2016年2月17日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 2015-2016年度 第13回,2016年2月19日

前回,2016年2月5日は,おもに Le séminaire sur « La lettre volée » の pp.24-25 (Écrits 原書の頁で) を読解しました.そこからふたつのことを取り上げましょう.ひとつは徴示素の質料性,もうひとつは反復です.

まずは,« la matérialité du signifiant » [徴示素の質料性,物質性] (p.24). « cette matérialité est singulière » [徴示素の質料性は,特異的である]と Lacan は言っています.

singulier という形容詞にはおもにふたつの意味があります:「奇妙な,奇異な」と「単数の,単独の」.

ところで,同じ形容詞 singulier は,p.23 では,英語の odd の訳語として,徴示素と場処との関係 – 盗まれた手紙 (lettre, 文字) はどこにも見つからないということ,すなわち,文字の無在性 [ nullibiété ]  – を形容するのに用いられています:

« la lettre a avec le lieu, des rapports singuliers, car ce sont ceux-là même qu'avec le lieu entretient le signifiant » [文字は,場処と,特異的な関係を持っている.そも,徴示素が場処と有する関係は,特異的な関係そのものである].

手紙(文字)は場処(警察が捜索する空間,le lieu de l'Autre, 他の場処)に対して singulier [特異的]な関係を有している.我々はこう言い換えることができます:問題の文字は,他の場処に対して ex-sistent [解脱実存的]である.

p.24 の「徴示素の特異的な質料性」に関しては,Lacan は「徴示素の分割不能性」を第一に挙げます.徴示素は分割不可能である,言い換えると,« le signifiant est unité » [徴示素は単一である].この unité は,「単数の,単独の」という意味における singulier と関連しています.

分割不可能な単一性を説明するために,Lacan はまずは逆に,部分冠詞を用いたさまざまな表現を提示します : de la signification, de l'intention, de l'amour, de la haine, du dévouement, de l'infatuation, etc. 意義,意図,愛,憎しみ,献身,うぬぼれ,等々,それらは全く質料的(物質的)ではありませんが,部分冠詞が付されることによって,その全部ではなく,部分的な若干量のみがかかわっている,ということが示されます.

それに対して,文字(手紙)に関しては Lacan はこう強調します : « jamais qu'il n'y ait nulle part de la lettre » [部分冠詞を付された lettre は,決してどこにも無い].

ところで,部分冠詞と言えば,我々は,Lacan が1971-72年の Séminaire XIX において提示する命題 : « il y a de l'Un » [一が有る]を思い起こすことができます.le signifiant Un [徴示素 1]には,Lacan は部分冠詞を付します.それに対して,unité [単一]としての徴示素には部分冠詞は付され得ない.いったい,どういうことでしょうか?

我々はこう答えることができます : 部分冠詞を付して de l'Un と呼ばれ得る le signifiant Un に対して,無在性における徴示素,特異的質料性における徴示素は,ex-sistent [解脱実存的]である.

この解脱実存的な徴示素 [ le signifiant ex-sistent ], その解脱実存的な質料性 [ matérialité ex-sistente ] における徴示素について,Lacan はこう言っています :

« le signifiant est unité d'être unique, n'étant de par sa nature symbole que d'une absence. Et c'est ainsi qu'on ne peut dire de la lettre volée qu'il faille qu'à l'instar des autres objets, elle soit ou ne soit pas quelque part, mais bien qu'à leur différence, elle sera et ne sera pas là où elle est, où qu'elle aille. »
[その徴示素は,単一である – その性質として,ひとつの不在を標す記号でしかないことにより,唯一的であるがゆえに.かくして,盗まれた手紙[解脱実存的徴示素]について,それは,ほかの物体と同様に,どこかに存在するか,または存在しないかのいずれかでなければならない,と言うことはできない.而して,ほかの物体とは異なり,それは,どこへ行こうと,存在するところにおいて存在し,かつ存在しないだろう.]

「ひとつの不在」とは,manque-à-être [存在欠如],すなわち ex-sistence [解脱実存]です.存在欠如を,我々は,抹消された徴示素ファロス φ を持って形式化することにしています.「ひとつの不在を標す記号」は,この φ にほかなりません.

技術的な理由により,ここでは我々は φ と表記しますが,可能であれば,$ Ⱥ に倣って,こう記したいところです:



この「盗まれた手紙についてのセミネール」では Lacan は,φ について「存在する」と言っていますが,より正確には,「解脱実存する」 [ ex-sister, ek-sistieren ] と言うべきでしょう.解脱実存的徴示素は,解脱実存するがゆえに,ひとつの存在事象としては存在しておらず,かつ,存在そのものとしては存有しています [ es west als Sein ]. なお,wesen という語をそのように動詞として用いるのは,Heidegger の工夫です.

φ は,localité d'ex-sistence ないし localité de l'être [解脱実存の在処,存在の在処] の学素です. 存在は das Selbe [本同] であり,einfach [純一]であり,唯一的です.分割不可能な単一です.存在の在処は,そのものとしては移動しません.

それに対して,解脱実存の在処へ閉出される徴示素があります.後者は移動します.移動可能な徴示素について,反復がかかわってきます.

p.25 で Lacan は反復の問題に言及していますが,この記事は既に長くなってしまったので,反復については別途解説することにしましょう.

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 第13回:

日時 : 2016年02月19日 19:30 - 21:00,
場所:文京シビックセンター(文京区役所の建物) 3 階 B 会議室.

引き続き,Lacan の Le séminaire sur « La lettre volée » の読解を行います.
参加費は無料,事前の申請や登録も不必要です.

テクストは各自持参してください.テクスト入手困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください : ogswrs@gmail.com

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