obsessionnel », nous pourrions ainsi appeler le discours de l’université par rapport au discours de l’hystérique.

Alors, passons à la régression du discours du maître au discours de l’hystérique.

 
Maintenant, ce qui caractérise le discours de l’hystérique est très clair : c’est la position de l’objet a prégénital qui obture le trou du non-rapport sexuel. C’est en cela que consiste la fixation orale de l’hystérique.

Nous pouvons maintenant situer dans cette structure-là ce que Freud appelle identification hystérique. C’est bien par le moyen de l’objet a oral que la spirituelle bouchère (cf. le chapitre IV de L’Interprétation du rêve) qui se refuse la jouissance du caviar, s’identifie avec son amie qui se refuse la jouissance du saumon fumé. Elles ne se soumettent pas à l’impératif surmoïque ni elles ne poursuivent la multiplication du plus-de-jouir, mais elles se défendent contre l’angoisse devant le trou du non-rapport sexuel simplement au moyen de l’objet a qui l’obture.

Et nous pouvons voir là aussi la position de Dora $ qui s’interroge sur la jouissance de La Femme S2 (incarnée par Madame K) par l’intermédiaire de son père S1, l’impuissance duquel est représentée par l’impuissance du S1 d’obturer le trou, puisqu’il n’est que le bord du trou, non pas le phallus Φ qui obturerait le trou du non-rapport sexuel.

Je ne traiterai pas ici de la transformation « progressive » de la structure du discours de l’université en celle du discours de l’analyste, parce que je me limite à examiner le schéma des « formes stadiques de l’objet ». Si vous vous y intéressez, vous seriez invités à lire mon article Vous avez dit « le dernier enseignement de Lacan » ? – Quelques remarques critiques contre Jacques-Alain Miller en guise de commémoration du 40ème anniversaire de la mort de Jacques Lacan.