tag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post4776959826214805695..comments2023-08-12T09:36:31.107+09:00Comments on ラカン派 精神分析家 小笠原晋也の ブログ: ハィデガーと親鸞: 或る浄土真宗僧侶の作り話についてLuke Shinya Ogasawarahttp://www.blogger.com/profile/00699143860036094488noreply@blogger.comBlogger8125tag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-65720980493720581792023-08-12T09:36:31.107+09:002023-08-12T09:36:31.107+09:00わたしは Heidegger の専門家ではありませんし,アカデミズムのなかで Heidegger 研...わたしは Heidegger の専門家ではありませんし,アカデミズムのなかで Heidegger 研究をしている人々とも 交流がありませんので,彼らが この問題について どう思っているかは 知りません;彼らが この問題を知っているのかも 知りません.わたし自身,ある人に教えてもらって,この問題を初めて知りました.Luke Shinya Ogasawarahttps://www.blogger.com/profile/00699143860036094488noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-16475796571440877442023-08-11T22:35:16.414+09:002023-08-11T22:35:16.414+09:00ハイデッカー研究者たちの意見はないのでしょうか。ハイデッカー研究者たちの意見はないのでしょうか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-50256773605660014692021-04-21T00:08:48.671+09:002021-04-21T00:08:48.671+09:00メルマガでこの文章を知り、一瞬あり得るかもと思いましたが、よく読み返すと、ハイデガーらしくない文章で...メルマガでこの文章を知り、一瞬あり得るかもと思いましたが、よく読み返すと、ハイデガーらしくない文章であることがだんだん気になってきました。で、ここにたどり着いて、私の中では、一件落着という心境です。詳しく調べていないので推測の域を出ませんが、ハイデガー研究者は日本に多いです。で、彼の著作をすべて見ている研究者も多いはず。そのハイデガー研究者からこの歎異抄に関するハイデガーの見解についての紹介がないということは、おそらく、ハイデガーの原文章はないのでしょう。となると、創作・偽書となります。偽書は偽書として断罪すべきです。そこにはどんな言い訳も不必要。なによりも創作した本人が偽書との断定を後世してほしいだろうと私が当事者なら思います。死んでも死にきれない汚点のままになり、それが永らえることは恥じです。親鸞とて、ハイデガーを語った詐欺的信仰があるのであれば、そんなことはまったく望んでいないはず。むしろ、親鸞の悲しみでしょう。もし、親鸞の悲しむような行為をあえて親鸞を大切に思っている方々がしているのであれば、改めるべきでしょう。親鸞はそんな偽りハイデガーの力を借りずとも、日本の知的宝ですから。<br /><br />武田さんの文章、ハイデガーが親鸞に傾倒しようがしまいが、問題は彼がこの文書を書いたのかどうかです。<br /><br />ハイデガーの晩年の思想は明確です。端的に言えば、存在は存在に語らしめよ、ということだろうと思います。それが彼が待ち望んでいた「神のようなもの」であり、かつ、彼は待ち望むという知的活動をも断念したと思います。待ち望むとき、眼前の存在はおおわれてしまいます。それはもし今回の文書が偽書であれば、親鸞の素晴らしさを待ち望むがために、親鸞にまつわる偽書を信じ込み、親鸞とハイデガーを同時に冒涜する行為ににています。<br /><br />渡辺清文noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-46700329019275952122020-09-13T17:50:18.138+09:002020-09-13T17:50:18.138+09:00コメントと御質問をくださり,ありがとうございます.9月14日から 精神分析 Twitter Semi...コメントと御質問をくださり,ありがとうございます.9月14日から 精神分析 Twitter Seminar https://twitter.com/ogswrs で お答えして行きたい と思います.Luke Shinya Ogasawarahttps://www.blogger.com/profile/00699143860036094488noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-70457484738302102122020-09-07T01:36:38.843+09:002020-09-07T01:36:38.843+09:00先ほどのコメントで、シュピーゲル対話を1963年と書いたように思いますが、1966年です。訂正します...先ほどのコメントで、シュピーゲル対話を1963年と書いたように思いますが、1966年です。訂正します。記憶に頼って書いたので、間違えました。武田康弘https://www.blogger.com/profile/16362548951673363792noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-7357990847003235692020-09-07T00:07:33.346+09:002020-09-07T00:07:33.346+09:00ハイデガーは、1963年のシュピーゲル対話で、自身の存在論の挫折を語り、哲学にはもはや何も期待できな...ハイデガーは、1963年のシュピーゲル対話で、自身の存在論の挫折を語り、哲学にはもはや何も期待できないと語りました。哲学のかわりは、科学、サイバネティクスだと述べていますから、その点からは、親鸞に傾倒したという話もありうるのではないか、と思います。<br />われわれ人類は、いつか(何百年後?)現れる神のようなものを待つだけだ、と語るハイデガーは、自らの何おいて、デカルトにはじまる近代西欧哲学(スコラ哲学の改革)の終焉を語ったと見るのが妥当だと思いますが、如何お考えでしょうか。武田康弘https://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesennoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-51333447841704024272015-07-13T16:49:13.032+09:002015-07-13T16:49:13.032+09:00コメントくださり,ありがとうございます.Heidegger に言及している YouTube の話しも...コメントくださり,ありがとうございます.Heidegger に言及している YouTube の話しも,親覧会の site の記事も,2015年7月13日の時点では削除も訂正もされていません.そのことが,親覧会が如何なるものであるかを雄弁に物語っています.Luke Shinya Ogasawarahttps://www.blogger.com/profile/00699143860036094488noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2039210666400364280.post-71316364506086628082015-07-12T17:27:59.259+09:002015-07-12T17:27:59.259+09:00この「ハイデガーは晩年,歎異抄に驚嘆し,親鸞聖人に帰依した」とする松野尾潮音氏の文章とほぼ同じものが...この「ハイデガーは晩年,歎異抄に驚嘆し,親鸞聖人に帰依した」とする松野尾潮音氏の文章とほぼ同じものが、昭和44年から57年に浄土真宗親鸞会が発行した、親鸞会会長、高森顕徹著「こんなこと知りたい」1~4巻のすべての「はしがき」に記述されています。<br />この本は親鸞聖人の教えをQ&Aで解説したというものですが、読者対象を親鸞会会員としているためか、富山県射水市にある親鸞会館内でしか購入できません。<br />この本のはしがきが虚偽の文章を転用したものであると同様に、本文も親鸞聖人の教義を歪曲したことが少なからず書かれています。<br />高森会長の著作物には、伊藤康善氏や大沼法龍氏の著作から盗作したと思われる記事が多々あることからも、このハイデガーの記述が高森会長に都合のいい文章だったので何ら検証もせず転用したのでしょう。<br />Anonymousnoreply@blogger.com