2015年1月27日

藤田博史氏の1月23日晩から24日未明にかけての Facebook 上での発言の要旨

「Lacan Séminaire XI を読んでも,わたしには得るものはさしてありませんでした.単なる Freud の言い換えにすぎません.今となっては古すぎます.

いまだに Lacan から得るものがあると思い込んでいる人々に警告せざるを得ません.Lacan の言っていることを無批判に受け容れることはとても危険です.

Lacan を翻訳するとき,訳語はどうでもよいのです.Lacan の用語の定義にこだわり,教条的になってくると危険です.

réalité [現実]と réel [実在]は,ともにラテン語の res に由来するが,Lacan において両者は峻別される,という話は,ほとんど腐敗したラカン派の常套句です.

精神分析を生業とする者であれば,Freud をドイツ語で読むことは絶対に必要です.

わたしは,学生時代に指導者にドイツ語を徹底的に鍛えられたおかげで,33歳までに Freud はほぼすべてドイツ語で読みました.拙著『精神病の構造』で引用した Freud はすべて Gesammelte Werke から直接訳出したものです.

Lacan に関しては,フランスで手に入るものはほとんどすべて目を通しています.

その上で言えることは,今となっては古めかしい構造主義に根ざした Lacan の思考方法そのものがダメです.

構造主義は,いうなれば,驚くほど単純な算術で構成されており,スカスカのザルのようなもので,そこからは大事なものがポロポロこぼれ落ちてしまう.

むしろここで必要なのは,複素関数の積分のような次元です(例えばフーリエ変換).

Lacan の後期思想の特徴であるトポロジーも,4次元以上で解けてしまいます.

さらに言えば,主体という発想そのものが,かなり疑わしいフィクションにすぎません.

主体は,基本的な二次元情報が時空化(多次元化)される時に生じる効果であり,そのような効果によって生じる幻影のひとつなのです.

ラカンがどうしてもうダメなのか,近いうちにまたフジタゼミで詳細にお話ししたいと思います.」

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