彼は,サウジアラビアにおける政治的自由を求めるために2008年に blog を始めました.そして,そのことだけのせいで,イスラム教侮辱の罪,ならびに情報管理法違反の罪で,鞭打ち1000回と禁固10年の有罪判決を受けました.
しかしさらにサウジアラビア当局は,彼を背教罪で再び裁判しようとしています.最悪の場合,背教罪には斬首刑が適用されます.
現代日本人,いや 世界の人々の一番の関心と苦悩は,平和の問題に対する見通しが立たないことだ と思う.キューバ問題が緊迫して,まかりまちがえば水爆戦争に突入するんじゃないかという前夜,東京新橋の芸者たちは 自前で徹夜して飲んだ という.人間に生まれて 今まで,他人の気がねばかり気づかって,お酌ばかりしてきた.それでは 死んでも死にきれない.ひとつ 今晩 大いにやろうというので,仲間だけで飲んだ.幸い戦争が避けられて,明朝は 頭の痛いのと莫大な勘定だけが残ったという.しかし 笑いごとではない.誠実に人生を生きようとしない今日の刹那的感覚のみに明け暮れていたのでは,このように取りみだすのも無理はない.
常に 私どもの頭の上には 平和問題が覆い被さっているが,今,長いものは考えられない.昔に比べると 生活設計の時間が短くなってきた.つい 投げやりになる.今の世界の人のものの見方,考え方の特徴は,やっぱり この問題の見通しがつかないところから色づけられている.平和の理想像だけを言っていたのでは 始まらない.平和の問題をどうしたら見通しづけられるか,自分の問題として取り組み,思想的な遍歴の挙句に 親鸞聖人の歎異抄に到って,「これだ!この教えあってこそ 初めて 平和の問題に対する見通しは明らかになる」と 深くこれを喜び,トインビーにその見解を支えられながら,先に『現代に生きる歎異抄』を著し,その後,同志相寄って歎異抄研究会を組織し,東洋文庫を発刊したのは,日銀の行員で,仏教に縁のなかった人であった.
また 外国では 戦後,一世を風靡した老哲学者ハイデッガーが 老後の日記にて「今日,英訳を通じて 初めて 東洋の聖者 親鸞の歎異鈔を読んだ.『弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり』とは,何んと透徹した態度だろう.もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら,自分は ギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった.日本語を学び,聖者の話しを聞いて,世界中にひろめることを生きがいにしたであろう.遅かった」と書いている.更に「自分の側には 日本の哲学者,思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった.ほかのことではない.思想・哲学の問題を随分話し合ってきたが,それらの接触を通じて,日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらしなかった.日本の人たちは 何をしているのだろう.日本は 戦いに敗けて,今後は 文化国家として 世界文化に貢献するといっているが,私をして言わしむれば,立派な建物も美術品もいらない.なんにも要らないから,聖人の御教えの匂いのある人間になって欲しい.商売,観光,政治家であっても,日本人に触れたら何かそこに深い教えがある という 匂いのある人間になって欲しい.そしたら 世界中の人々が この教えの存在を知り,フランス人はフランス語を,デンマーク人はデンマーク語を通して,聖人の御教えをわがものとするであろう.そのとき 世界の平和に対する見通しがはじめてつく.二十一世紀文明の基礎が置かれる」と述べている.
ここに改めて我々のなすべきことは 何であるか.聖人がなんとおっしゃったかということを超えて,今の私の日暮らしを御覧になったら なんとおっしゃるであろうか.回顧,反省させて頂き,その場から身にかけて実践する.実践によってあらたな問いを持つ.問いをもって聖教をふり返る.聞かして頂いたところから身にかけて実践する.身体で念仏する日暮らしにかえらせて頂くことが,私どものなすべき唯一の方途の営みであることを しみじみ頂くことである.
わたしの思考の決定的な経験 — つまり,西洋の哲学にとっては,西洋的思考の歴史の思い起こし — は,次のことを わたしに 示現しました:従来の思考において決して措定されなかった問いが ひとつある.それは 即ち,存在に関する問いです.そして,その問いが有意義であるのは,我々は西洋的思考において人間の本有を次のことによって規定するからです:即ち,人間は,存在へ応語することによって,存在との関係において 立ち,実存している,ということ.つまり,人間は,そのような応語するものとして,言語を有する存有である.仏教とは異なり — と わたしは思いますが —,西洋的思考においては,人間とほかの生物 — 植物や動物 — との間には,本有的な区別が為されています.人間は,言語を有するということによって 特徴づけられています.即ち,人間は,存在との知的関係 — そこにおいて人間は存在を知り得るところの関係 — に立っている,ということによって 特徴づけられています.しかるに,存在に関する問いは,西洋的思考のこれまでの歴史においては 措定されませんでした.あるいは,よりはっきり言えば,この観点においては,これまで 存在は 人間に対して 己れを秘匿してきました.であるがゆえに,わたしの確信によれば,存在に関する問いは 今や 措定されねばならないのです.同時に,人間とは何であり,誰であるか という問いに対する 答えを得るためにも.